そのシュートはきれいな弧を描き、滑るようにリングへ吸い込まれていく。
なめらかな流線に、誰もが見とれていた。
だが、彼は顔色ひとつ変えない。入って当然。そんな目をしている。
ボールを包む彼のしなやかな指先は、彩子の記憶に深く刻まれた。
「すごくきれいなシュートね!」
試合後そう声をかけた彩子に、彼は微笑んだ。
「……ありがとう」
喜んでいるのか、それともなんとも思っていないのか。
落ち着きはらった態度は、とても同い年とは思えなかった。
それ以来、彼は彩子の夢の中にたびたび現れた。
夢に出てくる男は、別に彼に限られているわけではない。
けれどもどういうわけか、夢の中で彼に触れられている自分はとても満たされていた。
目が覚め、あわただしく過ごしているうちに、夢の余韻はあっさりと消滅する。
そして忘れた頃に、また似たような夢を見るのだ。
それらは、繰り返される毎日の中の、ほんの些細な事で終わるはずだった。
***
彩子の日常は騒がしい。
そんな毎日も勿論気に入ってはいるが、たまには静かな場所で癒されたくなる。
シーズンオフの水族館は、彩子のそんなささやかな願望を満たしてくれた。
彩子は、館内でいちばん大きな水槽の前にあるベンチに座っていた。
夕方も近いせいか人はまばらで、しんと静まり返っている。
窮屈そうに、だけども自由に魚が泳ぐのをしばらく眺めていた。
30分ほどたった頃、彩子はあることが気になりはじめた。
小さな水槽を隔てた所にある、隣りのベンチ。
そこに座っている人は、自分よりも前からいる。
待ち合わせをしているのか、時折小さな溜息が聞こえた。
少しだけ興味がわいたが、水槽ごしのその姿を確認しようとまでは思わなかった。
また、ふう、と小さな溜息が聞こえてくる。
何度目の溜息なんだろうと思っていると、彩子の前に男が二人立った。
「一人?大学生?」
実際の歳よりも上に見られることには慣れていた。
二人の男は、どうやら彩子を誘っているつもりらしい。
それにしても、こうやって声をかけてくる男が決まって不快な笑顔なのは何故なんだろう。
彩子は男たちを睨みつけた。
「悪いけど、待ち合わせしてるから」
それは断るための彩子の決まり文句だった。大抵はこれで諦めてくれる。
だが、今日の男は結構しつこく、彩子はうんざりした。
「……その子に何か用?」
その声は、静かに響いた。
男たちの後ろに、頭ひとつ背の高い男が立っている。
その姿を目にした瞬間、あの日のシュートが彩子の記憶の底から蘇った。
海南の、神だった。
「なんだ、本当に待ち合わせかよ」
男たちは自分よりもだいぶ背の高い神をおもしろくなさそうに見上げると、さっさとその場から立ち去った。
「余計なお世話だったかな」
「そんなことない!助かったわ。ありがとう」
とりあえず満面の笑みで頭を下げた彩子だったが、それ以上何を話していいのかわからなかった。
神とは、試合の後一度だけ話したことがある。だけどあれは話したうちに入るのだろうか。
ふと、神から視線をそらした彩子は、小さな水槽の向こう側にいるはずの人が消えているのに気付いた。
「……もしかして、隣りに座ってた?」
「座ってたよ。声をかけるつもりはなかったけど、ああいう状況になったから……」
よそよそしい空気が二人を包んでいる。
少し沈黙が続いたが、それを破ったのは神のほうだった。
「本当に一人?」
神は、一人で水族館なんて珍しい、とでも言いたげな顔だ。
「一人よ。そっちは?」
「一応、二人の予定だったんだけどね……」
「彼女?」
こんなことを聞くほどの仲でもないが、彩子にはそれしか聞きようがなかった。
「ほっときすぎて愛想つかされたかな」
それほど落ち込んでいるようには見えない。
どちらかというと、そうなるのを覚悟していたような言い方だった。
「どのくらいほっといたの?」
「2ヶ月くらいかな……」
「ずいぶん長いわね。でも、海南ほどの強豪にもなれば、そういう時間がとれないのも当たり前よ」
彩子は慰めるというよりも同情に近い気持ちで言った。
「そんなふうに言ってくれる子は、なかなかいないよ……」
