どこまでも闇夜が広がっていた。  
見失わないように懸命に、前方を飛ぶ白い影を追っていた。  
かなり高速のレイウイングは、眼に強い風が突き刺さっては集中力を削がれ、ともすると地上へ落下しそうな危険を伴っていた。  
全人類の中でもかなり高等な魔道士であるリナ・インバースでさえ、隣を飛ぶ白巫女の姿がなければ追跡を諦めていたかもしれない。  
彼女の、アメリアの魔力ではもうとうに飛び続ける力が残っているとは思えないのに、小さな巫女はリナを追い抜かさんばかりに、必至に大きな瞳を見開いて、追いつけないゼルガディスの姿を捉え追い続けていた。  
やがてキメラである彼の集中力すら途切れ、タフォーラシアに辿り着けずやむなく森の中へと彼が降り立つまで。  
 
リナとアメリアは白いマントが黒い森へ消えたのを確認すると、やっと何かから解放されたかのように、降りたとも落ちたとも言えない格好で少し離れた森の中へとその身を預けた。  
 
お互い地面に膝をつき、或いは大の字に寝転がり、荒い息をしているしか暫くは出来なかった。  
恐らくゼルガディスも同じ状態だろう。それだけの距離をも飛び続けざるを得なかった、レゾの壷を追うゼルガディスの、哀しい運命の苦しさに較べれば軽いかもしれないが。  
先に動いたのはアメリアだった。  
まだ乱れる息をなんとか鎮めながら、何も言わずゼルガディスが降り立った方向へ歩を進めようとした。  
「待って。」  
息も絶え絶えにリナの喉が紡ぐ。  
「行ってどうするの。」  
「わかりません。」  
アメリアは振り返らない。  
リナは力弱くも歯噛みして、立ちあがりアメリアの手首を掴む。  
「行かせてください!」  
 
「同情ならやめなさい。」  
アメリアの黒髪が僅かに揺れる。  
あんな状態の、あんなに打ちのめされたゼルガディスに会って、自分なら何が出来るのだろう。  
そんな恐怖にも似た不安がリナを動かしていた。  
「そんなの・・・私の感情が同情かそうじゃないかなんて、私にしか決められないじゃないですか!私が同情じゃないと思えばそれは」  
「それで傷つけられるのはゼルだって言ってるのよ!!」  
アメリアは、リナの細い手が握る手首の痛みに驚いていた。  
「それでも、例え私の独り善がりでも・・・傍に行かずにはいられないんです。」  
振り向いたアメリアがあんまり真っ直ぐリナを見つめ返すので、思わず引き止めた手が緩んでしまった。  
「・・・勝手にしなさい。」  
吐き捨てるように言った小さな呟きが、アメリアの耳に届いたかはわからない。  
既にアメリアは暗い森の奥へと駆け出していたのだから。  
 
少女が青年を見つけるのは容易いことだった。  
捜していた白い影は月明かりに照らされながら、上空から見ていた着地地点と寸分違わぬ場所で、大木に寄り掛かって腰掛けていた。  
ぐったりと力が抜け俯いたその姿は、魔力を限界まで使い込んだレイウイングの所為か、それともそれ以外の要因からかはアメリアには判断しかねた。  
リナの制止を振り切って来たにも関わらず、あとほんの数歩で触れる距離のその横顔に、どうしてもそれ以上近付く勇気が湧かない。  
彼にはもう幾ばくの余力も残っていないはずなのに、まるで見えない結界魔法が少女の目の前に壁を突き立てているかの錯覚すら覚える。  
そんなまやかしを振り払おうと前へ伸ばした白い腕は、手首に巻いたいつものアミュレットがまるで鉛のように重くなって、静かに弧を描いただけで身体の横に戻ってしまった。  
 
どれくらいの時間だっただろう。  
恐らくはとてつもなく短い時間が、この二人の間を千年もの時のように重苦しく流れた。  
俯いた銀糸の間から低い声がしたのは突然だった。  
「失せろ。」  
アメリアは顔を、視線を、彼の横顔に釘付にするしか出来なかった。  
「今近寄ったら 何をするかわからん。」  
足元に視線を落としたアメリアの、眉を歪ませて、唇を噛んで、顔を赤くした表情を、ゼルガディスは見てはいない。  
こんなに切なく、振り絞るような怒声を聞くのは初めてだと少女は思った。  
そしてアメリアのミントグリーンのブーツが地面を蹴った。  
それでいい、リナの元へ帰れ。  
そう安堵したゼルガディスの心臓が次の瞬間飛び跳ねる。  
 
