撫でられた感覚に目を開く。  
 まだ寝ている意識の中降ってくるこそばゆさ。  
 きらきらした髪がまたくすぐったい。  
 耳元で名前を呼ばれて、耳たぶに湿った感覚があると鼻にかかった変な声が出た。  
 それに嬉しそうな息をかけ、でっかい手はあちこちなでまわす。  
 可愛いとか、大事だとか……愛しいとか。  
 言葉の代わりに手とか唇が伝えてくる。  
 びくんっと体が跳ねると出る声に嬉しそうに笑う彼。  
 ふわふわした半覚醒の意識はとろとろと溶けた意識になる。  
 ぶっとい腕にしがみ付くと、それはするりと背中に回る。  
 ぎゅーっとされて、熱い息をもらう。  
 そのまま妙に濡れた音がして最大の衝撃が。  
 何度めでも慣れないそれはつい高い声が出る。  
 たぶん気持ちいい。  
 変になりそうで、変になってるようで、切なくて──幸せで。  
「がうっ……り」  
 名前を呼ぶと、珍しく余裕の無い返事がくる。  
 それがこの状況ではちょっと嬉しい。  
 小さな呻き声に合わせてやぱ何度目かわからないその感覚。  
 とろとろした意識はまたふわふわとして頭を撫でる感覚にまた意識を離す。  
 なんだか凄く幸せなんだけども── 
「あう……」  
 朝になると毎度泣きたくなるのがお約束である。  
 お腹とか腰とかなんだか重痛いし。  
 ……こんな肌じゃ共用風呂には行けやしないし。  
「おはよ」  
 のほほんと上がる声にはスリッパをぶつける。  
「ちったあ加減しなさいよっ」  
 小声で怒鳴れば、痛がりながらも意地悪な笑い声がして  
「もう一泊するか?」  
 なんてのんびり言い除ける。  
 そりゃ急ぐ旅じゃあないけども。  
「あたし部屋帰る!」  
「おうっ。今日も寒いといいな」  
 朝に似合う爽やかさで、とても爽やかじゃないことを言うばか。  
 再度スリッパをぶつけてあたしは部屋を出た。  
 
 
 
 ──春になったというのに夜は寒い。  
 普段ならば、ぬくい人間湯タンポの所に潜り込むのだが……  
「…………」  
 恨めしく睨んだ壁は夕闇を返し、部屋はジリジリと寒さを増して来た。  
 久しぶりにやられすぎた今朝からろくに顔を合わせてない。  
 ……というかしんどくて今まで寝てしまった。  
 ガウリイとそーゆーことをするようになってからまだ日は浅い。  
 いわばあたしは素人なのだ。  
 それを真夜中に半ば叩き起こされたばかりか、気を失うまでって……。  
 自称とはいえ保護者としてどーなんだろーか。  
 間違ってるよーな気がする。  
 じんわりと冷えてきたのでせめて広いお風呂でのんびり暖まりたいが、それもちょっぴり障りがある。  
 パジャマの襟から自分の胸元に目を落とし、頭を掻き毟りたい衝動を堪えた。  
 そこに無数に散らばる虫食われにも似た赤い点々。  
 いわゆる、まあ、あれだ。  
 きすまーくとかいうやつだ。  
 この感じだとたぶん、首筋とか背中にもあるんじゃなかろうか……。  
 偶然なのか計画的なのか、幸いしっかり装備を着ければ見えないだろうけども、大浴場は無理である。  
 ついでにしっかり着替えて食堂まで行く気力もない。  
 寒いしお腹減ったしで、湧いてくる殺意につい枕を壁にぶん投げた。  
 向こう側でそれが聞こえたのだろう。  
 少しの間と剣を置くような音がして、こんこんっと壁にノックがある。  
「起きたのか?」  
「起きたわよ」  
 のほほんっとした声には不機嫌に返す。  
「腹は?」  
「すんごくへった」  
 苦笑含みになった声に再度同じ調子で返す。  
 また少しの間があってのほほんとした声がした。  
「こっちこないか?」  
 ……呪文を呟かなかったあたしを誉めたい。  
 ジロッと壁を睨んでいると更に苦笑した気配。  
「何もしないぞ」  
 ……嘘っぽい。  
「そっちシャワーないんだろ?」  
 ないとも。大浴場で済ます予定だったし。  
「お前さんがシャワー浴びてる間にメシ貰ってくるぞ?」  
 なんと返すか考えている間にくるるっとお腹の虫が鳴いた。ひもじい。  
「……本っ当に! 今日は手出さない?」  
「おう」  
 なんだか楽しそうな響きは信用ならないが、背に腹は代えられない。  
 すんごくお腹すいた。  
「……じゃあ行くわ」  
 嬉しそうな響きを聞いてからあたしは着替えを持ってマントを羽織ると部屋を出る。  
 パジャマじゃ赤いのがチラチラ見えて恥ずかしい為だ。  
 ドアに近付くとノックをする前にそれは開く。  
 半日ぶりに顔を合わせた彼は嬉しそうに笑ってあたしの頭をかきまぜた。  
 
