海の美女と『おうぢさま』2  
 
 
 
 
 
ライゼール帝国西方沖に広がる魔の海の名を持つ海域。  
その海域には地図には無い島と、王族や貴族が住まうような豪奢な作りの宮殿が一つ建っていた。  
宮殿の名は【海王宮】  
 
「はァ……」  
 
王侯貴族が住むに相応しい外観に比べて、内部は深い海を思い起こさせるような薄暗く蒼い光で満たされた宮殿の最奥で玉座に腰掛けた女性が愁いを帯びた表情で溜息を付いていた。  
膝下にまで届く流れるような漆黒の長い髪。ひと目で高級素材を使用して作られたことをわかる蒼いドレス。派手ではないものの、しっかりしたデザインの装飾品や宝石類などをその身に纏う華奢な女性。  
絶世の美女。深窓の令嬢。数々の言葉で称えられるに相応しいほど人間離れした美を持つ彼女は、一人、疼く胸を押さえている。  
 
「今日もあの方にお会いすること叶いませんでしたわ……」  
 
女性の名は海王【ディープシー】ダルフィン。  
その名を知る者が聞けば恐れおののき恐怖し、また、平伏して命乞いでもしたくなるような強大な力を持つ魔王の腹心たる高位魔族である。  
しかしながら、今の彼女はある病に冒された、か弱い女性でしかなかった。  
 
「フィルさま……ダルフィンは貴方様にお会いしとうございます」  
 
病名は【恋煩い】医者に掛かろうが神に願おうが魔王に縋ろうが治療法の無い不治の病を治す事が出来るのはこの世で唯一人。フィルという名の彼女の想い人だけ。  
 
初めて彼と会ったのは広い海を見渡せる砂浜。そこで野盗たちに襲われ、慰み者にされようとしていたところを、颯爽と現れた彼が助けてくれたのだ。  
海王という強大な魔の存在である自分が誰かに助けられる、それも人間などという矮小な存在にお姫様抱っこされて救出されるなど思ってもみなかった彼女は、  
自分を抱きかかえたまま高く跳躍した彼の腕の中で瞬く間に恋に落ちてしまったのである。  
 
本来魔族という存在は愛・友情・希望といった生を謳歌する為にあるような感情とは無縁であり、滅びを望む彼らとは決して相容れぬもの。  
彼女たち魔族が好み食するのは絶望や恐怖といった滅び・死へと向かう感情なのである。  
だが、極希にだが、人間の自堕落な感情を好み、滅びを望むのではなく生を謳歌するような変わり者も存在していた。  
つまり海王【ディープシー】ダルフィンはその生を謳歌する感情に目覚めてしまったのだ。  
彼女の場合も元々の性質なのか、フィルに恋心を抱くようになっても痛みや苦しみは感じていなかった。寧ろ基礎的な力が大きくなっているくらいだ。  
今の彼女は魔王の腹心の中でも最強の力を持つ冥王【ヘルマスター】フィブリゾと変わらぬほどの力を持っていると推測される。  
ダルフィン自身は『これこそわたくしのフィルさまへの愛が成した奇跡ですわ!』と豪語していたが、実際の所は彼女がその変わり者の魔族と同じであるというだけの話だ。  
 
ただ彼女ほどの強大な力を有する魔族がこれでは大問題である筈だが、ガーヴの離反とフィブリゾ消滅により向こう数百年、下手をすると千年単位の時間を掛けて新たな計画を立てなければならなくなった為、  
現状においてはさしたる問題は発生しなかった。  
というより問題があったところで元々大きかった力がより強大化してしまった彼女に対抗できる存在がいないというのが大きい。  
同格の存在である獣王【グレータービースト】ゼラス・メタリオムや、覇王【ダイナスト】グラウシェラーより強くなってしまったのだから推して知るべし。要するにもう放置しておくしかないのである。  
ゼラスなどは『あれは唯の色ボケだから放っておけ』という始末で、どうでも好きにしろ状態であった。  
 
そんな海王ダルフィンが恋い焦がれているのは、大柄の、ドワーフをそのまま大きくしたようながっちりとした体格に、ヒゲ面で四十は越えているだろうヒーローオタクの男なのだから変わり者としか言えないだろう。  
しかし可哀想なことに彼女は初めての邂逅以来その想い人であるフィルに会えないでいた。  
あの邂逅を果たした砂浜で別れるとき『また会えますか?』と尋ねた彼女に彼は『分からぬが、いつの日かまた此処を訪れるときもあるだろう』といった。  
ダルフィンはその言葉を信じて毎日のようにあの浜辺に足を運んでいるのだが、終ぞ彼は姿を現すことなく、ただ悪戯に特だけが過ぎていく。  
 
だったら力でも何でも使ってフィルの素性を調べ上げて直接会いに行けばいいのだが、恋する乙女であるダルフィンは少しばかり臆病になっている。  
自分の事を忘れられているのではないだろうか? 仮に会えたところでいつまでも待ち続けている鬱陶しい女と思われるのではないだろうか?  
 
