−−−−お使いU−−−−
「今日はここで宿を取るか」
リナのお使いの旅2日目の夕方に辿り着いたのは小さな村だった。
辺りから漂う夕食の支度の匂いが空腹を刺激する。
昨日は通り雨にあい、あまり行程が進まなかった為仕方なく野宿だったので
宿のふかふかの布団を想像しただけでアメリアの足は軽やかになる。
「宿はどこでしょう…あ、あそこに看板が出てますね。わたし行ってきます!」
ゼルガディスはその風貌から、訝しがられる事が多いので普通の宿などは入り辛い。
4人で旅をしている間にその事情を把握しているアメリアは、さっと一人宿に入って行く。
「こんばんは。2人なのですが部屋は空いてますか?」
村とその宿屋の規模に見合った、申し訳程度の小さなカウンターの側に腰掛けた宿の亭主らしき人物へ問う。
「ああ、ちょうどさっき空いたよ。今女房が片付けてるからここに記帳して隣で食事でもしてきな」
「はい、有り難うございます!」
小さな宿屋なので運がいい。この時期は冬に備え旅の商人も多いだろうし、すぐに満室になるのだろう。
すらすらと記帳し、外で待つゼルガディスの元へ声をかけに戻る。
「ちょうど空いていたそうです!お隣が食堂らしいので、ご飯にしませんか?」
「わかった」
普段の4人(といってもうち2人は規格外)の食事とは違い、静かに夕飯をとった後、宿へ戻って部屋へと行くと
「…アメリア」
「…はい」
「…鍵は一つか」
「…はい」
「……どう部屋を頼んだらこうなる?」
「さぁ…」
ドアを開け、所在無げに立ちすくむ二人の男女。
目の前にはセミダブルらしきサイズのベッドが一つ。
他には、テーブルと、2人掛けの長椅子。
明らかに、カップル向けの部屋である。
「2人って、言ったんですけど…」
「……」
それだけならば、女性同士、はたまたそういう関係の男女、と思われても仕方があるまい。
大抵宿屋の主人というのは、相手が言わなければそう解釈するものだ。
4人で旅をしてそれなりに長いとは言え、元々旅慣れしているリナが大体宿などはいつも決めていたのだ。
慣れていないアメリアに任せてしまったゼルガディスの落ち度とも言える。
「俺はここで寝よう。先に風呂でも行って来い」
そう言い、長椅子に腰掛け外套を外すゼルガディス。
「えっ、だ、ダメです、ゼルガディスさんがベッドで寝てください!」
「お前は俺が、女に椅子で寝れと言うような男に見えるわけか?」
「そ、そういうわけじゃないですけど…」
困ったように俯くアメリアを見て、ふと意地悪をしたい心が疼く。
「それとも、一緒に寝るか?」
ニヤリ、と笑い、反応を待つ。
「…?………!!!!!?????」
言葉の意味を理解したアメリアの表情が一変する様をじっくりと観察する。
「いっ、いっ、いぢわる、です!お風呂!!行って来ます!!!!」
くるり、と踵を返し、部屋から出るアメリア。
一人残ったゼルガディスは、予想通りの反応に満足げに笑みを浮かべていた。
――もう、もう、もう、ゼルガディスさんいぢわるすぎなんです!!
元々、いつもとは違う2人旅で、特に何か期待していたわけではないが。
普段見れないゼルガディスを見せられ、激しい鼓動が胸を打つ。
もっと何時も通りに振舞いたいのに、2人きりという事実に直面すると、それもままならない。
――こんなんじゃ、だめだ。もっとわたし、普通にしないと。気付かれたら、困らせちゃう。
簡素な浴室で熱いお湯を頭から浴び、気持ちを落ち着かせる。
顔をごしごしっと擦ると、唇に指が当たった時に昨日自分がとった行動を思い出す。
少し硬い皮膚に当たった自分の唇を、そっと撫でる。
あの時のことは、きっと気付かれていないはずだ。
今思い出しても、なぜあんな行動に出てしまったのか分からない。
ただ、顔を見詰めていたら、胸が苦しくなった。
そして気付いたら、体が動いていたのだ。
思い出すだけで顔が熱くなり、訳の分からない恥ずかしさが自分を襲う。
結局気持ちを落ち着かせるため、普段より長い入浴になってしまった。
「遅くなりましたー…」
そっとドアを開け部屋に入ると、小さな明かりの傍らでまたゼルガディスが長椅子に座ったまま目を閉じていた。
「ゼルガディスさん?」
声をかけるが、反応はない。
――寝ちゃってる、のかな?
