【これも一つのお約束】
――そのすこしあと。
ゼルガディスは困っていた。
かなり困っていた。
「……アメリア、頼むから自分の部屋に戻ってくれないか」
「うぅ…だって…あぅ…」
ベッドにしがみついて顔をぷるぷる振っている少女は、どんなに説得しても納得してくれそうにない。
ゼルガディスは、心底困り果ててため息をついた。
「怪談が怖くて1人で眠れないだと…お前は一体何歳なんだ」
「…ぜ、ゼルガディスさんがあんな怖い話するからー…!」
ていうか巫女が幽霊を怖がってどうする。
喉まで出かかったツッコミは、こっそり飲み込んで潰す。
「…ん?」
そこでふと、ゼルガディスは一つの疑問を抱く。
「待て、アメリア。俺は確かに部屋に鍵を掛けたが…どうやって入って来た?」
彼女がいきなり半泣きで入ってきたため、今の今まで失念していた。
考えてみれば、彼女は如何にして扉を開けたというのだろう。
「…え、鍵なんて掛かってませんでしたよ?」
「――なんだと?」
それは、どういう事だ。
「わ、私もさすがにゼルガディスさんの部屋にお邪魔しちゃ悪いかなって思って、最初はリナさんにお願いしようかなと思ったんですけど…。
リナさんのお部屋は閉まってたし、一回寝たリナさんを起こすのは不可能ですし…ゼルガディスさんのお部屋は開いてたから、それで…」
ごめんなさい、と顔を曇らせるアメリアを宥めるように撫でてやりながら、ゼルガディスは思考する。
施錠を忘れた訳はない。ならば、どうして。
「…」
「ゼルガディスさ――ひぃっ!?」
顔を上げたアメリアが、細い悲鳴を漏らした。
弾かれたようにゼルガディスも部屋を見回す。
「――アレは」
ぎゅううう、とアメリアが声を無くしゼルガディスにしがみつく。
その怯えた目は、部屋の隅でゆらりと揺れるモノを凝視していた。
部屋の隅。
何かがいる。
男だ。
身体を赤く染めた、ヒトならざる何か。
「――あぁ、なるほど」
すぅ、とゼルガディスの目が細まる。
鍵を開けたのは、アレか。
「…ゼ、ゼルガディスさんっ…!」
小刻みに震えるアメリアを安心させるように撫でながら、ゼルガディスはにやりと笑う。
「ガウリイの旦那の話も馬鹿にはできんな」
淫霊、というモノがいる。
死んだ後でさえも尋常ではない性欲を保ち、際限無く生きた人間の淫精を啜る下劣な霊だ。
力の強いモノは、ある程度ならば実世界に干渉も可能だという。
ヒトの性欲を増長させたりする事もできるというが…。
ようするに、そんな覗き魔幽霊に目をつけられた、という事か。
「…浄化炎」
ぼひゅ。
…それはそれはあっけなく。
やる気なさげにゼルガディスが放った浄化の魔術により、淫霊はあっさり消滅した。
「え」
「タチの悪い低級霊だ。成仏したからもう心配ない」
…さすがに、どうタチが悪いのかは説明できないが。
呆気に取られたアメリアの頭をもう一度撫でてやる。
「そら、部屋に戻れ」
「…ぅうう」
くしゃりとアメリアの表情が歪む。
どうしても怖いらしい。
「…………あのなぁ…ここで夜を明かす気か?」
「…駄目…ですか…?」
潤んだ上目遣いで見つめられ、ゼルガディスの胸がごきゅんと跳ね上がる。
――いかん、これでは淫霊の思うツボだ。
つい今しがた滅したはずなのだが、ゼルガディスは軽く混乱していた。
「…く」
「ゼルガディスさん…」
弱りきった声で名前を呼ばれてしまっては、もはやゼルガディスに為す術は無い。
「――…わかった。今夜だけだからな」
血を吐くような思いで告げると、アメリアはぱぁあと音が出そうな程に笑顔を輝かせてゼルガディスのベッドに潜り込んできた。
「…っ!」
「ありがとうございます!おやすみなさい、ゼルガディスさん!」
狼狽えたゼルガディスが文句を言うより先に、アメリアが嬉しそうににっこり笑ってそのまま瞳を閉じる。
……俺はソファで良いと言おうとしたんだがな……。
ゼルガディスは、もうアメリアを起こす事もできず、かといってベッドから抜け出す事もできずに途方に暮れた。
ある意味、幽霊よりもアメリアの方が遥かに怖い。
無自覚なぶん、さらにタチが悪い。
すぅすぅと規則正しく上下するアメリアの細い肩を眺めながら、ゼルガディスは己の理性と戦い続けた。
翌朝。
快眠のためにご機嫌な三人と、一睡もできずぐったりした一人が朝食のテーブルに集まるのは、お約束、という事で。
了