「ねぇ、今日もバスケ部観にいかない?」
帰ろうとしている私と松井さんに屈託のない笑顔で晴子が声をかけてきた。
ここのところ日課のように顔を出しているバスケ部には、流川君っていうすごい選手がいる。
晴子の目当ては彼のプレイをみること。
もともとお兄さんの影響で中学のときには、自分もバスケ部だったみたいだけど、
今はもっぱらみるほうに専念しているみたい。まぁ、運動音痴だからってのが一番らしい。
そういう私も最近はバスケットをみるのが楽しくなってきた。
そんなにスポーツには興味ないんだけど、この間晴子に連れられて観に行った陵南戦が感動的で
一気にのめりこんでしまった。
先日も学校の廊下で偶然会った桜木君に熱く語ってしまったくらいだ。
桜木君は私の名前をちっとも覚えてくれなくて、未だに「晴子さんの友達」と呼ぶ。
私、印象薄いのかな?
「晴子ってばバスケ部じゃなくって流川君をみたいんでしょー?」
「そんなことないわよぅ。」
松井さんにからかわれてぷうっと頬を膨らませる晴子はかわいらしいと思う。
お兄さんの赤木先輩とは全然似てなくって、本当に血が繋がっているのかと不思議なほどだ。
多分、桜木君は晴子のことが好きなんじゃないかな。
見ていればわかる。けど晴子は流川君に夢中で気づいていないみたい。
それがちょっぴりうらやましい。
私は桜木君が好きなのだから。
「私、行くわ。」
普通に言ったつもりが予想以上に大きな声が出て、晴子も松井さんもびっくりしてる。
でも、すぐにうんうんと頷いて3人で並んで体育館へ向かった。
「湘北〜!ファイ!オー!ファイ!オー!」
体育館を覗くと既にランニングが始まっていた。
ダッシュとノーマルを赤木先輩の号令で、交互にしている。
桜木君は最初、列の後ろのほうにいたけど、ダッシュになると一番前に出る。
それだけ瞬発力があるんだろう。
「よーし!次!スクエアパス!」
「??・・・よっしゃー!」
「あんたはこっち!ドリブルの基礎よ!」
「ぬぁぁぁ!俺も混ぜろぉぉぉ!!」
まだまだ基礎練習から抜け出せない桜木君は、マネージャーの彩子さんに引っ張られて
体育館の隅っこにやってくる。
私達のいる場所からそう遠くないところで、ドリブル練習をやり始めるがすぐに晴子に気づいてこちらへやってきた。
「晴子さん、見ててくれましたか!俺の走る姿!」
「うん、見てたわよ。桜木君がんばってるね。」
「そーッスか?なはははははは!」
晴子に褒められて、照れたようにふんぞり返って笑っている桜木君。
こんなとき彼の目には私なんて映っていないんだろう。それが少し寂しい。
「なにやってんの桜木花道!」
「コラァ桜木!早く練習せんかバカタレがぁ!!」
「フンガッ!!」
彩子先輩のハリセンと赤木先輩の拳骨がヒットして、桜木君は床にうずくまる。
見る見るうちにたんこぶが出来上がって、とても痛そうだ。
晴子も松井さんも口に手を当てて唖然としている。
私は恐る恐る声をかけてみる。
「だ、大丈夫・・・ですか?」
「ぬ・・・?晴子さんの友達・・・?」
「藤井です。」
「フジイさん。」
あぁ、やっぱり名前覚えてもらってない・・・。
桜木君はその後すぐに赤木先輩に、引きずられて行ってしまったので会話が終わってしまった。
残念そうにため息をついた私を松井さんが肘で小突く。
「なぁに、ため息ついてるのよ。」
「え?ううん。なんでもない。」
「もしかして、桜木のこと好きになっちゃったとか?」
「そんなっ!・・・ことない・・・。」
「やめときなさい、藤井ちゃんにあいつは似合わないわよ。」
図星を指されて慌てて否定した私を、松井さんはじっと見つめながらそう言った。
似合わないのはわかっている。快活な彼に私なんかは似合わない。
それでも、好きな気持ちは変えられないの。
晴子は流川君のプレイに夢中で、私達のやり取りは聞いていなかったみたい。
鈍感な彼女のことだから、私の気持ちを知ったらきっとこういうだろう。
『そうなんだ、桜木君はいい人よ。がんばって。』
その言葉にどれだけ私が傷つくのか知らずに、笑顔で励ましてくれるはず。
こんなこと考えるのが間違っているのに。ごめんね晴子。
やがて桜木君はみんなと合流して練習を始めた。
リョータ先輩や流川君と時折喧嘩しながら、心底楽しそうに練習している。
最初は晴子に誘われて、入部した後も練習がいやそうだったのに、いつの間にか好きになったんだろう。
バスケットをしている彼はかっこいい。
