『アヤちゃん。オレ、彼女ができたんだ』
何度、そう言おうとしたかわからない。
だけどアヤちゃんの笑顔を見ると、どうしても言えなかった。
今日、アヤちゃんが練習を休んだ。
晴子ちゃんに聞いても、ただ休むと連絡が来ただけで理由はわからないらしい。
集中できないまま練習は終わり、その後オレは三井サンとチエコスポーツに来ていた。
「彩子とおまえの仕事だろーが、これは」
「……別にそう決まってるわけじゃないすよ、三井サン」
「だってよ、備品の買出しはいつもおまえら二人だったじゃねーか」
「じゃあ、掃除とボール磨きのほうが良かったんすか?」
「ハイハイわかりましたよ、キャプテン様!」
……悪いけど、オレだって好きでアンタと来てんじゃねーぞ。
さっさと会計を済ませ、店を出る。
昨日の雨が嘘みたいにきれいな夕暮れの空の下、オレの足取りは重かった。
「ち……街中カップルだらけじゃねーか。宮城もこれから女に会うわけ?」
「まあ一応、日曜だし……」
約束はしているけれど、なんとなく気乗りがしなかった。
アヤちゃんを忘れるために付き合ってるようなもんだし、気乗りしないのも当たり前……。
そう思うと、ますます自己嫌悪に陥った。
「お、あれ藤真じゃねーの?なんでここにいんだ、あいつ」
「さあ……この辺に知り合いでもいるんじゃないすか」
三井サンの視線の先を見ると、向かい側の歩道を歩いている藤真の後ろ姿が見えた。
女を連れているが、興味も持てずに目をそらす。
「いい女連れてんなあ」
「モテるから、女なんて吐いて捨てるほどいるんだろ……」
俯きがちに歩くオレの肩を、三井サンがトントンと軽く叩いた。
「あれ、彩子じゃねーの?」
「は?何言ってんすか?」
この人は、オレをイラつかせる天才かもしれない。アヤちゃんが藤真といるわけがねえじゃねーか。
顔を上げ、藤真の隣りの女を見たオレは、自分の目を疑った。
「ほら、やっぱり彩子じゃねーか。髪型変えたんだな、あいつ……」
三井サンの声も、街の喧騒も、すべてが遠くに聞こえる。
藤真の隣にいるのは、間違いなくアヤちゃんだった。
ふわふわだった髪が、たった1日の間にさらさらのストレートになっている。
アヤちゃん。
どうして藤真なんかと一緒にいるんだよ……。
頭を駆け巡る不快な憶測に、オレは酷く混乱していた。
「あの様子だと、間違いなくデキてんな……」
三井サンの一言で、憶測が確信に変わる。
アヤちゃんは親しげに藤真の手を取ると、自分から腕を組んだ。
それ以上二人の姿を見れずに、顔を背ける。
「……おまえもバカだな。
そんな情けねえ顔するくらい彩子が好きなら、なんで別の女と付き合ったりしたんだよ」
溜息交じりの三井サンに、何も言い返せなかった。
なんで、こうなるんだよ――。
夏のインターハイで全国へ行ってから、うちのバスケ部は一気に有名になった。
流川の親衛隊は倍に増えて、下手すりゃ藤真や仙道よりモテるかもしれない。
リハビリ中の花道が知ったら逆上しそうなくらいだ。
女ってのは気まぐれなもんで、オレや三井サンも急にモテだした。
三井サンは、今はバスケのことで頭がいっぱいで、群がる女に興味がないらしい。
オレはというと、正直悪い気はしなかった。
高校に入ってから10人連続で振られ続けていたし、アヤちゃんは全然振り向いてくれないし……。