 警戒した様子の問答をした後、リナはやはり警戒したようでマントの前をしっかり閉じて入ってきた。  
 なんとも言えない衝動は頭を撫でて誤魔化す。  
 確かにやりすぎた気がしなくもない。  
 しばらく撫でていると警戒心も薄れたようで、リナはベッドに着替えを放り投げて転がった。  
「お腹すいたぁぁ……」  
「おう。ほぼ一日寝てたもんなぁ……」  
「誰のせいよ?」  
 じとっとした目は笑って誤魔化した。  
 お前さんのせいだとかありがちなことを言いたいが、それをしたらきっと宿がなくなる。  
「まー……メシ頼んでくるな?」  
「んむ。ガウリイの奢りだからねっ」  
「……おう」  
 少々不穏なことを聞いたが今日は仕方ない。  
 渡された財布を持って部屋を出るとドアを閉めた後から安堵の息が聞こえた。  
 ……完全にその手の信用はなくしてしまったらしい。  
 けれどオレは仕方ないだろう? と苦笑できる。  
 自分で思っていた以上にオレはリナが欲しい。  
 
──信用してるもの。嫌がるようなことはしないでしょ?──  
 
 今より更に寒い時期にさも当然という風に言われたそれ。  
 今なくした信用は多分それに入らない、むしろいらない信用だ。  
 オレじゃなく保護者に対する信用なら余計なものでしかない。  
 シャワールームのドアの音で足を動かして息を吐く。  
 ──以前はそれすらなくしたくなかった。  
 なくしてもいいと知ったのは少し前だ。  
 痛いと泣かれて止まったところに止めるなという叱咤をもらってわかった。  
 あれ以来段々遠慮がなくなってる自覚はある。  
「……しょーがないだろー」  
 ついぼやく。  
 思っていたより欲しがっていた分、我慢も蓄まってた。  
 おかげで今は自制が利きづらい。  
 おまけに抱けば抱いた分だけもっと欲しくなる。  
 首を振って思い出してしまった余計なそれを追い出した。  
 
 まだ人の少ない食堂にメニュー全部という注文をして待っていると知ってる気配がした。  
「兄貴?」  
「おう、久しぶりだな」  
 目を向けると似合わない髭は止めたらしいランツが顔を輝かせていた。  
 随分久しいが今はあんまりありがたくない。  
「あれ? リナ嬢ちゃんは?」  
「部屋で待ってるぞ」  
 言うとランツは首を傾げる。  
「部屋?」  
「オレの部屋で食うって話になってな」  
 そう言うとヤツは人の悪い笑みを浮かべた。  
「ほー、へー、なるほど」  
 顎を撫でつつ頷くランツに嫌な予感がする。  
「そりゃあ、飲むしかないっすね!」  
 やはり。  
「うーん……」  
「ついにってな所でしょ? 久しぶりだしそこら辺ぜひ祝わねーと!」  
 間違ってはいないが、リナの機嫌を激しく損ねそうだ。  
 断る理由を探すが上手い言い訳は思いつかない。  
「これも縁じゃねぇかっ」  
 あつかましく言って邪魔はしないと続けるが……  
「今は虫の居どころが良くないんだよなぁ……」  
「ほぉー? そりゃ尚更からか……いや、挨拶しとかねーと!」  
「へたなことすると町がなくなるぞ?」  
「重々承知してるさっ!」  
 へらへらと笑ってランツは続ける。  
 そうこうしている間に置く場所が無いから一度持っていけと厨房から怒られてしまった。  
「……これ以上ヘソ曲げさせないでくれよ?」  
「わかってるって」  
 オレが釘刺すのにもランツは軽く頷いて酒を持った。  
 仕方ないと息をつく。  
 少し穏やかじゃない気分で部屋に向かった。  
 
