「いっ・・痛・・・っ。んんっ・・い、いや・・・!」  
 
生まれて初めての、引き裂かれるような激しい痛みに、キョーコは叫んだ。  
一気に身体が冷たくなり、痛みは恐怖を増幅する。  
反射的に被さる身体を力いっぱい圧し戻す。  
 
痛くて痛くて、嫌で、イヤで、いやで。  
とにかく逃げ出しくてたまらなかった。  
不恰好にも脚を開き、情けない声で泣いている姿を  
頭の中でもう1人の自分が冷静に見ていた。  
脚を閉じたいのだが、おさえられた腰に阻まれ、身動きがとれない。  
 
「敦賀さん・・・敦賀さん・・・!・・・やっ・・」  
 
泣きながら蓮の名前を何度も呼んだ。  
 
 
蓮は侵入をやめ、キョーコの髪をなでながら様子を見た。  
 
「大丈夫か・・?ちから、抜いて」  
「い、いたい・・・です。うごかないで・・」  
 
キョーコの手ががくがく震えていた。  
額には冷や汗が浮き、眉をぎゅっとしかめて耐えている。  
 
「わかった」  
 
つたう涙に口付けをし、蓮はキョーコにそのまま寄り添った。  
 
 
時は深夜、場所は軽井沢ホテルの一室。  
明るく装うキョーコの声に隠されたSOSを察し、飛んで一日早く現場入りした蓮だったが  
そこにあったものは予想よりはるか深刻な現実。  
不破尚とビーグルへの怒りと、キョーコの態度のもどかしさで、蓮は自分の鍵を自ら外した。  
自分がキョーコを守るためには、そうするしかなかったのだ。  
不破にも誰にも触らせたくないのは当然。  
彼女に一番に負担のない解決は、自分でしか出来ないのだと思った。  
 
人それを決壊と呼ぶ。  
 
が、蓮自身はそうは思わなかった。  
自分でも制御できず激高するかと思ったが、意外なほど静かに状況に対応でき、全てスムーズに事を運んだ。  
そして彼女を請い、今身体と心を抱いている。  
 