「ああ……フィルさま。わたくしはどうすれば宜しいのでしょうか?」  
 
何もない空間に向かって呟いたところで答えなど返ってこない。  
 
『――様』  
 
此処に思い人が居る筈はないのだから。  
 
『――王様』  
 
しかし、彼の声を聴きたい乙女は何処にいるとも知れない相手に問い掛けることくらいしか思い付かないのである。  
 
「海王様ッッ!!!」  
「きゃあッ!!」  
 
物思いに耽りながらも聞こえていた遠くから響く誰かの声。  
それは多分幻聴だと気にもしていなかったダルフィンであったが、無視し続ける、正確には聴いてもいない彼女に腹を立てた声の主は、不敬だと思いながらも主の耳元で声を張り上げていた。  
 
「な、な、な、なんですのリクス!?」  
「何ですのではありません海王様。先ほどからお呼び立てしておりますのに無視なさるので」  
 
声を掛けてきたのはダルフィン自身が創造した直属の部下。  
華奢な体躯の彼女とは似ても似つかぬ、右目に大きな刀傷を持った筋骨隆々の如何にも戦士といった感じの女性。海将軍【ジェネラル】リクスファルトだ。  
 
「あら、それはゴメンナサイ。少し物思いに耽っておりましたので」  
 
「…………また、例の海王様をお助けしたという人間ですか?」  
 
「え、ええ……そうですわ」  
 
考えていることを言い当てられてしまった彼女は頬を赤らめると指先を併せてもじもじし始めた。  
 
「ところでわたくしに何か御用ですの?」  
 
「用件は、海王様が抱かれるそのお悩みについてです」  
 
部下とは言え心の内を言い当てられたダルフィンは羞恥心から話を逸らそうとしたが、実はリクスファルトの用事というのがこの事についてだとは思わなかった。  
一体自分の恋について何の用事があるというのだろうか? 未だ部下の様子に気付かないダルフィンは小首をかしげる。  
 
「海王様……それほどまでにフィルなる人間をお想いならば、何故自ら動いて会いに行こうとなされないのですか? …………正直言うと、今の海王様を見てると無性に苛つく」  
 
「リクス……」  
 
後半から敬語を取りやめて地の口調に直すリクスファルト。  
 
「アンタはオレやヒュレイカーの創造主だ。だから人間を愛そうが、それこそ自分の目的のために魔族を離反しようが文句言わずに付いていく。だが、今の臆病になってる姿は頂けないな」  
 
「……」  
 
語気を荒げるリクスファルトの言葉を彼女は黙って聞いている。  
彼女は不敬、無礼を承知でずけずけと言ってのける、がさつながら真っ直ぐなこの部下を嫌いではない。  
 
「オレは強いアンタに憧れと尊敬を抱いてる。それがどうだ。こんなとこでどうしようどうしようって不安に苛まれて自分から行動も起こさず、何もない空間にその人間を思い浮かべて寂しそうにしてやがる。  
 そんなに好きなら当たって砕けるぐらいの覚悟を持って自分から会いに行けばいいだろ」  
 
「で、でも、もし忘れられていたら……それに何とも思われていなかったらと考えるとわたくし怖くて」  
 
恋というのは活力にもなり得るが、同時に臆病にもさせる。ダルフィンは今その両方を併せ持つような状態であった。  
だが、リスクファルトとしては、そんな主のウジウジした姿など見たくなかったのである。  
 
「オイオイ、そんなもの百も承知の上だろうが。オレは愛だ恋だの感情は正直理解できないが、1回会ったくらいで何もかも上手くいくなんてことが有るわけ無いってのは分かってる。  
 海王様がその人間をどれだけ好きで、助けられたときの事が忘れようとしても忘れられない強烈な記憶として焼き付いてるとしても、その人間にとっては大したことない話で直ぐ忘れる程度の出来事だったのかも知れないだろ?  
 その上でアンタはその男に惚れた。だったら待ち続ける鬱陶しい女になってウジウジするよりも、自分から会いに行ってその男に告白でも何でも……は無理か、とにかく、ダルフィンって女が居るってことを覚えて貰う  
 覚えさせてみせるぐらいの行動起こせよ」  
 
