ゼロスがにこやかに、いつものように笑う。
「人間が言うところの、女を食う、てのを僕もやってみようかと思いましてね。
いえね、ただの好奇心なんですけど。はっはっは」
「それがなんであたしなのよ……」
ぎりぎりと締まる手首の縄を緩めようともがくけれど、一向に緩まない。
昼食のあと、ひとりぶらぶら宿のまわりを散歩していると、いきなりゼロスがあたしの前に現れ、訳が
判らない内にどこだかにさらわれてしまっていた。
……気をつけよう、昼の散歩と獣神官。字余り。
などと心の内で冗談を言ってみたところで、なんの解決にもならなかった。当たり前だが。
「だってリナさん、あなたの身体には一度、あの方が降臨されたじゃないですか。
それ以来なんだか僕はあなたのことがとても……気になるんです」
「ああ、あの金色の……」
あたしの言葉は途中でとめられてしまった。
いきなり目の前に出現した黒い霧の先端が、鼻先に突きつけられたからだ。
「だめですよ、リナさん。
前にも言ったでしょう、その二つ名をみだりに口にはしないでください、と」
畏れ──魔族にもそういった感情があることは知っていたが、言いなりが悔しくて嫌がらせのつもりで
名を出してみたら、これが予想以上の効果だったようである。
もう一度その名を呼んだら……確実に殺される。
まだ死ぬわけにはいかない、あたしにはまだまだやりたいことも行きたいところも山ほどあるのだ。
故郷に帰って土産話を家族にきかせたいし、旅で手に入れた相棒も……ってあいつはいったいどこ
ほっつき歩いてんのよ!
可憐な乙女のピンチだっていうのに……
あたしの心中を読んだのか、仕返しのつもりなのか、ゼロスがその旅の連れの名を出してきた。
「ガウリイさんをこの場にお呼びして、あなたが犯されるところを見せつけて、お二人の負の感情を味わう
のも考えたんですけどねぇ……あなたたち二人は、一緒にいるとどうもとんでもない力を発揮するみたい
ですから、今回は我慢することにしました」
ここでゼロスはいったん言葉を区切ると、にこやかな笑みを浮かべたまま、目だけを光らせた。
「ですので、あなただけをじっくり味わうことにします」
すけべーな意味にも取れるが、ゼロスがこう言うからには、おそらく違う。
あたしの中から、憎悪・恐怖・絶望、あらゆる負の感情を引きずり出して、それを食うつもりなのだ。
むりやり性交渉のまねごとをして。
「おやおや、もう怯えているんですか?
僕が調べたところによると、こういうのって気持ちいいらしいじゃないですか……ねえ?」
すっとあたしの胸をつかんでくるゼロスの手が、驚くほど柔らかくて、びくっと反応してしまった。
あれ? もしかして痛めつける気はなくて、本当に女を抱いてみたいだけなのかしら……?
「反応が返ってくると嬉しいもんですねぇ。声も出してみてくださいよ……喘ぎ声ってやつ……」
服の上から胸の敏感な先をきゅっとつままれて、声が出そうになったが必死で噛み殺した。
声は出さなかったはずなのに、なぜかゼロスの笑みが深まる。
「ああ、いいですね、その表情……
頼みますから妙な動きはしないでくださいよ、あなたを殺したくはありませんから」
油断なくゼロスの本体の一部があたしを狙っている状況では、言われなくとも成す術がなかった。
殺されるくらいなら、貞操のひとつやふたつ、くれてやるわよ。
心の中でそう強がってみたものの、あたしの脳裏にはガウリイの笑顔がちらついて消えなかった。
だけど現時点であたしとガウリイは旅の連れ、仲間以外の何モンでもない。
とたんに強い悲しみが襲ってくる。
涙がこぼれ落ちるのと、ゼロスに唇をふさがれるのとは、同時だった。
その唇もすぐに離れてしまう。
予想外の展開に、あたしは何故悲しくなったのかすら分からなくなってしまった。
「美味……なんですけどねぇ。
どうしてだか今は僕まで胸が痛みます」
切ないような目であたしを見つめるゼロス。
もしこれが自惚れでなければ、ゼロスは今、あたしを求める心と、魔族としての負の感情を求める本能が
せめぎあってでもいるのだろうか。
それにしてはさっきから痛いこともしてこないし、会話も噛み合わない。
ゼロス本人にも訳がわかっていないようで、自分の困惑した表情に気づいてもいないようだ。
あたしの涙をぬぐった指をしばし眺めて、何の感情も込めずに淡々とつぶやく。
「僕は……ただ単に、リナさんを抱いてみたいだけなのかもしれません……人間と同じように」
