「流川…です」  
 
少し照れたように誰よりも短い自己紹介をした流川は  
下の名前を言うことに一瞬ためらったようで、顔がほんのり赤く見えた。  
今日は富ヶ丘中学バスケ部にめでたく新入部員が入る日。  
マネージャーの綾子は上から下まで流川を眺めて  
「なるほど」  
と、小さくつぶやいた。  
『こりゃ好きになるわけだわ。きれいな顔。』  
去年綾子が1年生の頃、流川と同じ小学校に通っていたコたちは、  
声をそろえて流川が好きだと言っていた。  
年下などまるで気がない綾子だったが、その男がバスケ部に入ると聞き、  
多少の興味を抱いていた。  
『だけど…』  
バスケをするとは思えないほどの真っ白な肌。  
その肌に映えるサラサラの黒髪。  
身長もまだ綾子と同じくらいのもやしっ子だ。  
小学校を卒業したばかりなのでみな小さくかわいらしいのだが、  
流川はその中でも目立って頼りなかった。  
 
 
「よーし!これで全員だな!じゃあえーっと…新入部員、なんか質問とかあるか?」  
キャプテンがそういうと一年生たちはもじもじしている。  
 
そんな中、部員たちの視線を集めたのはやはり流川。  
「お前バスケやったことあんの?」  
「体力ないとやってけねーんだぞ?」  
流川はボソボソと「はぁ…はぁ…」と答えている。  
あまりの質問攻めに見ていられなくなった綾子はこらっといいながら  
部員を押しのけ流川の前に手を出した。  
「よろしく!私マネージャーの綾子。体力なんて練習しだいでどうとでもなるわ!  
がんばる人なら、私は歓迎するわよ!はい握手。」  
「は、はい!」  
綾子の勢いに押され反射的に返事をした感じだった。少しうつ向き加減で、  
ぎこちなく手を握り返す流川。  
それを見てにっこりと笑い、一際大きな声で  
「みんなもよろしく!全国にいけるようビシバシ行くからねー!!」  
と元気よく綾子は言った。  
「ちゃ…ちゃーす!!」  
慌てたように返事をする1年生。2、3年はその様子をみて笑っていた。  
 
 
それから4ヵ月後。すでに8月を向かえ、暑さもピークを迎えようとしていた。  
夏休みとは関係なく体育館やグラウンドは部活生の声が響いている。  
綾子は遠く校舎から聞こえる吹奏楽部の音楽を聞きながら一人でお茶の用意をしていた。  
もうすぐランニングが終わり、汗だくになった部員が帰ってくる頃だ。  
体育館の入り口がザワザワと騒がしくなってきた。  
「ぐあぁ!あっちマジで!綾子ーお茶お茶」  
「はーいお疲れ!」  
「うぇ…吐きそ…あー先輩こっちもお願いします。」  
Tシャツや腕で汗を拭っている部員たちは綾子が手渡したお茶を一気に飲み干している。  
「ぬる!!またかよ綾子!!ぬるいよ!ちょっと頼む本気で冷たいお茶飲ませて!!」  
「ダメダメ!冷たいお茶ガブ飲みしたりしたら体崩すじゃない!  
後で少しだけ冷たいのあげるから…って、あれ?」  
ふと見ると人数分用意した紙コップのお茶が、一つだけテーブルに残っている。ハッと気づき  
「流川は?」  
と聞いた。部員全員が冷めた表情に変わる。  
「また吐いてんだろ?」  
キャプテンのそっけない言葉にみんなくくっと嘲笑する。  
「先輩あいつはだめだって!スタミナねーもんびっくりするほど」  
「ちょっと見てくる」  
そう言うと綾子は外へと走る。いつもは放っておくところもみんなのあざける  
言い方で、人付き合いの苦手そうな流川がかわいそうになったのだった。  
「ほっとけよ綾子。そのうち辞めるだろ。吹奏楽とかの方があいつにゃ似合ってるよ。」  
後ろのほうで聞こえる笑い声を無視して体育館の外へ出る。裏のほうで苦しそうな声が聞こえてきた。  
「流川!」  
見つけて声をかけると、壁に手をつき苦しそうにうつむいたまま視線だけこちらに泳がせる流川。  
「せんぱ…?なんで」  
「あーほら。全部吐いちゃいなさい。」  
綾子は優しく背中をさすってやる。  
流川は何度も苦しそうに嗚咽を漏らしていた。  
 