 シャワーを出て暫く。  
 ご飯がまだ来ないので、布団にくるまってゴロゴロしてみる。  
 なんだかんだでガウリイの匂いがするそこは落ち着くのだが、昨晩のあれが脳裏にちらつき、なんともそわそわする。  
「うー……」  
 その、そーゆーの自体は嫌じゃないのだ。  
 翌日まともに動けないとか──  
「……ぐっ」  
 胸元に目を落としてつい呻いた。  
 ──こーゆー痕跡は困るが。  
 っつーか恥ずかしい。  
 ちょっぴりサイズの大きいパジャマは微妙に隠し切れないし。  
「リナ」  
 そうやはりあたしが頭を掻き毟りたい衝動と戦っていると、ドアから美味しそうな匂いと共にガウリイの声がした。  
「すまん、開けてくれ」  
 何となくマントを羽織り直しそこに向かう。  
 ドアの向こうの気配が一つでないのに首を傾げ、前を合わせてから開いた。  
「ランツ!?」  
「よお。久しぶりだな」  
 そこにいたのは随分前にとある事件で関わった傭兵のランツだった。  
 人好きする童顔と、赤毛の彼は似合っていなかった髭を剃ったらしい。  
「下で偶然会ったんだ」  
「へー……本当偶然ね。元気してた?」  
「おうっ」  
「相変わらずおねーちゃんのお尻追いかけ回してるの?」  
「う。まあ、後にも先にもトレイの角で殴られたのはあんただけだけどな」  
 そんな古い話根に持っていたとは……。  
「あれはわざとじゃないわよっ」  
「まー今考えると魔法じゃなかったってだけマシだよなぁ……」  
「そーよっ! あれが外だったらあなた黒焦げだったんだから」  
「馬鹿言えっ! あーゆーのは屋内だからやるんじゃねーかっ」  
 そんな断言した彼は腕は悪くないのにとても残念な奴だと思ふ……  
「そーゆーのは後でいいんじゃないか?」  
 ガウリイがテーブルに料理を並べながら言うのにあたしたちは昔話を止め席に着く。  
 席と言っても椅子が足らないのであたしは結局ベッドに戻ったわけだが。  
「まだ来るからな」  
 その隣にガウリイが座ると、ランツはニヤリと笑った。  
「……何よ?」  
「いやいや」  
 カップにお酒を注ぎながらランツは首を振る。  
 まあ、確かにちょっと隣との距離は近いけども……。  
 それ以上突っ込まれないので、そのままカップを受け取り再会を祝した乾杯をする。  
「まーイイ女になったよな」  
 ランツがカップを傾けながら言うのにあたしはシチューを掬いつつ答える。  
「とーぜん! またお尻触ったりしないでよっ」  
「しねーよ。どんな目に合うかわかったもんじゃねぇ」  
「やーね。今度は遠慮なく吹っ飛ばす程度よ」  
「中身は変わってねーな」  
 食べるのに忙しいあたしに呑みながらランツは喉で笑う。  
 