初心者ながらに一生懸命ボールを追いかけ、赤木先輩にどやされながらリバウンドの練習をして
先日の試合も流川君と一緒に仙道さんのマークをしていた。
時折やることはめちゃくちゃだけれど、集中したときの鋭い目が色っぽいとさえ思う。
そんなことを考えていたら、すぐ横で黄色い声援があがった。
流川君のスーパープレイに、晴子や流川君の親衛隊の女の子3人がが歓声を上げている。
当の流川君は相変わらずむすっとした顔で、黙々とコートの中を走っていた。
桜木君が面白くなさげにちょっかいをかけて、いつものように殴り合いの喧嘩になる。
湘北名物「意地の張り合い」だ。
なにかにつけて張り合うこの二人は、きっと近い将来いいライバルになる。そんな気がした。
「なにやっとるかァ!桜木!流川!」
赤木先輩に拳骨で殴られてすぐにおとなしくなり、再びプレイに集中する二人。
私の傍らで流川君の親衛隊の子が桜木君を罵っている。
「そんなこと言っちゃダメよ。桜木君だって真剣なんだから!」
晴子がいさめるけれど、全然効果はなかった。
むしろ晴子を標的に言いたい放題だ。悔しいので私も口を挟む。
「あの、桜木君だって一生懸命やってるんだからそれを悪く言うのは・・・。」
「なによー!あんたも桜木の味方するわけ?」
「許せない!キィーッ!!」
肩をドンとつかれて、よろめく私を晴子が受け止めてくれる。
「大丈夫?藤井ちゃん。」
「う、うん。大丈夫・・・怖かったけど。」
「酷いわよねぇ。」
晴子は頬をぷぅっと膨らませて、3人組をにらみつける。
が、それもすぐに流川君への黄色い声援に変わる。
「晴子らしいわね。」
ため息混じりに松井さんが言う。
「桜木のどこがいいのよ?」
「え?あの・・・」
突然の質問に私はしどろもどろになる。
まぁ、いいわと言う顔でこちらをみる松井さんに、私は全部を見透かされているような気がした。
いつもどおりの練習メニューを終え、部員達がばらばらと体育館を後にする。
家の用事があると言って晴子は赤木先輩と、松井さんは塾だと言って先に帰ってしまった。
流川君の親衛隊も流川君の後を追っていなくなる。
まだ、基礎練習が残っている桜木君とマネージャーの彩子さん、
彩子さんの帰りを待つリョータ先輩が体育館に残っていた。
一人で体育館の入り口から覗いている私に気づいて、彩子さんが声を掛ける。
桜木君も私に気づく。
「あら?あなた、晴子ちゃんの友達の・・・」
「おぉ。フジタさん。」
「藤井です。」
「フジイさん。」
「藤井ちゃん、そんなとこにいないで入ってらっしゃいよ。」
にこやかに微笑んで手招きしてくれたので、私は恐る恐る体育館に足を踏み入れた。
さっきまでの練習で、体育館の中はむっとした熱気がこもっている。
桜木君は早速リョータ先輩の指導で、基礎練習を始めている。
「珍しいわね。一人で残ってるなんて。どうしたの?」
「あの・・・なんだか帰るタイミング逃しちゃって。」
「ふぅん。そうなの。でもこんなに遅くなったら帰り道危ないわよ?」
「大丈夫です。一人で帰れますから。」
「でもねぇ・・・。」
彩子さんは心配そうに何か考えて、ぱっと表情を明るくしてこう言った。
「そうだ、桜木花道に送ってもらいなさいよ。あいつ喧嘩強いし。」
「えぇっ?」
「桜木花道ー。あんた帰りこの子を送ってってあげなさい。」
私に有無を言わさず、彩子さんは桜木君にそう言うと、待っててねと言い残して
桜木君の練習を見始める。
私はすぐにでも帰りたかったけど、どきどきしたまま、おとなしく待つことにした。
桜木君と一緒に帰れるのがとても嬉しい。
練習が終わって、4人で校門までくるとリョータ先輩と彩子さんは「別方向だから。」と
反対方向へ行ってしまった。
桜木君は鼻歌を歌いながら、のしのしと先を歩いている。
「お〜れ〜はてんさーい♪天才バスケットマーン♪」
自分で作ったのだろう、自分をたたえる歌を口ずさんで、どんどん先を行く桜木君。
私は遅れないように、一生懸命早足で歩くが、なかなか追いつけない。
桜木君はきっと私のことなんか忘れているんだろう。
いつしか桜木君の姿が見えなくなったので、私は歩く速度をいつものペースに戻すことにした。
日が沈んで暗くなった道は、いつも通っていてもちょっと怖い。
そういえば、この先にいつも吠える犬がいるんだっけ・・・。
そんなことを考えながら歩いていると、前方の曲がり角に背の高い人影があった。
目を凝らしてみると、桜木君がきょろきょろと辺りを見回している。
