窓からの西日が白い肌を照らしている。  
オレンジ色に染まった肌でも、赤みを帯びているのがはっきり見てとれた。  
この狭い空間は汗くさいはずなのに、今はやわらかい香りがたちこめている。  
上気し放熱する肌と、揺れる黒髪から甘く香っているのだ。  
 
「……わりぃ、たぶん無理だ」  
「大丈夫よ、先輩」  
 
何が大丈夫なんだよ、と吐き捨てそうになったのを、三井はぐっとこらえた。  
全身が極度に疲労している。  
脳は、目の前にある柔肌の温かさやなめらかさにしっかりと興奮しているのに、身体が思うように反応しないのだ。  
 
こんな恥を晒すくらいなら、さっさと帰れば良かった――。  
 
三井は自分が情けなくなり、唇を噛んだ。  
 
 
 
***  
 
 
 
今日、湘北は決勝リーグ最後の試合で陵南に勝利し、全国への切符を手にした。  
試合後、部員たちは笑顔で帰路についたが、三井はどうしても帰る気になれなかった。  
あてもなく歩き続け、最後に辿りついたのは学校の体育館。  
ボールを放とうとしても、腕が思うように上がらない。フォームが定まらず、何本打ってもシュートは外れるばかりだ。  
「ちくしょう……」  
あんな事件を起こし、三井の頭の中には「責任」のニ文字が常にまとわり付いていた。  
プレッシャーは疲労を加速させる。だが、倒れたのも、その後試合に戻れなかったのも、プレッシャーのせいではない。  
体力がないからだ。  
失った時間の代償はあまりにも大きい。無駄に過ごした日々への後悔が、再度三井の心を埋めつくしていく。  
また、涙で視界が滲んだ。  
どうにも全身が重いのは疲れたせいばかりではなく、そんな悔恨の念が精神を蝕んでいるせいかもしれない。  
 
三井は自分に舌打ちをしながら部室へ入った。  
持て余した身体を預けるようにロッカーへ寄り掛かかり、そのまま床に座り込む。  
そこで初めて何か気配を感じた。  
「……誰だ?」  
「あたしです。今、気付いたんですか?」  
笑いながら答えたのは彩子だ。着替えたのか制服姿だった。  
三井は制服を着ている彩子をあまり見たことがない。髪を下ろした彩子の横顔は、やたらと大人っぽく見えた。  
「これ、置きにきたんですよ」  
彩子はそう言いながらスコアブックやシューズを手早く片付けると、三井の隣に座った。  
「唇、大丈夫ですか?」  
「ああ、このくらいなんともねえよ」  
三井は、唇の小さな絆創膏を触りながら答えた。  
「帰らねーのか?日が暮れちまうぞ」  
「もう帰りますよ。先輩こそ早く帰って休んだほうがいいですよ」  
「ほっとけよ……」  
突き放すつもりが思いがけず弱々しい声になり、三井は彩子から目を反らした。  
胸がキリキリと痛む。弱い部分や涙を人に見られるのは、あの事件の時だけでたくさんだった。  
 
こんなとき鈍感で気の利かない女なら、どうしたの?とか、全部話せば楽になるわよ。などと平気な顔で言うのだろうが、  
彩子は違った。  
明日の練習のことや部員のことを話し続けている。普段となんら変わりない部室の風景だった。  
それは、彩子なりの気遣いだ。  
気持ちが沈みきっている時に優しくされると、余計に止まらなくなる。  
涙をこぼさないよう見開いていた三井の目は、みるみる力を失った。目から頬を伝い、床へこぼれ落ちていく。  
手で涙をぬぐおうとすると、彩子が濡れた頬をハンカチで優しくおさえた。  
「無理に強がらないで、先輩……」  
三井は、その一言で、ささくれ立っていた心が静まっていくのを感じた。  
覗き込むように三井を見つめている彩子は、慰めるでも同情でもない、いつもの笑顔を浮かべている。  
今ここにいるのが他の誰でもなく彩子で良かった、と三井は思った。  
 
