「……あちゃー」  
あたしは小さく舌打ちした。ショート・ソードの手入れをしようと思い、研磨用の布を取り出し、ボロボロで使い物にならなかったことを思い出した。  
うーん。さっき買うの忘れてたわ。  
かといって、愛剣をこのままにしておくわけにもいかない。時間が経てば汚れは更に落ちにくくなってしまう。  
しゃーないか、今日はガウリイのを借りよ。  
あたしは部屋を出て、隣のガウリイの部屋のドアをノックする。  
……。  
あれ? 居ない?  
ドアの向こうには気配はない。留守のようである。  
諦めて自分の部屋に戻り……ふと、窓の外を見ると、大通りを足早に抜けていく、見慣れた金色の長い髪。  
ガウリイだった。  
   
別にあたしの許可なく出歩くなとは言わないが、出掛けるなら一言くらい声を掛けてくれてもよさそうなものだが……。  
一瞬、跡をつけてやろうかとも思ったが、すでに彼の姿は通りの向こうに消えていた。  
結局、研磨用の布は宿屋のものを分けて貰い、剣の手入れを済ませ、ついでに魔法アイテムの整理も行い、気付くと窓の外はすでに宵闇が迫っていた。  
いつの間に帰って来たのか、ガウリイがのんびりとした口調で、ドアの向こうから夕食に誘いに来たのはそんなころだった。  
   
サイラーグを後にし、ゼフィーリア向かうあたし達の足は、遅々として進まなかった。原因は、大量発生した野良デーモンのせい。  
……まあ、その大元の原因にあたし達が関わっていたわけなんだけど……。  
流石に素通りするわけにはいかず、道々、村長やら町長やら領主の『野良デーモン討伐』の依頼を受け(同じ退治するなら、報酬付きの方が利口ってもんよ)、今日も今日とて、領主依頼の野良デーモン退治をし、依頼料を頂いたわけである。  
依頼料として貰ったのは大振りの魔力剣と金貨を少々。どうやら財政難で、現物支給で賄っているらしい。  
魔力剣とはいえ、ガウリイの持っている『斬妖剣』に比べれば玩具みたいなシロモノ。こんな大物を持ち歩くのは馬鹿らしいので、この街の魔法の道具屋でさっさと換金してしまおうと、立ち寄ったのが昼過ぎ。  
店番をしていたおかみさんと思わず意気投合し、珍しくガウリイは大人しく物珍しそうにアレコレ眺めているもんだから……ちょっぴし、交渉がてら世間話に花が咲き……売値が決まったのは、日の傾き始めた頃だった。  
ややウンザリした口調で、夕食時間まで休憩にしようと言い出したのはガウリイ。あたしもそれに同意し、荷物の片付けなんぞをしていたわけだが……。  
 
宿屋の一階にある食堂で、取り敢えずメニューを上から順番に制覇し、いくつか気に入ったものを追加して、そろそろ腹八分目になった頃、締めにデザートを注文する。  
取り留めのない会話といつもの食事。  
ガウリイの様子はいつもと変わらない。どこへ行ってきたのは気になるところだが、さてさて、どう切り出そうか……。  
「ところでさぁ、ガウリイ」  
「ん? なんだ? くれと言われてもやらんぞ。味見くらいならいいけど」  
「同じ物食べてて味見してもしょうがないでしょ。  
……それより」  
どこに行ってきたか問うより早く、ガウリイの視線はあたしの頭上、正確に言うなら、食堂の入り口へ向けられ、つられてあたしもそちらを見る。  
ガウリイの視線の先、そこには歳の頃なら30後半くらいか、黒髪にヒゲの傭兵姿の大男がドアから入って来たところだった。そして、真っ直ぐあたし達……というか、ガウリイの方へ歩み寄って来た。あたしにはこの男に見覚えはないが……。  
「よぉ、ガウリイじゃないか。久っしぶりだなぁ」  
熊のような男は、懐かしそうに目を細めながら声を掛けるが、案の定、というかお約束通り、ガウリイは首を傾げ、さらに腕を組み、ひとしきり唸ってから、  
「……誰だっけ?」  
……こちらの予想を裏切らない男である。  
一方、忘れられた当の熊男は憤慨するでもなく、むしろ腹を抱えて笑い出した。どうやら随分と陽気な性格のようだ。  
「いやーお前、相変わらずだなー」  
言いながらガウリイの背中をばしばし無遠慮に叩く。  
忘れられてはいるがガウリイの知り合いらしい。でなければふつー怒るぞ。  
「で、ガウリイ、全く期待しないで一応念のため僅かな可能性に賭けて聞くけど、この人のこと誰か覚えてないのね?」  
「……お前さん、なにもそこまで念入りに言わんでも……」  
「でもどーせ覚えてないんでしょ」  
「聞くまでもないってやつだな」  
「さわやかにもっともらしいこと言うなあぁぁぁっ」  
……ったく、この脳みそクラゲは。  
そんなあたし達のやり取りに、熊男はちょっと目を見張り、  
「お前、天然っぷりは相変わらずみたいだが……随分変わったみたいだな?」  
と、呟き、あたしの方をちらりと見てから、ガウリイに問い掛ける。  
「原因はコレか?」  
……コレって……おっさん……。  
ん? 待てよ? 天然はとにかくとして『変わった』ってぇのは、何?  
思わずガウリイに視線を向ける。彼は何食わぬ顔で最後の鳥さんのから揚げを口に入れるが、その眉間が僅かに嫌そうに寄せられたのを、あたしは見逃さなかった。  
 