 そうそう性格まで変わらないもんである。  
 そこに階下からしたベルの音を拾ってガウリイが立つ。  
 追加料理ができたらしい。  
「ああ、おれが行くよ」  
 それを制してランツが立つとガウリイは少し安堵したように腰を下ろした。  
「……食べないの?」  
 見てれば先ほどからあまり食が進んでいない。  
 覗きこんだ目はなんだか不穏である。  
「どうしたの? 全部食べちゃうわよ? 一日分なんだから」  
 手を止めずに言うと彼は苦笑する。  
「機嫌直ったのか?」  
「……そもそもそんなに悪くないわよ」  
 なんというか、恥ずかしいのと空腹が重なっていたのだ。  
 開き直ると落ち着くもんである。  
「そっか」  
 わしわしと頭に置かれた手はやや乱暴に動く。  
「たべにくいっ」  
 ぺいっと払いのけると、何かに納得したらしくようやくガウリイも食べだす。  
「マント、外すなよ?」  
「言われなくともっ」  
 レタスで腸詰めを包みつつ言われたそれに頷いてから疑問を持った。  
 が、聞く前にランツが戻ってくる。  
「もう一回分あるらしい。相変わらずすげー量だな」  
「今日一日食べてないもん」  
「へえ? そいつぁまた珍しいんじゃねーか?」  
「まあ、いろいろあんのよ」  
「ほー。そりゃマント着込んでる理由かい?」  
「……ま、まあそんなところね」  
 痛い所を突かれつつも平静を装い照り焼きを口に放り込むあたしに、ランツはニヤリと笑う。  
「見えてるぜ、首の」  
 かしゃん。とついフォークを落とした。  
「どうした?」  
 あたしの動揺っぷりに、不思議そうにしつつも原因には気付かないらしい犯人。  
 腹立たしいのでピーマンの肉詰めを押しつけておく。  
「まあ、いつかいつかと思ったが良かったじゃねーか」  
 しししっと笑うランツにどう答えていいかわからず、ピーマンに青ざめたガウリイを見る。  
 嫌そうな顔でピーマンを返そうとするばかりで頼りにはならないようだ。  
 いや、期待はしてなかったけど。  
「……何よ?」  
「めでてぇなと」  
「なんで?」  
「そりゃ──」  
 再度響いたベルの音。  
 今度こそピーマンから逃げるようにガウリイが出ていく。  
「……で?」  
「ああ、兄貴がやっっっと気付いて、ようやく女にする気になったんだなぁと」  
「? なにそれ」  
「あの人はあんたを子供だって思い込むのに必死だったからなぁ……」  
「子供って……」  
「おー。まーなんだっけか? ゼルの旦那なんかより女扱いしてたけどな」  
 ぽりょっと頬を掻く。  
 そんなのはあたしにはわからないが男同士ならでは何かがあったのかもしれない。  
「──なあ。ところでよ。バレてるんだからマント脱げば? 邪魔臭くねーか?」  
「うーん……」  
 飲み物がお酒なせいか確かに少々暑くはなってきたが。  
「……脱がせてやろーか?」  
「冗談っ! 自分で脱ぐわよっ!」  
 質の悪い冗談に、売り言葉に買い言葉というヤツで、あたしは留め金を外す。  
 それとドアが開くのは同時だった。  
 