山王に勝って、ちょっとはオレのこと見てくれるかもしれないって期待した。
だけど、甘かった。そんなうまくいくわけがない。
女子の声援を浴びるオレに、アヤちゃんは笑いながら言ったんだ。
「モテモテじゃないリョータ!やっと彼女できるかもね!」
そりゃないよ、アヤちゃん……。
いつもアヤちゃんは笑顔でオレを傷つける。
どんなにもがいても、この手はアヤちゃんに届かない――。
8月も終わりに近づいたある日、オレは隣のクラスの子に呼び出された。
オレがアヤちゃんを好きなことは誰でもわかっている。
なのに、それでもいいと彼女は言った。
なんとなくアヤちゃんに言われたことを思い出し、意固地になっていたオレは「いいよ」と答えていた。
彼女とアヤちゃんは、まったく正反対のタイプだ。
この子と付き合ったからといって、アヤちゃんへの当て付けにもならない。
だって、アヤちゃんはオレのこと何とも思ってねーんだから……。
そんな軽い気持ちで付き合ってみたものの、日に日に気分は重くなっていった。
そして今――、目の前の光景が、重く沈んだオレの心を更に突き落とす。
今までのアヤちゃんとの関係が壊れていく気がした。
友達以上とまではいかないが、それなりに心地良かった関係。
オレは、それを失うのが怖くて臆病になっていた。
こんなことになるなら、ちゃんと告白しておけば良かったのに――。
翌日のアヤちゃんはいつも通りに見えた。
変わったのは髪型だけかもしれない。
藤真と一緒にいたのだって……なんか、理由があるのかもしれない。
そんな僅かな望みを抱き、話しかける。
「アヤちゃん、髪型変えたんだね」
いつもよりぎこちない話し方になっているのが自分でもわかった。
振り返るアヤちゃんの髪がサラリと揺れる。
「似合うでしょ?」
「うん、似合うよ」
本当は前の髪型の方が好きだ。
けど、笑顔のアヤちゃんには言えずに、嘘がこぼれた。
張り詰めた空気。緊張で喉が無性に渇く。
オレから顔をそらし、窓の外に向けられたアヤちゃんの目は、どこか遠くを見ている。
藤真と腕を組んでいたアヤちゃんの姿が目に浮かんだ。
本当に聞きたいのは、髪型のことなんかじゃない。
確かめるんだ、ちゃんと……。
「……どうして髪型変えたの?」
情けねぇ……。どうしても、遠回しにしか聞けない。
アヤちゃんは、窓の外にあった視線をゆっくりとオレに向けた。
「ストレートにしてみたらって言われたからよ」
見たことのない大人びた表情で、なんの躊躇も無く答える。
誰に?なんて聞かなくても、答えが見えた気がした。
「あたし、きのうから藤真と付き合ってんのよ。
リョータ、彼女できたんでしょ?なんであたしにだけ教えてくれなかったのよ……」
うつむくオレに、追い討ちを掛けるように響いたアヤちゃんの冷めた声。
聞こえてはいても、その言葉の意味を認めたくなかった。
チャイムが鳴り、みんな自分の席に着き始めている。
席に戻るアヤちゃんの真っすぐな髪が、オレの顔をかすめていった。
その髪の香りまでもがいつもとは違った。
まるで、別人みたいだ……。
オレは席には着かず、教室を飛び出した。
「おいコラ!宮城!どこ行く!?」
その声も耳には入らない。
廊下で叫んでいる担任を無視して、屋上へとひたすら走った。
いつから藤真のことが好きだったんだよ。言われたら簡単に髪型変えるくらい好きなのか?