これで何も間違いはない。  
失敗だったことといえば・・・もっと早くロックを外していれば  
キョーコはそれほど苦しまずに済んだかもしれないという後悔だけだ。  
 
蓮は強張った背中をなでて抱いた。  
キョーコが望む限り、そのままでいるつもりで。  
 
「敦賀さん・・・」  
 
涙声でキョーコが蓮を呼ぶ。  
少し落ち着いた息が蓮の肩にかかった。  
 
「・・・何?」  
「ごめんなさい・・取り乱してしまって」  
「いいよ。今日はもう、やめておく?」  
 
身体を少しだけ離して、キョーコに微笑む。  
瞳が落ち着きなく動いたが、ほどなくキョーコはそっと首をふった。  
 
「いえ、大丈夫です。・・・今やめてしまうと、ずっと恐くなってしまいそうなので」  
 
「無理しないで」  
答えずにキョーコは黙って瞼を閉じる。  
そろそろと胸を押していた腕が背中に廻ってきた。  
 
蓮は躊躇し、しばらくじっとしていたが、やがて少し腰を進めた。  
 
「んん・・・っ!!」  
キョーコの顔がひどく歪み、悲鳴が漏れる。  
無意識に身体がずりあがり背中が反った。  
 
「最上さん・・・」  
欲望よりも、キョーコの身体が心配で、どうすべきか迷っていたが。  
 
「敦賀さん以外の人だったら・・こんなの耐えられません・・・大好き」  
 
耳元でも微かにしか聞こえないほどの呟き。  
 
痛みに涙しながらも、必死にこうして自分を受け入れようとしている。  
全てが愛しく想いはあふれ、蓮は思考をストップさせた。  
 
やがて。  
 
女になった娘は、男の腕の中で違う感覚を刻み込まれた。  
 
経験のない、他人から与えられるぬるりとした感触  
内蔵がつかまれるような、居心地の悪い気持ち良さ。  
 
それが何なのか確認する間もなく、思考は遮断され、撫でられる掌だけに身体は鋭敏に反応する。  
冷えた身体は火照りだし、ピンクに染まって柔らかくしなった。  
 
「ぁっ・・・ああ・・ん」  
漏れる声は少ないが、蓮にはそれで充分だった。  
少しずつ動きを大きくし、キョーコの反応を確認しながら行為に没頭する。  
やがて来た絶頂の予感に、キョーコは自ら足をあげ、蓮の腰を締め付けた。  
 
「敦賀さん・・・っ!」  
「キョーコ・・・っ!!」  
 
明かりを落とした部屋で、二人の息遣いがおさまるまでベットはキシキシと鳴き、揺れうごいていた。  
 
 
朝が来た。  
カーテンの隙間から微かに光が差し込んでくる。  
ぐっすり眠っていたキョーコは、シーツが動いて擦れる感覚を遠くで感じていた。  
 
「・・・最上さん?そろそろ時間だよ」  
 
そっと揺さぶられる。  
蓮だった。  
シャツをはおっただけで、胸ははだけ、髪も乱れたままの姿。  
 
「ん・・敦賀さん・・・?」  
 
キョーコは無理矢理の覚醒で現状がよく解らず、ぼんやりしながら答えた。  
ああ、そうか・・・ゆうべ私は敦賀さんと・・。  
キョーコはそこまで思い出して、少し顔を赤らめた。  
 
「大丈夫?昨日は無理させすぎてしまったね」  
「はい・・いいえ、おはようございます」  
 
起きようと身じろぎしたが、身体が重い。  
蓮は微笑むと、キョーコの汗ばんだ首をさすって髪にキスをした。  
 
「あと、5分。こうしてるか」  
 
 
朝食をとるため、2人は社と合流し1階のレストランに向かっていた。  
 
「キョーコちゃん気分はどう?個室とってゆっくり休めた?」  
心配そうに顔をのぞきこむ社の問いに、キョーコは真っ赤になってしまう。  
「は、はい。おかげさまでとっても元気です」  
「そう?顔が赤いよ。ゆうべは色々あったから疲れがでたのかな。熱ある?」  
 
「最上さん、調子悪いなら監督と相談したほうがいいよ」  
蓮も口をはさんでくる。  
 
「いいえええっっ!大丈夫です。これ以上ロケを遅らせるわけにはいきませんから。本当に大丈夫です」  
「そうか。それならいいけど、無理しないようにね」  
「・・・はい」  
 
キョーコは頭から湯気をだしながら、がっくりと下をむいた。  
 
 
レストランでは既にスタッフの皆も集まっていて、各々朝食をとっていた。  
百瀬逸美や他の人に挨拶をしながら、キョーコはトレイに食器を載せていく。  
すると。  
 
「よお。今日は煮魚があるぞ」  
いつのまにか後ろに来ていた不破尚が、キョーコを呼んだ。  
「今朝も来たの」  
「たりめーだろ。もう奴は来ないと思うが念の為にな」  
 
