神奈川県の陵南高校の体育館で、今日もバスケ部員の威勢の良い挨拶から部活が始まる。  
ただし、今日は聴き慣れた関西弁のかけ声は響いてこない。全員がランニングを終え  
ストレッチも始めた頃に、つんつんに髪をたてた男がゆるりと入ってくる。  
「わりぃ」  
「仙道・・・遅い」  
「キャプテンのくせに 魚住さんに言いつけるぞ」  
「はいはい すぐ」  
福田や越野に注意されるが仙道は急ぎもせずユニフォームに着替え、コートに尻餅をついて  
バッシュのヒモを結び始める。190cmもある身丈を丸める姿は叱られてすねた子供のようだ。  
背後でくすりと聞こえ、仙道はその笑いの方向に顔を上げる。  
そこには見覚えのある、凜とした女性が佇み、どうみても社会人だ。  
「・・・あれ えーと」  
「相田弥生です、週刊バスケットボール編集者の」  
「相田・・・」  
「彦一のお姉さんだ」   
ストレッチをしている越野がコートの向こう側からフォローをする。以前に紹介されたことがあった仙道は、  
「ああー」と相づちを打ち、それとなく相田姉にしげしげと下から視線を送る。前に会った時と同じように  
真ん中分けにセットした黒いショートヘアをかけた耳から、フープのイヤリングが下がっている。  
彼女が丁重に頭をさげると、体育館の窓から差し込む日差しに、イヤリングがきらりと反射した。  
「陵南バスケ部のみなさん、いつも愚弟がお世話になってます」  
「はあ 彦一のお姉さんどうしてここに」  
「だーかーら 彦一が盲腸で入院するから荷物取りにいらしたんだよ」  
「え そうなのっ?盲腸・・・」  
「主将だろうがぁ!」  
キャプテンになっても相変わらずマイペースで頼りない仙道を二年生はまくしたてるが、  
傍目から見る仙道は老成していて、特にバスケをしている姿は弥生には眩しかった。  
準備完了でコートの上を駆ける仙道を見て、思う。  
(でもなんだかんだいっても高校生だわね)  
 
***  
 
せっかく来たのだから、了解を得て小一時間ほど練習風景を見学することにした弥生。  
しかし、了解を得る必要はなさそうだった。なぜなら、単なる放課後の部活だと言うのに、  
他校の女生徒まで体育館のドアから覗いているからだ。おおかた目当ては仙道だろう。  
(私もちょっと前まではあんな風に・・・)  
(でも)  
(彼のような人はいなかった)  
(仙道くんのような)  
その名前がよぎった瞬時にはっと我に返り、コートの隅っこに視線を向ける。  
(な なに考えてんのん わたし)  
(子供相手やんか)  
コートから女生徒の群れの方に再び目を向け、彼女たちが微笑ましいと思っても、それに加わるように  
白いユニフォームに浮かぶ青い「7」の背番号を目で追ってしまう自分がいた。  
「・・・・・・・・・・・・・・・」  
ハーフコートで練習試合をする陵南バスケ部をじっと見据えて弥生は自分に言い聞かせる。  
意識的に仙道を直視しないようにしてることが馬鹿らしかった。  
(高校二年生って・・・彦一より一つ上)  
(16才?)  
(ないないない)  
自問自答している間に休憩時間に入ったようで、息を切らしながらベンチに歩み寄る仙道たちの  
姿が大きく見えた。体育館に入り込むチャンスを伺ってる女生徒の方をちらりと見やる仙道、  
視線を真正面に返した瞬間に弥生のそれとばちりと合う。  
(すげー眼差し・・・・・・)  
弥生は年甲斐もなく高校生の瞳に捕らわれ、自覚のない仙道は何気なく微笑みかける。  
(さすがスポーツ編集者だ)  
 
***  
 
不意打ちを食らい、弥生は自分の頬の温度を確認してるのか隠そうとしてるのか手を添えて、あからさまに目をそらしてしまう。脳内はパニック状態だ。  
「〜〜〜〜〜〜っ」  
説明しがたいじれったさを感じた弥生は弟の荷物を拾い集め、そそくさと女生徒の壁を割って体育館を後にした。  
「じゃあ 私はこれで。みんな、がんばってね。彦一が戻ったらこき使ってやって」  
「あ はーい、お大事に」  
汗を流しながらポカリをすする一同の中で、誰かが言った。  
「それにしても似てねーな、彦一とお姉さん」  
仙道は、体育館の入り口に群がる女生徒たちの背後に小さくなる弥生の背中を見つめながら、部員たちの会話に耳を傾けて自分にだけ聞こえるように返答する。  
(研究熱心な所は似てるけど)  
「気が強そうだけど・・・きれいだな」  
(うん)  
「働く女ってのが かっこいいというか」  
(うんうん)  
 