そんな様子を知ってか知らずか、熊男は少し笑みに懐かしさを乗せ、  
「あの時はお前、腕は一流だがどこか危ない、っか、この世のモン全てにケンカ売ってる、って感じで、見てられねぇと思ってたんだが、吹っ切れたみたいだな」  
この男は、よく似た誰かと勘違いしているのではないだろうか。おおよそガウリイを表現するには不似合いな台詞に、あたしは思わず眉をひそめる。  
当のガウリイといえば……  
あ。めずらし。すっげえ嫌な表情してる。  
あたしが熊男に疑問を投げ掛けるより早く、熊男は憮然としているガウリイの肩に手を置き、  
「ま、そんな顔するなよ。それよりどうだ、久しぶりに会ったんだ。一杯付き合わねぇか?」  
そしてあたしの方を向き、  
「そんな訳で借りていっていいか?」  
なぜか許可を求める。  
あたしが何か言うより早く、ガウリイが剣を手にし席を立った。  
「リナ。ちょっと行ってくるけど、いいか?」  
「……まあ、別に止める理由もないし。行って来たら?」  
「悪いな。一人にして。  
オレがいないからって無茶はするなよ」  
「はいはい。しませんしません」  
言ってあたしは手をひらひら動かす。ガウリイはやれやれ、といった顔で、すでに外へ向かっている熊男の跡を追い、通り過ぎ様にあたしの頭をぽんぽんっと叩き、ドアの向こうへと消えていった。  
デザートが来たのは、そんな直後だった。もちろん、勿体ないので、全部あたしが美味しくいただくことにする。  
   
……。  
最も闇の深い、夜の静寂。薄く差し込む月光。  
あたしが作り出した、光量を抑えた『明り』は、随分と弱々しい光りとなっている。  
ガウリイは、まだ戻っていない。  
   
……まあ、別に『起きて待っていろ』と言われたわけではないので、寝てしまっても問題はないのだが……なぜか眠気も起きず、ぼんやりと時間を過ごしていた。  
思い返してみれば、今日は随分とおかしな日だった。  
夕方のガウリイの行動。謎の熊男(名前聞いてないし)の言動と、彼の反応。  
話の流れから推察するに、どうやらあたしと出会う前の知り合いらしい。  
あたしはあまりガウリイの過去を知らない。シルフィールと出会ったサイラーグの事件も、結局「うーん。忘れた。」の一言。出身がエルメキアだ、という話は聞いたけど……それも詳しく話したがらない。  
本当に覚えていないのか、それとも話したくないのか。  
……はふぅぅ……。  
考えてもしょーがない。夜更かしは美容の大敵! である。  
もう寝てしまおうかとベッドに潜り込もうとした時、あたしの耳は、廊下を静かに進む足音を捕えた。  
聞き慣れた、ガウリイの足音。  
帰って来たようだ。  
彼の足音は隣の部屋に入り、ややあって、また部屋を出て……その足は、あたしの部屋の前で止まった。  
 