 
ふいに、彩子の肩からふわりと長い髪がすり落ち、甘く香る。  
――抱きしめたい。  
そんな衝動が、唐突に襲った。三井は、ためらいなく彩子の手を掴み引き寄せ、両腕で抱きしめた。  
 
いきなり抱きすくめられ、彩子は動けなかった。  
だが、不思議と怖さはない。  
かすかな汗の匂いに混じり、三井とすれ違う時のいつもの整髪料の匂いを間近に感じた。  
Tシャツごしに心臓の音が聞こえる。ゆっくりと落ち着いた鼓動だ。  
彩子は目を閉じると三井の身体に腕をまわし、背中を静かに撫でた。  
「慰めてんのか?」  
三井が抗議するかのように目を細めた。明らかに不服そうだ。  
慰めるのとは少し違う、と彩子は思った。  
ただ、いつも自信溢れる三井でいてほしいだけだ。  
それだけの実力があるはずなのに、ふとした事で迷い、揺らぎそうな弱さを時折感じることがある。  
「あたし、これでも先輩のこと尊敬してるんですよ」  
「なんだ?ほめても何も出ねえぞ」  
「でもまあ、尊敬してるといっても赤木先輩ほどじゃないですけどね」  
悪戯っぽい顔で彩子がそう付け足すと、ようやく三井からも笑顔がこぼれた。  
 
「彩子……」  
名前を呼ばれ顔をあげると、すぐに彩子の唇は奪われた。  
まるで前から自分のものだったかのように触れてくる三井に、どういうわけか嫌悪感は生まれない。  
されるままになっている自分に驚きながら、彩子は三井の首の後ろに両腕をまわした。  
一度唇が離れ見つめ合うと、今度は彩子から口づける。  
切れた下唇を避けて上唇を挟むようにすると、突然三井はクッと短く笑い、唇を強く押し当てた。  
「痛くねえよ。遠慮なんかすんな」  
彩子を射るように見据える三井の目は、激しさを求めていた。  
 
絡まる舌の淫らな音。肌のざわめきも、身体のうずきも止まらない。  
彩子はもうじっとしていられず、三井の髪を掻きむしるように撫でた。  
荒々しく重なり続け、三井の唇から剥がれた絆創膏が二人の舌の間に纏わり付く。  
「ち……ジャマすんなよ」  
三井はそれを欝陶しそうに吐き出し、すぐに彩子の唇をふさぐ。  
彩子の口内を貪りながら、三井の指はするりと制服のリボンをほどき、ボタンを外した。  
鮮やかなほどの慣れた手つきだが、彩子はそれほど驚かなかった。  
「ここまでしたら、さすがに殴られるかと思った」  
そう言いながらも、三井に止めようなんていう気はこれっぽっちもなさそうだ。  
彩子は、なんだか可笑しくなった。  
この人は憎めない。  
たぶん、これが他の男だったら、問答無用で拒絶していただろう。  
「好きにさわって、先輩……」  
胸にある三井の手を軽く握りながら、彩子は艶やかに笑った。  
 
彩子に言われるまでもなく、三井に迷いはなかった。  
もともと彩子には好意を抱いていたのだ。あまり意識せず、いい女だと思う程度ではあったが。  
こうして腕の中で彩子の温もりを感じていると、その小さかった想いがふくらんでいくような気がする。  
それは少し恐い。けれども、もう止まらない。  
 
背中のホックを難無く外すと、窮屈そうに収まっていた膨らみが解放された。  
直に触れる彩子の胸は見ためよりも柔らかい。重力に逆らうような張りを保ち、白く美しい。  
途方も無くきれいだと思った。  
三井は小さな感動に包まれたが、敢えてそれを口にはしなかった。  
今はただ、余計なことは何も考えずに彩子のやわらかい身体にうずもれたかった。  
 