***  
 
不意打ちを食らい、弥生は自分の頬の温度を確認してるのか隠そうとしてるのか手を添えて、  
あからさまに目をそらしてしまう。脳内はパニック状態だ。  
「〜〜〜〜〜〜っ」  
説明しがたいじれったさを感じた弥生は弟の荷物を拾い集め、そそくさと女生徒の壁を割って体育館を後にした。  
「じゃあ 私はこれで。みんな、がんばってね。彦一が戻ったらこき使ってやって」  
「あ はーい、お大事に」  
汗を流しながらポカリをすする一同の中で、誰かが言った。  
「それにしても似てねーな、彦一とお姉さん」  
仙道は、体育館の入り口に群がる女生徒たちの背後に小さくなる弥生の背中を見つめながら、  
部員たちの会話に耳を傾けて自分にだけ聞こえるように返答する。  
(顔は似てない・・・研究熱心な所は似てるけど)  
「気が強そうだけど・・・きれいだな」  
(うん)  
「働く女ってのが かっこいいというか」  
(うんうん)  
 
***  
 
もう秋も中盤なので、八時にはとっぷりと闇が落ちていた。舗道の照明の下を独り早足で歩く  
弥生は、その日二度も陵南高校に足を運ぶとは思わなかった。  
(もー 私のあほ)  
(どあほー)  
(どうしよう みんなもう帰ってたら)  
バスケ部員がまだ活動していることを祈りながら学校の塀を越え体育館に近づき、  
秋風に濡れた髪をとかされている。  
(体育館は・・・明かりが付いてるけど もう掃除し終わってる)  
弥生は磨かれた床を汚さないようにサンダルを脱ぎ、しんと静まりかえった体育館の床を音を立てずに奥に進む。  
(誰かいるわよね)  
廊下に出て、数時間前 彦一の荷物を取りに来たとき植草に案内してもらったバスケ部男子更衣室の  
方向に迷いもなくすたすたと向かう。裸足のまま歩く先の更衣室のドアが三分の一開いているのを見て、  
弥生はほっと息をした。明かりも付いているし、部員の誰かが残っていることは確かだ。  
最後の一人なのか、話し声は聞こえない。  
(よかった)  
(あ もうこんな時間早く帰らないと)  
(朝早いし 湯冷めしちゃう)  
逸る気持ちが押して、平常なら絶対しないであろう行動を取った。無遠慮にもノックなしに  
男子更衣室のドアを押し、開いていく隙間から顔を覗かせた。  
「あの すみません 相田彦一の姉ですけど・・・」  
「!」  
普通なら羞恥心と罪悪感からすかさず目をそむけるものだが、弥生は目に飛び込んだ情景に  
魅入られ、ものの三秒ほどその妖しさに心も瞳も縛られてしまった。  
目前にあるのは、肌にほとぼりを帯びたまま立っている全裸の仙道であった。  
 
***  
 
練習後のシャワーを浴びたばかりで、まだ所々に水の粒を飛ばしている仙道はバスケに熱くなって  
いる時よりも一層男気が増し、彫りの深い顔立ちの前に水滴の重みで垂れ下がる前髪が、  
めまいがするほど色気をかもしだしていた。そしてその下は―  
「・・・・・・っ ――仙道くんっっ かんにん!!!」  
停止した思考が働き始め、弥生はやっとの思いで仙道に背を向け、廊下に出て勢いが良すぎるほど  
音を立ててドアを閉めた。自分の部活の後輩の近親に一糸まとわぬ姿を見られても前を隠すという  
反射的な行動に出なかった仙道だが、壊れるほど強く閉められた拍子にドアに肩をすくめ、  
垂れた髪を両手でかき上げて眉を下げる。  
「・・・まいったな」  
そして更衣室の外で、相田弥生は悶絶するほどの衝撃に頭を抱えている。  
(なななな なんなんや)  
(うちのあほ)  
(なんで あない非常識なこと)  
(どないしよ)  
 
五才以上も年下の、しかも少年と類される男子の裸一つで心が乱される事が不思議で、恥ずかしくて、  
嫌でならなかった。ドアのすぐ外の廊下の床にへたり込み、自分の弟と一つしか違わない  
高校生の裸をみただけで腰の力が弱くなっている自分が怖い。  
(変態や うちは)  
(いや でも)  
(仙道くんは特別やろ)  
(だって あんな)  
190cmという日本人として立派すぎる骨格を覆う引き締まった筋肉に、バスケ三昧の日々に  
汗を流しているなめらかな肌、裸を見られてもものともしない落ち着きは高校生だと  
言う方が納得がいかない。少なくとも、今感じてる気持は正当化できる。   
(だからっ そんなんや のーて)  
(ああああ なんで 動揺してんのん)  
ぽかぽかと頭を殴りたい衝動に駆られていると、背後でドアが開き仙道が困ったような  
困惑したような顔付きで見下ろす。  
「あの・・・お姉さん?もういいっすよ」  
 
