この一帯で最大規模の花火大会が隣の区で行なわれると聞いたのは、当日の昼過ぎ。
キョーコがロケの小休憩をとっている時に、現地のスタッフが教えてくれた。
「行く価値はありますよ。海峡を挟んで両側から打ち上げますから壮観です。
近くに行けばどこからでもよく見えますが、ご希望なら穴場を教えますよ」
女性スタッフはキョーコの顎を少し自分の方に向かせて話す。
「敦賀さんのマネージャーさんに後で地図渡しておきますね」
唇のラインを筆でなぞられながら、キョーコは少し頬を赤らめた。
返事が出来ない分そのしぐさが逆に初々しく見え、
女性は『ええ、全て承知しておりますよ』とでも言いたげに、
年齢相応の押し付けがましさを含みながらも純粋な好意で微笑んだ。
蓮とキョーコがつきあうことになってから約半年。
歴代視聴率を塗り替えたドラマと
抱かれたい男No.1俳優と新進気鋭の実力派女優のセンセーショナルな交際宣言から
芸能界は蜂の巣をつついたような騒ぎになったが、それもようやく落ち着いてきた夏。
これまでありとあらゆる共演依頼が殺到していたが、2人は全てそれを断っていた。
今回は単発ドラマ、更に懇意な監督の直接依頼いうこともあり
あれ以来初めての共演ドラマ。
全国レベルのパラグライダー大会会場を舞台にしたサスペンスである。
「敦賀さん」
準備も終わったキョーコは蓮のもとへ行った。
市と湾が一望できる場所で、蓮はキョーコを振りかえった。
フライトスーツ姿を見て少し困った顔をして微笑む。
「本当に、飛ぶの?」
「はい。敦賀さんはさっき入ったから知らないでしょうけれど、2日も特訓したんですよ。
操縦かんもありますしテイクオフだけですから、どんとお任せください」
「キョーコちゃん、決まってるね。
すごく大変そうだけど怪我しないように頑張ってね」
社が口を挟んだ。
「ありがとうございます。頑張ります。この格好も気に入ってしまいましたし。
・・・あ、そうだ社さんこれをお願いしたいのですが」
差し出したものはデジカメ。
「この前やっと買えたんですデジカメっ。記念です、街並バックに撮ってください」
ヘルメットを抱えてピースサインをするキョーコ。
笑いながら社は何枚かシャッターを押した。
「蓮も入る?」
「・・・いえ、俺はいいです」
「じゃあ私が撮ってあげますね。社さん、敦賀さんの横に並んでください」
「へ?俺・・・?」
「撮影はじまっちゃいます。早く早く」
変な顔をする社からデジカメを取り上げ、キョーコはカメラを構えた。
「まだ上手に使いこなせないんです、これ・・・。
いきますよー?はい、チーズっ」
夕方、蓮とキョーコはタクシーに乗っていた。
目深帽子に伊達眼鏡の蓮、キョーコはホテルで借りた浴衣を着ている。
「夏祭りと花火大会だからって浴衣貸し出しのサービスがあったんです。
着付けは私1人で出来ますので思い切って借りてみました」
白地によろけ縞と二色の秋桜柄浴衣地、紺の半幅帯にレースのふわふわ帯を重ねている。
アップされたヘアスタイルと牡丹の髪飾り、素足に下駄。
薄化粧に微かな石鹸の匂いを、窓から入ってくる風が運んだ。
流れる街の灯に時折光るマニキュアは、キョーコにとてもよく似合っていた。
「・・・はりきり過ぎちゃいましたね」
無表情の蓮に、キョーコは苦笑いしながら下を向いた。
本当は予想していなかったキョーコの浴衣姿に、照れていただけの蓮なのだが。
いつもの天然なら、気のきいた言葉のひとつもスラスラと難なく出るが
今回は何故かそうはいかなかった。