つーか、なんで藤真なんだよ、アヤちゃん――。
聞きたいことはたくさんある。
だけど、もうオレにできるのはアヤちゃんを忘れることだけだ。
その時のオレは、そう信じて疑わなかった。
あれからアヤちゃんは土日の部活に来なくなった。
今は晴子ちゃんもいるから、それほど困ることはない。
けれど、アヤちゃんがいないと何となく練習に活気が無いような気がする。
部活が大好きだったアヤちゃんが週末来なくなった理由はあいつ……藤真だ。
練習を休まない藤真のために、必然的にアヤちゃんが休むことになる。
週末はほとんどあいつと過ごしているらしい。
別に知りたくも無い話だ。
だけどアヤちゃんの相手はあの藤真だ。
毎日毎日、イヤでもオレの耳に二人の噂話が入ってくる。
「どうしたの?」
「別に……。なんでもねーよ」
彼女の声で我に返った。
ごまかすようにペットボトルを手に取り、一気に流し込む。
「悩みごと?」
「うん、まあ、部活のことでちょっと……」
アヤちゃんは今、幸せなんだろうか。
藤真は、ちゃんと優しくしてくれてるんだろうか。
何かしていないと、すぐに頭の中はアヤちゃんでいっぱいになる。
マジでヤバイ。このままじゃ、オレはダメになっちまう……。
気付くとオレは彼女を押し倒していた。
彼女は何も言わず静かにオレを受け入れる。
すべてを見透かすような笑みを浮かべながら、彼女がオレの肩を抱いた。
何度も部屋に連れて来たのに、キスすらしていない。
オレは、いったい何に遠慮していたんだろう。
アヤちゃんはもう藤真のものになり、オレなんか見ちゃいないってのに……。
彼女を抱いていても、あまり集中できなかった。
アヤちゃんもこんなふうに藤真と過ごしているのかもしれない。
頭をよぎるのはそんな不快な想像ばかりだ。
妄想を掻き消すかのように彼女を強く突いた。
嫌になるくらい、我儘で横暴なSEX――。
結局、最後まで自分本位だった。
「ほんの少しだけど、宮城くんと近づけた気がする」
腕の中で目を潤ませ小さく呟いた彼女に、自分の姿が重なった。
オレはずっと、自分と同じ思いをこの子にさせていた。
震える小さな肩。
乱暴に扱ったことへの後悔で押しつぶされそうになる。
アヤちゃんのことは、もう忘れるんだ――。
そう自分に言い聞かせ、彼女を抱きしめた。
***
3ヶ月が過ぎ、12月も半ばに差し掛かろうとしている。
結局、選抜予選を勝ち抜いたのは海南だった。
予選直前にはほとんど部活に出ていた彩子も、また週末だけ顔を出さなくなった。
傍から見れば、以前と変わりない宮城と彩子の会話。
多少ぎこちないながらも、普通にしようと互いに努力していた。
練習が終わり、部員たちの談笑を尻目に、彩子は晴子と一緒に片付け始める。
彩子は、体育館の片隅で宮城を待つ彼女にチラリと視線を向けた。
彼女は宮城を目で追いながら、目立たないところで遠慮がちに佇んでいる。
いつもの光景だ。
毎日見ているとイヤでも慣れてくる。
彼女と一緒にいる宮城を見ても、彩子の心は痛まなくなっていた。
それでも小さなしこりが残り、心に積み重なっていく。
『多分、あの子はあたしに気を使っているんだろう』
余計な気遣いをされると、なんだか惨めになる。
彼女から視線を反らした瞬間、窓の外に人影が見えた。
外は暗くハッキリとは見えないが、それは確かに見慣れた後ろ姿。
風にやわらかく揺れる髪が、街灯のわずかな明かりで栗色に光っている。
そこにいるのは、藤真だった。
『なんでここに……?』
振り返った藤真と窓越しに目が合い、手招きをされた彩子は慌てて体育館を出た。
小走りで出て行く彩子を見て、他の部員たちも藤真に気付いた。
二人が付き合っているのは周知の事実。
だが、藤真がここに来るのは初めてだった。
「ホラ、みんな何ボケッとしてんだ。さっさと片付けよーぜ」