神には、常に部活を優先してきたことへの後悔など全くない。
こんな自分だから見限られても当然だと思っていた。
落ち込みが少ないのも、すでにあきらめがついているからだ。
「立ってないで座ったら?」
そう促され、神は彩子の隣りに座った。
ふたたび沈黙が二人を包む。
けれど、もう気まずさはなかった。
帰るとも帰らないとも言わず、目の前の大きな水槽をただ静かに眺める。
二人は、しばらく無言で座っていた。
肩が触れるか触れないかの距離。
静寂の中、水槽の水の音にまじり、呼吸音だけが聞こえていた。
しばらくそうしていると、彩子の肩に温みが重くのしかかった。
神の頭が、彩子の肩に寄り掛かっている。
「……もしかして、寝ちゃった?」
返事はなかった。
「本当に寝てるの?」
やはり返事はなく、小さな寝息が聞こえるだけだ。
――いったい、いつからここにいたんだろう。
こんなに疲れるほど長い時間、待っていたんだろうか。
いろいろな考えをめぐらせながら、彩子は神の長い睫毛を見つめた。
また、きれいなシュートを放つ神の姿が脳裏をかすめる。
彩子は思わず、ベンチの上に置かれている神の手をとった。
夢の中で優しく撫でてくれた手に触れてみたい。ただ、それだけだった。
窓からは夕暮れが見える。
閉館時間が近いのも忘れて、彩子は神の手に触れつづけた。
反応がないのをいいことに指をからめてみる。
少しすると、ずっと力の抜けていた神の手が彩子の手を強く握った。
「くすぐったいよ……」
穏やかな笑みを浮かべ、神が言った。
「起こしちゃったわね」
神に強く手を握られ、乱される鼓動。彩子は、それを悟られまいと必死だった。
「……いいよ。ここ、もう出たほうがいいみたいだしね」
神は、遠くからこちらを見ている警備員に視線を向けると、彩子の手を握ったまま立ち上がった。
閉館時間まで、まだ30分はある。
「待たなくていいの?」
「約束は午前だったし、もういいんだ。来ないことが答えなんだよ」
落ち込んだりも、嘆きもしない。
冷静すぎる神の表情の裏にどんな感情があるのか、彩子にはわからなかった。
水族館を出ると、辺りはもう暗くなりはじめていた。
街灯の明かりでうっすらと路面に浮かぶ、手をつないだ二人の影。
彩子の頭からは、何故こうしているんだろうという疑問もすっかり消え去っていた。
駅に着けば別々の電車に乗り、別々の帰路につく。
彩子は、つないでいる手を離したくなかった。
神を好きなのか、と聞かれれば違うと思う。
そういう感情は抜きにして、もっとこの手に触れていたい。そして触れて欲しい。
それは、とてもシンプルな感情だった。
「帰りたくない」
突然そう口にした彩子に、神は驚きを隠せなかった。
「……どうした?」
「まだ帰りたくないのよ」
彩子の手に力が入る。
どういうつもりで彩子がそう望むのか、神は理解に苦しんだ。
「わからないな……」
もしかしたら慰めているつもりなのだろうか。
女に振られたからといって、他の女でその傷を癒すほど弱くはないつもりだ。
それを口にしたら、彩子を傷つけてしまうかもしれない。
それでも神は、確認せずにはいられなかった。
「……オレと寝たいの?」
「触れて欲しいのよ。ただそれだけ」
彩子は濁りなく言い切った。
好きでも嫌いでもない女。
それなのに、こうして手を離さず握っているのはどうしてだろう。
握り返してくる手に、心地良さを感じるのは何故なんだろう。
本当は、誰かに慰めて欲しいと思っているんだろうか。
神は考えることをやめた。
どうせ、いくら考えても答えはわからない。
「帰りたくなるまで一緒にいようか……」
仕方なさそうにそう口にすると、彩子の手を引いて歩き出す。
実のところ、神もあのまま家に帰る気にはなれなかった。
かなり前から覚悟していたこととはいえ、今日ひとつのものを失ったのだ。
気持ちが落ち着くまで学校でシュート練習でもして、適当に時間を潰そうと考えていた。
なのに、なぜか今、女と一緒にいる。それもあまりよく知らない女とだ。