どうも自分の頭がうまく作動していない、妙な気分にさせられていた。
「ああごめん、そんなことないよ、よく似合っている」
やっとそれだけ慌てて言った蓮の言葉に、キョーコはポッと頬を染める。
キョーコは花火大会の話は興味はあったが、到底無理だろうと聞き流していた。
だから蓮の方から誘ってくれた時、とても嬉しかった。
東京では花火も遠くの窓から見るのが限界であったし
何より仕事以外では殆どありえない2人での外出だったのだ。
「・・・ありがとうございます」
キョーコはそう言うと微笑んだ。
蓮はまた困った風に窓の外に顔を向けた。
混みはじめた道をタクシーは無言のまま走った。
レトロ館を過ぎてしばらく海側を進んだところで車を降りた。
街灯もあまりない細い路地を歩く。
多くはないが結構な数のカップルや家族連れが同じ方向に向かっていた。
社の話では5分も歩けば小さい公園に出る筈だ。
カラコロと沢山の下駄の音がアスファルトに優しく響く。
風は潮の湿った匂いがし、蝉はまだワンワンと鳴いていた。
「眼鏡・・・見えます?」
キョーコは心配そうに尋ねた。
少しカラーが入っているレンズなのだ。
「まだ大丈夫だけどずっとは厳しいかも。
でも誰かに見つかるよりはましかな。先導よろしく」
「神崎さんったら目立つものね。仕方ないわ」
役名で蓮を呼び、キョーコはつないだ手に力を入れた。
「雛だって人のこといえないぞ」
耳元に口を近づけて囁く。
「見て。男達が皆振り返って見ているよ」
「うっそばっかり!今よく見えないって言ったじゃないですか」
「そういうことは見えてなきゃ男失格」
クスクス笑う蓮に、キョーコは思いっきりいーだ!と顔を歪めて返した。
やがて到着した公園は小さい芝生の広場がいくつか集まって出来ていた。
蓮とキョーコは植え込みを背にする適当な場所に、他の人々がそうしているように敷布を広げた。
座ると、近くで鳴いていた虫の声がピタリと止まった。
聞き取れない程度の人々のざわめきと、波が砕け散る音が微かに聞こえる。
そろそろ始まる時間、人はどんどん増えている。
が、それでも人とある程度離れていられ、明かりも適度にあり、海風も気持ちよく絶好の穴場であった。
「あそこが海峡の橋ですよね。どこから打ちあがるのかな」
「確か両岸からって言ってたようだけど」
「お茶持ってきました。お水とどっちがいいですか?あと喉飴にキスチョコ」
「ピクニック?」
「サンドイッチはないですよ。作りたかったけど時間が足りなくて」
ヒソヒソ話していると、植え込みの向こう側から声が聞こえてきた。
「・・・でな、偶然見れたんよ、敦賀蓮と京子!」
思いがけず自分達の名前を聞こえ、2人ともぴたりと話を止めて様子を伺った。
「あそこ?○山のてっぺん?よういけたね」
「そそ、ケーブル使用制限はいってたらしいけどホテルに前泊してたから俺ら、ラッキーだったよ」
「そうなの。敦賀蓮、やっぱり格好よかったわ、私感激した。
上等なスーツ着てね〜〜、すんごい良かったわ〜」
「京子はパラグライダー引きずって走ってたよ。何回もこけてて泥まみれで笑ったよ」
「へえ」
どうやら、ロケ現場に居合わせたカップルとその知人のグループらしい。
固まるキョーコに、蓮は肩をすくめて笑った。
「あの二人確かつきあってるんだよね?やっぱ仲良さげ?らぶらぶ??」
「うーん。いやあ、俺はつきあってないと思うな。あの感じ」
「「へ???そうなの???」」
他の2人が叫ぶと同時に、蓮とキョーコも眼を見合わせる。
「親しげではあるんだけどね・・・。なんていうか雰囲気?