***  
 
「編集者のIDパスと事務所の合い鍵?どうだろう 今日は部活を早く切り上げて部室の掃除してたんで・・・ どこかに混ざったかも」  
手っ取り早く黒いボクサーと洗い立ての白いシャツを纏った仙道が答える。さきほどの対面はなかったような悠悠とした態度で、  
必死に平常心を装っていることがバカバカしく感じるくらいだ。  
「ひ 彦一の荷物を取りに来たときに、自分の鞄も下ろしたからここで落としてしまったのかなと思って。赤いケースにいれてるんだけど」  
「はあ・・・」  
試合以外の時は緊張感が欠けているので、仙道はまるで他人事の対応だった。無造作に壁にもたれかかっている  
折りたたみイスの上に置いていた開けっ放しにしてるタッパーを拾い上げる。更衣室の床から棚伝いに弱気に  
目を滑らしている弥生は、背後の音に振り向く。  
「なに食べてるの?」  
「はちみつレモンす。今日来てた女子がくれたんだけど、食べきれなくて」  
仙道は一切れの輪切りのレモンを人差し指と親指でつまみ上げ、タッパーの中身を見せるようにそれを弥生に向けた。  
「どーすか」  
「・・・いりません」  
間の空きといい声の低さといい、自分でも驚くほど声のトゲを隠しきれなかった。これは自分の物探しを退屈そうに  
見物している仙道に対する苛立ちか、もしくは・・・先刻通り過ぎた若い女の子たちの誰がこんなベタなアプローチを  
したかという嫉妬心か。  
「はあ」  
弥生が悩んでいる内に仙道は再びレモンの輪切りを指に引っかけている。悩む。  
なぜなら、こんな甘酸っぱい感情に嫌悪感を抱きつつ、目はやはり仙道を追っている。  
探し物をしているフリして横目で見ては、はちみつに滴ってしなったレモンの輪切りを摘んで  
口に近づける動作も、レモンを口に含んだ後に指に付いた蜜をやけに懸命に舐める瞬間も、  
止まってくれればいいと願っている。この男子更衣室に夜八時、無言で流れているたった二人の時間が、  
止まってくれたらいいと祈っている。  
 
***  
 
(IHにつながる試合の数々・・・陵南戦の仙道くんの活躍は逃さなかった)  
(彦一・・・姉ちゃんが「いかす」とか言ったの冗談のつもりだったんだけど)  
そんな考えが仙道に伝わったのかと思うほど、タイミングが絶妙だった。  
「真剣なんすね」  
「えっっ」  
「そのIDパスと合い鍵探して一時間になりますよ」  
拍子抜けして、ついに弥生はくしゃみをしてしまう。家を出る前に風呂に入り、  
濡れ髪のまま陵南高校に戻ってきたのだ。適当に引っかけたジーンズに、  
薄灰のシャツに紺色の薄手のカーデガンを羽織っているだけだ。忘れていたが、裸足のままだった。  
「あ・・・ごめんなさい 付き合わせちゃって 戸締まりできないわね」  
「おれは構わないけど そんな大事なんすか」  
「そりゃ そうよ。信頼されてるんだから」  
「本当に更衣室で無くしたんですか」  
「ここしか考えられない」  
かがむたびに目元にかかる前髪を耳に引っかける。もちろん耳にフープのイヤリングはしていない。  
風で乾ききった洗い髪は、まとまってなくとも普段より柔らかい形に弥生の顔を象っている。  
 
そして、仕事用のメイクも落としきった表情は、部活中に会った時よりもあどけなさが見られた。  
毎日男性編集者や記者たちと肩を並べ、スポーツ雑誌という華も色もない仕事に打ち込む女性の、  
夜の素顔を見られる事が内心楽しい仙道だった。ひたむきに、半ば気を紛らわすように探し物をする  
弥生の後ろ姿や横顔に仙道がしきりに熱い視線を送っている事に、彼女は気付いていない。  
 
***  
 
時計は九時二十分を指している。更衣室にはロッカー以外に棚と机と折りたたみ椅子と  
段ボール数箱と書類が整理されたキャビネットが収まっていて、その乱雑さは物置のようだ。  
その中はかき分けてゆく弥生は、一人で感じていた緊迫感にも耐えかねて、なにより待たせている  
仙道に申し訳ないので、頭をかき、諦め声を上げる。  
「ほんとうにごめんね 仙道くん ここにはないのかも」  
「あ、ここにありました」  
「え!?ほんま??」  
振り返り、思わず方言を弾まして身を寄らすと、仙道のが生意気な笑みを浮かべて、  
赤いケースを見せびらかしている。足下にはには、ハチミツだけが残るタッパー。  
更衣室の折りたたみイスの一つにだらりと腰をかけている仙道は、おそらくたった今  
身動きもせず赤いケースを探し当てた。弥生が諦めたそのタイミングで。  
「・・・いつから 持ってたの」  
「だいぶ前」  
「隠してた?」  
「うん」  
「―なっなんで??そんな意地悪するん?」  
「だって」  
にこにことしている仙道の表情は、馬鹿にしているようでも愉快なようでもない。  
弥生はこの理解不能な男の顔という顔を唖然と見つめるしかなかった。瞳は爛々と妖しい欲望に  
満ちているようだ。低音の声が狭い更衣室の沈黙を裂き、仙道の本心と魂胆を打ち明けた。  
 