 ささやかな嫌がらせから逃げ、料理を持って帰ると目の前が赤くなった。  
「おかえり」  
 軽い挨拶は上滑りする。  
「……おう」  
 なんとか平静を装いつつも、イライラは止まらない。  
 空の皿と入れ替えに並べた料理にまだ目を輝かせているリナはわかってないだけだ。  
 そういう無防備な姿はオレ以外に見せるなと思うのはまだ伝わらないだろう。  
 だぶついたパジャマ姿。  
 リナはランツの鼻の下には気付いていない。  
 際どいところをチラチラと見つつ、オレと目が合うとランツはデレッと無邪気に笑う。  
 こいつは今のところこれ以上妙なことはしないとわかってるだけに苦い気分で酒を煽った。  
 なにも気付かずに談笑しながら皿を空けて行くリナ。  
 アルコールのせいか、ほんのり染まった肌や潤んだ目が、まだ湿っている髪が男にどんなものに見えるか女にはわかっていないんだろうなぁ……。  
 重たく息をついてから、オレも残った皿を片付けだす。  
 つまらない独占欲とかいうんだろう。  
 本当に、我慢が利かなくなっている。  
「セイルーンならまた近々行く予定だけども、あなた前にあたし達といるといくつあっても命が足りないとか言ってなかった?」  
 上滑りする会話の中、聞き捨てならない話を聞く。  
「あの時はおれも若かったからよ。東に行くならおれもついて行きてぇな、と」  
「まー、まだディルスじゃ野良デーモンも出るって言うし。一人じゃ心許ないってのはわからなくもないわよ」  
 暫く道連れになりたいという申し出。  
「本気か?」  
「おう。そーだ兄貴」  
 なにを思ったかランツは剣を抜き、金貨を出す。  
 水平な刃。  
「はっ!」  
 気合い一つと共にそれは斬られる。──いつだったかオレが見せたように。  
 渡されたその断面はまだ拙いが、並みの一流を超えたのは確かだ。  
「へぇ、頑張ったのね」  
「まーな、これで多少は足ひっぱらねーんじゃねーか?」  
「足引っ張るも何も、最近これでも平和なのよ? 仕事って言えば野良デーモン退治とか護衛位だしさ」  
「へぇ?」  
「だからまあ、ついて来ても構わな……」  
 ぽんっとつい肩を叩いた。  
 はっとしたようにリナは言葉を切る。  
「セイルーンまでならね」  
 言い直したそれにランツは意地の悪い笑みを見せた。  
「邪魔はしねーよ、仕事もまあ、そっちも」  
 ぼぼぼっと赤くなるリナを楽しげに見てからランツは席を立つ。  
「ドラまたも可愛くなったもんだ」  
 カップの底の酒を飲み干しくつくつと笑った奴にリナがフォークを投げようとするのをオレが慌てて止める。  
「止めないでガウリイっ」  
「ばかっお前それ刺さるぞっ」  
「おー、おっかねぇ、じゃあまた明日」  
 そんなやり取りを見やってランツが出るとそのドアにしっかりフォークは突き立った。  
 
 じとっとそれを見る。  
 ……照れ隠しで仲間を殺しかねない。  
「何よー?」  
「あのなぁ……ゼルとかならまだしも」  
「へーきよ、フォークが頭にさくっとした位じゃ人間死なないわよっ」  
 どーゆー理屈だ。  
「まーいいけどな……」  
「いいなら離してよ。クリーム溶けちゃう」  
 テーブルの上に残すはデザートのみ。  
 …………  
 デザートのみ?  
「オレのフライは?」  
「さくっとしっとりと、コクがあってソースもしつこくなく美味しかったわよ」  
「こら」  
 当然という顔で言うリナ。  
 腕を押さえられている自覚は無いらしい。  
「全部食べちゃうわよって言ったじゃないっ」  
 言っていた。確かに言っていた。  
 けどもいつの間に。  
 唇を尖らせた顔を眺めることしばし。  
 人の分は食うし、言い付けは守らないし  
 無防備に他の男と仲良くするし。  
 いじめてもいいだろう。ちょっと位。  
「ガウリイ?」  
 デザートを気にするリナにいっそ清々しい気分で笑う。  
「ひゃうっ」  
 そのまま耳に齧りついた。  
 