立ち去ると思った予想に反して、女は男に駆け寄り、その頭をかき抱いたのだ。  
白く細い女の指に、銀の針が幾重もの赤い傷をつくったことを嘆く者はここにはいなかった。  
一瞬の間も置かずに女が大きな舌打ちを聞いたかと思うと、その次に気付いたことは景色が180度引っくり返って自分の身体が地面に押しつけられ、キメラの男がその上で馬乗りになっているという事実だった。  
それから白い首にサイズ違いの鋼の首輪のように纏わりつく岩肌の掌の冷たさと、気道を圧迫されている息苦しさと、自分を見下ろす凍てつくような燃えたぎる眼差し。  
ゼルガディスさんて細いと思っていたけど、やっぱり私の指よりずっと太い、男の人の手をしているんだなあ。  
その固い指に少しでも力が入れば絞め殺されるという状況でアメリアは、そんなことを頭の片隅で思った。  
超合金娘と言えども力では合成獣に到底適わない。この状況から脱するために呪文の一つも唱えようものなら、詠唱を始めた瞬間自分の首と胴体が別の物になるかもしれない。否、今のこの男なら間違いなくそうする。  
 
そして警告を受けて尚近付いたのはアメリアの意志だった。  
どんな刃より鋭く冷徹なゼルガディスの視線を、それでもアメリアは自分でも不思議なくらい受けとめて見つめていた。  
瞬きひとつせずに。  
首に巻きついた岩の掌が、小さな顎が僅かに動くのを感じとった。  
桜色の唇から、掠れながらしかしはっきりと、思いもよらない言葉が発せられた。  
 
「殺してもいいです」  
 
暗く光っていたゼルガディスの瞳が、見開かれる。  
「それでゼルガディスさんが後悔しないのなら、殺してください。ゼルガディスさんになら、わたし何をされてもいいですから。」  
アメリアは笑っていた。  
高貴な王女らしい笑顔でもなく、神聖な巫女らしい笑顔でもなく、ただのアメリアという一人の少女の微笑みだった。  
 
もう、岩肌の指先には寸分の力も込められていなかった。  
ただ、彼女の柔らかな躯を潰さないように最低限の配慮をしながら、馬乗りになった身体をアメリアの上に落とした。  
力なく崩れ落ちたと言ったほうがいいかもしれない。  
月を背に近付きすぎて影になったゼルガディスの瞳から、あたたかな一雫が、鼻先同士が触れるほどの近さのアメリアの瞳に落ちて白い頬を伝った。  
少女の顎のラインに頼りなく縋る青年の掌に、少女がその小さな掌をそっと重ねたのを合図に、二人はどちらからともなく、そのままの体勢で抱き締め合った。  
少女は細い両腕を男の硬い背中に絡み付け、同情とも愛情とも母性とも本能ともつかないままに、力一杯自分の身体に縛り付けた。  
ふくよかな胸も細い腰も肩も太腿もどこもかしこもが、溶け合うほど青年と密着するように。  
 
やがてゼルガディスは、今度はろくに目を合わさないまま、ゆっくりとアメリアの唇を甘噛みする。  
それはまるで永きに渡って喉を潤すことを忘れていたものが、恐る恐る水面に口づけるかのごとく、怯えながら。  
冷たい無機質な唇が人肌から熱を移されるように、次第に熱を帯びるに連れてその動きは大きく、激しくなりアメリアを翻弄していく。  
先程まで首にかかっていた無骨な指がいつの間にか豊満な乳房を揉みしだいているとアメリアが気付いたのは、二人の舌と舌を透明な糸が繋いだ時だった。  
そして生来器用なゼルガディスによって腰のベルトが外され、服の下へ冷たい岩の指が伸びる。  
腰まで覆う巫女装束が今胸を露わにするほど捲り上げられ、レースの下着もぷつんとその戒めを解かれてしまった。  
直接に双丘に触れられると決して厭ではないのにびくんと身体が震え、肌が粟立つ。  
硬く自己主張を始めたその頂をゼルガディスのざらついた舌が舐め、または人より硬い唇を這わすと、アメリアの雪のような頬は朱に染まり、吐息が熱を帯びてくる。  
 