だから思うところをズバッと言い切った訳だが、部下からの思わぬ苦言と叱責を受けたダルフィンは暫しぼーっと考え込んでいた。  
 
「わたくしは……」  
 
だがそれも束の間、一度目を閉じ玉座から立ち上がった彼女は、自分を叱咤激励してくれた部下の手をギュッと握り締める。  
 
「ありがとうございますリクス! わたくし貴女の言葉に目が覚めましたわッ! 今更ながらに気付かされました。持つべき者は信頼の置ける部下ですわね」  
 
「お、おお、」  
 
「そう、待っているだけではダメなのです! わたくしから会いに行くくらいの、交際を申し込むくらいの気概でなければフィルさまのお心を射止めるのは不可能……。  
 フィルさまがどうお思いなのかではなく、わたくしがフィルさまを愛する気持ちこそが大切なのですわッ!」  
 
さっきまで沈み込んでいた気分はどこへ行ったのか? 拳を振り上げたダルフィンは己を鼓舞するように叫んだ。  
 
「待っていてくださいましフィルさまッ! ダルフィンは必ずや貴方様の元に参りますッ!」  
 
「その人間は別に待ってないとは思うが……まあ、いいか」  
 
◇  
 
「で? 何のようだ色ボケ」  
 
またぞろやってきた色ボケ魔族に辟易とした様子で言ったのは白いドレスを着た金髪の女性。  
ダルフィンと同格の存在であり同じ魔王の腹心、獣王【グレータービースト】ゼラス・メタリオムである。  
彼女は恋煩いにかかったダルフィンを極力避けていた。生を謳歌する発言ばかりするので聴いていると疲れるのだ。  
 
「先に言っておくがお前のお惚気話はお断りだぞ」  
 
「あら。恋する乙女を前にして無粋ですわね」  
 
(誰が恋する乙女だ。五千年近くも生きていて乙女もないだろう……)  
 
というのは流石に同じ女性人格を持つゼラスは思っても口にしない。  
仮に直属の部下である男性人格を持つ魔族、獣神官【プリースト】ゼロスがそんなことを口にしたらぶっ飛ばすところだ。  
 
「早く用件を言え」  
 
「もうッ、ゼラスったらわたくしのフィルさまへの想いを聴くのがそんなにもお嫌ですの?」  
 
「キッパリ言うが別に興味もない話を進んで聴いてやるほどお人好しではない」  
 
「はァ〜、わかりましたわ。用というのは他でもありません。ゼロスちゃんを少しお貸し頂けないかと思いまして」  
 
「ゼロスを? 何の為にだ?」  
 
うふふ、と含み笑いを浮かべるダルフィンに怖気が走る。  
 
「もちろん、フィルさまにお会いする為に決まっておりますわ♪」  
 
彼女が言うにはゼロスはフィルなる人物に心当たりがあるらしいと部下の海神官【プリースト】ヒュレイカーから聞いたとのこと。  
であるならば、ゼロスに事の真相を問い質して、そこからフィルに会うための道筋を付けたいという訳だ。  
ダルフィンの長話(主にフィルへの愛)を聞かされるのが嫌なゼラスは早速ゼロスを呼び出した。  
 
「何用でしょうかディープシー様」  
 
「ズバリお聞き致しますわ。ゼロスちゃん、貴方はフィルさまについて何か御存じですわね?」  
 
ゼロスにビシっと指を突き付けるダルフィン。  
まるで尋問のようである。  
 
「い、一応、心当たりはありますが…」  
 
「本当ですの!?」  
 
「ま、まあ、」  
 
自分に迫る恋愛エネルギーを持った大魔族に冷や汗を浮かべながら、ゼロスは分かる範囲。心当たりのある人物の名を口にした。  
 
「おそらくディープシー様がお探しの人は、フィリオネル・エル・ディ・セイルーン。聖王国セイルーンの第一王子ですよ」  
 
「フィリオネル……それがフィルさまの御名……」  
 
そしてセイルーンの王子様なのだという。  
 
「や、やはりあの御方は……わたくしをお迎えに来られました白馬に乗った王子様だったのですわね……」  
 
手を組み合わせて目を瞑りながら今時誰もしないであろう妄想に耽る恋する乙女――海王【ディープシー】ダルフィン。  
気味が悪くて仕方ないゼラスと、愛の賛歌に冷や汗を流し続けるゼロスは、自分の世界に入ってしまった彼女から目を逸らすと深い深い溜息を付くのであった。  
 

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