「弥生さんと二人きりが楽しいから」  
 
***  
 
―弥生さん―  
 
以前に自分の名前がこんなに甘く響いたのはいつだっただろう。初恋の相手に呼ばれた時?  
初めての彼氏?初めての相手?二年前に別れた大学時代の恋人?忙しくたどる記憶を押させ、  
胸に湧く熱い思いも押し殺し弥生は受け流す。  
「あ・・・ そ それは どうも」  
「・・・」  
「・・・見付けてくれて ありがとう。もう9時半近いわ ごめんなさいね」  
「いーえ」  
「それじゃ・・・」  
赤いケースを受け取りに側に寄っていっても、どぎまぎとしている心境を悟られまいと、  
弥生は仙道の顔を見られなかった。仙道が顔の前にかざしているケースに、手を触れないように  
慎重に腕だけを伸ばして掴もうとする。だが、弥生の手は空を握るだけだ。  
「・・・?」  
赤いケースは、弥生が伸ばした腕の距離と同じだけ、後ろに引いている。仙道は遊ぶように  
にこにこしながらケースをちらつかせている。誘っているのか?  
「せ、仙道くん?・・・手渡してくれないの?」  
「渡しますよ」  
高校生とは思えないような、じらす色目使いに不覚にも弥生は息が止まるかと思った。  
それでも平常心を取り戻し年長者としてなめられまいと、必死でスルーする。  
「物を隠したり渡さなかったり・・・仙道くんって以外にいたずらっ子ね」  
「たのしーじゃないすか」  
「・・・そーじゃなくてねっ」  
弥生は不意を突くようにばっと手を伸ばし、赤いケースを掴む。意表を突かれた仙道だが、  
ひるまずケースを掴んだまま手放す気はさらさらなさそうだ。引っ張り合いになった。  
「ちょっ・・・なんのつもりなの」  
「さあ」  
ぐぐぐ・・・と、子供っぽい物の取り合いに応じているが、弥生は内心気が気じゃない。  
腕力で仙道に適うはずもないが、心なしか自分は仙道にじりじりと近づいている。  
前屈みになり、下着を着けていない胸元は、折りたたみイスに腰をかけている仙道の顔の20cm前で左右に揺れている。  
(・・・いややわっ)  
しかも、立ったまま苦戦している彼女の両足はいつの間にか仙道の左足をまたぐほどに近づいている。  
すでに乾いている仙道の髪の毛から放つシャンプーの匂いが、弥生を更に戸惑わせた。そうこうしている内に、  
仙道の顔はみるみる接近し、今度は彼が弥生の肌と髪の匂いを探っている。頬が触れ熱が伝わり、弥生は色っぽい声を洩らす。  
「っあ・・・?」  
ピアス穴の空いた耳たぶを噛めるくらい仙道の唇は近づき、湿った声で囁く。  
「やよい さん」  
 
ぞくり。  
 
***  
 
「・・・・・・・・・・・・っっ! ・・・もうっ」  
「へ?」  
「大人をからかわんといてっ」  
背筋を這うような欲情にが湧き上がり、弥生は動揺のあまり仙道を突き放す。  
「・・・っとと!」  
その拍子にバランスを崩した仙道は、右に倒れそうな所を床に手を付く。  
「―いてっ」  
「えっ?」  
床に置いてあったタッパーに嫌な具合に付いてしまった。はねのけられたタッパーはひっくり返り、  
中身のハチミツを溢しながらこわんっと床に音を立てる。バスケット選手の大事な指が、良ければ突き指、最悪の場合骨折しているだろう。  
「だ、大丈夫 仙道くん?」  
「あ、なんとか・・・」  
「・・・ごめんね・・・ごめん」  
大人げない拒否反応で怪我をさせる所だったと、弥生は穴があれば埋まってしまいたい。情けなさと恥ずかしさに目元が熱くなってきた。  
へなへなと仙道の前に座り込み、床を見ながら涙を堪えている。頭の中は反省と抑制と性欲でぐちゃぐちゃだ。  
「え あの 平気すよ」  
「・・・・・・・・・」  
「ほら、なんともない。ハチミツまみれなだけ」  
「・・・・・・・・・」  
「ね?」  
「・・・・・・・・・・・・・・・ほんまや」  
「弥生さん?」  
うつむく弥生の濡れた瞳に写るものは、仙道の右手をとる自分の両手。仙道の手は大きくごつく、  
性感帯を知り尽くしているような指は長い。コートの上でバスケットボールをパスし、シュートし、  
ダンクするエースの手だ。それが今この時、とろりと糸を引く黄金の蜜にまみれて、  
みだらな光景だという事以上に、極上のデザートよりもおいしそうだった。  
 