三井の愛撫を受けながら、彩子は中途半端に身についているものをゆっくりと脱いでいった。  
さらけ出された上半身の肌は、窓から差し込む夕日に美しく照らされている。  
形のいいふたつの膨らみは、すぐに荒々しい舌や指の餌食となった。  
「あぁ………っ」  
乱暴の一歩手前の激しさだ。わずかな痛み、それすら快感に溶け合う。  
乳芯は硬くなり、指で挟まれ唇に吸われると自ずと腰がうねる。  
肌が熱く火照り、呼吸は少しずつ乱れはじめ、ふと目が合うと、三井の口は満足そうに弧を描いた。  
「気持ちいいだろ」  
そう囁かれた耳元は一瞬にして熱くなり、彩子は黙って素直に頷いた。  
――自信過剰なくらいが先輩らしい。  
警戒心を捨て去った彩子は、三井の愛撫にどんどん深く嵌まり込んでいく。  
手の平で乳芯を転がされ、耳の後ろからうなじ、肩にかけて男の唇や舌が我が物顔で這いまわる。  
しばらく誰にも触れられていなかったが、こんなにも肌が飢えていたなんて。  
さらなる快感を求める自分の貪欲さに気付き、彩子は心の中で苦笑した。  
 
じわじわと湧き出す蜜が彩子を湿らし、腰が左右に動くたび下着の中の花弁は生々しい刺激をうける。  
焦れたように交差している彩子の脚が目に入ると、三井はためらいもなくスカートの中へ手を滑らした。  
すぐに下着へ手が届く。  
下着の上から茂みのあたりを5本の指でくすぐるように撫でられただけで、彩子は腰を浮かせた。  
「ん………あっ……」  
膨らみ、敏感になっている蕾を指の腹でこすられ、同時に乳芯が吸われる。  
彩子は、身の置き所が無くなるような甘い感覚に酔っていた。  
ぐっしょりと濡れていたのに、足りない、まだ欲しいとばかりに溢れてくる。  
もう、本当にとろけてしまいそうだ。  
もっと壊れるくらいにのめり込んでしまいたかった。  
 
自分の舌や指によって彩子が悶え喘いでいる。あの彩子が、だ。  
三井は満足していた。  
快楽に歪む眉や、紅く色づく肌。わずかに開いているふっくらとした唇からは、白い歯がのぞく。  
その姿は普段の彩子とは対極にあり、すべてが淫靡だ。  
「立てよ」  
三井は立つよう促し、彩子の片脚を持ち上げ靴を脱がすと、自分の肩に乗せた。  
目の前にはめくれたスカートからのぞく彩子の白い太腿。その少し上に濡れた下着が見えた。  
 
否応なしに下着は横へずらされる。  
潤い、充血した花弁は、夕日を受けてますます色を朱くしている。  
「……や…っ……、先輩……」  
こんな明るいところでは、さすがに恥ずかしかった。だが、隠そうとのばした彩子の手はすぐに三井に捕まる。  
夕日を受けているだけではない熱が、晒け出された場所をじわりと覆っていた。  
「おまえ、ここ持ってろ」  
三井は、ずらした下着をそのまま彩子に掴ませ、あらわになった花弁に舌を這わせた。  
それだけで立っていられそうになくなり、彩子は咄嗟にロッカーへ片手をつく。  
二人の身体の重みで、ロッカーがギシリと軋んだ。  
 
三井の愛撫は容赦ない。  
肌のあちこちを這いずりまわるその感触は、身体の奥底に沈澱していたものが掻き回されて再び拡散されるかのようだ。  
舌や指が表皮を蠢き、彩子の触覚を休みなく刺激する。  
じわ、と彩子の手の平に汗が滲んでくる。手が滑らないよう必死に堪えた。  
剥き出しにされた蕾を何度も吸われ、身体を支えている片脚が細かに痙攣する。  
三井の肩に乗せているほうの脚も震えだした。  
こんな体勢で身体を支え続けるのはつらい。それでも、この悦びをもっと味わっていたい。  
舌ばかりでなく指が彩子の内部を弄びはじめると、ついに張りつめていた限界の糸が切れた。  
何度も意識がとびそうになる。彩子はそれを懸命にこらえ、陶酔する。  
「……やめないで、先輩」  
無意識に懇願していた。  
返事はないが、三井の愛撫はいっそう深く烈しくなり、彩子の思考を麻痺させる。  
 