「最上さん」  
 
蓮が声をかけた。  
 
「先に席、とっておくから。話が終わったらおいで。・・・あ、そうだ」  
キョーコのトレイをひょいと持ち上げる。  
 
「持って行っておいてあげるね」  
 
紳士スマイルで微笑みながら蓮はその場を離れた。  
固まりつつもキョーコは呆然と背中を見送った。  
 
「あ・・・ありが、とう、ございます・・・」  
 
「・・・んだあ?遅れて来たくせにエラソーな奴だぜ全く」  
蓮に視線をやりながら、チッと舌打ちをする尚。  
「おら、来いよ。ここ空気悪いからあっちで食おうぜ」  
 
「ショー」  
 
勝手に歩いていく尚に、キョーコは名前を呼んだ。  
 
「私、敦賀さんのところに行くわ」  
 
「・・・はあ?」  
「これ以上アンタに世話をかけるわけにいかないし、私も仕事に集中したいの。  
 ・・・昨日は助けてくれて本当にありがとう」  
 
「待てよ」  
 
キョーコの二の腕をつかむ尚。  
「どういうことだ?熱でもあるんじゃねーのか?」  
腕を伸ばし、キョーコの額に手をやる。  
 
ぱし。  
 
その手は、キョーコの左手の甲で、額に触る直前で阻止された。  
キョーコの瞳に確固たる拒否を感じ、黙る尚。  
今までの敵意とは明らかに違った、静かな何かがそこにあった。  
 
「じゃ、行くね。アンタも作曲、頑張って」  
 
そっと腕をふりほどいて、キョーコは踵を返す。  
 
「・・・なんだ?アイツ・・・」  
 
ふとキョーコの向かう先に視線をやると  
蓮がちらりとこちらを見ながらシニカルに笑ったのが見えた。  
屈辱でカッとなったが、同時に敗北感もじんわりと湧いてくる。  
 
「どういうことだ・・・?」  
 
尚はしらず声にだしてつぶやいていた。  
 
 
撮影は順調だった。  
特に蓮が予定よりかなり早く合流したおかげで  
現場も本腰を入れた空気になり、昨日の遅れもとりもどす勢いであった。  
二日目のロケは予定に終了し、全員が満足して各々の場所へ解散していった。  
 
キョーコは蓮の車に同乗した。  
殆ど使うことはないのに、わざわざ送迎用に借りたものだ。  
キョーコは恐縮したが、蓮は他の人とバスに乗るのも疲れるし、と素っ気無い。  
 
朝食からこっち、蓮はいつもと全然変らずクールで無表情である。  
時折さりげなくフォローを入れてはくれるが、それ以上のことはない。  
ただの一度でも、優しくキョーコを振り返ることはなかった。  
 
後部座席からそっと蓮を見る。  
キョーコは、夕べの出来事はなかったことになるのではと思い、胸が締付けられた。  
 
ホテルの正面玄関に車は滑り込む。  
社とキョーコだけが降り、蓮は駐車場にまわっていった。  
 
ロビーを歩きながら、社が話しかけてくる。  
 
「ごめんね、キョーコちゃん。あいつ冷たくって。  
 でも本当はキョーコちゃんのことすごく気にしているんだよ」  
「そっ・・そうですか」  
「うんうん。内緒だけどね、沖縄でキョーコちゃんの様子がおかしいって、無理矢理スケジュールをつめてね」  
「・・・」  
その時、社の携帯が鳴りだした。  
「事務所からだ。ちょっとここで待っていて。1人で動かないようにね」  
「はい。いってらっしゃい」  
電波が悪いのか、社は携帯に出ながら玄関の方向へ走っていった。  
 
エレベーターの前で社を待つキョーコ。  
まだ早い時間、ホテルのロビーはチェックインや宿泊客でごった返していた。  
 
 敦賀さん・・・は、まだかな・・・。  
 
すぐ来れる筈もないのに、目が蓮の姿を探した。  
遠目で社が話しているのが見える。  
 
 バカだな私・・・。  
 敦賀さんが私のためにスケジュールを変えてくれたこと  
 ほんの少しでも嬉しいと思うなんて。  
 つけあがるのも程ほどにしなさい、キョーコ。  
 
頬の火照りがどうしてもとれない。  
自分で自分の額をこんこんと打った。  
 
 
賑やかな場所で人目が多かったため、キョーコはすっかり油断していた。  
はっと気がつくと、目の前にビーグルの4人が敵意をむき出しに睨んでいた。  
レイノはいない。  
1人が腕をつかんだ。  
3人は盾になり、人から見えない角度にキョーコを隠した。  
 
