高校バスケの最高峰、全国高校総体(IH)四日目、八月五日。  
神奈川の海南大附属対する静岡の浜ノ森高校の準々決戦に観客は熱を上げていた。試合は後半五分に入り、牧、神、高砂、武藤、宮益が  
浜ノ森のスタメンを支配している一方、静寂した医務室のベッドの上で清田信長は、脳裏を駆けめぐる自分の醜態に苦しんでいた。  
 
(くそっ・・・)  
 
もどかしさに震える握り拳の握力は弱々しく、前半終了直前に四度目のダンクを試みた時のような勢いもない。  
強引なプレイに三つ目のファウルをもらった上、浜ノ森のセンターと衝突した際に脳しんとうを起こしたためである。  
 
(おれは ゴールデンルーキーだろ・・・?ちがうのか?)  
 
少々流血した頭には包帯がまかれ、愛用のバンダナはどこへ行ったのやら。薄いユニフォームに染み込んだ汗に  
冷やされながら、清田は柄にもなく意気消沈している。IH二日目の翔北対山王の善戦を目にして、天才ルーキーと  
自称していた自分の絶対的な自信が揺るがされてしまったのだ。  
 
(海南のお荷物なのか・・・?)  
 
盛り上がる観戦者の期待を裏切り披露してしまった無様なダンクミスの裏に、そんな焦りがあったと自覚している。  
それが、余計に悔しかった。ところが、この医務室の白いベッドに大の字に寝ころびながら、不安と口惜しさに  
余念が混じっている。とうとう清田が疑問を、側に座る人物に問いかけた。  
 
「そこの・・・おれのこと知ってるのか?」  
「フォワードの清田さん、ですよね」  
「ああ 清田信長。・・・えーと」  
「あ・・・藤井です、藤井幸子」  
「フジイユキコ?」  
 
藤井と名乗る女生徒は、清田の横たわるベッドの脇のイスにちょこんと座っている。夏休みだというのに制服を身に纏う、  
真面目そうで短い黒髪の、素朴な女の子。名前を言われてぱっと初対面の記憶が蘇ってきた。  
 
「―あっ」  
 
思い返せば翔北対翔陽の試合の最中、主将兼監督・藤間の出番を牧に報告しに廊下を走っていてぶつかったのが彼女だった。  
その時 藤井の側にいた美少女が、翔北の赤木の妹だと知ったショックが強かったのだろう、藤井の顔はうろ覚えだったのだ。  
 
「あん時は・・・ふっとばしちまって」  
「ううん」  
 
加えて、翔北対陵南戦で怪我を負った桜木を心配しコートまで降りてきた藤井と赤木妹の姿も見ている。  
それはそうとしても、翔北の応援をする側の彼女が、海南対浜ノ森の試合を観に来ているはずがないではないか。  
 
(しかも医務室で気が付けば、おれの看護しているって・・・何のこっちゃ)  
 
自分の失敗に対する苛立ちと試合の行く末の心配が独占して、まともに考えられない。そもそもここは広島、  
夢でも見てるにちがいない。でも幻なら幻で、いっそ会話でもしてみようか。  
 
***  
 
高校バスケの最高峰、全国高校総体(IH)四日目、八月五日。  
神奈川の海南大附属対する静岡の浜ノ森高校の準々決戦に観客は熱を上げていた。試合は後半五分に入り、牧、神、高砂、武藤、宮益が  
浜ノ森のスタメンを支配している一方、静寂した医務室のベッドの上で清田信長は、脳裏を駆けめぐる自分の醜態に苦しんでいた。  
 
(くそっ・・・)  
 
もどかしさに震える握り拳の握力は弱々しく、前半終了直前に四度目のダンクを試みた時のような勢いもない。  
強引なプレイに三つ目のファウルをもらった上、浜ノ森のセンターと衝突した際に脳しんとうを起こしたためである。  
 
(おれは ゴールデンルーキーだろ・・・?ちがうのか?)  
 
少々流血した頭には包帯がまかれ、愛用のバンダナはどこへ行ったのやら。薄いユニフォームに染み込んだ汗に  
冷やされながら、清田は柄にもなく意気消沈している。IH二日目の翔北対山王の善戦を目にして、天才ルーキーと  
自称していた自分の絶対的な自信が揺るがされてしまったのだ。  
 
(海南のお荷物なのか・・・?)  
 
