「ふ〜ん……」
ぱりっ、とスナック菓子を齧りながら、昼ドラを眺めていたツインテイルのエンジェロイドは何とは無しに声を漏らした。
その視線の先では、『あぁ、奥さん。僕はもぅ……』『三河屋さん、私も……』と、若い男女が唇を重ね合っている映像が流されていた。
(そう言えば、動物園の最後で結局トモキとはキス出来なかったんだっけ……)
以前のデートを思い出し、ニンフは小さく溜め息を吐いた。
(まぁ、あの時はまだわたしも良く解ってなかったし、早まらなかっただけ良かったって思えば……)
「うわ〜。口をくっつけてますけど、ニンフセンパイ、あれは何なんですか?」
「キスって言うのよ。何でも、地上では好きな者同士がするみたいね」
隣で菓子の相伴に預かっていたアストレアの問いに、ニンフは声だけで返した。
「ニンフ、アストレア……」
と、居間に入ってきたイカロスが盆に載せてきた湯呑みを卓袱台に移した。
「ありがと、アルファー」
「あ、どうも」
テレビから視線を外さないニンフとは対照的に、先輩エンジェロイドからの給仕にアストレアは肩を竦ませて会釈を返した。
「イカロスセンパイ、ちょっと良いですか?」
「……何? アストレア……?」
茶を啜るニンフの隣で、アストレアが興味津々とした瞳でイカロスを見上げる。
「イカロスセンパイは、もうアイツとはキスしたんですか?」
「――っぶぅ!? ケホッ、ケホッ……。デ、デルタ、アンタっていつも突拍子も無い事を言うわね」
「いや、まぁ、気になってて……」
卓袱台に飛び散った茶を拭き取っているイカロスの隣で、むせたニンフが呆れた表情を浮かべた。
「で、イカロスセンパイ。どうなんですか?」
台拭きを盆に載せたイカロスに、再びアストレアが尋ねた。
「……あるわ」
「えぇっ!?」
「おぉ〜」
イカロスの答えに、ニンフとアストレアが声を上げた。
(ま、まさか、トモキってばアルファーの事が好きなの!?)
「それで、それで? アイツとキスした時、どうだったんですか?」
衝撃に震えるニンフを尻目に、好奇心に逸ったアストレアが続きを促した。
「……マスターに、怒られた」
((お〜っと、それはまたリアクションに困る結末だわ))
表情だけは清々しく、ニンフとアストレアは同時に湯呑みに口を付けた。
「でも、それって、アイツはイカロスセンパイの事を好きじゃないって事ですか? だって、好きな者同士じゃなきゃ駄目なんですよね?」
「……え?」
「ち、ちょっと、デルタ!?」 遠慮も深慮も無いアストレアの言葉に、イカロスの翠の瞳が大きく揺らいだ。
「……マスターは、わたしの事が好きじゃない?」
「イ、イカロスセンパイ!?」
「ア、アルファー!?」
ぽろぽろと、大きな瞳から涙を滴らせ始めたイカロスに、ニンフとアストレアがおろおろと慌てふためいた。
と、
「お〜い、ニンフ。ちょっと小腹が空いたんだけど、何かお菓子分けてくれないか?」
二階から降りてきた智樹が、居間に降りてきた。
「あ、マスター……」
「――って、イカロスっ!? お前、何で泣いてんだ!? お、お腹とか痛いのか!?」
振り返ったイカロスの泣き崩れた顔に、智樹が血相を変えて詰め寄った。
「……いえ、各部に異常は見られません」
ふるふると首を振るイカロスに、智樹が取り敢えずの安堵の表情を浮かび上がらせた。
「どうしたんだ? イカロス? 何か恐い事でもあったのか?」
「……あ」
智樹の手の平が、幼子をあやす様にイカロスの頭をゆっくりと撫でた。
「言い難い事や言いたく無い事なら、無理に言わなくても良いからな。他人には言えない悩みってのもあるワケだし。ただ、お前が困ってるのを見て心配する奴等がいるって事は忘れんな?」
「……あ、はい。……マスター」
それまでとは違う所から溢れてきたイカロスの涙に、居間に穏やかな雰囲気が漂った。
「……マスター、一つ訊いても宜しいですか?」
「ん? 何だ? イカロス」
じっと見つめてくるイカロスに、智樹が優しい微笑みを見せた。
「……マスターは、何故わたしにはそはらさんや会長さん、ニンフやアストレアと同じ様に接してくれないのでしょうか?」
(お〜っと、そうきましたか……)
聖人の様な表情の儘、智樹は背中に嫌な汗が拭き出るのを覚えた。
「なぁ、イカロス。もし、俺がこの場でお前に脱げって言ったら――、って、もしって言っただろ!? 脱ぐな、脱ぐな! お前等も、そんな冷ややかな目で俺を見るな!」
幸いにも胸の頂きで服が突っ掛かった状態で止まったイカロスに、智樹が肩で息をしながらその剥き出しの両肩に手添えた。
「お、お前が俺を怒れるようになったら、考えておいてやるよ。そう言う事」
「そうですよ〜。イカロスセンパイがそいつをぶっ飛ばせるようになってからですよ」
「そうね。アルファーは、先ずそこから始める必要があるかしらね」
「?」
智樹のみならず、まさかの同じエンジェロイドたちからの鳥籠への反抗の教唆に、イカロスはただ首を傾げていたのだった。