小さくドアをノックする音。あたしがドアの前に立つと同時に、気配を察してか、  
「おーい。リナ。起きてるか?」  
ガウリイののほほんとした声を確認して、ゆっくりドアを開けると同時に、アルコールの匂いがあたしの鼻をくすぐる。珍しくと随分飲んできたようである。  
「ちょっといいか?」  
あたしは無言で頷くと、彼は少し笑みを浮かべ歩を進める。  
ドアを閉めて振り返ると、彼はあたしがさっきまでそうしていたように、ベッドに腰掛け、あたしに向かって手招きをしている。  
何なんだ?  
あたしはそれに素直に従い、彼の目の前に立つ。  
「リナ。ちょっと手、出して」  
「手?」  
あたしの前に左手を出す彼。訝しみながらも、その手に自分の右手を乗せた。  
そしてあたしの手に彼の右手が乗せられ……何かを手渡された。  
悪戯っぽい、彼の柔らかい眼差し。  
あたしは手渡された『もの』を見た。銀で造られた、『宝石の護符』だった。  
   
光源が弱々しい『明り』と、窓から差し込む月光のみのため、細かい模様は見えないが、施された紋様とはめ込まれた宝石の配置から……おそらく、魔よけの類であるそれは、ショルダー・ガードの留め金に着けるものだ。  
希代の品、とは言い難いが、細かく造り込まれており、中々の品である。  
……まあ、いくら魔よけとはいっても、野良デーモンが避けてくれるわけでもないけど……。  
「どしたの? コレ?」  
「さっき、貰ったんだ」  
「貰った?」  
彼は先程の出来事を語った。要約すると、あの熊男(未だ名前知らず)とは、ガウリイがあたしと出会うかなり前に、一緒に仕事を組んだことがあった(内容はやはり覚えていない。クラゲ)らしい。  
今回、あの熊男も領主の依頼を受け、野良デーモン討伐へ向かい、同じく現物報酬を受け取り、その中にコレがあったそうだ。最初は妻への土産に、と売らずに持っていたが、乳飲み子を抱える真っ最中にこれは適さないと思い、どうしようか考えていたところだった。  
……という訳で、飲み代をガウリイに任せ、過剰分はあたしへの『ガウリイ借り代』として貰ったんだ、と。  
……一応、筋は通っている。更に、ガウリイがわざわざこんな夜更けに渡しに来たのも、おそらくいきさつを忘れないうちに、といったところか。  
思わず黙り込んだあたしを、ガウリイは心配そうな顔で覗き込み、  
「どうした? 要らないものか?」  
「あ、いや、そーじゃないんだけど……」  
思い返せば、あたしがガウリイから……そのぅ……こういった装飾品の類を貰うのは初めてなわけで……。それが『飲み代』の代わりってぇのは……些かフクザツなもんである。  
まあ、いきさつはどうあれ、贈り物は悪い気はしない。  
あたしは改めてガウリイに視線を向け、  
「ううん、有り難く貰っとく。  
ありがとう。ガウリイ」  
ガウリイと視線が合う。その瞳には、今まであたしが見たことのない『色』が混じっていた。  
彼の左手が、ゆっくりあたしの右耳と髪に触れ通り過ぎ……。  
何?  
疑問が浮かぶより早く、その手はあたしの後頭部を捕え、強引に引き寄せられた。  
   
あたしの唇に、ガウリイの唇が押し当てられた、と理解するに、数瞬を要した。  
 
「何すっ……んんっ」  
抗議しようとしたあたしの言葉はあっさり封じられ、代わりに、開いた唇をこじ開けられ、深く唇付けられる。  
生暖かい塊と、アルコール。  
あたしは事態を理解できないで、ガウリイの胸を押し返そうとするが、彼の右手があたしの手を捕え……持ったままの『宝石の護符』を取られる。  
ことりっ、と硬いものがナイト・テーブルの上に置かれた音がした。  
……って、れーせーに状況分析してる場合じゃないぞっ、あたしっ!  
この男、酔ってる!  
この男絶対に酔ってる!  
あたしにまで、アルコールが浸透してくる錯覚に襲われ、身体が熱を帯びてくる。  
彼の右手はあたしの腰に廻され、より強く抱き留められ、更に唇は深く重ねられる。  
あたしの舌を絡めとろうとする熱い塊。  
   
鼓動が早鐘を打つ。  
逃げ場と空気を求めて、喘ぐような吐息を漏らすのは、本当にあたし?  
   