体育館を埋め尽くした重苦しい空気を振り払うように、宮城の声が響いた。
部員に声を掛け、何事もなかったかのように散らばっているボールを集める。
出口のそばにあるボールを拾いに行くと、宮城の視界に彩子と藤真の姿が入った。
どうしても二人の顔を見ることができない。
「……アヤちゃん。先に帰ってもいーよ」
宮城は顔を反らしながら、やっとのことで口を開いた。
「リョータ……でもまだ片付けが……」
「どうせもう終わるし、気にしないで。早く着替えてきなよ」
それだけ言うと、宮城は再びボールを片付け始めた。
精一杯の平常心。
頭では理解している。
けれど、彩子を忘れると決めたはずの宮城の心は、まだくすぶったままだった。
体育館の横で彩子を待っている藤真に、部員たちが挨拶しながら出て行く。
「藤真さん。寒いから、校舎の中で待ってたほうがいいですよ」
気を使った晴子がそう勧めても、藤真は首を横に振った。
「ここで待ってるよ……」
それだけ言うと、藤真は体育館の出口からもれる明かりを静かに見つめた。
明かりが消え、最後に体育館から出てきたのは宮城と彼女だった。
宮城を見据える藤真は無表情だ。
「……オレに、何か用?」
「別に……」
宮城は、苛立ちを抑えるのに必死だった。
『本当は、アヤちゃんの事で何か言いてーんだろ?嫌な奴だ……』
寒さなのか怒りなのか、靴紐を結ぶ指が震える。
結び終わり立ち上がっても、宮城は藤真の目を見ることができずにいた。
「オレ、アヤちゃんとは何もねえから安心しな……」
すれ違いざま、自分の心を落ち着かせるように宮城が言った。
「悪いな……宮城」
謝罪とは何か別の、心細い藤真の声。
だが、今の宮城には、藤真が抱える不安に気付く余裕は無い。
封じ込めていた彩子への想いが、宮城の胸に込み上げてくる。
それは以前よりも強く、宮城の心を縛り付けた。
『オレ、こんなにアヤちゃんが好きなんだな……』
上の空で黙々と歩く宮城の手を、彼女が強く引いた。
「ねえ、聞いてる?」
「ああ……ごめん。ぼーっとしてた」
もうすぐ付き合ってから4ヶ月になろうとしている。
それなりに楽しいこともあった。
だけど、彼女への罪悪感はいつまでも消えない。
それは彩子への報われない想いと混ざり合い、自分でも手に負えないくらいに心を蝕んでいる。
そんな気持ちのまま付き合っていくのは、もう無理に思えた。
「別れてくれ……」
静かにそれを口にした宮城に、彼女が驚くことはなかった。
まるで、いつかはそう言われるのを覚悟していたかのような表情。
「やっぱり、まだ好きなの?」
「ごめん」
「……最後に一つだけ、我儘聞いてくれる?」
寂しそうに笑いながら言う彼女に、宮城は黙って頷いた。
***
様々な装飾があちらこちらに施され、街はクリスマス一色に染まっていた。
そんな華やいだ風景すら、オレには曇って見える。
クリスマスに二人で映画を観る。それが、彼女にとっての最後の我儘。
こんなことは、我儘でもなんでもない。
突然別れを切り出したオレの方がよっぽど我儘だ。
この数カ月、結局オレは彼女を傷付けただけだった。
楽しそうに映画の話をする彼女は、この後に別れるとは思えないくらい晴れやかな笑顔だ。
たぶん、今日までの間に気持ちの整理をつけてきたんだろう。
彼女の強さが、うらやましかった。
映画館へ入ると、話題作だけあって欝陶しいくらいの人でごった返している。
オレたちは一番後ろの席に座った。
クリスマスということもあり、ほとんどの席がカップルで埋め尽くされている。
別れると決めた女と映画を観に来ているのは、きっとオレくらいだろう……。
そんなことを考えているうちにブザーが鳴り、場内が暗くなった。
ぼんやりと予告を観ていたオレの前を、見覚えのある二人の姿が横切って行く。
ドクン、と、心臓が鈍く唸った。
男はしばらく周りを見渡し空席を見つけると、かばうように女の肩を抱き、席に着いた。