休憩の時京子が自分のデジカメを出していたんだけど、一緒にいたスタッフに撮影頼んでたし
敦賀蓮は眺めているだけで、ツーショットは撮らなかったし。
つきあっていたとしても・・・少なくとも、ヤッてはいないよな、あれは」
「そういうもん?」
「関係が深くなるとお互いのもの、共有したりするやん。
デジカメとかタオルとかペットボトルとかさ。
それにスキンシップも無意識に増えるもんだけどそれが全くなかった」
「俳優だから気をつけているんじゃないか?」
「そうかもしれないけど」
「あんな女全然普通なんだもん!
芸能人としての華もなかったし色気のかけらもないし、きっと蓮が相手にしてないんだよ!
私も付き合ってないに一票!」
「それって私情入りまくりやんw」
適当な場所を見つけたらしい3人は大笑いしながら移動していった。
残ったのは、気まずい雰囲気の蓮とキョーコ・・・・。
『つきあっていたとしても・・・少なくとも、ヤッてはいない』
職業柄、人に噂されるのは慣れてはいたが
赤の他人に余計なことをこうズバリと図星を指されると・・・
愉快ではない蓮だった。
何よりキョーコへのあけすけな悪口を聞いたことにも腹がたつ。
キョーコはキョーコで『色気のかけらもない』発言にショックを受けていた。
自分に色気が無いから、敦賀さんは相手にしてくれなかったのか。
そうかもしれない・・・とは、思っていたけど・・・?
ドドーン、パーン! ドンドンドン!バリバリバリ・・・!!
突然、花火が始まった。
弾けた花火が赤青に変化しながら連発して頭上でひろがる。
周囲から歓声と拍手があがった。
どこからか船が数隻、呼応して汽笛を鳴らした。
「ふわあ。きれ・・・」
キョーコは思わずつぶやいた。
「そうだね」
蓮が言う。
「こんな近くで見るのは本当に久しぶりだ」
「私もです」
さっきの噂がまだ頭の隅に残っていたが、とりあえず目の前の花火を愉しむことにした。
真上で赤青黄金白の花火が間髪入れず花を咲かせる。
バリバリと弾ける音と一緒に沢山の何かが波に落ちていく。
本当に降ってきそうな光に、キョーコはふわりと反り返った。
ポクン。
後頭部に何かがあたった。
「あんまり反ると後ろに倒れるよ」
蓮が手の平でキョーコの頭を支えていた。
ドン、・・ドン、と、大輪の花がはじけ、金色の長い尾を引きながらゆっくり落ちてくる。
「ふわあ。ありがとうございます・・・。
すごいです。すっごい綺麗。でもあの火って落ちてこないのかな」
「引火したりして?」
「それちょっと嫌ですね・・・」
しばらく光の饗宴が続いた後、しばし沈黙があり
続いて対岸から再び花火が打ちあがった。
海峡の向こう側に光る小高い山から歓声が聞こえてきた。
蓮はペットボトルを開けて一口飲んだ。
冷たい水が喉を潤す。
ふいに通行人の言葉を思い出して少し考えこんだ。
「・・・敦賀さん?どうかしました?」
「あ・・・いや・・」
「お仕事のことですか?お忙しいのに連れてきていただいて・・・」
「違うよ。さっきの人達の話なんだけどね。
・・・・飲んで、みる?」
「はっ??」
躊躇しながら蓋の開いたペットボトルを差し出す蓮。
面食らったキョーコはしばらく意味が解らないでいたが、やがて思い出して頬を染めた。
「じゃ・・・いただきます」
おずおずと受け取り、そっと口をつけて。
緊張のせいか、こくんと喉がなった。
少し黙っていたが、もうひとくち口をつけて、キョーコは水を蓮に返した。
「・・・綺麗ですね」
「そうだね」
打ち上げは一段落し、対岸の仕掛け花火が始まっていた。
白いカーテンのような火の弾幕が見事に流れていく。
ペットボトルをあおった蓮は深いため息を吐くと、抑えられずにキョーコを抱き寄せた。
蓮の腕に素直に従い、身をよせるキョーコ。
再び頭上で打ちあがる花火があたりを照らしたが、気にする風もなくシャツに顔を埋めた。
蓮はキョーコの後れ毛を撫でながらまた一つため息をつく。
「ね・・・敦賀さん」
しばらくその体勢のまま抱き合っていたが、キョーコが小さい声で話しかける。
「ん?」
「・・私・・そんなに色気がありませんか?」
「は??」
今度は蓮が面食らう。
「さっきの人達の話です」
「はあ・・・。いや、他人の言うことなんか気にしないほうがいいよ」
華がないし色気もない、なんてありえない。
現にここに来るまでにキョーコは何人の男達を振り向かせていた?
