咽喉が痛い。
もはや限界を隠すことも出来ず、大袈裟に胸郭を上下しながらなんとか
酸素を取り込もうとしていた。
視界の利かない夜の森の中をあたしとゼルガディスは走りぬけている。
泥水にまみれた身体が重い。
尽きることのない低位魔族の攻撃は続いている。
それでも普段であれば手間取ることのない相手だった。しかし昔あった
レッサーデーモンの異常繁殖を思わせる尋常ではない数が相手であり、
しかも諸事情で現在あたしは小さな灯りを作るぐらいの魔法しか使えない。
完璧にパーティーのお荷物になり果てていた。
ガウリイやアメリアともはぐれてしまった。今回の突然の襲撃の理由は
いつものようにおそらくあたしにあるのだろうが、それでも訳の分からない
ことに巻き込まれて、右往左往しか出来ない今の現状に焦りは募る。
ザッ。
急にゼルが立ち止まったので、あたしもそれに従う。
しばらく攻撃が途絶えている。魔族とはいえ低位のため、精神世界から
の攻撃がないことは少しだけ安心材料だ。
「少し休もう」
あたしの二の腕に出来た傷を見ながら言うゼルに、こっくり頷いた。
彼の方はさすがに合成獣というか、皮肉にも彼自身が厭うているその
能力のため、息ひとつ乱していない。
だいたい彼ひとりでは、この状況も十分切り抜けられるのだ。足手まとい
となっている状況は悔しかったが、ここで意地を張っても仕方がない。
ふたりして岩陰に座ると、ゼルはそっけなく顎をしゃくった。
「見せてみろ」
「ん」
敵から放たれた光線によって出来た二の腕の傷は、掠っただけだという
のに、大袈裟な程の血を滲ませている。
袖を捲ろうとして、あたしは貧血にくらりとよろめいた。
ゼルガディスは眉を顰めると手を伸ばし、あたしの腰をぐっと引き寄せた。
「捕まってろ」
「ちょっ」
咄嗟に抵抗しかけたあたしを、しかし彼はあっさりと絡め取ると、
膝に横座りするように抱きとめると、呪文を唱え始めた。
あたしは赤くなったものの観念しておとなしくする。
「回復」
右の二の腕にごつごつとした材質の手をあてられ、暖かい光があてらえる。
あたしは歯を食いしばって、肉が再生していくのを耐えようとした。
「くぅっ」
一度もらしてしまった悲鳴は、こらえるのに酷く苦労する。普段なら
同程度の傷でも顔色を変えずに治療を受けることも出来たが、体力を失って
いる今は厳しい。
あたしは怪我をしていない左手でゼルにしがみつき、なんとか耐えた。
治療が終わるころには、あたしは汗びっしょりになっていた。
重い身体に鞭打って、立ち上がろうとしたが、腰を捕らえられたままで
ゼルの膝の上から動くことが出来ない。
「ゼル……?」
顔をあげて彼の様子を伺う。
いつの間に雲が晴れたのか、月の光があたり一面をあまねく照らしていて、
逆光でゼルの表情が良く見えない。ただ銀色の髪がきらきらと非現実的に
美しく光っている。
魅いられたように固まったあたしに、彼が微笑んだのが気配で分かった。
「もうちょっと休んでろ」
穏やかな低い声。
あっと思う間もなく、硬い唇に唇をふさがれていた。
清らかな月の光の下、あたしたちは獣のように生への渇望に衝き動かされた、
土と血と肉が焦げる嫌な匂いに包まれたキスだった。
はなはだ原始的な欲望は野蛮で、そのかわりに嘘だけはなかった。
唇が離れた後、糸を引く唾液からとっさに目を逸らしたあたしに、ゼルは
耳元で、生きて帰ってお前を抱くぞ、と囁いた。
あたしは少し迷ってから、頷いた。
終わり。