どれだけ必死に身をよじっても、甘美な快感は彩子を逃してはくれなかった。  
確実に捕らえ、身体を浸蝕していく。  
小さな波はやがて大きなうねりとなり、彩子の全身を津波の如く貫く。  
支配され、昇りつめ、そして果てていく――。  
そして、彩子の身体に残されたのは、引いていく波の余韻だけだった。  
「大丈夫か?」  
膝を震わす彩子を、三井はしっかり抱きとめた。  
そして、あぐらをかいている脚の上に座らせると、まだ紅潮している頬に口づけた。  
 
偶然の出来事とか、なりゆきなどという言葉が相応しくないくらい、時間は自然に流れていた。  
日はいっそう傾いて、室内はオレンジに染まっている。  
彩子の呼吸は徐々に落ち着き、朦朧としていた意識も冴えはじめた。  
一度は頂を得たものの彩子の火照りはおさまらず、身体は三井を求めていた。  
「三井先輩……」  
喉仏に軽く唇を寄せ、指を絡めながら、彩子は囁くように三井を呼んだ。  
 
何を求められているのか、もちろんわかっている。  
けれども、今は彩子の望みを叶えられそうになかった。  
「……わりぃ、たぶん無理だ」  
「大丈夫よ、先輩」  
そう言うと、彩子は三井の下半身に手を伸ばし、ジャージを脱がしはじめた。  
下着の上から筋を撫でられ、すうっと背中に冷たいものが走ったが、それでも勃ちそうにない。  
平然を装いながらも、三井はひどく狼狽していた。  
まるで、ホテルに女を連れ込んだはいいが、飲み過ぎて事に及べない男のようだ。  
普段の自分なら、こんなぶざまな姿を女の前で晒すことは絶対にない。  
「そんなに欲しいのかよ」  
精一杯毒づいてはみたものの、心底情けなかった。  
 
頭の中は彩子を抱きたいという欲で埋め尽くされている。  
彩子の美しい身体や、快感に震える仕草を堪能できるなんて、二度とないかもしれない。  
それなのに――。  
「何しても無駄だと思うけどよ。もう、好きにしろよ……」  
ほとんどヤケクソだった。  
三井は完全に開き直り、すべてを彩子にゆだねた。  
 
彩子は何も言わず、三井の黒いボクサーパンツを膝の上まで下ろす。  
それと同時に、濡れて冷たくなった自分の下着を脱ぎ捨て、三井の上に乗った。  
だが、萎えたままのものが簡単に入るはずもなく、蜜の滴る場所はただそのまま押し付けられる。  
三井の顎の傷跡に指先で触れながら、彩子は身体をゆっくり揺らしはじめた。  
 
濡れた花弁に摩擦を受け、三井は軽い眩暈をおぼえた。  
なんとも形容しがたい快感が、じわじわと身体の芯に押しよせてくる。  
なまめかしくうねる彩子の腰を両手で掴み、動きを助けるように支えながら胸に舌を這わせる。  
快感でのけぞる胸元にみとれていると、萎えて反応を示さなかったものが少しずつ熱を持ちはじめた。  
「……マジかよ」  
下半身の微かな熱は、やがて猛々しい欲望へと変貌した。  
けだるさはどこかへ吹き飛び、痛いほどの脈動が三井を襲う。  
「だから大丈夫って言ったじゃない、先輩……」  
彩子の目はとろりと潤んでいるが、口調はどこか得意げだ。  
なんとなく侮辱されたような気分になったが、気持ちよさのほうが今は勝っていた。  
 
「う……」  
不意に温かい口中に膨脹したものをふくまれ、三井は小さく呻いた。  
彩子は丁寧に嘗めて全体を濡らし、潤った場所へそれを宛がう。  
そして、ゆっくり腰を沈めていくと、熱く滴る女肉の圧迫感で三井の眉が歪んだ。  
 