盛り上がる観戦者の期待を裏切り披露してしまった無様なダンクミスの裏に、そんな焦りがあったと自覚している。  
それが、余計に悔しかった。ところが、この医務室の白いベッドに大の字に寝ころびながら、不安と口惜しさに  
余念が混じっている。とうとう清田が疑問を、側に座る人物に問いかけた。  
 
「そこの・・・おれのこと知ってるのか?」  
「フォワードの清田さん、ですよね」  
「ああ 清田信長。・・・えーと」  
「あ・・・藤井です、藤井幸子」  
「フジイユキコ?」  
 
藤井と名乗る女生徒は、清田の横たわるベッドの脇のイスにちょこんと座っている。夏休みだというのに制服を身に纏う、  
真面目そうで短い黒髪の、素朴な女の子。名前を言われてぱっと初対面の記憶が蘇ってきた。  
 
「―あっ」  
 
思い返せば翔北対翔陽の試合の最中、主将兼監督・藤間の出番を牧に報告しに廊下を走っていてぶつかったのが彼女だった。  
その時 藤井の側にいた美少女が、翔北の赤木の妹だと知ったショックが強かったのだろう、藤井の顔はうろ覚えだったのだ。  
 
「あん時は・・・ふっとばしちまって」  
「ううん」  
 
加えて、翔北対陵南戦で怪我を負った桜木を心配しコートまで降りてきた藤井と赤木妹の姿も見ている。  
それはそうとしても、翔北の応援をする側の彼女が、海南対浜ノ森の試合を観に来ているはずがないではないか。  
 
(しかも医務室で気が付けば、おれの看護しているって・・・何のこっちゃ)  
 
自分の失敗に対する苛立ちと試合の行く末の心配が独占して、まともに考えられない。そもそもここは広島、  
夢でも見てるにちがいない。でも幻なら幻で、いっそ会話でもしてみようか。  
 
***  
 
「試合、どうなってる?」  
「前半は54−32で終わりました」  
「ぎりぎりだ・・・、王者・海南にとっちゃ」  
 
ゆっくりと流れる時間が、心地よくも長くも感じる。ミニバスを始めてからバスケ三昧だった清田にとって、女子相手に  
間を持たせる事は思ったより困難だ。とりあえず、二人の唯一の共通点と言えば、翔北の試合を観てきたことだろう。  
 
「愛和戦は残念だったな」  
「はい。でも山王工業とは激戦だったから、しかたがないのかも」  
「翔北は帰ったのか」  
「桜木くんは治療のために、木暮先輩と晴子に連れられて神奈川に戻りました」  
(ああ メガネと、ゴリラの似てない妹か)  
「みんなで帰ろうって言ってたんだけど、桜木くんが『全国を勉強しとけ』って」  
「・・・えっらそーに 赤毛猿め」  
 
夢の中ででも、こうして面識の薄い翔北高校の女子と交わす、今一つ弾まない会話もひとつの勉強になると清田は思い始めている。  
牧や神のような落ち着きは十年早いとしても、女子と二人きりなだけでうまく言葉が出てこない自分の幼さを痛感してるからだ。  
強気な相手なら『海南の全国制覇を見とけ』とでも見栄を張るところだが、繊細そうな藤井をみるとどうもそんな気がそがれる。  
 
「あんたは、なんで残ってんだ?」  
「えっ・・・、わたしは・・・」  
(・・・まずい 言い方間違えた)  
 
考えた末口にしたはずの質問の聞こえが悪い。清田に悪気がないとわかっていても、改まって訊かれれば引っ込み思案になってしまう藤井。  
 
「ひ、広島に親戚がいて、だからIHで翔北を応援しに」  
「へえ」  
「お盆までこっちにいることになって・・・」  
「ああ そっか」  
 
もっともらしい説明に納得した清田だが、頭の中では『この夢、やけに具体的な設定だな』と面白がっている。短い前髪を整えながら、藤井は続けた。  
 
「翔北の応援はできなくなったけど、バスケットの試合を観るのは好きなんです。桜木くんのおかげで」  
「な、なんで あいつが出てくんだよ?」  
「初めての練習試合観て感動しちゃって。・・・感動させらるもの、良い試合は」  
「・・・」  
 
照れか恐れか控え目だが、彼女が心からそう言っていることがわかる。声が聞き取りにくいので、無意識の内に清田は  
身体を起こして藤井の方に傾けていた。藤井は赤木晴子と比べて平均的な分親しみを感じるし、ウブな雰囲気は安らぎを誘う。  
落ち着きのない清田にとって藤井ののどかな話し方は安定剤の効果もあるようだ。ぼんやり聴いている。  
 