オレの座っている場所よりも少し前だ。
その席で寄り添うように座っているのは、藤真とアヤちゃんだった。
藤真とアヤちゃんがオレに気付いている様子はなかった。
映画が始まっても、視界に入る二人が気になって仕方ない。
内容なんて全く頭に入らない。
字幕を読む気にもならない。
藤真が何かを囁きながら肩を抱くと、アヤちゃんは幸せそうに微笑んだ。
教室ではあまり見せなくなったその笑顔に、やるせなさと切なさが込み上げる。
前から観たかった映画。
それなのに、瞬く間に興味が削がれていく――。
場面が切り替わり、星空が画面に映し出された。
薄暗くなった場内。
藤真がアヤちゃんの肩を抱き寄せ、軽くキスをした。
映画のキスシーンに合わせたかのように、二人の顔が重なる。
それは誰も気が付かないくらい、ほんの一瞬の出来事。
だけど、オレにはとてつもなく長く感じた。
とにかく、早くこの場を離れたい。
次々と移り変わる画面を放心状態で眺めながら、映画が終わるのをひらすら待った。
冬休みだというのに、オレは一人になった。
別に寂しくはない。
逆に、つかえていた枷が無くなったかのように心が軽くなった。
クリスマスから3日しかたっていないのに、もうだいぶ昔のことのように感じる。
映画館で、藤真の隣りにいたアヤちゃんは幸せそうに見えた。
二人のキスに落ち込んだけど、あんなのは付き合っているんだから当たり前だろう。
見守ることしか今のオレにはできない。
アヤちゃんがいつも笑顔でいられれば、それでいいんだ。
何かあった時は相談にのってあげたい。
それと、どうしても今年中に伝えておきたいことがある。
今更こんなことを言っても意味はないし、アヤちゃんを困らせるだけかもしれない。
だけど、このままじゃ絶対後悔するだろう。
オレは勇気を振り絞り、アヤちゃんに電話した。
「……もしもし、アヤちゃん?オレだけど……」
『リョータ……?』
「今、一人?話しても大丈夫?」
『大丈夫よ』
電話越しにアヤちゃんの声を聞くのは4ヶ月ぶりだ。
声が少しかすれているような気がして、心配になった。
「アヤちゃん、風邪?」
『違うけど……。どうしたの?』
「話があるんだけど、今から学校に来てくれないかな。教室で待ってるから」
『……わかったわ』
家を飛び出し、冷たい雨の中、傘もささずに学校へと走った。
こっぴどくフラれても構わない。
自分の気持ちを整理するためにも、今度こそきちんと告白したかった。
***
冬休みの校舎には誰もいない。
雨の音だけが聞こえる教室で、宮城は彩子を待っていた。
少しずつ近づいて来る足音。
腹を据えて来たはずなのに、緊張で脚が震える。
『しっかりしろよ……!』
宮城は、懸命に心を奮い立たせた。
教室の戸が、カラカラ、と弱々しい音と共に開いた。
どことなく疲れた表情の彩子が、けだるそうにコートを脱ぎながら戸を閉める。
待ち人が来たことに気付いているはずなのに、宮城は窓際で外を見たまま動かない。
振り向きもせずに、ただ立ちすくんでいた。
いつもとは何か違う。
そう感じた彩子は、緊張で唇を固く結んだ。
しばらくためらっていたが、意を決して宮城の隣へ歩み寄り、声をかける。
「……どうしたのよ、急に」
自分に向けられた宮城の真剣な眼差しに、彩子は息を飲んだ。
「オレ、アヤちゃんが好きだ。多分、アヤちゃんが想像しているよりもずっと……」
あまりの突然さに言葉が出ない。
彩子は、ただ黙って宮城を見つめた。
「オレさ、女と別れたんだ。やっぱりアヤちゃんが好きだから……」
「え………」
「どうしてもきちんと言っておきたかったんだ。
アヤちゃんに藤真がいるのはわかってる。だから、オレのこと思いきり振ってよ」
彩子の心の琴線を、何かがはじいた。涙が溢れ、頬を濡す。
初めて見る彩子の涙に、宮城は動揺した。
「アヤちゃん、困らせてごめんね……」