***  
 
「・・・ん」  
弥生は吸い込まれるように、自分の手の内にあるその男の手に唇を当てる。舌を出し、絡め、仙道の指一本一本を堪能する。  
指から谷間、指から谷間、手の平、甲の骨まで、息が荒くなるほど無我夢中に弥生は舐め尽くす。  
「ん・・・ん・・・」  
酔いしれている。自分でも驚くなめらかな舌使いだ。ハチミツを受け止めながら目を閉じ自分の身体の  
変化を嫌というほど感じている。紅潮する頬、汗ばむ腰、荒い息、速まる脈拍、じんじんと熱を上げる女性の部分・・・。  
「弥生さ・・・」  
仙道ほどの余裕のある男でも、手にかかる吐息を感じ、自分の身体の一部を労るように貪るように  
舐める女性の後頭部の動きを見れば、眉をゆがめ唇を噛んでしまう。  
「・・・・・・っ」  
「・・・・・はぁ はぁ」  
舐める物がなくなった弥生は、物寂しそうに、潤んだ瞳で仙道を見上げる。ただし、予想外のサービスに  
嬉しくも目を丸くしている仙道の顔を見た瞬間、自分がしでかした罪を確認した。仙道の膝にすがるような醜態を把握し、欲望と後悔が衝突する。  
「わ・・・・・・わたし なんて事」  
「え?」  
「恥知らずっ・・・痴女や」  
「ちょっと、それはな」  
「もう・・・もうっ・・・・・・」  
罪悪感と自己嫌悪に頭を下げる弥生。しかし、イスに座りそれを上から見下ろす仙道は、  
その震える白い首筋が愛おしく、狂おしくキスをしたくてたまらない。  
身体の真ん中で脈を打つ熱が、猛獣と同じ飢えを訴えている。要求している。命令している。  
「うう・・・ひっく」  
弥生の小刻みの泣き声は仙道の耳を貫き、16才の性は耐えかねて、ガラスを扱うかのような  
優しい手つきでうつむく弥生のあごを上げさせる。   
「え・・・」  
唇と唇が触れると思われるや、期待する弥生の口を逸れ、かわりに口の左端をぺろりと舐められた。  
 
「・・・・・・!」  
 
気が狂いそうだ。仙道の手から弥生の口の端に付いたハチミツを、また仙道がそれを大切そうに  
味わっている。普段の気丈さを見る影もないほどなまめかしく身体をよじりながら弥生はそれを見つめた。  
仙道はいつになく真剣な眼差しを返すが、一片のはじらいを見せるようにちろっと舌を出してから、小声で言う。  
 
「おれは・・・弥生さんの何にでも熱心な所が、いいと思うな」  
 
もう二人は止まらない。  
 
***  
 
―熱心な所?  
 
真っ白な脳裏に、そればかり再生されている。相田弥生はこれほどまでに心を揺さ振られた事はない。態度にこそ出さないが、  
彼女は一生懸命な性分を自負している。今まで学業に家の手伝いに仕事に、努力を惜しまずすべてをぶつけてきた。  
ただ、自分に厳しいだけで、学校でも社会に出ても、かわいげのない女のレッテルを貼られ続けてきた。彼女のそんな面が重い、  
と恋人に告げられた時は、この上ないコンプレックスを抱いたほどだ。  
 
ところが その「熱心」な所を、仙道 彰は、いいと言ってくれた。  
 
「・・・はぁ はぁ」  
「仙道・・・く」  
若さゆえの盲目的な発言か、その場の色仕掛けか、もしくは純粋な本音なのか・・・自分の首筋を絶えず  
口づけを重ねてくる仙道の頭に腕を巻き付け、弥生は快楽に溺れていった。  
「ふ・・・」  
今集中したいのは、過去の過ちや苦い思い出ではなく、口内を隅々まで這う仙道の舌と自分のそれを絡み合わせること。  
(・・・邪魔だなぁ・・・)  
仙道は今だイスに座った状態で、足の間に跪く弥生のはいているジーンズを恨めしそうに見る。  
紺色のカーディガンはすでにはだけていて、弥生の乳房の先端が、薄いTシャツから浮き出ているのが興奮をかき立てた。  
(もう 準備はできてる)  
(ま 待ち遠しい・・・)  
仙道の中心も弥生のそれも、痛いぐらいに求め合っていて、たった今お互いを合わせる事は動作もない。  
それでも、息づきもままならない濃厚なキスばかりが十分以上続き、次に進みたいのかもまだ続けたいのかも  
わからなくなってくる。仙道と弥生の思いがシンクロする瞬間だった。  
 
(ああ・・・じれったい)  
 
***  
 
夜十時に近づく頃 神奈川県の病院で、就寝時間を告げられた相田彦一はすごすごと、自分の病室に帰って行った。  
待合室で知り合った同い年の患者の女の子と会話が弾んでいたようだ。しかし青臭いときめきよりも、まだまだ子供で  
元気の有り余る彦一にとって、早すぎる就寝時間を命じられた方ががっかりだ。  
 