「・・・レイノくん、ね。入院したよ。しかも社長から今すぐ東京に戻るように命令がきた。レコは中止だ」  
「な・・・。入院・・・?ど、どういうこと?」  
「どういうことか、こっちが聞かせてもらうよ」  
 
チン、とエレベーターが開いたと同時に中に押し込まれるキョーコ。  
「やっ・・・」  
1人がキョーコの口をふさぎ、身体を押さえつけ腕をねじあげた。  
まるで雌鳥でも絞めるような容赦のない力。  
 
『閉』ボタンが押され、ドアが閉まる。  
 
「・・・!!」  
 
恐怖でキョーコは悲鳴をあげた。  
が、塞がれた口は声をだすどころか、息つぎすらもままならない。  
 
ガッ!ガリガガガ・・・!!!  
 
ドアが大きい音を立ててフリーズし、再び開いた。  
蓮だった。  
完全に閉まる瞬間に、脚を突っ込み開けたのだ。  
 
「・・・失敬。急いでいるもので・・・」  
息を乱して無理矢理入ってくる。  
キョーコと驚いて手を離した男の間に、割って身体をすべりこませた。  
 
ドアが閉まった。  
 
だが、誰も動かず、エレベーターもしんとしたまま静粛が訪れた。  
 
「・・・っ、敦賀さ・・・!!」  
キョーコは蓮のシャツをつかみ顔を伏せた。  
 
 敦賀さんが来てくれた。  
 
だが、せまい空間で4対1ではあまりに無謀である。  
キョーコは蓮を守るために、どうしたらいいのか混乱しながら考えた。  
 
「・・・すみませんが・・・14階をお願いできますか?」  
 
しかし蓮は動じることなく、怒気を含んだ声で丁重に言葉を発した。  
影に隠れて何も見えないキョーコだが、4人が息をのんだのが解った。  
蓮の全身の筋肉からピリピリと電気が走る。  
殺気のオーラで室内は張り詰め息苦しい。  
 
男達はしばらく無言で睨み合っていた。  
 
が、蓮の立ち昇る迫力に気おされ、誰かがボタンを押したらしい。  
 
ウィーン・・・  
 
エレベーターが動き出した。  
一触即発の状態のまま、どんどん上階にあがる。  
ガラスから外の景色が見えた。  
計算された美しさでライトアップされた中庭が、低く小さくなっていく。  
 
やがてエレベーターが止まり、ドアが開いた。  
 
蓮はキョーコを抱きかかえて一緒に降りる。  
「・・・このままですむと思うなよ・・・」  
背後から小さい声が聞こえた。  
蓮はキョーコを離れた場所に押しやると、振り返りガツンとドアを押さえて怒鳴った。  
 
「それはこっちの台詞だ!・・・何なら今すぐ相手してやろうか!?」  
 
固まる4人。  
 
もしかして本当に彼らを殺してしまうのではないかと  
キョーコは恐怖で足が震えた。  
蓮はしばらく睨みつけていたが、相手が何も答えないのを見て、黙ってドアから手を外した。  
 
エレベーターが閉まる瞬間に、負け犬の遠吠えが一瞬聞こえたのが奴らの精一杯の抵抗だった。  
 
「大丈夫か?」  
キョーコは蓮にぎゅうっとしがみつく。  
「敦賀さん・・・よかった・・」  
 
蓮は震える身体を抱き上げて、部屋に連れて行った。  
綺麗にメイキングされたベットにキョーコを膝の上にのせて座り、黙って抱きしめた。  
 
しばらくしてキョーコが落ち着いたのを見ると、蓮は携帯で社に連絡をとった。  
社が慌てて部屋にやってきたが、部屋に入らずドアで話をしている。  
顔を見せなければと思うのだが、身体は動かず、キョーコは黙ってベットに座っていた。  
「わかった。キョーコちゃんをよろしく」  
社が去った後、再び部屋に静粛が戻った。  
 