今俺が自制をするのにどれだけ努力しているのかわかってないのか?
何とか言いたかったが、口を開いただけで固まる蓮。
「でも、敦賀さん今までそれ以上触れてこないですし・・・。
そういうことなのかなって思ってたんですけど、人に言われるとやっぱり・・って」
うっすらと頬を紅く染め、それでも決して瞳をそらさずキョーコは囁いた。
「それ以上って・・」
蓮のあごのラインをキョーコは人差し指でそっとなぞった。
「数えられるだけの、キス・・・以上のこと、です」
喉が渇き、眼が霞んでくる。
「・・君はまだ高校生だし・・・それに」
それに。
つきあえばつきあうほど、昔と変っていないキョーコに昔の少女が重なっていく。
汚れて堕ちる前の自分も蘇り、あの思い出はある意味神聖化されていた。
そんなキョーコをこの手で汚すことは・・・・できなかった。
「私なら大丈夫です・・何をされても、敦賀さんなら」
「・・・」
蓮の腕は意志と反して勝手に動き、キョーコのうなじから胸元の浴衣のラインを往復する。
耳たぶを軽くもみ、そっと指を1本布地に差し込みすべらせた。
更に肩を強く抱き寄せ、顎をあげさせた。
そっと唇が触れそうになった瞬間、蓮の耳に微かに何かが聞こえた気がした。
キョーコははっとして蓮の唇を押えた。
「敦賀さん、今の音・・・」
身を強張らせる。
「シャッター音、ですよね?」
「・・・多分」
「すいません・・・っ、場所をわきまえず余計なことを言ってしまいました・・・!」
あたりを伺いながら慌てて身を離そうとするキョーコを、蓮は制した。
「もう撮られちゃっているよ?」
「でも」
「構わないよ」
被っていた帽子と眼鏡を取り、髪をかきあげる蓮。
唖然とするキョーコを再び引き寄せると抱きかかえて唇を重ねた。
ドンドン、と、両岸から同時に花火がうちあがる。
間断なく連発する迫力に人々は引き寄せられ、殆ど2人に気が付かなかった。
「・・・んっ・・」
驚いて胸を押すキョーコの頬を手の平で包む。
「大丈夫。この角度なら、君の顔はうつらない」
そう言いまた深く舌を差し込んだ。
何者かの存在に、小さくパニックになったキョーコだが
蓮の激しいキス次第に意識が薄れていった。
上から押さえつけるように重ねてくる唇は、柔らかく湿る。
昔は。
朦朧とする中、キョーコは思った。
昔、おとぎばなしで読んだお姫様と王子様のキスは、とても美しく、神聖で、静かだった。
そっと触れ合うだけでお姫様は目を覚まし、永遠の愛を見つけるのだ。
あの重ねるだけと思っていたキスが、実は他にも種類があると知った中学生の頃
想像するだけでとんでもなく恥ずかしく、気持ちの悪いものだと恐れた。
そんな行為は自分には到底できっこない。
永遠の愛には憧れたが、そんな苦痛を伴うのなら、いらないと考えた時もあった。
今、私が知ったキスは全然違う。
自分の中を求めて動く舌に酔い、私も応える。
好きな人の甘く眩暈のする湿った粘膜の感触に悦ばない人がいるのだろうか?