いきなり似合わぬことを口にするゼロスに、あたしは呆然としてしまう。
「どうしてそう思うのか……あなたが特別なのか、あの方の存在に近づきたいだけなのか……まったく
はっきりしないんですが。
……はっ! もしやこれって僕は、あなたを口説いていることになるんでしょうか?」
「あ、あたしに聞かないでよっ! 口説くんならこの縛った両手をなんとかしてからにしなさいよね!」
顔が熱くなってしまうのを誤魔化すように怒鳴ってみたが、ゼロスは「そうですか」と言いながら縛りを
あっけなく解いた。
「これで口説いていいんですね?」
にっこりと笑いかけてくるゼロスをどつき倒したいと願ったが、まだ黒い霧の先端があたしを狙っている。
ヒクヒクと自分の頬がひきつるのがわかった。
「今だけ……でいいんです。
僕の物にして連れ去っていきたいけれど、魔族と人間が末永く共に暮らせる世界じゃないですからねぇ。
シェーラさん達みたいに何かに成りすまして生きるのは僕の趣味じゃないですし。
それにリナさんのほうがたぶん先に、滅んでしまうでしょうから」
物言いは物騒極まりないが、なんというか、その……
「一度だけ、それであきらめます。
あなただけを想い続けるなんて純情さは持ち合わせていませんから」
そう言うゼロスの表情にはやはり何も浮かんではいなかった。
だけどあたしには何故かまっすぐに響いてきた。
全部本当、ウソはついていない、と。
つまり、あたしを抱きたいということも、冗談なんかじゃない、と。
……悪い気はしなかった。
こんなにも求められて、それが今だけのことだとしても、本気で真剣にあたしのことを求められて、
嫌な気分にはならなかった。
ガウリイだって他の誰だって、ここまであたしを真っ向から口説いたことがあったっけ?
いつまでもいつまでも保護者だって言い張ってるし……
「もしもお嫌でしたら、無理強いすることになりますけど?」
ゼロスが巧みに誘いをかけてくる。
心の隙間を狙うようにして、あたしに都合の良い言い訳を用意して、見え見えの罠を張る。
あたしが気づかない振りをしてその罠に飛び込んでしまえば、何の問題もないんじゃないかという気すら
する。
バカになってしまいたかった。
このまま目をつぶって、身を任せてしまいたかった。
好奇心と、身の保身と、「今だけ」という言葉があたしを惑わせていく。
ゼロスが黒い霧を全て消した。
「じゃあ、おかしな真似を少しでもしたら、すぐに殺しますからね、リナさん……」
言いながら優しい指をあたしのあごに触れさせて、顔をそっと近づけてくる。
行動と言葉が裏腹だ。
殺す気なんかないし、本当にあたしを抱きたいだけなのだ。
あたしは小さく痛む何かを心の底に沈めて隠した……今だけは。
「しょーがないわね。殺されるよりはマシってことにしといてあげるわよ」
「それでこそリナさんですよ」
軽口を叩きあいながらキスをするなんて、あたしたちらしい、と苦笑しながら不器用に目を閉じた。
ねっとりした愛撫に身体の熱をあげられて、頃合いでしょうか、とつぶやく声が聞こえたかと思うと、
ゼロスがあたしの上にのしかかってきた。
そのままやけどしそうな熱をともなってあたしの中に侵入してくる。
「くぅっ…………!」
「これは……すごい」
ゼロスが喜びの声をあげる。
魔族にも肉体的な快楽ってあるんだろうか……
「リナさん、あなた今、そうとう痛いんでしょう」
「?!」
な、なんつーデリカシーのない奴……
「苦痛と快楽が混ざり合って、なんともいえない美味ですよ……
僕は今までこんなにも美味しい味を知らなかったんですね」
料理の感想みたいに言わないでほしいもんである。
「どっちかというと、珍味といった感じですが……これはこれは」
魔族の褒め言葉って意味がわからん。
しかし、これに味をしめて世の女性を襲いだしでもしたら寝覚めが悪い。
「……言っとくけどね、痛がるのは処女だけだかんね」
「と言いますと?」
「経験のある人は痛がんないの。だから珍味なんてそうそう味わえないのよ」
ゼロスはがっくりくるかと思いきや、寂しげな笑みをみせて、
「リナさん以外の人間とこんな面倒くさいこと、やる気になんてなりませんよ。
それに、もう……これで終わりですからね」
一瞬だけ伏せた目を上げて、あたしを見据えるゼロス。
「一度だけ、今だけ、の約束ですから……」