声を殺して泣き続ける彩子の肩は、か細く震えている。
その肩を抱こうと伸ばした手が、思い留まるように宙を掴んだ。
『これは、オレの役目じゃない……』
どうにもできず途方に暮れていると、その手が彩子に強く握られた。
「……あたしも、リョータが好き」
それを口にした彩子に、ためらいは感じられない。
宮城は、驚きで喜ぶのも忘れていた。
彩子の言葉の意味を理解できない。
つい数日前、映画館で二人が仲良さそうにしているのを見たばかりだ。
それなのに、どうして……。
「もう後悔したくない。リョータが好き。あたしも、別れたの……」
暖房も入らない教室の隅で、宮城と彩子は肩を寄せ合い座った。
ほんの少し手が触れ合うだけで高鳴る鼓動。
熱を帯びる頬に寒さも忘れた二人には、床からの冷気も届かない。
宮城は、彩子の髪から流れてくる香りに懐かしさを感じた。
それは藤真と付き合う以前の彩子の香り。
その香りに吸い込まれるように、彩子を抱き寄せた。
藤真と別れることになった理由は分からない。だが、そんなことは今はどうでもよかった。
愛しい女の身体が、自分の腕の中にある。もう無欲ではいられない。
身体の奥から沸き上がる、熱い衝動――。
それを抑えるのは無理だった。
宮城は彩子を抱きしめたまま、なだれ込むように身体を床へと投げ出した。
唇を確かめながら、幾度もキスを交わす。
宮城の手が彩子の制服のリボンに伸びた。
シュルっと音を立てて解かれたリボンが、すぐ傍の椅子に置かれる。
次にその手は彩子のブレザーのボタンへと滑り、瞬く間に外していく。
ブラウスの襟元を宮城の指先がつたうと、彩子が身を引いた。
『ちょっと待ってよ……こんなところで………』
塞がれ続け、言葉を発することができない唇の変わりに、彩子の手が宮城の指の動きを封じる。
「ゴメンね。もう、止まんないよ……」
鋭く刺し込む宮城の視線に縛りつけられ、彩子は動けなかった。
これまで自分には向けられたことのない精悍な表情。
拒む理由なんて、ない。
誰よりも触れて欲しかった男の手が、今、自分に触れようとしているのだから――。
秘め続けていた思いが弾け飛ぶ。
長い間二人を隔てていた見えない境界線が、消散した。
力の抜けた彩子の手をすり抜け、宮城がブラウスのボタンを器用に外していく。
冷たい空気に晒された鎖骨にキスをされ、彩子の唇からかすれた吐息が漏れた。
宮城を求める身体と、薄紅色に染まる頬。
恥じらいの中に包み隠された欲望――。
そんな彩子に口火を切られた宮城が、その耳元で囁いた。
「覚悟して。……アヤちゃんだからって手加減しないよ」
こんな宮城を、彩子は知らなかった。
挑むような微笑を浮かべながら、白い胸元に唇を落とす。
男の唇の動きに、まるで微熱に犯されたかような火照りを感じ、彩子は瞼を静かに閉じた。
はだけた胸元に降る、無数のキス。
容赦の無い唇に、彩子の身体が小刻みに揺れ動く。
ふと、何かに気付いたかのように、彩子の身体から宮城の唇が離れる。
宮城は学ランとポロシャツを脱ぐと、彩子の背中と床の間へ滑り込ませた。
白い肌を慈しむように舌で愛撫しながら、着ているものを丁寧に脱がしていく。
「背中、冷たくない?」
「平気よ……」
彩子に囁く声はいつもに増して優しいが、身体を弄ぶ手や舌は本能のままだ。
椅子に無造作に掛けられた彩子のブレザーとブラウス。
そこに、胸を覆っていた濃紺の下着が重ねられた。
綺麗に浮き立つ鎖骨や、くびれた腰。
それらに見合わないほどの大きな二つの膨らみが、宮城の欲を掻き立てる。
「アヤちゃん、すごくキレイだよ……」
彩子にとって、それは飽きるくらい男に言われてきた言葉だ。
それなのに宮城にそう言われると、なぜか嬉しさと気恥ずかしさが入り混じったような気持ちになる。
――どうして、リョータがあたしの初めてじゃないんだろう。