肩を包む暖かい腕を、自分の身体に感じる体温を、誰が離したいと思うのだろう。
まだ経験の無いことはとても恐かった。
噂に聞く痛みや不安を避けたいと思う気持ちは、無いでもない。
でもこうして少しずつ知っていく悦びは、きっとこの先もあるに違いないのだから。
本当に好きな人となら、少しの傷つくことなんか何でもないに決まっているんだから。
キョーコの唇を外し、蓮は震える吐息で必死に囁いた。
「大事に思っているよ・・・。何よりも。
君を・・・壊したくないんだ。汚してしまいたく、・・ない」
「私は・・・敦賀さんに壊されたいんです」
顔をあげて蓮の瞳を覗き込む。
「こどものままは・・・。嫌、なの」
一段と大きい爆発音が響き、揺らめく瞳に銀色の尾をひく光が映った。
花火の音と光にまぎれて、2人は抑えられない情欲にずっと抱き合っていた。
「キョーコ・・・」
「敦賀さん・・」
舌を強引に吸われ続け、甘かったそれはやがて苦く鉄のような味に変化してきた。
蓮はなかなか力を緩めず
どころか掌は袖口から進入し、キョーコの二の腕や肩肌を存分にさすった。
眼の端にスターマインが様々な色ではじけているのが見える。
キラキラ、チカチカ、と点滅しつづける星や
黄金の火がサラサラと頭上に降った。
連発する爆発音や浮遊する火花は、実は自分の心臓ではないかとキョーコは思った。
蓮はキョーコの唇をはなすと、息づく暇もなく滑って耳朶や首筋を愛撫する。
「んん・・っん・やっ・・あん・」
甘い吐息が抑えられずに漏れる。
もはやこんな場所で発する声ではなかった。
キョーコは恥ずかしさで蓮の首にすがりついた。
唇の動きを止めさせるつもりなのだが、傍から見れば相当に扇情的な光景だ。
手の動きに併せて揺れてしまう身体は、カメラの存在を忘れているのか、煽っているのか。
「帯・・・ほどくよ」
シュル・・・と微かな衣擦れの音がした。
さすがにはっと正気に戻ったキョーコは、慌てて蓮の手をおさえる。
「や、やです。敦賀さん・・こんなところで・・嫌・・・!」
「誰も見ていないよ」
「嘘っ・・。こんなこと駄目ぇ」
「誘ったのは君・・。止まらないよ」
キョーコの手を振り切ると、熱い手は下に滑った。
少し乱れた布地にすべりこんでいく。
「あっ・・・!だ、駄目っ!ね、敦賀さん、ホテルに戻りましょう?ね?戻って・・お願いっ・・!」
キョーコは激しく頭をふった。
羞恥で涙が滲む。
上気した腫れぼったい頬、濡れた唇は懇願で震えるが、蓮には欲情の材料にしかならなかった。
こんな状態で待てって・・・?
蓮も正常な判断が出来なくなっていた。
わざわざこんな行為を人目に晒すような趣味は全くないはずなのだが
頭の中は目の前のキョーコの動きにしか反応しなくなっていた。
「・・・花火はもういいの?」
指先は、キョーコの膝頭を撫で、少しずつ内股をのぼっていく。
「ああっ・・・。もういいの。いらない・・もう、いらない。
部屋にいこ?誰もいないとこに・・・ね?」
腰をよじり、脚を擦り合わせて侵入をこばもうとするキョーコ。
花火はクライマックスに入ったらしく、両岸から大玉が連発して打ち上げられている。
ひときわ大きな音と共に、しだれ柳が何度も何度も大きくはじけ、秀逸の演出を施していた。
「わかった。移動しよう」
蓮もやっと自分にブレーキをかけることができた。
そっと力を抜いてキョーコの身体を解放する。
ひとりになった身体はお互いものたりなさで微かにふらついた。
蓮は深いため息をつき、のろのろと帽子と眼鏡を拾う。
キョーコは慌てて胸元を寄せ、乱れた髪を手櫛でかきあげる。
ペットボトルが倒れ、こぼれた水は地面に流れ金銀の光に反射して照らされていた。