「すいません。敦賀さん。社さんにも・・・」  
 
膝元にしゃがみ、キョーコの顔をのぞきこむ蓮。  
優しく手の甲を撫でる。  
「・・・食事、できる?」  
頭を振るキョーコ。  
 
「そうか・・。じゃ、ちょっと行こうか・・・立てる?」  
「どこへですか?」  
「気分転換。俺もこのままホテルにいたら暴走しそうだから」  
 
 
10数分後、2人が乗った車は、ホテルの駐車場から滑り出していた。  
 
 
しばらく走らせたところで蓮は少し窓をあけ、風を入れる。  
涼やかな風が、頬にあたった。  
 
「軽井沢、詳しいんですか?」  
「全然。来ても仕事で往復するだけだし、人目につくことはやりたくないし。  
 でも何度か車を動かしてきたことはある」  
「東京から?」  
「夜とか、たまにね。何もせずにすぐ帰るけれど」  
 
どうしようもなく息がつまったホテルが遠くなっていく。  
嗅ぎ慣れない車の匂い、居心地は良いが馴染まないシートが、まるで逃避行をしている気分にさせる。  
 
キョーコはそっとため息をつくと、シートに身体を預けた。  
張り詰めていた緊張の糸が、やっとほぐれていくのがわかった。  
蓮が持ってきてくれた毛布は暖かく、脚を温めた。  
 
市街地を抜け、有料道路に出た。  
車は殆どなく、街灯が規則正しく流れてきて、キョーコの後ろに去って行った。  
 
風の音に混じり、ラジオから音楽が流れる。  
 
『逢いたくて 逢えない夜 想いを空に・・』  
 
心地良いまどろみが訪れてき、キョーコはいつのまにか眠りに落ちた。  
 
 
「・・・起きられる?ついたよ」  
 
 
はっと気がつくと、車は止まっていて、蓮がキョーコの髪をなでていた。  
 
「あ・・・、すいません。ちょっとうたた寝しちゃいました」  
「このまま休んだ方がいいかな」  
「いえ。大丈夫です」  
慌ててキョーコは車を降りた。  
 
夏とは言え標高が高いらしく、冷たく湿った空気がまとわりつく。  
離合できそうにないほど狭い道路に車は止まっていた。  
数メーター先は行き止まり、通行止めの標識があった。  
 
「こっちだよ。辛かったらおんぶするから言って」  
毛布を抱えた蓮が、キョーコの手をひく。  
地元の人が1人で通るような、踏み分けた坂道である。  
行く先は生い茂る木々で全く見えない。  
 
「ど、どこへ?」  
 
恐くなってキョーコは尋ねる。  
 
「近くに気象台の観測所があるんだ。ここはその裏側にまわる、秘密の道、かな?」  
 
木々の間に立ちふさがる闇に、蓮は向かった。  
まるで真っ暗な雲の中にはいるようで、キョーコは少し躊躇したが、 暖かい手は大丈夫だと導いてくれる。  
強く握り返してそのまま蓮の後についていった。  
 
 
森はどこまでも深く続いているようでもあり、すぐそこに壁があるようでもあった。  
空も見えず何一つ光源のないそこを二人は黙って歩いた。  
異世界に通じるトンネルを歩いているようだった。  
 