そんな悔しさが、唐突に彩子の胸を刺した。
彩子の身体は切なさに悶えながらも、宮城の動作の一つ一つを記憶していく。
「……は……あぁ………」
首筋を伝う男の唇が鎖骨まで降りると、彩子は甘い吐息をもらした。
優しく胸を撫でる手と、その尖端を吸う唇。
胸の膨らみは、宮城の手のひらに合わせて形を変えながら、苦しくなる呼吸に柔らかく振動した。
汗ばむ手に白い双丘が刺激されて、その尖端は少しずつ固くなる。
時折、指先や唇できゅっと甘く摘まれ、彩子の足先が痺れるように硬直した。
下半身が熱くうずき、腰は細かくうねる。
胸元を濡らしながら貪る舌に、彩子の身体は深く堕ちていった。
肌で感じる彩子の温もりに、心がはやる。
それをおくびにも出さず、宮城は彩子の身体をゆっくりと愛した。
男の舌は、なめらかな輪郭をなぞる。
スカートからのぞく彩子の太ももが、舌の動きに合わせて、しどけなくうごめいた。
重なる唇の中で、求め合うように舌が絡む。
肌に浸み込むような愛撫で、彩子の下着はしっとりと濡れていた。
快感に身をよじるたび、濡れた下着が女の秘部をぬるりと刺激する。
直接触れられていない場所ですら、敏感に反応した。
喘ぎをこらえ、酸素を欲しがる彩子の唇に気付いた宮城が、名残惜しそうに離れる。
体を起こした宮城は、改めて彩子の全身を目の当たりにした。
美しく乱れた長い髪。
あらわになった上半身は、まだ足跡のない雪原のように白くなめらかだ。
床に投げ出された腕は、身体の下に敷かれた宮城の制服をぎゅっと掴む。
片方だけ膝を立てた脚が、もう一方の脚に力なくしなだれかかる。
短いスカートはめくれあがり、濃紺の下着がちらりと覗いていた。
「どうしたの……リョータ……?」
ねだるような口調で彩子が囁いた。
わずかに開いた口元は、薄く笑みを浮かべているようにも見える。
急かされるように、宮城の手はスカートの中へと滑り込んだ。
「ん……はぁっ……」
やわらかい太ももを撫でると、彩子の眉が悩ましくゆがんだ。
彩子の表情が、仕草が、欲情の淵へと宮城を追い込んでいく。
あまり大きくもない体に、ほど良くついた筋肉。
見慣れていたはずの宮城の身体が、今日はいつもより逞しく見えた。
宮城の胸板に、彩子の指が滑らかに触れる。
彩子の細い指先の感触が、宮城の身体の奥の奥まで痺れを及ぼす。
宮城は思わず、う、と小さくうめき、太ももを撫でる手を止めた。
「……どうして止めるのよ。手加減しないって言ったくせに」
長い睫毛の瞳が、責めるように宮城を見つめた。
彩子の声にせき立てられるように、宮城は再び愛撫を続ける。
はじめは、思うままに触れていた。
だが、彩子の身体を傷つけたくないせいか、宮城の愛撫は徐々に控えめになっていく。
なんとなくそれに気付いた彩子は、宮城が愛おしくて仕方なかった。
「好きなようにしていいのよ、リョータ……」
目の前の胸元に指と唇で触れるたびに、男は小さく吐息をもらした。
太ももを撫でる手も、耳を挟む唇も、すべてが愛おしい。
彩子は、宮城の身体を両手で優しく包んだ。
白い胸の輪郭を、赤い舌がなぞっていく。
彩子の太ももを弄っていた手が、その身体から濡れた下着を取り去った。
ふくらはぎから太ももを辿り、一度は下腹部まで達した指先が、その下の小さな茂みに触れる。
宮城の指はその場所をくすぐるように動き、唇は胸の尖端を何度も挟んだ。
彩子の全身に、ぞわぞわと波及していく快感。
それは、麻薬のように身体を浸潤した。
少しずつ宮城の顔が下半身へと移動していく。
朱に染まり潤みを増す花弁が、びくびくと淫らに微動し男を誘う。
花にとまる蜂のように、宮城の唇が降り、花弁に吸い付いた。
「…あっ………ふ……う……」
彩子の唇から、声が切なくもれる。
全身を包むような宮城の優しい愛撫に、ここが教室だということも忘れ、声をあげそうになる。