知っていることといえば、湘北のマネージャーであることと、常に快活だということくらいか。
だが、その快活さも今は息を潜め、艶やかな顔で神に指をからめている。
「本当にそれでかまわない?」
もう一度確認するように神が訊ねると、彩子は小さく頷いた。
***
「浴びてきたら?」
彩子にそう言うと、神は濡れた髪を拭きながら小さな冷蔵庫を開けた。
外で買うよりも高い飲み物が並んでいる。
バカバカしい。そう思いながらも二本取り出す。
暑さにバスローブの襟元を広く開け、ポカリを一口飲むと、浴室からシャワーの音が聞こえてきた。
こんなことはテレビや映画の中だけだと思っていたが、まさか自分の身に降りかかるとは。
愛情がないまま、それをするのか。
自分にそんなことができるんだろうか。
あっさりと流され、彩子をこんなところに連れてきてしまったものの、神にはまだ迷いがあった。
本来であれば、こんな行動はしない。
けれどもあの状況で、あれほどの女に「触れてほしい」と言われて、断る男はあまりいないだろう。
結局、言い訳めいた結論に達し、神は苦く笑った。
バスローブをまとい浴室から出てくる彩子は、とても高校生には見えない。
制服を着てなければ、大学生と間違われてもおかしくはないだろう。
「あんなことは、しょっちゅう?」
「あんなことって?」
「ナンパだよ」
「そうね、しょっちゅうあるわ」
彩子はそう答えながら、鏡の前で髪を無造作に束ねあげた。
白いうなじの後れ毛が艶っぽい。
誘う男などたくさんいるであろうことは、容易に想像がついた。
それなのに、誘ってもいない自分が選ばれたのはどうしてだろう。
「別にオレじゃなくてもいいんじゃないのかな……」
さっきからずっと心に引っ掛かっていた疑問を、彩子にそのままぶつけてみる。
彩子は少し戸惑ったような顔をすると、神の手をきゅっと握った。
「……この手がいいのよ」
そう答えるしかなかった。
まさか、夢の中での心地良さを現実のものにしたかったから、とは言えない。
彩子は俯き、何も言わずに神の指先に触れ続ける。
からまる指の動きで、つんと後頭部が痺れるような感覚に陥り、神は一瞬目をきつく閉じた。
ごまかすように彩子を片手で引き寄せる。もう片方の手は、まだ彩子にしっかりと握られていた。
なぜか、懐かしそうにからんでくる彩子の細い指。
甘い感触をもたらすそれを拒絶する気にはなれない。
神の理性はゆるやかに奪われ、彩子を受け入れる以外の選択肢は消え失せていった。
今まで自分に触れたどの男よりも細い身体。
彩子が興味を持っているのは、その身体でも人柄でもなく、神の指だ。
「……一度、離すよ」
握り合っていた手が離れる。
あの日、彩子が目を奪われた神の指先。それはなめらかに背中を滑り落ち、腰を静かに抱いた。
神は彩子を抱いたまま、白いバスローブの紐に手をかける。
「取ってもいいかな……」
穏やかさの中に垣間見える精悍さに脚がすくむ。彩子は黙って頷いた。
彩子をまっすぐに見据える大きな神の瞳は、静かな光を放つ。
その光の奥には、したたかな野生が眠っていた。
紐が解かれ、はだけた部分から直接触れられた彩子は、肌があわ立つような甘い刺激に襲われた。
久しぶりの人肌は、それだけで気分を高揚させる。
その上、神の指の感触は、夢の中より数倍の快感をともなって肌を侵蝕していった。
首筋にキスをしながらバスローブを肩からずらすと、それは彩子の身体からするりと床へ落ちた。
独特の薄暗さの中で、彩子の裸が白く浮き立つ。
「すごくキレイだ……」
透き通るような彩子の肌を目の当たりにし、そう言わずにはいられなかった。
神は自分が口にした言葉に照れ臭くなり、目の前にある彩子の胸元へ顔をうずめた。
「痛くしたら言って」
彩子を気遣うように囁きながら、腰や背中を優しく撫で、唇で乳芯を軽く挟む。
「……痛くなんか……ない」
痛いどころか、全身がとろけそうだった。
神の繊細な指先の動き。耳へ静かにとける声。
それらは彩子の身体を幾度も痺れさせ、みるみるうちに潤みを与える。
彩子はその場に倒れ込みそうになったが、かろうじて後ろの壁にもたれ掛かった。