整わない呼吸を誤魔化す為に、アメリアは自身の指を弱く噛んでいる。  
その様子を盗み見ながら、ゼルガディスは構わず左手でするすると下穿きも下ろしてしまう。  
ねっとりと、その締まった太腿や膝に指を這わせながら、ブーツともども片脚だけ脱がせて、残りはそのまま。  
片方だけ外気に晒された足の甲と指の一本一本に舐めるようなキスをして、そのまま唇を脚の付け根まで移動させていく。  
アメリアは今にもぽんっと音をたてて爆発しそうなくらいの恥ずかしさに襲われながら、しかし潤んだ瞳でしっかりとゼルガディスの行為を見つめていた。  
呼吸は乱れて、胸が生き物のように上下を繰り返している。  
胸とお揃いのレースの下着は、ほんのりピンクになった肌の上で限りなく純白を貫いているものの、ゼルガディスの手によって少々乱暴に開かれた両足の付け根だけは、アメリアの髪の色と同じ茂みの色が透けて見えていた。  
濡れている。  
「・・・アメリア」  
ゼルガディスも息が上がっているのだということを、呼ばれた名前で初めてアメリアは知った。  
 
かち合った視線で、この青年の迷いをアメリアは瞬時に感じ取った。  
こんな状況で我に返ってしまう彼の真面目さは、ある種不幸かもしれない。  
ここまでしておいて彼は、お互いの間に何の約束も、然るべき関係も、名前のある間柄も、そして女の了承も得ていないことに戸惑ってしまうのだ。  
そんなゼルガディスだから、アメリアは殺されることすら厭わないというのに。  
この感情が、愛情以外の何と言えるのだろうか。  
アメリアは起き上がり、言葉の変わりにもう一度キスをし、ゼルガディスを抱き締めた。  
そして不器用ながらもゼルガディスのマントを外し、上衣を捲り上げて、彼の肌に貼りつく岩粒の一つ一つにキスをしていった。  
確信を得たゼルガディスの指先が、レースの下着に押し入って茂みを掻き乱すまでの間は。  
「はぁんっ!」  
アメリアのなかに一本の指を挿れてみた。  
だいぶキツいが潤いは充分だ。  
ゼルガディスはアメリアに脱がしかけられた上衣を脱ぎ捨てると自分の広げたマントの上にアメリアをそっと横たえる。  
 
そして下着も片脚を抜き取ると、滴るアメリアの雫が月光に光ってマントに落ちた。  
蜜口より少し上の蕾を探り当てると、親指の腹で弄びながら、蜜口は指を二本に増やしてみる。  
「・・ん、やぁっ!!」  
口にあて声を抑えていたアメリアの手を空いた片手で抑えつけると、胸の頂を口に含みながらゼルガディスが言う。  
「もっと、もっとだ。声を出せ。」  
「ゃ、でも・・っ!」  
初めて触られる刺激と、胸の上で紡がれる吐息の振動に、アメリアは涙さえ浮かべている。  
「殺されてもいいんだろ、それよりはずっと楽な要求だ。」  
「ふ、ひゃあぁんっっ!!!」  
指を三本に増やされたその時、アメリアは絶頂を迎えた。  
初めての、目の前が真っ白になるような体験にアメリアは訳がわからなかった。  
肩で胸で息をするアメリアの、力なく開かれた唇に自分の唇を押し付けてから、  
「いくぞ」  
とだけ言って、ゼルガディスがアメリアのなかに挿入った。  
 
アメリアの叫びと喘ぎの混ざった嬌声を聞きながら、ゼルガディスは二人の繋がっている箇所を見た。  
少しずつ動くたび、愛液に混ざり少しずつ鮮血が流れてくる。  
しかし自身を止める事など出来ず、アメリアの苦しそうに汗する表情すら極上の媚薬であるかのように、段々とストロークを大きく、激しく動いていく。  
アメリアの甲高い、絶え間ない甘い声を、心地良いBGMのようだと、ゼルガディスはアメリアを上から見つめ責めたてながら、頭の片隅で思った。  
そんな不釣合いな冷静さが、アメリアの表情から段々と苦痛が消え、恥じらいながらも自分に感じてきている少女の変化を感じ取っていた。  
そしてアメリアが最後に見たのは、笑っているとも泣いているともつかない、愛しくならずにいられなくなるような切なく儚げなゼルガディスの瞳だった。  
その時二人は同時に昇りつめた。  
 