 
男として、流川はこんなところを他の人間に見られたくはなかった。  
一つしか違わない綾子にこんなにも子ども扱いされていること自分が、情けく、悔しい。  
 
綾子は静かに見守りながら前から言おうと思っていたことを口にした。  
「流川さ。人と話すの苦手でしょ?」  
その問いに少し流川の肩が揺れる。  
「あんたは確かにセンスはいいし部の中でも格段にうまいと思う!  
だけどこれはチームでするゲームなのよ。チームとうまくいかないんじゃあんたにとって  
つらいんじゃないの?」  
 
瞬間、流川の心臓がドクンと鳴った。  
 
急に突き放された思いだった。  
 
これまで楓という名前をバカにされ、細い身体をバカにされ、  
ほとんど話さない流川はずっと一人だった。  
その中で、気を使うでもなくあくまでみんなと平等に扱ってくれる綾子の存在は  
流川にとっていつしか大きなものになっていた。  
その綾子が言い放った一言。  
 
『先輩は俺に部をやめるよう促してるのか』  
 
今まで唯一譲れないほどに好きになったのがバスケットだった。  
バカにされようがいじめられようが絶対に部を辞めるつもりはない。  
 
だが、綾子に辞めろと言われたらどうなってしまうんだろう。  
 
流川はひたすら次の言葉を待った。  
 
「だからね、流川。もっと自分を出すように努力しろ!ね?」  
背中をさすっていた綾子の手がポンッと弾む。  
「え?」  
意外な言葉に思わず流川は綾子を見た。  
まっすぐに視線を捉えて言葉を続ける綾子。  
「あんたが一番努力してるのも知ってる。きっといつか報われるはずだよ!」  
「…」  
「がんばって流川。他の誰が辞めても…あんただけは失いたくないのよ」  
「…!!!」  
 
力を抜いたら泣いてしまいそうだった。悟られまいとうつむく流川。  
「…辞めろって…言われるのかと思った。」  
ぼそりと言った言葉に目を丸くする綾子。  
「ぷっ…あはははは!!そんなこと言う訳ないでしょー!?言ったじゃない!  
がんばる人は歓迎するって!!はい、握手!!」  
 
4ヶ月前に戻ったような気がした。  
そっと綾子の柔らかな手を握る。  
 
流川は自分の中でなにかざわめく音を聞いた。  
もしかしたらあの時、初めて握手をしたあの時からこの人に惹かれていたのかもしれない。  
 
「さ!戻ろう!」  
手を離し、綾子が元気よく言った。  
「…うす」  
素直に後ろから付いてくる流川。  
「ねーまた顔赤いわよ?流川ってすーぐ顔に出るよね?何とかしなさいソレ」  
「…うるせーな」  
「ほらぁ怒ってもすぐ出るんだから!いい?試合は常に平常心平常心…」  
「それはあんたが学べ」  
「な!!腹立つわねー!なに?あんたってそんな性格!?」  
「…ほら平常じゃねー」  
「指を指すな!!」  
 
初めて他人に自分を出した流川楓、13歳の夏だった。  
 
月日は流れ、綾子の受験の日が差し迫った頃だった。  
「センパイ」  
声に反応して振り返る綾子。  
「あぁ流川!」  
「うす」  
もう一年生の頃のかわいさはない。身長ももうすぐ180cm台らしいし、照れても  
怒っても常に無表情になっていた。  
相変わらず多くは話さないし人付き合いもうまくなってはいない。  
が、バスケの腕を磨くことで信頼を勝ち取ることに成功したようだった。  
「なに?今日部活無いんだっけ?」  
「期末。けど帰ってやりに行くつもり」  
「あぁバスケ?そっかぁ。だけど勉強もしときなさいよ!」  
「…」  
急にシンとなる流川を見て綾子は「ったく」と言って吹き出した。  
 
ふと言ってしまおうかと思った。  
いつからか綾子を好きになっていたこの気持ちを。  
「なに?」  
視線に気づき綾子が不思議そうに見ている。  
「別に…」  
すっと視線をはずした。  
 
『今じゃない』  
なんだかそう感じた。この人に堂々と言えるのは、子ども扱いされなくなったとき。  
まだまだ自分はがんばらなければならない。  
 
流川はそれよりも聞かなければならないことがあった。  
「で、どこの高校だっけ」  
「受験の?湘北よ」  
「ショーホク…」  
「そ!またマネージャーやるの。無名のところだけどきっと強くして見せるわよ〜!」  
楽しそうに話す綾子の話にくすっと笑いながら  
『ショーホク。来年試験簡単だったらいいケド』  
と都合のいい事を思いながら流川はぼんやりと空を見上げた。  
 
 

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