「……律儀じゃない、魔族のくせに……」
「律儀さもないと神官なんて勤まりませんよ。まあたまにハグレ者もいますけどねぇ。
でももし、リナさんが……いえ、やめときましょう」
言葉の続きが、もしリナさんが望むのならば、ときたとして、確かに口には出せないだろう。
身体だけ繋がって、だけどそれだけでは満足できないと自ら白状していることになるのだから。
認められないんだろう、ゼロスは。
人間でいうところの愛情を自分が持ってしまうことを。
たかが人間相手に。
はーっとため息をゼロスはついて、誰にともなくつぶやく。
「こういう気持ちをなんと呼べばいいんでしょうね。
魔族である僕には起こりえない感情……」
ひどく悩ましげなゼロスに、思わず手を差し伸べたくなってしまった。
「あたしたちってもともとがあの、ひとつの存在から生まれてきたものなら、あんたにだって人間と同じ
ような感情が芽生えてもおかしくないんじゃないの?」
「いいんですか? そんなこと言って。
僕のこの気持ちは、リナさん、あなたに向いているんですよ?」
あたしは黙り込む。
正直言って悪い気はしない。
だがそれを言葉にしてしまうと……元には戻れなくなる。
あたしにだって、想う相手はいるのだ。
これは、遊び。
お互いの好奇心がたまたま一致しただけの、いや、あたしにとっては殺されるか否かの、定められた
二者択一だっただけ。
……そうやって何も答えないあたしはズルイのだろうか。
あたしを見つめるゼロスの瞳がかすかに揺らめいた。
本音などめったに出さない彼が、今日はありえないほど心の内をさらけだしていた。
「強いですねぇ……リナさんは……」
その言葉を最後に、ゼロスは今までのやりとりなどなかったかのように、いつもの笑い顔に戻った。
「なんだか悔しいので、これ以上考えないことにします。
せっかくですから、僕がまだ知らない快楽の極限というものを見せてくださいね」
なっ?! あ、あたしだって知らないわよっ!
文句が口から出るよりも先に、ゼロスの腰がうねりだした。
ん? うねる?
「ああっ……な、なにしてんの……ちょっ……ああん!」
軟体のような触手のような、あたしの中でやわらかく形を変えてうねり蠢くゼロスのアレは、痛みを
まるで感じさせずに、うねうねと探るように奥まで辿っていく。
あたしが想像していたモノとはまったくの別次元から責められて、手に触れたシーツを荒く掴んだ。
「やっ……あっ……変なことしないでよっ……」
「変ですか? どこがどう変ですか?」
こ、こいつ……知っててやってるわね?!
「ねえリナさん、教えてくださいよー。僕のは普通の人間のとどう違うんですか?」
平然とゼロスは言いながら、奥までいっぱいに満たしたまま、ゆっくりとひねりをくわえて擦りだした。
「ひぁっああっそんなの……知らないわよっ!」
あたしの精一杯の強がりも、美味しく頂いているかのように、ゼロスは舌をぺろりと唇に這わせ、薄く笑った。
「羞恥が激しいですよ、リナさん……いいですねぇ、実に僕好みです」
ゼロスは両手であたしの胸をおおい、親指だけで固くとがった先をやわらかくなであげてくる。
びりびりと身体にはしる電流にのけぞりながら、あたしは無意識にシーツから手を離し、容赦なく愛撫
してくるゼロスの手を強くつかんでいた。
拒否なのか何なのか、自分でも判別つかなかった。
そんなことにはお構いなしに、ゼロスの指は動くし、中にはいったまま掻きまぜるようにうねり続ける
やわらかい触手のようなゼロスのアレも、ただあたしに快楽だけを与えてきた。
あたしはぎゅっと目をつぶり、喉をふるわせて、襲い来る絶頂の波に、あらがいようもなく流されるがまま
だった。
「いやぁぁぁっ……ああ……」
なにがイヤなのか、あたしにもどう説明したらいいものか……
「人間とは違うモノでイカされることに抵抗感があるんですね。
でも僕としてもそこまで真面目に人間の男を観察する気にはなれませんでしたからねぇ。
そんなに違います? これ」
あたしは息を荒げたまま、キッとゼロスを睨みつける。
「……ノーコメント!!」
「いやあ……見た目は同じなんですけど、中でどう動かせばいいかは、文字通り手探りなんですよ」
のんきな声で言いながら、にゅるにゅると中で回転させて奥を探ってくる。
「はあんっ……そ、そんなふうに……しないでってばぁ……」
ふつーは動かないわよ! 動いてたまるかそんなもんっ!