(聴き心地の良い声ってこんなんか)  
「・・・清田さんのプレイも」  
「ん?」  
「観てると、夢中になります・・・」  
 
藤井が頬を赤らめてそうつぶやいた後、清田の手は自然と彼女の温かい頬まで伸びていた。糸で引かれるように上半身を寄せた  
清田の唇と、硬直する藤井の桃色の唇がそっと触れ合う。夢の中でと言えど、なだらかで無理のない手立てに、自分で自分に感心してしまう。  
 
(クチビル、柔らかい・・・ずいぶんリアルだな)  
 
突然のバードキスにまごつく藤井が、紅潮しすぎた自分の顔を隠すためにうつむいた時、清田の肩に額がこつ・・・と当たる。  
そんないじらしい反応と、初めて感じる女性の柔らかさと温もりと香りに、清田はそれだけで胸がいっぱいになった。  
 
(・・・か、かわいいじゃねえか フジイユキコ・・・)  
 
試合のことばかり心配していた時のぎこちなさは消え去り、しっとりとした空間の中で、清田はすっかり夢心地だ。  
 
***  
 
「―ホラ起きろ 清田」  
 
背後から声をかけられて目をうっすら開けると、窓のある医務室の白い壁が見える。がばっと反対側に寝返りを打って  
視界に飛び込んだのは、自分を見下ろす海南大附属チームの面々。「圧勝」と描かれたような威風堂々とした顔が並ぶ。  
眠気眼で見渡すが、藤井幸子はいない。  
 
「よく休んだか?」  
目をぱちぱちさせてる清田に、主将の牧が訊いた。  
 
「―うおっ すっ・・・すんませんっ 最後まで寝転けててっ」  
あわてふためき申し訳なさげに飛び起きる清田の顔を一見し、今度は神が相づちを打つ。  
 
「うん、だいぶ顔色が良くなった」  
「牧さん、神さん、おれ・・・」  
「・・・・・・・・・・・・・・・あ、信長」  
「へ?」  
 
ベッドの端に立っている清田は、自分を凝視するチームに間の抜けた顔を向け、次に神たちの視線の先をたどる。  
自分の下半身を見下ろすとユニフォームの前の部分がごまかしようがないほど起こり立っていて、悶死させる勢いで羞恥が襲った。  
 
「―ぅぐっ これはっ・・・・・・その」  
「いい夢みたんだな」  
「よせよ、武藤」  
 
真っ青になって小山を手で覆う清田の姿は滑稽だが、一・二年でも人生の先輩なだけあって、海南バスケ部の中でこれ以上  
冷やかす者はいない。むしろ、平素生意気でやかましい後輩がこんな時こそうろたえて萎む所が、微笑ましい。  
 
「・・・くっくそう・・・ そ、それより、試合は」  
「112―52」  
「お おれなしで・・・?」  
 
やるせなさに頭を垂らして口先がとんがる清田。試合の前半の不注意で、大事な準々決戦の後半に参加し損なった自分が  
腹立たしい。しかも、その間妄想を楽しんでいたとは。いじけの色が浮かんだのを察し気遣っているのか、神がフォローを送る。  
 
「盛り上がりに欠けたけどな、やっぱり」  
「・・・・・・・・・・・・・・おれ?いなかったから?」  
「明日の準決戦では見栄を張るなよ。―ダンクはとっておきだ」  
 
にやりと口の端を上げ、牧も励ましにかかる。差し出す手には、清田の藤色のバンダナ。尊敬する先輩二人に背中を押されて、  
単純な清田が気落ちしたままでいるはずがない。きりりと眉を上げ、伸ばしっぱなしの黒髪に指を通す。  
 
「―もちろんっ このナンバーワンルーキー清田にまかせてくださいよ!」  
 
海南の誰もが予想した反応で、呆れた笑い声が医務室から洩れた。自信と体力と調子が完全回復した  
清田は藤井幸子の幻覚の事は忘れ去り、早々と着替えを済ませ会場入り口で意気込んでいる。  
 
「さあ 全国に『神奈川の誇り』を見せ付けてやりましょうっ かーっかっかっかっ」  
 
はつらつな清田に先導され海南大附属バスケ部は、準決戦への切符とともに試合会場を去った。  
弾む清田の背中を眺めて、牧が皆を代表するように言う。  
 
「やれやれ・・・ まだまだガキだな」  
 
 
完  
 

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