昨日と似たシチュエーションがそこにあり、またアメリアの心臓はドキン、と跳ねる。
――う…、今日は大丈夫、絶対、大丈夫!
ベッドからそっと毛布を拾い、側へと歩み寄る。
落ち着け、と自分に言い聞かせ、ゼルガディスに毛布をかけ離れようとすると、何かに腕を引っ張られ
バランスを崩したアメリアはそのまま後ろへと倒れこんだ。
「ふわぁああっ!」
「今日は何もしないのか?」
「えっ、あれ、起きてたんですか?」
ゼルガディスの膝に座り込む形で倒れこんだアメリアは、取り敢えずゼルガディスが起きていた事に驚き
「ん?何もって…?」
改めて問われた言葉の意味を考えた。
「今日は、何も、しないのか?」
アメリアに言葉の意味が伝わるようになのか、一語つづ区切って再び問うゼルガディス。
もちろんその顔は、アメリアが言うところの『いぢわるな顔』というやつだ。
「今日、は…って?え?えっ?えぇっ??」
「ん?」
「というかこの体勢っちっ近すぎ、ます!」
倒れた体勢そのままに、ゼルガディスの右腕はアメリアの左腕をしっかり掴み
またゼルガディスの左腕は足を押さえている。
「キスするんなら近いほうが良いだろう」
「ふぇっ!?」
「昨日は寝込みを襲われたようだからな。今日も襲われるようならお仕置きが必要かと考えていたんだが、残念だな」
全く残念そうではない口振りでさらっと恐ろしい事を言う。
一体ゼルガディスはどうしたのか。
膝に抱えられたまま混乱するアメリアは、何かを言おうとしても、口がパクパクと金魚のように動くだけで
言葉が出てこない。
「き、きききのっおっおきっ…」
「勝手に寝てると勘違いしたのはお前だろう」
「だ、だって、黙ってて、静かであの、その」
「ほう。セイルーン王家の人間は、相手が黙ってて静かで寝てると思ったら寝込みを襲っても良いのか」
「そっそんなの、正義じゃ、ないですぅ…」
混乱した頭で自分に何が起きているのか必死に考えるアメリア。
しかし、目の前にいるゼルガディスはいつものどこか遠くを見ている瞳とは違う熱っぽいそれで
自分をしっかりと見詰めていて、その熱さが自分に向けられている、と思うだけで顔に血が上り
益々何も考えられなくなる。
アメリアにとっては、この状況そのものが既に十分すぎるお仕置きだ。
自分の腕を掴むゼルガディスの力強い腕。少し動けば、顔が触れ合いそうになるほど側にあり。
かつてこれほどゼルガディスと密着したことがあっただろうか?