 どれが彼の怒りを買ったのか。  
 やぱピーマンのついでにフライも食べてあげたのは良くなかったのかもしんない……。  
 ケーキセットのクリームから角が消え始めているというのにガウリイは手を離すどころか耳に甘噛みなんぞしてくれる。  
 つい出た変な声に更に笑う保護者はちょっと恐い。  
「今日は手出さないって……」  
「……仕返しは別じゃないか?」  
 ちくりと訴えれば朗らかに不穏なことを言うそれ。  
 器用に片手であたしの両腕を押さえこみつつにっこり笑う。  
 まずい。非常にまずい。  
 明日からランツも同行する以上、今朝のよーなことは困るし、何よりケーキが食べられないっ  
「や、その、フライ食べちゃったのは謝るわっ!」  
「ほー?」  
 さわさわっと指が首筋を動く。  
 ぞくぞくっとしたそれはなんとか堪えるが、バレているだろう。  
「まーフライだけでなく」  
「ぴ、ピーマンのことも謝るっ」  
「……それもあったか」  
 うあっ。余計なこと言った!  
 ぷつぷつとボタンを外す音は思考を空転させてくる。  
「や、えと、ごめんってば」  
「……どれを?」  
「えーと……んっ」  
 胸を齧られてまた変な声が漏れる。まずい。  
 つつつっと舌が耳元まではい上がるとまたぞくぞくした。  
 耳元で熱い息がしてくらくらする。  
「もうちょい自覚してくれ」  
「……へ?」  
 目をやると熱を持った目にぶつかる。  
 それが閉じると噛み付くように口を塞がれた。  
 なにを自覚しろというのか……  
 口だけで全部食べられるような錯覚に流され、ぼやけて来た頭では考えもまとまらない。  
 息が苦しいけれど、自由になった腕は彼の首に巻き付き離さない。  
 腰の辺りから広がる甘い痺れはあたしの思考を酔わす。  
 息継ぎの度に漏れる声と、手に合わせて跳ねる体にガウリイは笑う。  
 霞む視界とぼやけた頭。  
 キツく抱き締められて──  
「ケーキ、食うんだろ?」  
 楽しそうに言われたのはそれだった。  
 うわぁ……  
 
 ポンポンっと頭を撫でて、離したかと思うとお茶の用意なんぞ始めるガウリイ。  
「……食べるわよっ」  
 てろんとしてしまったクリームを見つつ何とも言えない悔しい気分でフォークを握る。  
 つい零したため息はやるせない熱を持っている。  
 気を抜くとぼやける脳ミソで口に運ぶケーキは苦い。  
「どうした?」  
 これがつい先ほどあんなキスしてきたのと同一人物なんだろーか。  
 いつも通りに笑って首を傾げるガウリイ。  
「……なんでもない」  
「──そうか」  
 含みある声で頷いて、ランツが置いていった酒瓶を振ると目線で飲むかと聞いてくる。  
 無言でお茶を飲み干し差し出すと、苦笑しながら注いでくれた。  
「オレ皿返してくるから、部屋戻ってていいぞ?」  
「……うみゅ」  
 なんでそんな平気そうなのか。  
 あたしが最後の一欠けをお腹に納めると、いつも通りに頭を一撫でして部屋を出ていくガウリイ。  
 つい重たいため息をつく。  
 苦いお酒を一気に飲んでそれを誤魔化し、布団に包まる。  
「自覚っへあによ?」  
 ……お酒が回ったよーだ。  
 ベッドでゴロゴロしながらイマイチピンと来ないそれを考えているとドアが開く音がして、小さく笑う声を聞く。  
「……逃げる時間はやったからな?」  
 やはり朗らかに言われた不穏な内容。  
 ──考えるべきことを間違えたよーだ。  
 
 部屋に戻って、やはりまだいたリナに声をかけると見るからに焦ったようだった。  
「えと……」  
 赤い顔と少々ぼやけた目付き。  
 ちらっと先ほど酒を注いだカップを見るとそれは空になっている。  
「なんだ……酔っ払いかぁ……」  
「よっへらい!」  
「呂律回ってないぞ?」  
「う……」  
 ベッドに座るとあからさまに肩を竦めるリナ。  
「で? 酔ってないならどうして欲しいんだ?」  
 耳に向かって小さく聞けば、小さく体を震わせて固まる。  
 返事は元々期待していない。  
 なんとも難しい色を灯した瞳で上目遣いに見てくる。  
 怯えと期待を混ぜたような色だ。  
「その……」  
 言い訳を開きかけた唇を塞ぐと直ぐに目は力を無くす。  
 先ほどの行為で下地はできているのは知っている。  
 首筋をくすぐって小さく跳ね続ける体を宥めるように撫でると耐えきれないという風に声を洩らした。  
「どうする?」  
 そこで聞けば暫く視線を彷徨わせてから呟く。  
「……やら」  
 ──素直じゃない。  
「わかった」  
 しっかりしがみ付いてる腕を外して転がって目を閉じる。  
「がうり?」  
「おやすみ」  
 呂律が回らない声に苦笑して見せて、頭を撫でると困り切った様子でもじもじしだした。  
「あの……」  
 左腕にしがみ付いてくるが黙っておく。  
「その……」  
 ぐりぐりと肩の辺りに額を擦り付けてくるが黙っておく。  
「えと……あー……」  
 更に黙って寝たふりしていると頬に唇……ではなく齧られた。  
「……をい」  
 違う。何か違う。  
 リナらしいと言えばらしいが。  
「何がしたいんだ、お前さん?」  
「……うー」  
 涙目で訴えるが、わからないふりをする。  
 仕返しはまだ終わってない。  
「ん?」  
 笑ってやると、気まずそうに目を反らし、真っ赤な顔で目を閉じて口を開いた。  
「やめちゃやだ」  
 小声のそれで許すことにした。  
 ──というか実際のところ我慢の限界を迎えた。  
 