私に気づいて、桜木君はずんずんこちらへ向かって歩いてきた。
「大丈夫ですか?フジタさん・・・」
「藤井です。」
「フジイサン。いきなりいなくなるからビックリしたッスよ。」
名前は相変わらず覚えてくれてないけど、心配してくれたことが嬉しい。
ごめんなさい。と言うと桜木君は照れくさそうに歌いながら、また歩き始めた。
私もそれに続く。
桜木君はさっきよりも、ゆっくりしたペースで歩いてくれている。
それでも私のペースよりは早くって、ついて行くのが精一杯だ。
「ヴー・・・ヴォンヴォン!!」
突然暗がりから、大型犬が吠え掛かってきた。
いつも、ここを通ると吠えるあの犬だ。
鎖でつないであるから噛みつかれはしないけれど、それでもかなり怖い。
驚いて身をすくませた私を、背中でかばって桜木君は犬に掴みかかる。
「ガルルルル!」
「ぬ!コノヤロッ!」
大型犬相手に本気で殴りかかっている。
数発鼻先を拳で殴りつけると犬は尻尾を巻いて、自分の小屋へ逃げ込んで行った。
「フジイさん、怪我はないっすか?」
「あ、はい。大丈夫です。」
まだ激しくどきどきしている胸を押さえながら、答える。
桜木君の顔を見上げると、所々牙があたったのか小さな傷ができていた。
「いやー、驚いた。なはははは!」
傷のことを気にも止めず、桜木君は笑っている。
私はそっとハンカチを取り出して、差し出した。
桜木君は一瞬きょとんとした顔で、ハンカチと私の顔を見比べて
「いやぁ、だいじょーぶですよ。このくらい。舐めてれば治ります!わっはっはっは!」
顔の前で手を振ってまた高笑いし、すぐに「いや、顔だから舐められないか?」などとぶつぶつ言っている。
そんなあっけらかんとした様子が可笑しくて、私はくすくすと笑ってしまった。
「ぬ?なんか変なこと言ったかな?」
頭をポリポリかきながら不思議そうな顔をする桜木君に、なんでもないと手で示して
帰りましょう。と促すと、私の横に並んで歩いてくれる。
さっきよりももっとゆっくり、私の歩調に合わせてのんびり歩く。
とりとめて共通の話題のない私達。
でも、何か話したい衝動に駆られて私は口を開く。
「バスケットは楽しいですか?」
「ん〜。」
桜木君は返事に困ったような顔をして立ち止まり、こちらを向いた。
ポリポリとほっぺたをかいて、答えを探している。
「最近、桜木君張り切ってるみたいだから。」
慌ててフォローするように伝えると、ニッと笑って宣言する。
「バスケットマン・・・ですから。」
照れた様にそれだけ言って、また前を向き歩き始める。
暗い路地に2人の足音がやけに響いているような気がする。
うちに着くまでは、ほんのわずかの距離。
私は足を止めて、桜木君の背中を見つめる。
背の高い彼の広い背中が、はた、と立ち止まってくるりとこちらを向く。
不思議そうにこちらを見ている、桜木君。
私は思わず桜木君に駆け寄り、制服の袖を引っ張って、目線の高さまで降りてきた唇に口付ける。
桜木君は、なにが起こったのかわからないと言うように驚いた顔をして、こちらを見ている。
自分でも何をしたのか、頭の中がぐちゃぐちゃでうまく把握できない。
しばしの沈黙の後、桜木君は赤くなってうつむいている私の頭を恐る恐る撫でてくれる。
思わず涙がこみ上げてきて、私の目から零れ落ちる。
泣いたら余計に困らせるだけなのに。でも涙は止まらなかった。
どれくらい時間がたったのかわからないけれど、桜木君はずっとそばにいてくれた。
困ったように私の頭を抱き寄せて、泣き顔を見ないようにしてくれた。
「ごめんなさい、ありがとう。」
少し気持ちが落ち着いた私は、涙をぬぐって桜木君の腕の中から抜け出した。
桜木君は決まり悪そうな顔で、黙ってこっちをみている。
多分、桜木君は私の気持ちに気づいたはず。そう思うとまた泣きそうになる。
「私のうち、すぐそこだからここで大丈夫です。」
ぺこりとお辞儀して逃げるように、その場を後にする私に向かって、桜木君が声を掛ける。
「また、バスケ部見に来てください!待ってますから!」
その言葉が嬉しくてまた少し涙が出る。
私は立ち止まり、振り返って大きくうなずいた。
桜木君はほっとしたような表情を浮かべると、手を振りながら元来た方向へ歩いて行く。
大きな背中が見えなくなるころ、私は初めて想いを口にする。
「桜木君が大好きです。」
明日もバスケ部を見に行こう。
まだ、どんな顔して会えばいいかわからないけど。
想いが叶わなくてもいい、大好きな桜木君のプレイを見たいから。
〜fin〜