気付かなければよかった  
すべての感情に蓋をして覆い隠してしまいたかった  
こんな醜い感情に気付かなければ、どんなにか幸せだったろう。  
「リセリナ・・」  
目の前のソファーに腰掛け、フェリオは苦い顔でリセリナを見つめていた。  
不機嫌そうな表情から察するに少し怒っているのかもしれない。  
そしてそれ以上にリセリナを心配してくれているのだろう。  
王子の綺麗なガラス細工のような瞳が不安げにゆらゆら揺れている。  
フェリオさんは優しいひとだから、この世界で孤独な来訪者を放っておけないのだ。  
それだけなのはわかっている。  
リセリナを特別な感情で見ているわけではない。  
だから動揺してはいけない。  
いくら心が、しくしく痛んでも。  
 
「私は行きます。もう決めたことです。」  
泣いてしまわないように、迷わないように、凛とした口調でリセリナは告げた  
しかしフェリオの表情はますます曇っていく。  
「ラトロアに行くなんて、危険だ。俺は同意できない。」  
「平気です。私には腕輪がありますし、それにハーミットさんも一緒ですから。」  
意識して笑顔を作ったが、やはりどこかぎこちなかったのかもしれない。  
ふたりの間に気まずい沈黙が流れた。  
一瞬が永遠にも感じられる、永い時。  
沈黙を破ったのはフェリオのほうだった。  
「・・国内が落ち着いたら俺がリセリナをラトロアへつれていくよ。だからもう少し待ってほしいんだ」  
「それは無理です、フェリオさん・・」  
「どうして?俺は確かに王族だけど国さえ落ち着けば旅くらい行ける。」  
「・・そういうことじゃないんです。」  
つらいのだ、フェリオのそばにいるのが。  
触れてほしくなる。  
抱き締めてほしくなる。  
リセリナを見てほしいと思ってしまうのだ。  
いつからか、気持ちを抑えることが難しくなってきていた。  
それどころか思いはますますふくらんで、あふれてしまいそうなのだ。  
自分はこんなに卑しい人間だったのか。  
フェリオさんにはウルク様がいるのに・・。  
 
そうウルク・ティグレー。リセリナは脳裏に空色の少女を思い浮かべた。  
女らしくしとやかで、でも筋のとおった美しい女性  
そして何よりフェリオと同じ世界のひと・・。  
リセリナとは何もかにも違う。  
「フェリオさんにこれ以上ご迷惑はかけられません。ウルク様のおそばにいてあげてください。」  
リセリナはぺこりと頭を下げて席を立った。  
これ以上、ここにいるのはつらい。  
「リセリナ、待て!」  
フェリオの傍を擦り抜けてドアに手をかけようとした時、ぐい、と腕を引かれた。  
「フェリオさん??」  
勢い余って重心が定まらず、リセリナはフェリオの腕に傾れ込む形になった。  
「い、痛っ」  
離れようとしたが、かなわなかった。  
なぜか身体が思いどおりに動かない。  
「フェ、フェリオさん!?」抱き締められているのだ、と気付いたのは、たつぷり間を置いた後だった。  
「あ、あの・・」  
事態をようやく把握できたリセリナは、今度は違う意味で戸惑うこととなった  
つまり、なぜ、今自分がこういう状態にあるのか。  
きつく抱き締められていてフェリオの表情はうかがえない。ただ、王子の熱い体温と速い鼓動の振動が衣ごしに伝わってきた。  
不謹慎だと思いながらもリセリナは頬が熱くなるのを感じた。  
「・・ラトロアに、リセリナのお父さんの手がかりがあるのは知っている。」  
ようやくフェリオが口を開いた。フェリオらしからぬ硬い声だった。  
「だけど俺は縛り付けてでも、リセリナを行かせない」その言葉にリセリナは息を呑んだ。  
「フェリオさん?」  
「友人なら、笑って君を見送ってやれるだろう。俺もずっとそうだと思っていた。そうあるべきだと。だけど、違う。」  
リセリナを抱き締めるフェリオの腕の力が強まった  
「・・リセリナをハーミットと共に行かせたくないんだ。」  
リセリナの心臓がどくんと高鳴った。  
そして早鐘のように響きだす。  
「俺のそばが、君の居場所はここだ。」その言葉が、胸を突いた  
思わず堪えきれずに泣きだしそうになった。  
・・夢を見ているのだろうか。本当は、ずっと欲しかった言葉。心の奥底に秘めていた願い。  
本当は、本当は、ウルク様より私を・・  
私を選んでほしいと切望していた。  
傷つくのが怖くて、ごまかしていただけ。だって、私はここではよそ者でしかなくて、しかも厄介者で。  
フェリオさんのお父さんやお兄さんも私のせいで亡くなって。  
そんな私を愛してほしいなんて言えなかった。  
望むことさえ自分に許せなかった。だけど、フェリオは自分のそばがリセリナのあるべき場所だと言う。  
帰る場所だと言う。  
フェリオの胸のなかは、なぜか懐かしい父の匂いがした。リセリナを優しく保護して、何があっても守ってくれる。  
「なら、私を抱いてください、フェリオさん。」  
思わず口にしていた。  
フェリオが息を呑む気配がした。  
「・・私はフェリオさんが・・」それ以上は言えなかった何を言いたいのかリセリナにもわからなかった。泣きそうになるのを懸命に堪えた。  
ふわり、とリセリナの身体が宙に浮いた。  
「きゃ・・」  
あわててフェリオの首筋にしがみついた。  
フェリオはリセリナを抱え上げ、寝室のドアを開けた。「フェリオさん・・?」「言っておくけど、俺は緊張してるから。」  
「え・・?」  
「優しくなんてできないかもしれない。」  
照れたように、ぶっきらぼうにフェリオはつぶやいてリセリナを抱えたまま寝室の奥へ進んだ。  
 

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