交通制限で、やっと車を拾えたのは国道にでてしばらく歩いた先だった。
「お客さん、本会場いったね?あっこは人がすごかったでしょう。
ぎょうさん人がおって全然動けなくなるから危険ですよ」
タクシーの運転手が疲れた様子のキョーコに声をかけた。
「は・・はい。大変でした」
どきまぎしながら髪を整えるキョーコ。
「俺が疲れさせてしまって・・・失敗です。
ホテルまで何分くらいかかりますか?」
「まだ花火が終わってないから、混まないでしょう。30分もいらないですよ。
まもなくここも一歩も動けなくなりますけどね。
今のうちに私も市内に戻るところだったんですよ」
「そうですか」
ラジオから野球中継が流れている。
誰かが2塁打を打ったらしく、五月蝿い歓声がひっきりなしだ。
「フランチャイズ移動しちゃってガッカリしましたが
なんとなく応援しちゃっててね・・・楽天には頑張ってもらわんと」
一人語りの運転手と、行きよりも更に無言の2人が乗った車は
逆方向の渋滞を横目にするすると市内に向かっていった。
キョーコがそっと振り返ると
まだ見事な大輪の花火が海の上で次々と咲いていた。
だが、頭の中を麻痺させたあの爆発音と光は、どんどん遠く小さくなっていった。
タクシーはやがてホテルの玄関先に到着した。
ほうっと微かなため息をついて、2人は車を降りフロントへ向かう。
「蓮!キョーコちゃん!早かったね!」
ロビーにいた社が小走りに走ってきた。
蓮はつい、誰にも聞こえない程に小さく舌を鳴らす。
「どうだった〜〜?花火大会」
「社さん、只今戻りました。とっても綺麗でしたよ。
でも・・人がすごくて途中で帰ってきちゃいました」
頬の火照りを気にしながら、キョーコが挨拶する。
「そかそか。お疲れ様だったね。・・・ところで、蓮」
社が無表情の蓮に話しかけた。
「今携帯に連絡しようと思っていたところなんだよ。
明日午前の予定だった、蓮と監督の2人のインタビューね、
先方がトラブルがあったらしくて、これからお願いできないかって連絡がきたんだ」
「「今からですか???」」
蓮とキョーコが同時に叫ぶ。
「う、うん・・・。もう9時すぎているし、2人ともお疲れ・・・のようだし
連絡とれないって、断ることもできるんだけどね・・・。
監督はOKだって言ってきたので、一応一度は連絡とって・・・確認してみないと・・・」
迫力に押されて、社の声がだんだん小さくなる。
「だ、駄目だよね・・・。ゴメンネ・・・断るネ・・・」
「蓮!つかまったか!」
後ろから声をかけてきた人物がいた。
新開監督だ。
「悪ぃな、俺の同級がやってる出版社で何とかしてほしいんだよ。
もう先方には今から来るよう言ってあるからヨロシク」
ぽかんとしているキョーコを振り返る新開監督。
「キョーコちゃんお疲れ。花火大会行ってきたんだって?熱いね」
「は、はい暑かったです・・・」
「うんうん、疲れたろう。
昼間もあれだけ走ったことだし、役者は体調をコントロールするのが本分だ」
チラリと蓮を見ながら
「今日はもう、ゆ━━━━━━っくり、休みなさいね」
と言った。
「しっかしお前はベテランだからな。
プロならこれくらいのことは何でもないだろう」
蓮を振り返り、肩をがっしりつかむ。
何かカチンと来たらしく蓮も
「いえ、監督のお知り合いとあっては無下にできませんね。
無理無理でも多少のフォローなら、まあ仕方なしと言えないこともないですよね」
キュラキュラと笑顔で返す蓮。
「頼もしいねえ、蓮くん。それならその後もゆっくりつきあってもらおうか。
おかげで明日午前中は全員オフになることだしな。ははは」
「ははは」
最上級の似非紳士スマイルで笑いあう2人に、キョーコは恐ろしさのあまり後じさる。