一度、あたしの下唇に甘く噛み付き、ゆっくり離れるガウリイの唇。  
極至近距離で見る……深いアイス・ブルーの瞳。  
「……あ……」  
言葉を紡ごうにも、頭の芯まで麻痺してしまったようで、声も出ない。  
ガウリイはあたしの頭をゆっくり引き寄せ、耳に唇付け……  
「……リナ」  
熱い吐息混じりに囁かれた名前。甘く噛まれる耳朶。  
瞬間、あたしの背中を、ぞわり、と走り抜ける『何か』。  
   
官能。  
その言葉に思い当たって、あたしは思わず喉の奥で小さく悲鳴を上げ、瞬間、足元からすうっと力が抜けた。  
ガウリイの両腕が、『あたし』すべてを抱きとめる。  
……そして。  
ゆっくり身体をベッドの上に押し倒された。  
   
あたしはなぜ動けないんだろう?  
なぜガウリイがここにいるんだろう?  
ガウリイはあたしの上に覆いかぶさり、その瞳は真っ直ぐあたしの瞳を捕らえる。彼の肩口から流れ落ちる長い金髪は、あたしの胸元へ届く。  
彼の右手がゆっくりあたしの髪を梳き、額にかかる前髪をかきあげた。  
そして、眉間に唇を落とす。  
「……ぁっ」  
そこは。  
あたしが呪文を唱える時、いつも精神の集中点としている場所。いつもはバンダナに縫い込まれた宝石の感触。  
鈍い痛みを感じ、なぜか、なぜかは分からないけれど……涙が込み上げて来た。  
眉間、瞼、目尻、鼻筋、ガウリイの唇が優しく押し当てられる。  
そして、唇にも優しく押し当てられ、角度を変えて今度は深く。  
あたしは抗わなかった。  
 
静まり返る部屋に響く、どちらが漏らしたものか分からない吐息。絡めた舌が鳴らす、甘やかな水音。  
ガウリイの手が、パジャマのボタンに掛かり、ひとつずつ外す。外気に触れ、肌が粟立つ。  
ガウリイの舌はあたしの唇から離れ、あごから喉元へ滑り落ちる。  
思わずため息が漏れた。  
鎖骨から胸元へかけて、無数のキスの雨が降る。吸われた肌の刺激と、彼の髪が触れてくすぐったくて、  
「……あぁっ……ん」  
漏らした声が、自分の声とは到底思えないほど甘く、それが無性に恥ずかしくて、思わず自分の手の甲で唇を覆った。  
「ぅんんっ」  
ピリッ、と全身に電気が走った……気がした。  
ガウリイの指が、あたしの胸、その一番……敏感な場所に触れたからだ。  
   
「ぁああぁっ!」  
あたしの口を突いて出た悲鳴にも似た叫びは、快感……ではなく、恐怖のそれに近かった。  
あたしは、ここに至ってようやく……本当にようやく、事態を理解してしまった。そう。今、自分が置かれている状況を。  
   
大きな手にすっぽりと収まってしまう胸。唇は更に胸の膨らみに鈍い痛みを落とす。  
今更ながら。  
本当に今更ながら、戻れないものなのか。  
今、あたしは『ガウリイ』を受け入ることは出来ない。それはどうしても出来ない。  
   
それはガウリイだって分かっているはずなのに!  
   
舌は更にゆっくりと下へ降りていく。  
背中に走ったのは、完全なる嫌悪。  
ひゅっ、とあたしの喉から悲鳴に似た音が漏れる。  
   
もう、これ以上は!  
   