「けど……気持ちいいんでしょ?」
にこりと笑ったゼロスの目が、危ない光をたたえてこちらを見ていた。
言葉につまるあたしを可笑しそうに見つめて、腰をぐっと押しつけながら、耳元でささやく。
「ほんとにあなたは極上ですよ……」
ゆるやかにあたしの中で振動しだしたアレが、形を様々に変えて、さきほど探り出していたあたしの
弱いところばかりを重点的に責めだしてきたので、あたしはゼロスの身体の下で、悶えるしかなかった。
「ここも、お好きでしたよねぇ」
ゼロスは片手を下にすべらせると、さんざん弄られてぷっくり膨らんでしまっていた小さな突起に指を
這わした。
ぬめりを指に絡ませ、濡れた音をさせて挟みこみ、ありえないほどの細かい振動を与えてきた。
「あっ! やっだめっ!」
あたしの制止の言葉に気を悪くする様子もなく、ゼロスは少しずつ指をずらしていき、指の股の間に
ぴったりと突起を押し込んで、手のひら全体を人の手では出来ないほどにブルブル震わしてきた。
強烈な快楽が身体中をかけめぐり、あたしの意識を焼き尽くして、身体を反り返らせる。
「すごいですよリナさん。前儀のときよりも感じ方がまるで違います。
……よだれまで垂らしちゃって……いやらしいですねぇ」
際限なく責められて、返す言葉もでてこない。
出てくるのはただ、あられもない喘ぎ声だけ……
あたしが絶頂にのぼりつめる度に中の触手(のようなアレ)が、ぎにゅっと形を変えるのが伝わる。
しかし苦もなくにゅるりにゅるりと振動しながらうねり探り、あくまでやわらかく掻き混ぜてくる。
変になりそうだった。
自分がもうどんな悶え方をしているのかもどうでもよくなってしまって、絶頂の波がくるたびに身体が
びくんと震えて目の前が真っ白になっていく。
「っすごいよぉ……すごいよゼロスぅっ…………」
あたしはこのとき初めてゼロスの名を呼んだ。
彼の全てが一瞬だけ揺らいで、そうしてなにもかもを放り出すようにして、思いっきりあたしを抱き締めた。
あるはずのないゼロスの愛情を、めいっぱい注がれたような気がした。
流れるはずのない彼の涙すら、頬に触れたような気がした。
悦楽で朦朧としているあたしの意識では、なにが、どこまでが現実なのか、さっぱりだった……
宿屋の裏まで送ってもらい、そこで別れることにした。
どこに拉致られたかすら分かっていなかったんだから、これぐらいはしてもらわないと。
「さようならリナさん。今度こそ本当に、もう会うこともないでしょう」
「そうね。そう願うわ」
自分が処女ではなくなってしまったことをどう飲み込めばいいのか、あたしは少し困惑していた。
だけど、それは後悔ではなかった。
ゼロスがどこかぼんやりとした顔でこちらをながめてくる。
「人間って……こういう時はどうやって別れるんですか?」
あたしは黙って手を差し出した。
魔族と握手なんて、悪趣味かしら……
ゼロスはそっとあたしの手をとって、握りしめずに、軽くかがんでその手に口づけた。
びっくりして言葉も出ないあたしを、真正面からゼロスは見つめる。
「……ありがとう、リナさん」
そのつぶやきも、彼の姿も、あたしが何か言うより先に、闇と溶けて消えてしまった。
あたしは呆然としながら、優しく吹き抜ける風に何かを求めて空を見上げた。
澄んだ空が広がっていた。
「……さよなら……」
やっとあたしの口から出てきた言葉は───短い別れの言葉だけだった。
...end.