「姉ちゃん、少年ジャンプ持ってきてくれたらよかったのに」  
そんな無邪気な欲とは真逆の甘美に罪なものが、同時刻 陵南高校バスケ部の男子更衣室にて、  
自分の尊敬する先輩と姉の内側を掻きむしっている事は知るよしもない。  
 
(な なにしてんのん このコ・・・新技なんか?)  
「・・・ ・・・ ・・・」  
仙道は一途に、薄灰色のTシャツの上から弥生の胸を愛撫する。じっくりと、時折乱暴に、揉み、  
舐め、吸う動作を懸命に勤めるが、生身の快感はやはり布一枚の壁に遮られている。   
(あああ もう・・・)  
どうにか下着ごとジーンズから脱出でき、T`シャツ一枚になった弥生はイスに座る仙道の膝に  
またがり、どうしようもないくらいお互いを欲している。突起する胸元は、仙道の無心の愛撫により  
シワが入って、濡れに濡れている。もっとも、濡れている所は他にあるのだが。  
「・・・・・・・・・・・・」  
「・・・・・・・・・・っ」  
弥生は我慢の限界だ。腹を決めて仙道にすべてをゆだねようとゆうのに、仙道は生意気にもじらすだけで、  
愛撫もほどほどに様子を伺っている。弥生より濃い経験を詰んでいるであろうにあくまでマイペースを  
決め込むつもりかと、苛立ちが頂点に達した。  
「――――らちがあかんっ」  
 
***  
 
「えっ」  
普段は端が下がり気味の仙道の眉が、ぎくりとすると同時に上がり、考えがよぎる。  
(しまった・・・)  
仙道の肩に優しく手をついてすっと床に仁王立ちし、余裕のある口ぶりで弥生が言う。  
「もー・・・ かしなさい。避妊具」  
「え」  
「当然やろ。もう決めたんやから するならきちんとせな。いい加減はあかん」  
「もちろん・・・でもあいにく持ち合わせがないす。・・・あ、でも」  
立ち上がり、珍しくてきぱきと並ぶロッカーの一つの中を探り始める。すぐさまくるりと振り返り、  
大きな手に一握りのコンドームを持って戻ってくる。その際に、膨らんだボクサーのため前屈みに  
なる事もなく、堂々と歩み寄る姿を見るだけで、今更赤面しそうな弥生だった。  
(こ このコは・・・一筋縄ではいかんわ)  
「池上さんが買い置きしてたんだった。もう引退して、起きっぱなし」  
「そっ そんなに いらんよ・・・」  
「うんうん」  
「はーあ・・・」  
さきほどの情熱が冷め切ったわけではないが、緊迫感がとけたせいで、あられもない乱れた姿の自分に  
羞恥がこみ上げてくる。でも、その甘ったるい、くすぐったい感覚が非常にうれしかった。  
乙女のようにもじもじと隠そうとしても、にやけた顔をすでに仙道は見ていた。  
ぎしっと同じイスに腰を下ろし、やはり得意げな面持ちは、主導権を握る気満々みたいだ。  
 
「さあ、仕切り直そーか」  
(・・・こっちが食われそうや)  
 
***  
 
「・・・・・・・・・ん」  
「あ・・・・・・・・・はぅ」  
仙道が、弥生に埋まっていく。むしろ、上から包まれているという表現が正しい。どちらにしろ、  
とろけるような熱と円滑な動きを体感し、二人は一体感に満ち足りていた。  
「・・・・・・・・・っ」  
「うっ うっ うっ・・・」  
滑るように、弥生は上下に腰を浮かし沈める。動作とともに体中をつたう汗の粒が弾ける。  
すべての感覚が敏感になり、自分たちを中心に世界がぐるぐると回っている幻覚に襲われた。  
「・・・はっはっ・・・・・・・・・・・・はっ」  
「や やよ・・・」  
足首までずり落ちたボクサーを蹴り飛ばしたいくらいに仙道も加わりたいのに、自分をまたがる弥生は、  
そんな余地も与えない。二人の体重と彼女の余念ない運動で、安物の折りたたみイスはきしみ、壊れる寸前だ。  
更衣室を満たす息切れと二人が繋がっている音と、我慢気味のあえぎ声が、仙道をより感受的にする。  
(ま・・・まいったな)  
「あっ・・・はぁっはぁっ ああ」  
弥生の熱は上がる一方だ。まだ一分もたたない内に、彼女はすべてをさらけ出している。弥生は、まさに燃えていた。  
その飾らないありのままの仕草を細めた瞼ごしに観察してる内に、仙道の中でどんどん波が押し寄せてくる。  
ついさっき大見得を切ったばかりのに、なすすべもなく自分を覆う熱い壁に押しつぶされ溶かされる心地があまりにも刺激的だ。  
「あの ちょ」  
「あっ ああっ あ・・・ っはぁ」  
「弥生さ」  
「んんっ・・・?」  
「た、・・・・・・タイムっ」  
 