ガウリイの唇が、ちょうどあたしの心臓の真上に当てられ、  
「…………」  
その唇が何かを紡いだ。  
え? 今、何て言った?  
聞き返したくても、声は出ず、ガウリイの唇はそのまま、あたしの鼓動の真上に吸い付く。  
「……っ!」  
堪え切れず、あたしはきつく目を閉じ、息を飲む。  
胸に顔を埋めたまま、……ガウリイは……動かない。   
……。   
   
…………。  
   
肌で感じる、規則正しい呼吸。  
   
………………をい。  
あたしはゆっくり目を開け顔を起こし、『確認』する。  
人の胸の谷間(ないけどっ!)を枕に、すぴすぴと寝息を立てるガウリイ。   
「いろんな意味で寝るなッ馬鹿クラゲぇぇぇぇぇぇッ!」  
真夜中の宿屋だということを一切忘れ、思いっきり叫んでしまった。  
 
あたしは電光石火の勢いで、彼の身体の下から抜け出し、ベッドから飛び降りる。  
ガウリイは、あたしの声にも動きにも起きず、幸せそうな寝息を立てている。  
   
胸元を掻き合わせ、震える指で慌ててボタンに手をかけ……手の甲に落ちた雫に、自分が泣いていることに気付いた。  
   
今、ここにあるのは激しい怒り。焦燥。  
それと同じくらいの……哀しみ。  
後から後から、涙が零れ落ちる。  
悔しかった。  
   
あたしは自分の荷物をかき集めて抱え込み、部屋を飛び出す。  
隣のガウリイの部屋に飛び込み、自分の荷物を放り投げ、ガウリイの荷物を同じくかき集め、抱え込む。  
……さっきまで、あたしを包んでいた、ガウリイの匂いがする……。  
また、涙が込み上げた。  
   
『元』あたしの部屋に戻ると、あたしが作った『明り』は既に消え、窓から薄く月光が差し込む。  
ガウリイの荷物を(八つ当たりを込めて)放り投げ、ふと、ベッドに視線を向ける。  
いつの間にか、毛布を抱えるように包まって、深い寝息を立てているガウリイ。  
むかっ。  
むかむかっ!  
夜中にいきなし来たかと思えば珍しいことした揚げ句にあぁーんな事しておきながらいきなし寝やがって幸せそうな寝息を立ててこの脳みそ増えるワカメがッ!  
スリッパ片手に振り上げ……虚しくなって、その手を下げた。  
……この男は……酔っていただけなのか。  
視界の端で、何かが鈍く光った。  
さっき手渡された、『宝石の護符』。  
手に取ると、しっとりと冷たいそれは、確かにここにあるものだ。  
   
あたしは全身で大きくため息をついた。  
確かに『振り回して』いるのはあたしの方。ガウリイはいつもそれに巻き込まれながら、それでも、その背中は決して裏切らない。  
戦闘中は、ガウリイが何を考えているか、あたしがどう動こうか、お互い言葉にしなくたって全て通じる。  
でも、今のガウリイが何を思っていたのか、あたしには、分からない。  
それが、悔しい。  
   
改めてガウリイの寝顔を見る。  
野宿をしていても、あたしが見張りをしている間は、木に背中を預け、目を閉じてはいるものの、決して熟睡はしない。  
熟睡している彼を見るのは、初めてかもしれない。  
……睫毛、長いなぁ……。  
顔に掛かる前髪を梳き上げ、まじまじと、その寝顔を見る。  
……もうちょっとよく見たくて、顔を寄せる。  
寝息から僅かに匂う、アルコール。  
   
あたしは、  
気付いたら、その唇にゆっくりと、自分の唇を重ねていた。  
 
あたし、今、何したッ!  
我に帰り、『元』あたしの部屋から、『元』ガウリイの部屋に飛び込み、掴んだままの『宝石の護符』を荷物の上に放り投げ、そのままベッドに潜り込んで、頭から毛布を被る。  
さっきの光景が脳裏を過ぎる。あの時に感じたのは、確かに恐怖心。でも、同時に……例え様のない……この悔しさは、一体何だろう?  
   
その答えに、あたし自身はすでに気付いている。  
そう。  
間違いなく、その先を求めていたのも、事実。  
ガウリイの唇が辿った軌跡が、まだ熱い余韻を残している。  
   
ねぇ、ガウリイ。  
『お前の実家、なんてのはどうだ?』って言われて、あたしがどう思ったか、あなた、わかる?  
あたしの未来、他の誰かに任せられないんでしょ?  
   