背中から白尻へと指が落ちる。
そして、その指はゆっくりと前身へ移動し、薄い茂みや太腿を撫でた。
触れるか触れないかの、神の指。
じれったさと、くすぐったさに近似した快感が、交互に彩子を襲った。
乳房を這う唇は、腰や臍へ移動したかと思うと、また乳房へと戻る。
丁寧に、丹念に、大切なものを慈しむかのような愛撫。
神の指が花弁の中の女核をとらえると、彩子の脚はとうとう力を失った。
「ごめんなさい、力が入らな……、あっ……」
息苦しそうに座り込んだ彩子を、神が軽々と抱き上げる。
彩子は落ちないよう、神の首の後ろに腕を回した。
「……重いでしょ?」
「全然重くないよ」
神はそう言いながら微笑むと、彩子を静かにベッドへ横たえた。
彩子の身体を包むように横になると、神はその細い肩を優しく撫でた。
触れあっている肌からは、彩子の鼓動や火照りが伝わる。
限られた記憶を何度たどってみても、元気な彩子の姿しか神の頭には浮かばない。
神が知っている彩子は、ここにはいない。
肩から頬へ流れた神の右手を、彩子が愛しげに握る。そして軽く口づける。
神は、気付きはじめていた。
一度つないだ手を、彩子が離そうとしないことに――。
離れそうになると、ぎゅっと力がこもる。
水族館でも、ここに来るまでも、そしてここに来てからもだ。
別にイヤではなかった。
ほんのわずかでも必要とされることは、今の神には充分救いになる。
「男の手を触るのが好き?」
温かく優しく、その唇は彩子の細い指をすべった。
神は彩子を見つめながら、答えを催促するように唇で愛撫している。
「きれいな爪だね」
神のやわらかな眼差しは、千の口説き文句よりも饒舌だ。
飛び散るほどに脈打つ鼓動を、彩子はもう抑えられなかった。
彩子の手は徐々に握る力を無くしていく。
ようやく神の右手は解放され、白い胸元へと落ちた。
「誰の手でもいいわけじゃない。その手がいいの……」
胸を覆う神の右手を見ながら彩子が言った。
「……どうしてなのか、まったくわからないよ」
不可解そうに神は首をかしげている。
「夢で優しく撫でてくれたから……」
彩子は、自分でも驚くほど素直にそれを口にした。
「夢……?」
どうして彩子の夢に自分が出たのかは気にならなかった。もともと夢とはそういうものだ。
――そうか。彼女は夢の続きを見たいだけなんだ。
神は納得した。と同時に、わずかばかりの寂しさが心に滲む。
「夢よりも良くしてあげられるといいんだけど、どうかな……」
今にも育ちそうな彩子への想い。神はそれを無理やり封じ込めた。
バスローブを脱ぎながら、再び彩子の手に唇を寄せる。
神の唇は彩子の手の甲から手首、二の腕へと、ゆっくり流れた。
ときどき、彩子の身体が小刻みに震える。
「敏感だね……」
吸い付くようになめらかな彩子の肌。
それを記憶するように、神が唇で感じとっていく。
鎖骨から首筋を伝っていく神の唇は、耳元でぴたりと止まり、一呼吸置いて彩子の唇と重なった。
僅かに残っていた神の迷いは、とうにどこかへ吹き飛んでいた。
二人は深くのめり込んでいく。
唇を甘噛みしたり舌を絡めるうちに、身体はさらに密着し、自然と指がからむ。
互いの指先の感触は、さっきまでとは比較にならないほど官能的だ。
神は、無理な要求を一切しない。十代特有の性への好奇心が全くないように思えた。
だからといって消極的でもない。彩子の身体の動きに合わせるように、自分も動く。
太腿から腰へと、舐めるようにすべっていく神の指。
それから逃げるように、彩子が身体を反転させた。
「イヤだった?」
「そうじゃないの……」
指が離れても、一度得た感触の余韻でゾクゾクと肌がざわめいている。
こんなことは初めてだった。
気を取り直し、彩子は元の体勢へ戻ろうと腰をわずかに上げた。
「……発情期の猫みたいだ」
しらけるほど抑揚のない神の声が、静かな部屋に響く。
――確かに、そんな恰好してる。
彩子がそう思ったときにはもう腰をつかまれ、花弁を撫でられいた。
「このままの恰好でしたい」