「……アヤちゃん、ここでは我慢して。噛んでもいいから」
そう言うと、宮城は彩子の口元に左手を差し出した。
噛むのをためらった彩子は彼の手を握り、その指に唇を押し付けた。
固いものが彩子の腹部に触れた。
彩子は反り立ったそれを手で柔らかく包む。
「我慢、しないで」
「いいの?アヤちゃん……」
宮城は、黙って頷く彩子を腕の中に抱き、少しずつ身を沈めていった。
押し広げられる肉壁は弾力に溢れ、男をさらに立大させる。
温かく、はりつくような粘膜の感触に身震いしながら、宮城は彩子に口づけた。
目を開け、見つめ合い、繋がっていることを確かめるように舌を絡ませる。
どちらからともなく唇が離れると、宮城はゆっくりと彩子を突き始めた。
動くたびに、固く赤みを帯びた女の芽も刺激される。
繰り返される動作で、彩子の胸の尖端は宮城の胸板に摩擦を受け、きゅっと縮んだ。
性感すべてを埋め尽くされた彩子の爪が、宮城の背中に食い込む。
声を上げられずに、もがき苦しみ、唇で触れていた男の指を軽く噛んだ。
他の女とは勝手が違う。
それに気付いた宮城は、急速に昇りつめようとする自分を懸命に押さえ込んだ。
充血し、濡れそぼつ肉襞が、うねるように絡み付く。
背中にしがみつく手。
指を噛む口元。
なにもかもが、甘美で卑猥な刺激に満ちている。
自らの欲昂を制御できないまま、宮城は終わりを迎えていた。
「アヤちゃん、ゴメン。もーいっかい、する!」
バツが悪そうに笑いながら、宮城は彩子を見つめた。
「しょうがないわねえ……」
なんとなく照れくさくなり、彩子も笑った。
中途半端に膨らんでいるものが、ゆっくりと彩子の身体の中に入る。
『……結構自信あったのに、アヤちゃんが相手だとやっぱりダメだな、オレ』
すぐに弾けるほどに膨大する自身の身体に、宮城は苦笑いした。
「リョータ……、ヒザ、痛くない?」
「大丈夫だよ」
そうは言っても、動くたびに教室の床に擦りつけられた宮城の膝は赤くなっている。
「……あたしが、上になるから。……だから、」
「アヤちゃん……?」
繋がったまま身体を回転させた彩子に引っ張られ、宮城は仰向けにされた。
首筋に落ちた彩子の髪がこそばゆい。
数回ばかり唇を合わせたあと、身体を起こした彩子が宮城の手を握った。
「だから、思いきり突いて………」
交差する指先にキスをしながら、瞳で懇願する。
甘い囁きに誘われ、男の腰が俊敏に動いた。
力強く握り合った両手が汗ばむ。
「いっちゃう………!」
彩子は絶頂に膝を震わせながら、宮城の胸に倒れ伏した。
男の動きは止まらず、峻烈さを増す。
荒ぶる脈動が宮城を襲い、白濁したものが勢いよく放たれた。
窓に打ち付けていた雨が、雪に変わっていく――。
溶け込むような抱擁に、今はただ浸り続けていたい。
彩子を抱きしめているのが自分ではないような、そんな錯覚に宮城は囚われていた。
錯覚ではないと確かめたくて、彩子の顔を見る。
迷いなく宮城だけを見つめる瞳が、そこにはあった。
「どうしたの?リョータ」
「アヤちゃん……。オレ、このまま死んでもいいかも……」
「何言ってんのよ。リョータに死なれたら、あたしが困るじゃない」
呆れたように微笑む彩子を、宮城はさらに強く抱きしめた。
「好きよ、リョータ………」
止め処なく溢れる想いを、もう抑える必要は無い。
昨日まで色褪せかけていた二人の未来が、鮮やかに彩られていく。
「アヤちゃん……。あんなことしておいてから言うのもなんだけど、オレと付き合ってくれる?」
「あたりまえじゃない。これからも、よろしくね!」
屈託のない彩子の笑顔は、まるで真冬に咲いた向日葵。
「やっと、アヤちゃんに手が届いた……」
彩子から伝わる温もりを噛みしめ、宮城が呟いた。
二人の身体に染みこんでいた、空虚な日々の記憶。
それらはすべて、窓に触れて淡く溶ける粉雪のように消え去っていった。
End