それとも、  
『じゃあお兄さんが家まで送ってってやろう』を実行して、約束を果たして終わりにするわけ?  
   
あたしは怖いのだ、結末を知るのが。  
お互いが、唯一無二の相棒だと。そう断言出来る自信はある。  
でも、それ以外の絆を求めることは……いけないのだろうか?  
   
あたしはガウリイの本音が知りたい。  
でももう、聞く勇気なんてない。  
パジャマの上から、自分の胸に触れ、思わず強く掴む。あたしの手ですら収まってしまうのに、ガウリイの大きな手では、それこそ隠れてしまった。  
自分でも『色気がある』とは思ってはいないけど……途中で寝てしまうほど、あたしはガウリイにとって『お子様』なのか……。  
手を出す気にもなれないのか。  
堪え切れず、あたしは俯せになり、枕を噛み締め、シーツに爪を立てる。  
鳴咽を必死で噛み殺し、涙はとめどなく溢れた。  
   
   
……。  
窓から差し込む朝日を感じ、あれからいつの間にか眠ってしまったんだと気付いた。  
到底眠れない、と思っていたが、それでも短時間ながら眠れたことに苦笑する。  
少し早い時間だが、あたしはベッドから降り、取り敢えず備え付けの鏡台に座り、洗面用の水差しで念入りに顔を洗う。もちろん、真っ赤になってしまった目の充血をとるため。  
……あー、コレ、朝食までに治まるかなー……。  
着替えようと荷物から普段着を取り出し、パジャマに手をかけ、ふと、鏡に映った自分の姿を見て、思わず悲鳴を飲み込んだ。  
鎖骨から胸元にかけて。  
ガウリイの紅い『痕跡』が、無数に散らばっている。その中でも、一際色濃く跡のが付いているのは、心臓の真上につけられた、それ。  
一気に昨日の……ガウリイを思いだし、全身の血が沸騰した気がした。  
……あたし、ガウリイの顔を見て、れーせーでいられるのか……?  
慌てて服を着ようとし、持ち上げて、その隙間から何かがコトリと音を立てて落ちた。  
昨日の『宝石の護符』。  
拾い上げて思わず息を飲んだ。  
   
昨日は暗くてよく分からなかったが、銀の細工は思っていた以上に精巧で……。  
「……どうして?」  
その真ん中にはめ込まれた宝石は、あたしの瞳と同じ色をしていた。  
 
朝食を取る為に一階の食堂に降り、見渡す。……ガウリイの姿はまだない。思わず安堵のため息が出る。  
イマイチ食欲もないが、旅をする身としては、お腹が空いて動けませんでしたっ、なんぞというわけにも行かないので、取り敢えず軽くモーニングセットAを三人前注文する。  
……しっかし……、思い出せば出すほど納得が行かない。普段着を着ると、しっかり紅い跡は隠れ、傍目には分からない。一瞬、そこまで考えて付けたんじゃないかとさえ思えてくる。  
それに、あの『宝石の護符』。偶然と言ってしまえばそれまでかもしれないが、やはり腑に落ちない。  
当人に聞くのが一番早いのだが……それもパスしたい。  
明らかに作り置きのタイミングで用意された朝食を、延々と突きながら食べ進める。  
アレコレといらんこと考えていると……階段を降りてくる、ガウリイの足音がした。  
   