女の襞が男を幾度も包み込む。その音が、軋むロッカーの鈍い金属音に重なる。  
三井は彩子の白尻を鷲掴みにし、乳房を唇でまさぐった。柔肌は汗ばみ、熱をもち、悦び震えている。  
彩子の口からは、先輩、先輩、と呼ぶ声が切なく漏れた。  
少しかすれたその声が、肌や粘膜がこすれる湿った音と相俟って、三井の頭の中でこだましている。  
くらくらした。  
彩子に包まれているのは身体のほんの一部なのに、全身が熱い何かに覆われているかのようだ。  
どうしようもなく彩子に惹かれていく。  
もう三井には、彩子しか見えない。  
 
気持ち良くなるように腰を揺らすと、どうしてか身体の中の三井も反応する。  
嬉しくなった彩子は、好きなように動いた。  
擦りつけ、締めつけ、搾り取る。  
速くなる鼓動と荒い呼吸だけが耳鳴りのように響き、視野は極端に狭くなる。  
 
三井を尊敬してる、と言ったのは嘘ではない。  
けれども、今こうして触れたり触れられたりしているうちに、尊敬とは異なる感情が芽生えはじめていた。  
もしかしたら……。  
自分でも気がついていなかっただけで、心の奥では以前から三井のことを想っていたのだろうか。  
それが錯覚なのか何なのか、わからなくなる。  
心の変化に混乱し、彩子は何も考えられなくなった。  
 
やわらかい果実をほおばるようなキスをして、互いの肌を貪って、最も深いところで繋がって――。  
もはや、自分たちの存在しか認識できないくらいに溺れていた。  
ただひたすら交わることにのめり込み、独りでは行けない場所へと堕ちていく。  
やがてたどり着いた二人は、欲や愛しさが身体の奥で溶け合うのを感じていた。  
 
三井から身体を離すと、彩子の心にぽっかりと空白が生まれた。  
心地良い倦怠感とともに襲ってきたのは、虚しくて哀しくなるくらいの喪失感。  
不安になり、三井の胸板へ顔をうずめる。三井はそんな彩子にキスをし、強く抱きしめ、黒髪を撫でた。  
 
このままでいれたら……。  
 
一言それを口にすれば、この出来事が偶発的なものではなくなるのかもしれない。  
それは限りなく確信に近い予感となって、二人の心を焦らすように揺らしている。  
 
二人は服を着ても何も話さず、並んで座っている。  
背中にあたるロッカーが、ひやりと冷たくなってきた。もうすぐ日が沈む。  
遠くに聞こえる野球部の掛け声や、白球を弾く音。  
まわりはいつも通り時間が流れているのに、ここだけ時間が止まっているみたいだ。  
 
しばらくそうしていると、三井の耳に小さな寝息が聞こえてきた。  
こくり、こくりと、彩子が頭を上下させている。  
三井は、彩子の身体をゆっくりと横たえた。そして、自分の太腿の上に彩子の頭を静かに乗せた。  
無防備な寝顔だ。  
なんの夢を見ているのだろう。三井のひざ枕で穏やかな笑みを浮かべながら眠る彩子は、とても心地良さそうだ。  
「……なんだよ、かわいいじゃねーか」  
言葉と一緒に溢れ出した気持ちは、もう自分をごまかせなかった。  
 
数少ない彩子との接点を思い起こしてみる。頭に浮かぶのは、なにげない会話や、なんてことない触れ合い。  
彩子の自分に対するそれは、他の部員たちと平等で、全く差別がない。  
誰にでも分け隔て無く接する。そんなところに惹かれたのかもしれなかった。  
 
けれども、惚れたとわかると話は変わってくる。  
特別になりたい。自分だけのものにしたい。そんな欲が出てくるのは当然だった。  
遊んでいるように思われているが、なんとも思っていない女を抱けるほど器用ではない。  
好きなものに関しては、どこまでも一途だ。  
 