神は素直な欲求を淡々と口にすると、彩子の背筋を舌でなぞり上げた。
そんな神に彩子は少し驚いたが、もはや何かを考える余白など頭に残っていない。
されるがままの彩子に、神は深く身を埋めていった。
やわらかい襞が神を迎え入れる。そこが伸縮するたびに、神の脚の付け根がピンと張った。
神は、熱く潤んだ彩子の最も深いところまで進み、白いうなじに舌を這わす。
後れ毛が舌に絡み付いても気にせずに愛撫した。
彩子の背中は痙攣し、神で充たされている場所はどんどん濡れていく。
「あ……っ、……あぁ…ん……」
彩子が声をあげるたびに、その身体の中で神が熱く昂ぶる。
内側から直接伝わって来る反応が、彩子はたまらなく嬉しかった。
緩やかに、神が動き出す。烈さは皆無だ。ゆっくりと彩子を掻き分け、優しく挿しこんでくる。
激しく襲ってくるわけでもないのに、彩子の呼吸はこれまでにないほど荒れた。
冷静を保ったままの神の前で、自分は快感に喘ぎ、乱れている。
――本当に発情期の雌猫みたい。
そう思うと、彩子は羞恥心で気が狂いそうだった。
神は、深く深く衝きながらも、いたわるように彩子の唇に指を添えた。
その神の指を、彩子が軽く噛む。
シーツを強く掴む彩子の手は汗ばみ、身体を支えるひざの感覚は失いかけている。
もう片方の神の手が脚の間に滑り込み女核を撫でると、彩子の逃げ場は完全に失われた。
「だめ……。どうにかなっちゃいそう……!」
それは、じわりじわりと崖の淵へ迫るような心地。
ついに後がないところまで追いつめられ、彩子は頂を迎えた。
***
「結局、泊まっちゃったな……」
「……泊まっちゃったわね」
窓から日の入らないホテルの部屋で二人は目覚めた。時計を見ると、朝の7時半だ。
神は腕枕を外すと、すぐにベッドから降り下着を身に着けた。
彩子は気だるさと気恥ずかしさで起きる気力もなく、そのまま横になっている。
「なに飲む?」
「なんでもいいわ」
それだけ言うと、彩子は顔を背けた。
なんてことをしたんだろう。これからどうなるんだろう。どうしよう。
そんなことばかりが彩子の頭の中を占めている。
「酒しか残ってないな……」
テーブルの上にある空の缶やペットボトル。それを見てようやく、昨夜ほとんど飲み干したことを思い出す。
神は冷蔵庫を閉め、小さな棚にある白いカップを二つ手に取った。
「性欲は、本来とても単純なものだよ」
唐突な神の言葉に、彩子は思わず顔を上げた。
「難しい理屈をつけて複雑にしているのは、人間だけだ」
「なにが言いたいの?」
「……つまりさ、こうなったことを複雑に考える必要はないんだよ」
それはまるで、彩子を慰めるかのような言い方だ。
「誰にでも間違いはあるよ……」
そう付け足すと、神は淹れたてのコーヒーを彩子に渡した。
「……違う。そんなんじゃないわ」
『間違い』という言葉に、彩子は違和感を覚えた。
神はコーヒーを一口だけ飲み、何もなかったように服を着はじめている。
細いが、逞しさを秘めている神の身体。つかまえていないと今すぐいなくなってしまいそうだった。
不安とも、焦りとも、寂しさともいえる複雑な感情が、彩子の心の中に湧き上がってくる。
このままここを出てしまったら、ただの顔見知りに戻ってしまう。
そんなのは嫌だった。このまま曖昧にはしたくない。
彩子は、裸だというのも忘れてベッドから飛び起き、神に抱きついた。
「もっと、知りたい。あたしのことも知って欲しい……」
神は少し驚いたような顔をしたが、すぐ決まり悪そうに微笑んだ。
「えーと、……服、着ようか」
目のやり場に困った神が、手に持っていた自分のシャツを彩子に羽織らせる。
「3年生が引退したら今よりも忙しくなる。あまり会えないかもしれないよ」
「それでもかまわない」
今度は、神から彩子を抱きしめた。
その優しい抱擁は、夢の中よりも、昨夜抱き合ったときよりも、彩子の心を満たす。
……とりあえず、ゆうべみたいなのはしばらくナシだね。
彩子の耳元で、神が照れくさそうに囁いた。
ようやく恋の一歩手前。二人はまだ、はじまったばかり――。
END