***  
 
たった今、仙道を弥生の熱気が立ちこめる更衣室の空気が凍りついた。弥生がぎくしゃくと探し物を  
していた時以来、初めて壁に掛けている丸い時計の針の音が耳に届く。弥生の動きを止めさせるためとっさに  
掴んだ腰から手を放すや、手の平がぐっしょりと汗ばんでいることに気付く。仙道は失態を察し、きまずそうに  
弥生の出方を待つしかない。運動の間 仙道の胸板に密着していた弥生は上半身を離し、第一声を放つ。  
「タイムて・・・」  
「いや、だって」  
「・・・」  
「でないと 持たないし・・・ね」  
がんっと、音を立ったと思うくらいのショックが弥生を絶頂の手前から瞬時に不安の底に突き落とした。  
「は、激しすぎたゆうの?」  
「すこし」  
(・・・いやらしい女やと思うたやろか しとやかにすればよかったんかな)  
「弥生さん?」  
とたんに後悔の波と内にしまいこんだコンプレックスが蘇る。しばらくの間沈黙が続いた。  
ことに繊細な問題で、人によれば過去のトラウマに重ね、自分を否定された気分になるだろう。  
だが、相田弥生という人間には、悩みや恐れをもんもんと抱え込むのは性に合わない。  
「軽蔑しとる?年増ががっついて」  
「は」  
「・・・萎えた?」  
「ええっ?」  
仙道のように気ままで少々無神経な性格には思いにもよらない発想で、つい吹いてしまった。  
あまりに屈託のない笑い声に、気に障るどころか、気が抜けてしまう。  
「わ、笑う所か そこは」  
「ご、ごめ ははは」  
繋がったまま、弥生は仙道を叱る。怒ってはないので完全に離れる理由がないし、第一、この気恥ずかしい  
じゃれあいを楽しんでいる。はー、と一息ついて、仙道が手の甲で弥生のふくれた頬をなでる。  
 
「置いていって欲しくなかったんですよ」  
 
***  
 
息切れが落ち着く頃、時計は十時を指していた。新しいシャツを探すためロッカーの前にボクサー一枚で立つ仙道は、  
いつものひょうひょうとした態度に加えて大人の色気がある。だから不思議でならない。たった今、年上の女性を魅了し  
絶頂に導いたのに、ロッカーの鏡に反射する彼の表情に、新鮮な初々しさを感じ取れるのはなぜだろう。  
「・・・よかった・・・」  
ぽつりと独り言を言う仙道の首筋を見つめ、カーディガンを羽織りながら弥生はすかさず、  
からかうためか嫌味なのか、気楽な声で返答する。  
「ほんまに?痛くなかったんや?」  
「え? あ・・・いやそれは全然」  
「そう?」  
「気持ちがよかったのもあるけど」  
「うん」  
振り向き様ロッカーに背を凭れて腕を軽く組み、かわいらしい上目遣いでにっこりする。  
「弥生さんが リードしてくれて、よかった」  
「―――」  
「助かった」  
 
こちこちと、時計の針がまた聞こえる。そう、思い出すと、9時半頃から苦しいまでに長引いた前座の後の、  
仙道と一緒になった時間は、合計で三分足らずではなかったか。混乱のあまり絶句したが、すぐさま弥生の声が沈黙を破った。  
「―っはぁ!?」  
「おれ 初めてだったんで」  
「うっうそ うせやん。そんなのっ 信じません!」  
弥生の取り乱した姿に仙道も目を見張りつつ、露骨に疑われてるのが可笑しくなった。  
「・・・なんで そんな反応するんすか」  
「女の子にすごいモッテモテやのに 今まで その なかったなんて・・・」  
「はちみつレモンもらっただけで・・・」  
「いや それより経験無いコがあんな顔付きできんよ」  
「え どんな?」  
弥生の言葉をかわすたびに苦笑したが、自分が「経験がありそうな顔付き」を無自覚にしていることに、  
興味が湧いた。どんな、と問われて弥生も思いついたままに妙な肩書きを口にする。  
「百戦錬磨の夜の帝王」  
「・・・そーなんだ・・・ いや、でも」  
背を丸めて弁解しようとしても、弥生は服を着ることに専念している。  
「あの直視に間合いの取り方に・・・あの じらし。技の一つなんやないの?」  
「だから あの」  
「ん?」  
「あれでも 緊張してたんだけど・・・」  
 