「リナ。おはよー。  
今日はずいぶんと早起きなんだな」  
「あんたが遅いだけでしょ」  
あたしは全身の平常心を総動員してスープを飲む。  
「ところでお前さん、顔赤いけど、どうした?」  
「…………今飲んだスープが熱かっただけよ……」  
「ふぅん? 湯気も出てないのにか?」  
……ホントにいらないところだけはよく気付く……。  
「ま、とにかく、だ」  
あたしの向かいの席につき、彼はモーニングセットのBを五人前注文する。  
「昨日は悪かったな」  
ざすッッ!  
思わずサラダを突いていたフォークを皿に突き立ててしまう。  
ぎぎぃっ、とみょーな音を立てながら首を起こし、ガウリイを見る。  
「……な……何が?」  
かすれた声でようやくそう問うと、ガウリイはきょとんとした顔で、  
「いや、何って。昨日、お前さん一人残して呑みに行っちまって。悪かったな」  
……ヲイ……もしやこいつ……。  
「いやー。久しぶりに呑んだーって気がしたよ。  
しっかし、よくオレ、道に迷わす宿に戻ってこれたよなー。  
……って、リナっ、オイっ、フォークが皿貫通してるぞっ!」  
ああああああああああっ! 忘れてたーッ! コイツ、一定量越えるといつも以上にすぱあぁぁぁっと記憶が飛ぶんだったっ!  
全力で覚えてないのかあぁぁぁっ!  
「オイ、リナ。大丈夫かよ?」  
大丈夫じゃないやいっ!  
思わず頭を抱えてテーブルに突っ伏したあたしにガウリイはうろたえる。  
「どうしたんだよ、お前さん、なんか悪いモンでも拾い食いしたか?」  
「ぃやかまひいっ! だっ……、何でもないっ!」  
思わず『誰のせいだ』と言いそうになり、慌ててごまかす。ガウリイは、ふぅん? と呟いて、運ばれて来た朝食に手を付ける。  
「ま、お前さんが変なのは今に始まったことじゃないけどな」  
言いながら、玉子焼きを頬張るガウリイ。  
「ちょっとガウリイ、それどーいう意味……」  
……玉子焼き?  
「あーっ! ガウリイ、それ、あたしの玉子焼きじゃないのっ!」  
「いや、お前さんがいつまでも食べないから。いらないんじゃなかったのか?」  
「そんなわけないじゃないっ! それならこうよっ! ていっ!」  
「あーっ! お前、人のサラダにピーマン入れたなっ! オレ、ピーマン入ってない方わざわざ選んだんだぞっ!」  
「更にっ! カリカリベーコンさん誘拐攻撃っ!」  
「鬼かっ! お前っ!  
それならこっちはこうだっ!」  
「あぁっ! あたしの愛しのウィンナーさんを!  
おにょれガウリイっ! 表に出なさいっ!」  
「朝メシ食ってからなっ!」  
 
高くどこまでも澄んだ青空。  
行き交う人達の喧騒。  
変わらぬ日常。変わらぬ日々の営み。  
あたしの横を歩くガウリイ。  
何ひとつ、変わることはなく。  
 
あたしは結局、貰った『宝石の護符』をショルダー・ガードの留め具に着け、宿を後にした。  
一晩中悩んで考えたのが、ホントに馬鹿らしい。  
どんなに悩んでも、当のガウリイは覚えていない。  
なら、あたしも悩む必要もない。  
そう思った瞬間に、一気に力が抜けたような気がした。もちろん、自分自身をごまかすのは好きじゃない。でも、今のあたしはそんなことよりも……。  
「なぁ、リナ」  
隣を歩くガウリイに声を掛けられ、あたしは思考を止めた。  
「ん? 何?」  
「あ、いや。それ、着けてくれたんだな、って」  
「あぁ、これねー。まー、せっかく貰ったんだし、『呪符』も無くなって、寂しくなったなー、って思ってたとこだったから。  
ま、いくら魔よけでも、流石に魔族までは除けてくれないだろうけど」  
「……それ、魔よけなのか?」  
「なのか、って、あなた何も聞かずに貰ってきたわけ?」  
あたしは思わずため息をつく。やはりクラゲはクラゲか。  
……。  
ちょっとマテ。今何か違和感が……。  
あたしが疑問を口にするより早く、  
「よぉ。お二人さん。もう出発かい?」  
横手から声を掛けて来たのは、昨日の熊男だった。  
   