 
 
朝陽の眩しさにアメリアが目を覚ますと、自分の居ずまいは正され、あれだけかいたはずの汗のにおいもない。  
そしてゼルガディスの姿もなく、森の中に一人でいた。  
一瞬総てが夢だったのだろうかと疑ってみて、起きあがろうとすると下腹部に痛みを覚えた。  
それから指先に広がる何本かの細い傷を見て、やはり何もかも夢ではなかったのだと実感する。  
ならば、ゼルガディスは既にタフォーラシアへと出発してしまったのではないか。  
アメリアを置いて。  
「・・・ゼルガディスさんになら、何をされたっていいんだから・・・置いて行かれたって、いいはずじゃない・・・。」  
誰にともなく呟いた。  
よしっ、と気合を入れなおして、自分もレイウイングで追いつこうとしたその時。  
「大丈夫か?」  
不意打ちの愛しい声に、泣きそうになったのはバレないように、振り返るとそこには。  
「ゼルガディスさん!?」  
「向こうに泉があったから、とりあえずお前の身体は拭いといたぞ。」  
そう言いながら銀の髪を拭いている姿を見ると、どうやら自分は行水をしてきた所のようだ。  
「お前、身体なんともないか?」  
意外と純情で照れ屋のはずの彼が、こんな朝に真っ直ぐ自分を見つめてくれている。  
アメリアはこれこそ夢なんじゃないかと半分信じられなかった。  
「だ、大丈夫です。」  
こんな時、それ以外にどんな言葉を言えばいいのか、アメリアは知らない。  
「・・・俺はタフォーラシアに行く。」  
「あ、私も」  
「お前は着いてくるな。」  
「!?」  
アメリアの夢心地は今度こそ醒まされた。  
「なんでですか!?私だってゼルガディスさんの傍で、ゼルガディスさんのお役に立ちたいのに・・」  
「殺されてもいいから、か?」  
「・・そうです!」  
ゼルガディスはアメリアから顔を背けた。  
「お前はセイルーンの姫巫女だろ。王族だ。本当なら昨夜のことだって俺を極刑に出来るし、こんな男に簡単に殺されなんかしていい命じゃない!!」  
 
ゼルガディスの肩が俄かに震えたのを、アメリアは気付いただろうか。  
「これからタフォーラシアに行って、お前を護りながら闘う余裕なんか、俺には無い。」  
「そんなこと頼んでませんっ!!」  
今度の声は、さっきまでの頼りないアメリアではなかった。  
自分からゼルガディスの正面に入りこんで、ゼルガディスの顔を自分に向かせながら、胸を張って発した声だった。  
「私は確かにセイルーンの王女です。責任もあります。でも、その前に一人の女の子です!ゼルガディスさんともリナさんともガウリイさんとも何も変わりません。  
ゼルガディスさんが私の護衛を引き受けてくださったときは嬉しかったですけど、それは護ってもらえるからじゃなくて、ゼルガディスさんと一緒に居られるからです。  
私はゼルガディスさんのこと、ずっと前から背中を預けられる戦友だって、勝手ですけど思ってました!  
そして、ただの一人の人間として・・・ゼルガディスさんの望みだったら、例え殺されたっていいから、私の人生懸けて叶えたいって思ったんです!!  
世界のどこでどんな運命が待っていようと、ゼルガディスさんの力になりたいんです!!!」  
演説を終えてはぁはぁ息をしているアメリアは自分より頭一つ小さいはずなのに、ゼルガディスは圧倒されていた。  
そして頭に手をあて数秒考えると、ため息まじりにこう言った。  
「・・・アメリア。」  
「はい?」  
「俺の望みだ。・・・死ぬなよ。」  
その時のゼルガディスの瞳のやさしさを、アメリアは生涯忘れないと思った。  
「はいっ!」  
 
そして、朝の森から二つの影がレイウイングで飛び立っていった。  
タフォーラシアを、レゾの壷を、運命の答えを目指して。  
 
 
 

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