蓮は時々振り返り、声をかけたが、キョーコは歩くと言った。  
草があたり、夜露が脚を少し濡らした。  
 
長く長く感じた闇の立ちこめる荒れた道をようやく登り切ると、いきなり視界が開けた。  
キョーコは驚きのあまり、瞬きも呼吸も忘れ、しばらく呆然と立ちすくんだ。  
 
 
  真っ白に輝く満天の空、銀色の平原。  
 
 
目の前に突然飛び込んできた、はるか永遠から届く星の光が、頭の上にざあっと音を立てて落ちてきた。  
稜線の端から端まで、星はあまさず光り、またたく。  
 
何もない。  
光も、音も、道も、人も、風も、ない。  
あるのはぽつんとした小さな平原。  
鮮やかすぎる満天の星に照らされ、それは輝き、静かにあった。  
 
見あげていると、天の川をまたぎ星がひとつ、またひとつ、分を刻むように流れて散る。  
単純に「綺麗」とは言いがたい、驚異的な自然の迫力が迫る。  
 
天のかなたからの無言の存在に、キョーコはただ声を失うしかなかった。  
 
「こっち、座れるよ」  
蓮が手を引く。  
今にも星々が落下してきそうな恐怖に圧され、キョーコは促された毛布に崩れるように座った。  
 
「・・・っ、敦賀さん・・・すごい!」  
 
キョーコは、蓮を見た。  
蓮の髪もまた星明りで銀色に染まっていた。  
キョーコのためだけに微笑みが向けられていた。  
 
「京都にいた頃でも、こんなにすごい星空は見たことありませんでした・・・」  
「生活光があるとなかなかここまでは見えない。  
 条件があえば京都でも見える場所はあると思うんだけど」  
「知らなかった」  
 
蓮は背後に座り、後ろから手を廻す。  
膝の間で抱きかかえられた形になったキョーコは、また空を仰ぎ、蓮に体重を預けた。  
 
「星と星の間って、遠近がこんなにあるものなのですね。  
 遠いから光が小さいと思ってたのに、そうじゃなかったの」  
「すごい存在感だよね・・。どんな、ちっぽけな星でも本当はこんなに力強いものなんだ」  
 
蓮は時々ドライブでこういう場所にくるのだと言った。  
この場所や、房総、三浦、伊豆。  
なんとなく疲れた時に、星や自然を見ると落ち着くのだと言う。  
昔からたまにそうしている、仕事で忙しくなる前は何日もこんな場所で彷徨ったこともあったのだと。  
 
「すごい場所があちこちにあるんですね・・・他にどんなところがあるんですか?」  
キョーコは深く考えずに蓮に聞いた。  
 
が、返事がない。  
黙って空を見上げているだけだ。  
 
「・・・?」  
 
キョーコは蓮をそっと振り返る。  
透き通った表情の蓮は、何度か見た辛そうな顔の彼とシンクロした。  
 
「・・・ごめんなさい」  
謝るキョーコ。  
 
「何が?」  
「不躾なことを聞いたみたいなので・・・」  
「ああ、いや・・・」  
キョーコに視線を戻す。  
「・・・そのうち・・・・。そのうち、連れて行ってあげるよ」  
「本当に?」  
「うん」  
 
キョーコは不安になって蓮に向き直る。  
「本当に連れて行ってくれますか?  
 ・・・ひとりでいかないで?ひとりで黙ってあの星に帰らないで?」  
蓮は少し驚いた表情をしたが、笑って腕の中の娘を抱きしめた。  
「もう、ひとりでは・・・帰れないよ」  
 
しばらく無言で星空を見る二人。  
絶え間なく落ちて来る流れ星を、最初は数えていたキョーコだったが  
すぐに間にあわないと思い、その美しさを楽しんだ。  
 
「ビーグルやアイツのことで、悩んでいた私がなんだか馬鹿に感じます」  
 
「君は俺が守る。だからもう何も考えなくていいよ」  
「・・・。私、今朝、アイツにお礼が言えたんです。ありがとうって。  
 憎かった時は一生そんなこと言えないって思っていたのに・・・。  
 どうでも良くなっちゃいました」  
「それでいい」  
 
「敦賀さん・・・。さっきみたいな無茶、もうしないでください。  
 私の為に、もし敦賀さんに何かあったりしてしまったら」  
 
キョーコは蓮の胸に額をぶつける。  
 
「もし・・怪我したり、死んじゃったり、なんかしたら  
 私あのままアイツらについて行った方がまし・・・です」  
「馬鹿なこと言うんじゃない。大体そんなヘマはしないよ」  
「本当です。・・・・死んじゃいやですぅ・・・・。ふっ・・ううぇ・・」  
 
