「ひとつ、賭けをしませんか」
安酒場の片隅。
乱立する酒瓶の中で、ゼロスはそう言ってにっこり笑った。
「…何を賭けるって? 言っとくけど、今はお金無いからね」
じろり。
この上なく不機嫌な眼差しを、あたしは奴に向ける。
それもそのはず。尊大でムカつく依頼人にゴマをすりつつ、面倒な仕事をやったのは当然、オイシイ報酬を頂くため。
…なのに、結局たったのあれっぽっちってどういうこと。
勿論、そんな依頼人にはきっちり教育的指導を行なっておいたけど、あたしの傷心は癒えるべくもなく。
仕方なく、こうしてヤケ酒に溺れているのだ。
なのに、ガウリィもアメリアもさっさと潰れちゃうし。
ゼルは呆れて寝ちゃうし。あたしの繊細な乙女ゴコロをなんだと思ってんのよ。
結局残ったのは、たまたま居合わせた、この得体の知れない魔族だけ。そりゃあ幾ら寛容なあたしでも、不機嫌になろうというもの。
「そうですね、じゃあ…ええっと」
人差し指をこめかみに当て、考える素振りをするゼロス。
「ああ、そうそう。こういうのはいかがです」
「だから、何」
「僕が勝ったら――
…貴女の、身体を下さい」
ぶはあっ!!
口に含んでいたお酒を、盛大に吹き出す。
「あ、ああ、あのねえ――」
あらぬ想像をしてしまい、思わず怒鳴った。顔が火照るのは、決して酒のせいだけじゃない。
…でも。待てよ――
「…あのね。それって、あなたの上司の為になったりすることじゃあ…ないわよね?」
幾ら人間臭くとも、こいつは魔族。下手な約束をして、生け贄にでもされたら目もあてられない。
「へ? ……あ、ははは。さすが、リナさんだ。用心を怠らない所、僕は好きですよ」
「じゃあ、どういう――」
「だから。そのまんまの意味ですって。
それから、貴女が勝ったら僕の所持金全部。
どうです? やりますか、やりませんか」
「………はぁ?」
本気なのか。
相も変わらず、ニコニコと呑気に笑っている。その顔色はいっこうに読めない。
「大丈夫ですって。単なるお遊びですよ。
貴女とはいずれ、やりあう事があるかもしれませんが、今はその時じゃない。
…ちなみに。
これ、僕の財布です」
どすん。
重そうな音を立てて、革袋が目の前に置かれた。
…予想外に多そうだ。あれだけあれば、アレも買ってコレも買って、美味しいもの食べて、まだお釣りが出そう。
どうする。
たやすく悪魔の甘言に乗っていいものか。
あたしは、理性と欲望の狭間で揺れ動――
「のった」
…く前に、そう答えていた。
人間、正直が何より。そう、勝てばいいんだから。それだけの話。
大丈夫。あたしの悪運の強さは、並大抵のもんじゃない。
そう信じて、あたしは奴が配るカードを手にした――
…どどど、どーしよう…
かちり。
背後で、鍵のかかる音が聞こえた。あたしは、一層焦燥感に駆られる。
こんな安っぽい宿の壁、突き破って逃げるコトは容易い。いかにゼロスといえど、この程度の事に本気になることはないだろう。……多分。
けど、一度条件に納得して賭けをした以上、負ければ潔く従うべきじゃあないだろうか。
――嗚呼、乙女のぴんち。
格好悪くとも逃げるが吉か、それとも――
「…リナさん?」
「っ…!」
突然肩に手を置かれ、あたしはびくりと震える。
反射的に手を振り払おうとしたその時、奴は強引に唇を重ねてきた。
「ちょ、ゼ……ぅ…」
その感触は、飽く迄柔らかく暖かい。喋りかけて半ば開いた口から舌が滑り込んでくる。
――ほんとに良く出来てる。
