長く、幸せもあり、辛いこともあった旅の末、雪の女王の氷の城から
カイを取り戻したゲルダは故郷の街で17歳になり、カイとはいつも
双子のように寄り添い、毎日を幸せにおくっていた。
旅を終え、街に帰ってきたゲルダはとても美しく成長し、
街の若者たちの多くは彼女に想いを寄せるほどになっていた。
そんな事も知らず今日もゲルダはカイと二人で子供の頃に
二人で探した教会のある森にやってきていた。
「…カイ、ここは昔と何も変わらないね…」
「ゲルダ、今日は君に…話したい事があるんだ」
「なあに?あっ、カイ!薔薇の花が!」
倒木に座っていたゲルダが見つけたのはあの時のような
赤い薔薇と白い薔薇だった。
「ゲルダは赤い薔薇が好き。取ってあげるよ」
カイは赤い薔薇に手を伸ばす。
「いたッ!トゲが刺さったよ」
「カイ!大丈夫!?」
その時二人の手が触れ合う。しばしの沈黙。森の静寂…
「…ゲルダ、僕と結婚してほしい」
「えっ!」
ゲルダは困惑と恥じらいの入り交じった様な顔をして、頬を赤らめた。
「僕じゃ、ダメかい?」
カイは真摯な眼差しでゲルダを見つめる。
「カイ…ラギさん…ラギ…」
ゲルダも目にいっぱいの涙をたたえ、カイを見つめかえした。
「カイ…ごめんなさい…私の一番大切な人はやっぱりラギさんなの…
私がカイを探して旅に出て、そしてラギさんと出会って旅をして
旅は生きること、そう教えてくれた、大好きな人…」
ゲルダが言葉を続けようとするのを遮るように、カイはゲルダに突然くちづけた。
「ゲルダ!君は命をかけてまで僕を助けに来てくれた!それなのに…!」
初めてのくちづけとカイの剣幕に動揺するゲルダを、カイは力ずくで抱き寄せ、
もう一度くちづけをする。
「カイッ!何をするのっ!」
ゲルダの必死の抵抗もむなしく、カイはゲルダを組み敷いて首筋を唇でまさぐった。
森の苔の薫りとゲルダの肌の花のようなにおいがカイの情欲をかきたてた。
カイの両手は、小さめだがかたちの良いゲルダの双丘にあてがわれ、カイはその感触を愉しんだ。
我を忘れて女の躯にむしゃぶりつくカイの下でゲルダがかすれた叫び声を洩らす…
「…ラギ…ラギ!助けて!!助けてっ!!!」
涙に濡れるゲルダの顔、そして声に、カイはハッとしてゲルダの身体から身を離した。
「…ごめんゲルダ…僕がどうかしていた…許してくれとは言わない。でもこれからも…どうか…」
はぁはぁと息づき謝るカイに、身体を起こしたゲルダはまた涙をたたえた
瞳で見つめた。怯えも軽蔑もこもっていない、その瞳は美しかった。
「私たち…もう友達ではいられないね…」
ゲルダは泣きながら言う。カイははそっとゲルダを抱きしめた。ゲルダは今度は抵抗しなかった。
「カイ…白い薔薇をあげる」
カイの腕を離れ、ゲルダは白い華奢な指で、輝くばかりに白い薔薇を手折った。
そしてそれをカイに手渡し、優しく微笑むと、ゲルダは去っていった。
「この森は変わらないね。でも私たちは変わってゆくんだね…」
教会の鐘が街中に響きわたる。晩冬の珍しく雪の降る日だった。
ゲルダの祖母マティルデが死んだ。
ささやかな葬式の参列者の中、ゲルダは黒いベールに黒い喪服を身につけ、
棺に祖母の好きだった百合の花をそっと手向けた。やがて棺はゲルダの父と母が
眠る墓地へと運ばれ、皆の祈りの中で安息の場所へ葬られた。
ゲルダは棺に土がかぶせられ、やがてその上を白い雪が覆うまで
身じろぎもせず見つめていた。そんなゲルダをカイもまた見つめていた。
(おばあちゃん………おとうさん…おかあさん…私、一人になっちゃったよ…)
マティルデは死ぬ前に、ゲルダの花嫁姿、そして子供が見たいとよく言っていた。
そしてゲルダはマティルデがカイにゲルダの夫となって家庭を築いていって欲しい、
と思っていた事も知っていた。あの森での一件からゲルダとカイは微妙な距離を
取っていたのもマティルデは気付いていたのだろうか。
(ごめんなさい…おばあちゃん、ごめんなさい)
埋葬が終わり、参列者たちが帰ったあともゲルダは墓のそばで立ち続けていた。
「…ゲルダ…風邪ひくよ」
いつのまにか傍にいたカイが声をかける。
降りしきる雪はゲルダの黒い服に降り積もり、吐く息は白く凍った。
「父さんと母さんと話しあったんだ。君、一人だろ?うちに来るといいよ。
いや、あの、僕のお嫁さんとかでじゃなくて、家族として」
「カイ、ありがとう。でも私は大丈夫。なんとかする」
「でも…!」
「私、決めたの。たとえ一人でも生きてみせるって」
ゲルダはそれ以上何も言わなかった。やがてカイはその場を離れるしかなかった。
(おばあちゃん…)
こんな時、あの人ならどうするだろう…そんな事を考えて、ゲルダは祖母が死んで
初めて一人で泣いた。
その時、ゲルダ以外誰もいない墓地に背の高い一人の男が現われた。
「さまよえる魂よ、白い空から舞い散る雪よ、汝安らかに神の御元に」
低いリュートの響きが鎮魂歌を奏でる。
ゲルダは顔を上げその男の姿を見た。
「…ラギさん!ラギ!!」
白い雪が舞う墓地。ゲルダはラギに思わず駆け寄って抱きついた。
「ラギ?本当にラギなの…?」
「ゲルダ…何年もずっと近くの街からお前を見守っていた…だが今日姿を現わした…」
「…私ずっと待ってたんです。ラギを!」
ゲルダは泣きながら微笑みラギを抱きしめる腕に力をこめる。
「ゲルダ。とても美しくなった…」
「ラギ、私一人ぼっちになってしまいました。でも、ラギ…こうして出会えて…」
「ゲルダ…お前を愛している。それだけを今日言いに来た」
「また行ってしまう…って事ですか?私もラギだけを愛しているんですっ!」
「私たちは一緒になれない。私は氷の呪いに縛られた者。お前を不幸にする…」
「ラギの心はまだあの時の氷の呪いに囚われているんですかっ?私がその呪いを溶いてみせます!」
言うなりゲルダはラギに接吻した。その時降りしきる雪は止み、雲が割れて光が差した。
「ゲルダ…」
「氷の呪いをあなたを脱ぎ捨てるというなら、私は愛という衣でラギを包みます!
いつまでもあなたと一緒に行きます!」
「ゲルダ…!」 二人は明るく照らされた墓地で抱きしめ合った。そしてまたくちづけを交わす。
その後、街から一人の吟遊詩人と一人の少女が共に旅立ったのを見た人は誰一人いなかった。