「な、なに???これ・・・・っ??」
飛び交う厭味な電波の中、怯えながら横に視線をそらすと
社が迷子になったキツネリスのように、打つ手もなくオロオロしていた。
エレベーターの中で蓮とキョーコは無言だった。
「・・・ごめんね、最上さん」
「いいえ・・。敦賀さんのせいじゃありませんから」
チン、とエレベーターが止まった。
部屋の前まで2人で歩く。
「今日は楽しかったです。
でも・・なんだかどっと疲れが出てきちゃいました。
明日もロケですし、お先に休ませていただきますね。
気にしないでお仕事頑張ってください」
キーを廻してドアを開け、キョーコはニッコリと作り笑いをして蓮を仰いだ。
「じゃあ、今日は本当にありがとうございました」
ドアを閉めようとするキョーコに
「本当にそれでいいの?」
とつぶやく蓮。
「え?」
キョーコが顔をあげる間もなく、ガッとドアを押さえ部屋の中に身体をすべりこませる。
後ろ手で素早くドアをロックさせると、キョーコを抱きしめた。
「つ、るがさん・・ん」
壁に押し付けられ、さっきと同じような激しいキスを受けるキョーコ。
口の中を蓮の唇が侵入する。
舌を舐めあげられ、唇は歪み、耳朶を噛まれた。
宙をただよったキョーコの両腕はすぐに蓮の背中に廻って抱きしめる。
一度乱れた浴衣は簡単に開き、蓮の唇を受け入れた。
震える指先がキョーコの髪にからみつく。
アップした髪はほどけて襟足にかかった。
「後でくるよ・・・。ここに。終わったらすぐ戻る」
熱いため息をつきながら、蓮がつぶやいた。
「・・・ほんとに?」
潤んだ瞳で見あげるキョーコ。
「本当に。でも・・・疲れているのなら無理しないで寝ていて?
返事がなければ、そのまま部屋に戻るから。気にしないで」
キョーコはコツンと蓮の肩に顔をぶつけた。
「いえ・・でもちゃんと待ってます・・・眠れないもの」
それだけ言うと、部屋のキーをそっと蓮に手渡した。
ふたたび抱き合って深く唇を重ねる。
ふいに蓮のポケットで携帯が鳴った。
社か、新開か、どちらかだろう。
が、どうでもいいことだ。
無視して、もう一回、あと一回と、キスを続ける。
牡丹の髪飾りが髪から抜けて下に落ちた。
「これで、・・・何度目?」
「・・え?」
ぼうっとしたキョーコには蓮の問いが解らなかった。
「数えるくらいのキス、しかしてなかったから・・。これ、で」
チュッと音を立てて唇を舐める。
「何度目になった?」
真っ赤になりながら首をふるキョーコ。
「わか・・・わからない、です。今夜は、全然数えられなくて」
「じゃ、昨日までは?」
「あっ、んん・・っ・・。え、と・・。じゅ、じゅう、・・・ろく回・・?」
「ん。じゃあこれで、17度目」
「・・・っ・・」
抱き合ったままお互いの身体を探り合う。
静かに揺れる中、口元から微かに水音が途切れながら漏れた。
やがて蓮はそっと唇を離した。
「戻ったら18度目のキスを君に。
そして朝までに100のキスを。100が終わったら101度目のキスをしよう」
再び携帯が鳴った。
今度はすぐ鳴り止まず、しつこくコールが繰り返される。
「・・・じゃ・・・」
そっと身体が離れていく。
離れがたく握りあった指先をそのままに、蓮は部屋のロックを解除してドアを開けた。
「敦賀さん」
胸元を押えて、ドアノブに手をかけるキョーコ。
「お仕事、頑張ってください・・」
「うん。ありがとう」
入ってきたときと同様、蓮はするりと素早く出て行き静かにドアを閉めた。
乱れた髪のまま、両頬を押えてキョーコはしゃがみこんだ。
心臓がドキドキ高鳴り、なかなか静まらなかった。
電灯もつかない部屋の奥に、満月を過ぎた月の光が音もなく差し込む。
長い夜のはじまりであった。