まるで本当の人間と変わらない。つくづく、ゼロスの魔族としての力の凄さを思い知る。
しかも、これから行なわれるだろうコトを考えると、つまりそこまで出来るという訳で――
「訳で、じゃなーいっ!」
オーバーアクションで奴の魔手から逃れ、一息で数メートル後退した。
現実逃避をしてる場合じゃない。
「――な、なんなのよ、どうして魔族のあんたがこんなコト――、
目的は、なに」
長いキスと動揺のせいで、息が上がっている。それを無理矢理抑えつけて、あたしはゼロスを睨んだ。
奴は、ふう、とかるいため息を落とすと、
「何を今更。
…冗談だと思ってたんですか?」
感情の読めない瞳であたしを見据える。
「そりゃあ今更だけど…
でも、変じゃない。生粋の魔族であるあんたが人間なんかと、その…する、なんて、普通ありえないでしょ」
「だから、変わってるんでしょ。僕か貴女か、或いは――二人とも」
「…なに、それ」
「僕だって、基本的には人間の女性への興味なんてありませんよ。
貴女だから――こういうのも面白いかなあ、とね」
くすくす、と笑って。
一歩。また一歩。
奴が近づいてくる。
あたしは――凍り付いたように、動けない。
「貴女に興味を持つ僕が変わってるのか、僕を魅き付ける貴女が変わってるのか。
僕はきっと、後者だと思うんですけど」
「…っあ…!」
視界がぐるりと回る。驚くほど優しく、あたしは身体をベッドへと押し付けられた。
その距離、僅か五センチ。
息がかかる。
その黒い髪の毛先が、あたしの頬を掠める。
――さあ。始めましょうか――
全ての終わりを告げる死神のように。
ゼロスはそう、囁いた。
「…ぅ、く…」
蹂躙するがごときの口付けを終えたあと。
奴は、執拗に耳を責め立てる。濡れた舌の、耳穴に潜り込む水音が、直接脳髄に響くようで。
あたしは、堪えるように下唇を噛む。
「…肌、熱いですね。
感じてます…?」
「誰が…っ、あ…!」
つうっ、と舌が耳の後ろを辿る。
不意打ちを食らって、思わず声を上げてしまった。
「…いい声だ。せっかくなんですから、楽しんで下さいよ」
底意地の悪い、笑いを含んだ声音。
「そ、んなの、出来る訳……んう…っ」
たくし上げられた上衣が、縄のように胸元を締め付ける。自分でも、余り誇ることの出来ない乳房が、奴の目に露わになった。
「や、やだ…っ」
「…何故隠すんですか?」
「う、うるさいわねっ…」
「ははあ…そういえば、大きさ、気にしてらっしゃいましたっけ」
「っあ…!」
首筋に張り付くぬめった唇。同時に、ひやりとした感触が胸を覆った。
奴の、手のひら。押しつぶし、転がし、撫でる。でも決して、その頂きには触れようとしない。
――こいつ。焦らして遊んでる――
その間にもゼロスの舌は、あたしが感じる場所を探すように蠢いている。
…賭けに、負けて。
これ以上負けてたまるもんか。
あたしは、仕方なく応じているのであって、それ以上では絶対に、ない。
「…僕には十分魅力的ですけどね。柔らかいし形もいいし、それに」
「は、あ…っ!」
くっ、と奴が胸の先端を口に含む。まるでそれは、胸から背筋まで電流を通されたようで。
「ほら。…感度だって、いい」
じわり。下腹の辺りが僅か、暖かくなる。
や、だ――そんなの、絶対、やだ…っ。
悔しさと羞恥と、絶え間ない快感で脳内が掻き回される。
「…ああ。実にいい反応ですね。本当に、可愛らしい」
嬉しげなゼロスの声。
…ムカつく。ほんっとーに、ムカつく。
「ん、は…あっ、…ぅ…」