***  
 
息切れが落ち着く頃、時計は十時を指していた。新しいシャツを探すためロッカーの前にボクサー一枚で立つ仙道は、  
いつものひょうひょうとした態度に加えて大人の色気がある。だから不思議でならない。たった今、年上の女性を魅了し  
絶頂に導いたのに、ロッカーの鏡に反射する彼の表情に、新鮮な初々しさを感じ取れるのはなぜだろう。  
「・・・よかった・・・」  
ぽつりと独り言を言う仙道の首筋を見つめ、カーディガンを羽織りながら弥生はすかさず、  
からかうためか嫌味なのか、気楽な声で返答する。  
「ほんまに?痛くなかったんや?」  
「え? あ・・・いやそれは全然」  
「そう?」  
「気持ちがよかったのもあるけど」  
「うん」  
振り向き様ロッカーに背を凭れて腕を軽く組み、かわいらしい上目遣いでにっこりする。  
「弥生さんが リードしてくれて、よかった」  
「―――」  
「助かった」  
 
こちこちと、時計の針がまた聞こえる。そう、思い出すと、9時半頃から苦しいまでに長引いた前座の後の、  
仙道と一緒になった時間は、合計で三分足らずではなかったか。混乱のあまり絶句したが、すぐさま弥生の声が沈黙を破った。  
「―っはぁ!?」  
「おれ 初めてだったんで」  
「うっうそ うせやん。そんなのっ 信じません!」  
弥生の取り乱した姿に仙道も目を見張りつつ、露骨に疑われてるのが可笑しくなった。  
「・・・なんで そんな反応するんすか」  
「女の子にすごいモッテモテやのに 今まで その なかったなんて・・・」  
「はちみつレモンもらっただけで・・・」  
「いや それより経験無いコがあんな顔付きできんよ」  
「え どんな?」  
弥生の言葉をかわすたびに苦笑したが、自分が「経験がありそうな顔付き」を無自覚にしていることに、  
興味が湧いた。どんな、と問われて弥生も思いついたままに妙な肩書きを口にする。  
「百戦錬磨の夜の帝王」  
「・・・そーなんだ・・・ いや、でも」  
背を丸めて弁解しようとしても、弥生は服を着ることに専念している。  
「あの直視に間合いの取り方に・・・あの じらし。技の一つなんやないの?」  
「だから あの」  
「ん?」  
「あれでも 緊張してたんだけどな・・・」  
 
***  
 
「目を放したら逃げられそうだし、チャンスがある時に近づいて」  
「ちょっと・・・」  
「でも かっこつけといてどこで仕掛けたらいいのか」  
言い訳を考える仕草に似ている。でも、肩をすくめて送る、遠慮がちな視線は本物だ。  
「・・・こっちこそタイムや。もー」  
「え?」  
「そない仙道くんらしない態度とられたら信じちゃうしかないやん」  
「はあ・・・」  
 
二人は更衣室を後にし、体育館を通って正門間近で、いたずらに忍び込んだ子供達のように学校の塀を乗り越えた。  
舗道を並び進む二人の距離は親しみをかもしださないが、決して単なる知人同士の間合いではない。IDパスと事務所の  
合い鍵を入れた赤いケースを更衣室でなくしたことで縮まったこの距離に関しては、いっそ盲腸で入院した彦一に感謝するべきなのだろうか。  
(いや、それは ちがうよーな・・・)  
さすがの仙道も後輩の姉と関係を持っては顔向けできないと、首をひねる。それに気付かず秋の夜風を体中に受けて弥生がしみじみと言った。  
「や・・・でも素質はすごい。これを機に色男になっちゃうんやね」  
「それはどーかな。・・・・・・・・・機って、筆降ろしのこと?」  
「言わせなさんなっ。・・・だいたい、素で女殺しやなんて、将来が怖いわ」  
相変わらずのさばさばとした応答だが、柔らかさを含んだ声でくすくすと笑う。そんな弥生と、  
手もつながずに歩いているのに、仙道にとってささやかなる至福の時だった。  
(素で女殺しねえ・・・)  
イマイチその表現が自分に当てはまらないと感じているあたり、仙道は天然の天才バスケットプレイヤーで、  
おそらく天下一の天性無自覚悩殺野郎なのだ。その悩殺野郎の脳に、ある心理が思い浮かんだ。  
 
「おれの趣味と特技って知ってます?」  
「・・・バスケ以外に?」  
「うん。釣り」  
「へえー渋いのね」  
急な自己紹介に、弥生は眉を片方上げるが、これが親密さかとすこしどきどきした。  
そんな一時もつかの間、仙道はロマンも飾り気も感じられない緩さで、自己発見を報告する。  
 
「その、おれの 女殺しの技って、たぶん釣りの応用」  
「え?・・・なんやのん、それ」  
ちょっと嫌な予感がした。  
 
「じっくり待つのが大の得意。たとえば、赤いケースがエサ、で」  
「―なにっ私が魚か」  
「はははっ」  
 
週刊バスケットボール編集者の相田弥生は今夜、きっと今まで誰も知らない、陵南バスケ部の主将・仙道 彰のカオを  
いくつ見ただろう。ひきかけてた風邪も忘れさせてしまうほどの幸せを噛み締め、一皮剥けたようだ。二人の頭上には、  
心を狂わしかねない光を放つ満月が浮かんでおり、この一夜の出来事がそもそも幻だと思わせるほどの美しさだった。  
 
完  
 

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