昨日の傭兵の姿ではなく、普段着にエプロンという格好で熊男が出て来たのは、昨日魔剣を売りさばいたあの魔法の道具屋であった。  
「へ? なんで?」  
あたしの疑問には答えず、熊男の視線はあたしの首元に注がれ、一瞬、跡を見られたのかと思ってドキッとしたが、そうではなく、どうやら『宝石の護符』に視線をやった様子。  
「ふぅん。それを受け取ったってことは、上手くいった、ってことだろ?」  
「あっ! ちょっと待ったっ!」  
熊男の言葉に、今まで聞いたことのないくらいうろたえたガウリイの声。  
「もういいんじゃないか? 種明かししても。これで決まったんだろう?」  
意味の分からない言葉に、あたしは混乱する。  
「ここ、な。俺の店なんだよ」  
……いやまあ、店の名前のかかれたエプロンしてりゃ、言われなくても分かるが……。  
「昨日、店番してたのが俺の嫁なんだが、俺が留守の間、交渉の上手い娘とぼんやりした男の二人組が来て、散々値段を吊り上げた後、夕方になってから男の方だけがまた店に来た、って話を聞いたんだよ」  
熊男が一旦言葉を切り、ガウリイを顎で指した。  
「つまり、コイツが来たってわけだ。  
……まだ分からねぇ、って顔だな。  
単刀直入に言えば、その『宝石の護符』は、俺が酒代にやったものじゃなく、正真正銘、コイツがあんた贈るつもりで、選んだモンなんだよ」  
 
顔が赤くなったのが自分でも分かった。  
「ちょっとガウリイ、どういうことよ、これ!」  
あたしはガウリイに詰め寄ると、彼は困ったときによくする癖、頬の辺りを人差し指で掻きながら、  
「いや、お前さん、そこに着けてた飾り、ええと、なんだっけ、ゼロスからぶんどっ」  
「分取ったって言わない買い取ったって言え。」  
すかさず訂正を入れるあたし。  
「どっちも変わりないだろ、お前さん的には。  
まあ、それが壊れてからも、お前さん時々無意識に手ぇ当ててただろ? だから、何かあったほうがいいのかと思ったんだ」  
……あ……  
言われて、今も無意識に首元に触ろうとしていた手が止まった。  
「まあ、買ったはいいが、渡す口実が思い付かなかったって辺りが、コイツの馬鹿なところだよ」  
言って、熊男は笑う。  
「俺は店を出たコイツの後ろ姿を見かけて、宿に入っていく所を見たんだ。  
久しぶりだから、店閉めてから声をかけにいったら……まあ、面白そうなことになってる。  
酒を呑みながら話を聞いて……ちょっとアドバイスしたって訳だ」  
……思わずうつむき、両の手で『宝石の護符』に触る。  
「……ちなみに……なんて、アドバイスを?」  
あたしが小さい声で問うと、  
「簡単な話だ。  
まず、夜中まで寝ずにお前を待っていてくれて、更に部屋に入れてくれたら、まあ『間違い』はない。  
で、『酒代に貰った』って渡してみろ、ってな。それで喜んで受け取ったってなら『まだ』、少しでも困った顔したなら、よし。  
あれだけの交渉手腕だ、少しでも嫌そうな顔したら、それは理由が気に入らないってことだろうからな」  
陽気に笑う熊男。  
両の手の平を合わせ、口元に当てるあたし。  
「いや、正直、焦ったぜ、オレ。てっきり喜んで売りさばく!とか言うかと思ったし。  
しかも、お前さん、妙に『素直』で、でも流石にアレ以上はお前さんがマズイだろうし」  
「……つまり……、アドバイス以外はアンタのシナリオだったわけね?」  
「まあ、最後のお前さんの『行動』以外はな。  
流石に死ヌかと思ったぞ? あれは。  
……まあ、続きはまた後日って……ちょっ……リナっ! 待てっ! 落ち着けっ! それはマズイぞっ! オレが悪かったっ!」  
ゆっくり手の平を広げるあたし。  
「ぃやかましいっ!   
二人まとめて地獄へご招待っ! 『火炎球』っっっ!」  
『どひいぃぃぃぃぃっ!』  
あたしの放った『火炎球』は、見事に二人を直撃した。  
   
……ま、今のあたしの魔力の回復具合なら、『火炎球』でも、せいぜい火傷程度でしょ。  
むしろ、この程度で済んだことに感謝しなさいよ。  
   
   
何も変わらない、日常。  
でも、ほんの少しだけ、あたしの中の何か、は変化を遂げた。  
   
…………まあ、その『後日』とやらの話は………勝手にそーぞーしてちょうだい。  
いやあんまりリアルに想像されても困るけど。  
   
   
おしまい。  
 

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