 この男はいつからこんな根性悪だっただろーか?  
 あたしの言いたいことなんかみーんなわかっているという顔で笑ってるくせに聞いてくる。  
 そして非常に残念なことにあたしもこいつが言いたいことはだいたいわかっている。  
 要は言わせたいのだ。  
「やめちゃやだ」  
 あなたが欲しいと。  
 聞いてすぐ嬉しそうな顔で笑い、今度はいつも通りに口付けてくる。  
 優しいけど、自分のものだと主張したがるようなそれ。  
 あたしはあたしのもんだが半分位はあげてもいい。  
 応えるつもりで舌を動かすがくすぐったくて、全身痺れてくるそれは上手くいってるかは謎である。  
 ──そか。  
 でっかい手や優しい唇はやはり言葉がなくとも明確に伝えてくる。  
 ──知ってはいたがばかなやつ。  
 けど気持ちはわからなくもない。  
 ランツとは言え、他の男とガウリイを差し置いて会話を楽しんだり、まあ、パジャマ姿なんか見せたのが気に食わなかったのだろう。  
「──ね」  
「おう」  
 お互い荒くなった息の合間に、理性が溶け切る前に伝えておく。  
「あたしは基本的にあたしのもんだわ。──けどあんたのもんよ」  
 手加減なしに入って来たのに理性が飛ぶのと同時に喜色を含んだ声が耳元でする。  
「知ってるぞ」  
 ……ちぇ。  
 悔しいけど、こいつもあたしのもんだから──  
 しがみ付くと力強く返ってくる。  
 ──なんのかんの言いつつやっはり幸せだなぁなんて思うのだ。  
 
 
 結局やりすぎた気がする朝。  
「あう……」  
 隣でリナの涙声を聞き頬を掻く。  
「……おはよ」  
 少々気まずい気分で声をかけるとやはりスリッパの洗礼を食らう。  
「また増えてるじゃないっ」  
 白い肌に所有権を主張する赤い染みは確かに増えてしまった。  
「……いいじゃないか」  
 目を落としてから言うと赤くなって目を反らす。  
 オレにもある赤い染みはリナが付けた。  
 ヒリヒリする背中は多分傷だらけだし。  
「まあ……寝不足じゃないのが救いね……」  
 気怠そうに言ってため息をつく。  
「昨日は早かったからなぁ」  
「やかましい」  
 スリッパを追加され、苦く笑うと、リナは荷物を取りに行くとベッドを出て寒そうに震えた。  
 寒そうにしながら服を着るのを眺めつつぼんやり声をだす。  
「部屋一つでいいんじゃないか?」  
「うーん……それはちょっと都合が……」  
「都合?」  
「盗賊いぢめとか……あ。」  
「……ほー?」  
 ──ちゅん、と窓の向こうで鳥が鳴く中、ひゃんっ、と腕の中でリナが鳴く。  
 
 かろうじて昼過ぎに旅立つことはしたものの、次の宿に着く前にリナはオレの背中で寝ることになった。  
「まあ、いいんだけどよ」  
「すまん」  
 呆れた様子のランツに苦笑して、なかなか進まない旅路が始まった。  
 

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