気が付けばにじんでいた涙を、奴の舌が掬い取った。先端を弄んでいた指は、徐々に下へと下りてゆく。
――そう、ムカつく。 何よりも、反応が止められない自分の身体に。
「これだけでそう、なら。これ以上だと、
一体どうなるんでしょうね…?」
するり、その指が下着越しに秘所をなぞった。
「ひ、あっ…!」
それだけで、あたしの身体は大きく跳ねる。
「もう、ずいぶん濡れてますよ。下着がぴったり、張り付いてる」
「やぁ…っ…」
突き付けられるのは、容赦の無い現実。指は尚も、下着ごとあたしを抉ろうとする。
その度に、身体の奥から生まれてくる、熱。
「っ、はぁっ、…ぅ…」
「…それにしても。意外でしたよ。貴女は変に律儀な所がありますけど、真逆こういうコトを、然程抵抗なく受け入れて下さるとは思わなかった」
どこまでも冷静な声音が憎らしい。
「な、にが言いたい、の…ん、あっ」
下着の脇から、浅く、指が内部へ這入ってくる。ひどく冷たく感じるのは、…あたしが熱い所為なんだろうか。
「…いえね。貴女はガウリィさんの事が、好きなんだろうと思ってましたから」
「あ、いつは――」
大事だけれど。そういうんじゃない。上手くは言えないけれど、相棒というか、家族というか、でももっと違うような――
うわごとのようにそう告げると、ゼロスはふっと微笑んだ。
「なら――
遠慮は、要らないんですね」
…いつ。どう遠慮したっていうのか。
「ん、あっ!」
突っ込みは、結局声にはならなかった。
指が一層、奥まで侵入してきたのだ。
くちゅり、くちゅり。
ゆっくりと胎内を掻き混ぜる水音が、やけにはっきりと聞こえる。
「は、ぁう……も、や、やめ…てぇ…」
「お嫌、ですか?
…なら。力任せに逃げればいい。僕はやめませんが、逃げようとするのを押さえ付けてまではしませんよ」
「…っう…」
そうだ。――何で。
何であたしは逃げないんだろう。
危険を糧にしてきたこの身、貞操の危機だって幾度となくあった。
そのたび、あたしは相手を容赦なく粉砕してきたはずだ。
なのに、何故。
ゼロスの事が恐いから?
否――そうじゃない。
あたしは――
「ひ、やぁ…!」
不意に、ゼロスは其処に顔を埋めた。舌が、襞を掻き分けるようになぞってゆく。
とろとろと、熱いものが溢れてくるのが分かった。
腰が、知らず微妙に揺らめく。吐息が。身体が。頭の髄まで。あたしは熱に支配されていた。
――あたしは。
あれ程嫌だった、快楽に染まる事をすっかり、許容している。
そうやって。微かに揺れ動いた感情を、あたしはシャットアウトする。
こいつは、魔族。たまたま今は敵じゃない、それだけ。
だから身体だけ。そう、身体だけなら。いつか闘うことになっても、平気だから。
「リナさん。貴女…、処女、ですか」
「だったら、…はぁ、何。やめる、の」
奴は、あたしの挑戦的な眼差しを微笑みで返す。
「いえ。…覚悟も出来ていらっしゃるようですから、有り難く頂きます」
そうして、何の役も果たさなくなった下着が、脚からするりと抜かれた。
「そういえば、このままでは不粋ですよね」
そう言うと、ゼロスは瞬く間に裸身になる。服も身体の一部だから。
あっという間に脱ぎ着出来るんだ。便利だな――
「…っ…」
場違いな感想はそこで途切れる。
ぐい。
ゼロスがあたしの脚を抱え込むと同時に、堅く熱いものが花芯に当てられた。
「…入れますよ」
「く、あぁっ…!」
一気に。それが、あたしの中に潜り込んできた。
あ…あれ?
――覚悟、してた程、
「痛くない、でしょ?