――こいつは、宮城のことが好きなんじゃないか。いや、もしかしたら赤木や木暮かも……。  
 
いくら考えてもわからなかった。  
このままさらってしまえば、自分のものにできるんじゃないか……とも思う。  
「おまえ、どう思う?」  
彩子の額に手を乗せて問いかけてみた。でも、深い眠りについている彩子から答えはない。  
全く眠れない三井は、自問自答しながら彩子の寝顔を見つめていた。  
 
 
 
***  
 
 
 
「彩子、そろそろ起きろ」  
三井の声で彩子は目を覚ました。もうすっかり暗くなり、部屋の中は月明かりに仄白く照らされている。  
何か温かいものに額を覆われ、足元にはタオルがかかっているようだ。  
目は覚めているが、頭は夢から醒めていないかのように霞がかっていた。  
ぼんやりした意識がはっきりしてくると、額の温かさは三井の手だとわかった。  
そして、三井のひざ枕で眠っていたことにようやく気がつくと、彩子は驚いて飛び起きた。  
「す、すみません!あたしったら……」  
「気にすんな」  
いつになく優しい目で三井が笑う。彩子は手ぐしで髪を整えながら、何を話そうか必死に考えていた。  
さっきのことは、本当に先輩と自分の身に起きたことなんだろうか。  
一瞬、疑いたくなった。  
が、濡れたままの下着の冷たさや、身体中に残っている行為の余韻が、夢でもなんでもなかったことを証明している。  
「もう帰るぞ。送ってやるよ」  
三井はそう言うと、彩子の足元にかけてあったタオルをバッグにしまいこんだ。  
普段と全く変わらない三井の自然さに安堵するのと同時に、僅かな寂しさが彩子の胸をかすめた。  
 
二人きりで下校するなんて、もちろん初めてだ。  
手もつながないし、腕を組んだりもしない。歩きながらする会話は、いつも交わしているのと変わらないものだ。  
ただひとつ、いつもと違うことがある。  
このまま帰ってしまってもいいんだろうか。  
二人ともが、なんとなくそう感じていることだ。なにか忘れ物をしているような、落ち着かない気分だった。  
 
「家、あの角を曲がって少し行ったところなんですよ」  
「おまえん家、けっこう近いんだな」  
彩子の家の手前の角まで来ると、三井の足が止まった。  
「おまえ、意外と可愛い声出すのな」  
三井は、からかうように彩子を見ている。瞬時に恥ずかしさが体中をめぐり、彩子の頬は真っ赤に染まった。  
「なんなんですか、いきなり!」  
「安心しろ、誰にも言わねーからよ……」  
誰にも言わない。それはつまり、なかったことにする、ということだ。  
抱き合った刹那、確かに必要だと感じ、すべてを委ねたいという想いが心と身体に満ち溢れていたというのに――。  
せかすような切なさが、二人を急激に襲った。  
 
「送ってくれてありがとうございました」  
「おう。また明日な」  
家の前まで彩子を送った三井は、「じゃあな」と言い残して来た道を戻って行く。  
彩子は黙って三井の後ろ姿を見つめていた。  
やがて今日のことは繰り返される日常に流され、些細な出来事となり、忘れてしまうのかもしれない。  
三井の背中はどんどん小さくなり、今にも暗闇の中へ溶けて消えてしまいそうだ。  
 
――このまま行ってほしくない。追いかけなくちゃ。  
 
彩子がそう思ったのとほぼ同時に、三井が振り返り、走り出した。駆け寄ってくる三井を待ちきれずに、彩子も走り出す。  
両手を広げ抱きあうと、それだけで想いがひとつなのだと確信できた。  
「オレの女になれ。イヤとは言わせねえぞ」  
ほとんど命令だった。  
その言いかたは傲慢とさえ思えたが、彩子の胸に心地良く響いた。  
どんな気のきいた言葉よりも、甘く、そして強く。  
 
 
 
 
END  
 

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