今まで必死に隠してきたこの目の前にいる男性への想いが、今にも溢れださんとばかりに膨れ上がる。
「は、離して、くださいっ…!」
小さな体でその腕から逃れようと懸命にもがくが、力で敵うはずもなく。
「まだ俺の質問に答えてもらってないんでな」
「質問って、な、なんですかっ」
「…今日は、何もしないのか?」
耳元で三度繰り返されるその言葉。
「お前は、頬で、足りるのか?」
もう一度、ささやくように問われる。
昨日ほんの一瞬、唇に触れた、少し硬い皮膚の感触。
必死に忘れようとしていたそれを、他でもない本人から阻まれるとは。
「あれはっ…!わ、わたしも、なんでなのか、分からなくて…!」
こんな事を面と向かってなど言えず、顔を背けたまま、懸命に言葉をつむぐ。
そうする事がここから開放される唯一の方法だと言わんばかりに。
「ただ、気付いたら、しちゃってたんです。だから、足りるとか、足りないとか、今日はしないとか
そんなんじゃなくて、本当に、分からないんですぅ…」
本当に、そうなのだ。何故あんなにも体が衝動を抑え切れなかったのか。
何故、あんな行動をとってしまったのか。
アメリア自身、全く分からなかった。
ただ、とにかく無性にゼルガディスが愛おしい、と。
そう思った瞬間、無意識に動いてたのだ。
ほとんど最後のほうは泣きながらそう告げると、腕を拘束していた力がふっと緩んだ。
「分からない、か。便利な言葉だ」
「…え?」
「俺が何故こんな行動をしたのかも、お前は分からない。そういうことだな」
「えっ…と、はい、それも本当に分かりません」
素直に頷くアメリアを見、どこか諦めたような、もしくは観念したのか、という表情を浮かべるゼルガディス。
「じゃあ、俺がこれからする事の理由もお前は分からない」
「え……ん、んっ?」
不意にゼルガディスの唇がアメリアのそれを覆った。
「ん…んーーーーー!!!!」
予想外すぎるその行動にアメリアはばたばたと腕を動かすが、腕の拘束が解けたのもそのはず。
ゼルガディスの腕はアメリアの体をしっかりと抱き締め、更に動けなくなっていた。
「んっ…はぁ…ゼル…んっ」
息継ぎの為にずれた隙間から言葉を吐き出そうとするが、再び塞がれため息のようにしか声が漏れない。
「ゼル……ィスさ…、めっ…」
「何がだ?」
小さくもれた否定の声に、アメリアの唇は少し開放される。
「こう、はぁ、いうのは、ふぅ、すきな、ひとと…はぁ、じゃ、ない、とっんん!?」
そこまで言わせたところで再び塞ぐ。
奥へ逃げようとするアメリアの舌を、自分のそれで絡めとり、唾液を吸い取る。
「んん…ぅっ…」
たっぷり5分は経っただろうか。アメリアの反応を存分に堪能し、やっとゼルガディスは自分の唇を離した。
「じゃあ、お前が俺にキスしたのはなんでだ?」
「ふぇ…?」
やっと開放され、自分の腕の中でぐったりとしているアメリアに再び問う。
「好きな人と、じゃないとダメなんだろう?」
「あ……」
「これでも随分と、我慢していたほうなんだがな」
そこまで言われて初めてアメリアは気付いた。
寝込みを襲われた事を本気で怒っていたわけでもなく。(お仕置きは本当かもしれないが)
必死に自分が隠そうとしていた気持ちは、無意識のあの行動に出た時、ゼルガディスが起きていた事で
既に隠す事が不可能になっていたのだった。
それでも困らせる事が怖くて言葉に出して伝えることは出来なかった。
だから、「何故体が動いたのか分からない」という事だけを考えた。
「お前が何を考え、言えない理由にしているかは分かっているつもりだ」
ドクン、と頭の奥で心臓の音が跳ねる。
「ずっと……俺も、お前と同じように思っていたからだ」
「ゼルガディス、さん…?」
「だがその俺の枷を取っ払ったのは…分かるだろう?」
ぎゅっと、アメリアを支えている腕に力が入る。
お互い同じ気持ちで居たのか。ずっと。
自分が悩んでいた事と同じ事を、相手も悩んでいた。
そう思った時、アメリアの心の枷も、ふっと消えてしまった。
「…ごめんなさい、わたし…っ」
「謝るな」
「……だいすき、です…」
「ああ」
言葉は短いが、自分を抱き締める腕に更に力が入り、ゼルガディスの胸元に頭が押し付けられると
その鼓動の早さが、言葉以上に彼の気持ちを表していた。
――…でも、ほっぺの仕返しが唇なんて…やっぱり、ゼルガディスさんはいぢわるだ…
そんな事を考えながらゼルガディスの心臓の音を聴いていると、次第にアメリアの意識は夢の中へと落ちていった。
「すぅ…すぅ…」
「………この状況で寝るのか」
頑張れゼルガディス。