本気で泣き出すキョーコ。  
蓮は呆れながら、身体を離してキョーコの顔を覗き込んだ。  
 
「こらこら、勝手に殺さないでくれ。それに君は俺をみくびっている。  
 あんな4人に負けると本気で思っているの?」  
 
「・・・〜〜@@@。・・・負けてませんでしたけど・・」  
「だろう?気合の入り方が違うんだよ。俺は誰にも負けない。  
 なぜなら守るものがある男は強いんだ。君だよ」  
「・・・死にませんか?」  
「死なない。どころか、かすり傷ひとつ負わない」  
「そうなんですか?」  
「厳然たる事実だ。スーパーマンは常にパーフェクトなんだから」  
「・・・やです」  
「は?」  
「王子様か、騎士の方がいいです」  
「は・・・はあ」  
 
蓮は面倒くさくなって、まだ何か言おうとするキョーコの唇を、自分のそれで塞いだ。  
 
もしかして、自分の弱点がキョーコであるように、この子もそうなのかもしれない。  
 
昨日まで頑なな態度も余所余所しさも、そう思えば納得がいく。  
訳がわからず苛立っていたことが、恋人になった途端、単純な構造がいとも簡単に見えてきた。  
殻をやぶってドアをあければ、表れたキョーコの本当の弱弱しさも、愛しくて胸が焦がれた。  
 
キスは深く浅く、長く続いた。  
 
ただの唇と唾液が、これほど甘いものなのかと、蓮は霞む頭で考えた。  
腕に力をこめると、背中が自分の身体に添ってしなる。  
髪は柔らかく、優しい匂いを放ち、指にからみつく。  
首に廻ったキョーコの手は、柔らかく背中を撫でた。  
 
舌は唇から離れ、耳朶を弄る。  
「・・・最上さん、ごめん」  
微かに震えるキョーコの耳に、蓮はつぶやいた。  
「え・・」  
「また、したくなった」  
 
「え、えええっ・・・!!???」  
 
蓮はびっくり目になるキョーコを静かに横たえた。  
大いに焦るキョーコ。  
 
「ま、待って下さい敦賀さん、こんなところで駄目です!ちょっと待って。冷静になって??」  
 
「待てない」  
「それでも、待って。ね、待ってっ!」  
「どうして?」  
「え」  
 
「・・・何か、問題がある?」  
「問題って・・・」  
 
身体のラインを存分に味わった掌は、そっと服の下に潜り込んだ。  
下着をずらして柔らかい乳房をもみしだく。  
唇も同じものを求めて、耳から喉元、鎖骨まで滑っていった。  
 
「あっ、・・つ、敦賀さん!・・あの、問題、あります。大いにあります!  
 汚れますし寒いです。虫だっています。誰かが来たら困ります!なので・・やめて・・」  
 
静止の声は、蓮が胸に顔を埋めた瞬間に飲み込まれた。  
空気に触れたキョーコの胸が反り、優しく這い回る手に昨日の記憶が蘇えった。  
背中にぞくぞくっと快感が走る。  
 
肩に廻していた左の腕を抜き、蓮はキョーコの上に重なった。  
再び深い口付けを重ねながら、膝を脚の間に割り込ませる。  
そして、スカートのホックを外した。  
 
「・・・あっ・・」  
 
視界が霞む。  
目の先に見えるはずの、満天の空はこぼれたミルクのように白く、ぼやけていく。  
 
 
胸元で乱れてくすぐる蓮の髪  
押し付けられ潰れた草の匂い  
ひやりと冷たい外気  
 柔らかい毛布と、熱い腕と、 吐息  
 
 
  きこえる鼓動は・・・だれ?  
    わたしの、舌を なぞるゆびは?  
       