こういう芸当も出来るんですよ」
そして、奴はあたしの上半身を抱え起こし、繋がったまま膝の上に座らせる。
「んあぁっ、ふ…」
すると、尚も挿入が深くなって、完全に胎内に収まってしまう。
手を離すと、倒れてしまうから。自然、奴にしがみつく格好になって。
…それが少しだけ、悔しい。
「もう、…いいかな…」
奴の呟きを合図に、
「あ…あぁっ…!」
少しずつ。少しずつ。
膣内の圧迫感が増してゆく。その間にも、ソレはゆっくり動いていて、
あたしの感度をじわじわと上げようとする。
「…痛く…はないようですね。貴女の中が、こんなにも妖しく淫らに蠢いている」
「や…、やぁ…っ」
言葉とは裏腹に。
あたしの其処は、もっと、もっと欲しいとひくついている。
「んぅ、っは、ああ…」
――そうか。太さを変えてるんだな――
熱に浮かされた脳内で、漸くその事に思い至る。
「っ、あっ…!!」
びくん。
え――な、に。
激しい出し入れもないまま、緩やかに掻き回すソレが、ある一点に触れたとき。脳裏に一瞬、電光が閃いた。
「そう――ここが、いいんですね」
にやり。奴が浮かべたのは――悪魔の笑みか。
「あ、ひぁあっ、だ…め、ぇっ…!」
何度もそこを刺激されて、あたしの腰ががくがくと震えた。
そして。
増し続けていた圧迫感が、ぴたりと止まった。
もう――限界、だ。まるであたしの身体が、隅から隅まで奴に満たされてしまったかのような錯覚を覚える。
「そろそろ――動きますよ」
…最後通牒。
あたしの耳には、そう聞こえた。
「は、…ああっ!」
下からの突き上げるような責め。どういうことになっているのか、先程あたしが強く感じた場所が、常にぐりぐりと刺激されている。
「や、は、あ、――はぁ、ゼ、ロス…っ」
――気が。
遠くなる。
その度に、より強い快感があたしを現実へ引き戻す。
その繰り返し。まさに、――無限地獄。
絶えず分泌されるあたしの蜜が、溢れて、泡立って、ぐちゅぐちゅと卑猥な音を立てる。
「…本当はもっと色々出来るんですが、これくらいにしておきますね。
病み付きになってしまうと、――普通のセックスが出来なくなりますから」
「っく、う、…はぁ、あ、あう…」
あたしにとっては。
これだけでも十分おかしくなりそうなのに。――これ以上、なんて本当に狂ってしまう。
「ん、ぅ、は、も――う、あた、し…っ」
視界が明滅する。
全身が沸騰して、溶けてしまうようで。
そこへ辿り着くのが怖くて、でも欲しくて。
知らないうちに、必死で奴の背中に爪を立てていた。
「いい――ですよ。
…思いっきり、イっちゃって下さい」
この期に及んでも冷静なゼロスの声。でも、いつもよりも熱を帯びて聞こえるのは、気のせい、なんだろうか。
「はあっ、あぅ、ふ、は――あっ」
苦しい。呼吸すら、思うようにいかない。
「く、あ…あああっ!」
その時。
全身が軋むほど、一際強くねじ込まれた。
――ああ。
世界が。
反転する――
あたしは、強烈な絶頂を迎えると同時に。
すうっと、無意識の暗闇に沈んでいった。
「…ん…」
――明るいな。もう、朝かあ。
しばし、仰向けのまま、何も考えず天井を見つめる。
…と、ふと。
唐突に、昨夜の出来事がまざまざと脳裏に甦った。
「っあ、あたし――!」
慌てて辺りを見回しても、奴の姿はない。
…着せてくれたのか。服も乱れなく身に付けている。
全身に残った気怠さと、処女を失ったその部分のかるい痺れのみが、あれは現実だったのだと――
…静かに、主張していた。
ふと。
サイドテーブルに置かれた、一枚の紙切れが目に入る。
『おやすみなさい』と。
そこにはただそれだけが書かれていた。
走り書きの癖に、あたしのそれよりも流麗な文字。
くしゃりと、あたしはその紙を握り潰す。
自らの中の、淡い、微かな感情をも握り潰すように。
あれは、夢。たった一度きりの。
だから、敵に回った時は容赦しない。――きっと、あいつも。
そう。あたしとあいつは、それでいいんだ。
手にした紙屑をごみ籠へ放る。
――ナイス、イン。
「さあ。朝ご飯、朝ご飯、と」
今朝は少し寝坊した。食堂ではもう、ガウリィたちが待ってるだろう。
――今日もまた。いつもの一日が始まる。
-了-