     もっと、体重、かけて。  
   腕でささえないで。  
 
      おもたくないから。  
                   ぜんぜん  
       
感覚は極端に狭まり、蓮だけしか感じられない。  
 
「敦賀さん、やめて、やめて・・・あっ・・」  
惰性でつぶやき続ける言葉は白々しく、キョーコは首を横にふった。  
 
そして、蓮は動きを止めた。  
 
唐突だったので、キョーコはホッとしながらも疼く感覚に戸惑い、じっと様子を伺った。  
蓮の肩が震えている。  
そしてキョーコを離したかと思うと、我慢できないという風に横に転がって笑いだした。  
 
「・・・・っ!また私をからかったんですかっ?!」  
 
キョーコは真っ赤になって抗議する。  
「ひどい、ひどいですっ敦賀さん!」  
恥ずかしがって半べそで怒るキョーコを、クスクス笑いながら引き寄せた。  
毛布でくるんでキュウっと抱く。  
 
「知りません。あっち行ってください!ってか私があっち行きます!」  
「駄目。身体冷えるよ。このまま寝てなさい」  
「やです。冗談にならない冗談ですよっ!タチ悪すぎます」  
「ごめんごめん。・・・でも、冗談じゃないよ。俺、本気だったんだけど」  
 
「ひぇ・・・へええぇっ???」  
 
「や、やっぱりあっち行きます・・・」  
キョーコは落ち着かなく起き上がった。  
蓮も肩肘をついて半身を起こす。  
 
「大丈夫。我慢するから。少し辛いけどね」  
「でも・・・」  
「どうしてもって言うなら、俺が毛布でるよ」  
「う・・・それは・・寒い、ですよ」  
「じゃ、あっためてくれる?」  
 
「う・・」  
 
乱れた服を押さえながら、蓮を潤んだ瞳で見るキョーコ。  
これがまた蓮の自制心をぐらつかせるのだが、本人は全然気がついていない。  
 
・・・・どう見たってOK出してる風にしか思えないんだけど?  
 
「わかった。じゃあ俺が決める。おいで」  
 
キョーコの腕をひっぱる。  
虚をつかれて崩れてきた身体を組み敷き、毛布を被った。  
下着を剥ぎ取り、脚をひらかせる。  
 
「あっ・・!ま、待って・・・!」  
「待っても結果は同じ」  
 
「あっ・・ああっ!・・」  
 
押し戻す腕を押さえつけながら、いきなり挿入した。  
キョーコの既に濡れていた内部は、まだ少し抵抗があったが、昨日より難なく受け入れた。  
腰をうちつけながら、口付けを交わし舌をからませる。  
 
「・・・っ・・っ・・!・・・ん、んんっ・・」  
 
蓮の動きにあわせて、キョーコは塞がれた口の中で声を発する。  
眉を八の字によせる表情は、痛みを我慢する風でも、快感に耐える風にも見えた。  
毛布の中で、頬はほてり、唇はぽってりと赤くはれ、壮絶に色っぽく身体がうねる。  
蓮は夢中でキョーコの匂いを嗅ぎ、汗を舐め、激しく肌を叩いた。  
 
クライマックスはいとも簡単に訪れた。  
あっと言う間に果てた2人は、荒い息をつぎながら、離れないままじっと抱き合っていた。  
 
 
美しい景色など忘却の彼方だった。  
 
 
 
星は少しずつ移動しながら、2人の上で輝きまたたく。  
キョーコは腕の中で微笑み、蓮の眉を指先でなぞった。  
星の光にに照らされる滑らかな彼女の肌は、何度触っても飽きることがなかった。  
 
「ね、最上さん?・・・キョーコって呼んでもいいかな?」  
「え・・・、さっき、そう呼んでませんでしたか?」  
「そうだった?」  
「はい」  
 
このまま明け方まで、ここにいるのも悪くない。  
鈴を転がすようなキョーコの声を聞きながら、蓮は微笑み目を閉じた。  
 

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