2月9日。
毎年恒例のバレンタインデーも近付き、近所のスーパーやコンビニではチョコレートフェアが開催される時期。
特色化選抜に向けて最後の追い込み勉強をする受験生以外の男女はこぞって浮き足立ち、何処と無くそわそわしだすようなそんな季節。
もちろん、我らが主人公桜井智樹とて例外ではなく、この日は普段よりもそわそわとして何処か落ち着きがなかった。
「ねぇ、トモキ」
「なんだよニンフ。見ての通り、俺は今読書中で非常に忙しいんだ。冷蔵庫の中にヨーグルトが入ってるから向こう行ってなさい」
「うん。でも、それ……向きが逆さまだよね?」
「あぁ、うん。そうですね」
一件、普段通りエッチな本を読んでいるように見える智樹。
しかし、ニンフの言う通り彼の読んでいる雑誌の向きは逆さまで、彼女への返事も上の空。おまけに、何か大事な考え事をしているような、ピリピリとしたオーラを放っていてなんとなくいつもの智樹とは様子が違う。
よく見ると胡座を掻いた彼の両足は、まるで何かに緊張するかのように小刻みに震えている。
「トモキ、アンタ本当に大丈夫なの?」
恐る恐るといった感じでちょんと彼の肩を叩くと雑誌がポロリと智樹の手からこぼれ落ち、【貧乳至上主義】とデカデカと記されたページを広げながら畳の上に広がった。
智樹はそれを拾おうともせず、涙混じりの声でニンフに語り掛ける。
「なぁ、ニンフ。もしもの話なんだけどさ、もしも俺があと数日しか生きられない命だとしたらお前はどうする?」
「……は?」
「いや、だからさ。もしも俺が避けようのないなんらかの事情で残り数日しか生きることが出来ないとしたら、お前はどうする?」
あまりに突拍子な話に「まるで意味が分からない」といった様子できょとんとした表情を浮かべて智樹を凝視するニンフだったが、そんな彼女を見つめる智樹は至って真面目な顔をしていた。
「お前にも分かるように簡単に説明するとだな……ニンフ。お前、2月14日は何の日か知ってるか?」
「それくらいは知ってるわよ。2月14日はバレンタインでしょ? それが智樹の余命となんの関係があるのよ?」
全く訳が分からないとニンフは首を捻る。
そんなニンフをどこか悟ったような優しい眼差しで見つめながら、智樹は言葉を続ける。
「じゃあ、続いての質問だ」
「う、うん」
「そのバレンタインの日に義理であれ本命であれ俺にチョコレートを送ってくれそうなヤツは誰だ」
「え……っ!?」
本命というフレーズに敏感に反応してニンフは頬を紅潮させた。
実はニンフ、来たる日の為にイカロスに頼み込んで手作りチョコの作り方を教えて貰い、密かに特訓を重ねていたのだ。
「……アンタ、もしかして誰からもチョコを貰えないかもしれないと思って落ち込んでるの? あ、アタシはあげるわよ? 一応……その、トモキには世話になってるワケだし、別にアンタの事嫌いじゃないし……だからその――」
元気出して。と続けようとした言葉は智樹に抱き締められた事で霧散した。
「ちょ、トモキ!?」
「ありがとな、ニンフ。でも違う。違うんだ! むしろ、貰えるからこそ俺の命は危険に晒されているんだ!!」
「ど、どういう事なの……?」
突然想い人に抱き締められて嬉しいやらなにやらで、茹で蛸のように顔を真っ赤にして狼狽えるニンフ。
ニンフをぎゅっと抱きしめながらぶるぶると恐怖に打ち震える智樹。
「……そはらだ」
「あ〜……」
やっと納得した、というようにニンフは頷いた。
「2月14日当日。俺はほぼ間違いなくそはらからバレンタインのチョコレートを受けとる事になるだろう」
「アイツは変に凝るヤツだからな、当然チョコレートは手作りである事が想像出来る」
「……だが、非常に残念な事にそはらの作るチョコレートは殺人兵器だ。自然災害だ。もはや、地球上に存在する全ての生命への冒涜だと言っても過言じゃない」
「それは、流石にちょっと言い過ぎなんじゃ――」
「――甘いッ!!!」
「きゃあッ!?」
「分かってない、お前は分かってないんだ! そはらはただフライパンで卵を焼くだけの目玉焼きを作るだけで謎の暗黒物質を生み出してしまうような女だぞ。もし、そんな女がチョコレートなんて作ってみろ」
「それを口にしたら最後、食ったヤツはほぼ間違いなく死ぬ」
「……ゴクリ」
根は優しい智樹の事だ。なんだかんだ言っても彼はしっかりチョコレートを食べるのだろう。
そして、間違いなく彼は死ぬ。
それも、見ているのも辛くなる程に悶え苦しんで死ぬ。
最悪の状況を想像して、ニンフは生唾を呑んだ。
「トモキ、死んじゃやだよぉ」
「泣くなよニンフ。俺だってまだ死にたくねぇ。でもな、こればっかりは仕方がないんだ。チョコが……そはらのチョコレートが攻めてくるんだ」
「それはもう、どうしようもないの?」
「あぁ。イカロスが存在する今、たとえ俺がどんな遠くに逃げたとしても確実に追い詰めて息の根を止めるだろう」
「ヒドイよ。そんなのってないよ!!」
抱き合ってさめざめと涙を流すふたり。
「あのさ、ニンフ。こんな時だから言うけど……俺さ、お前の事、結構好きだったよ」
「……アタシも、トモキの事好きだった」
「じゃあさ……もし、俺が無事に生きて2月15日を迎える事が出来たら、その時はニンフ――結婚しよう」
「うん、うん!!」
時は流れ2月15日。
バレンタインデーも終わり、新しく誕生したカップルや特色化選抜の終わった受験生が憑き物が落ちたような清々しい顔で道を通っていく。
そんな中、ニンフはひとり物憂げな顔でとぼとぼと歩いていた。
「トモキ……」
歩いて歩いて、ようやくたどり着いた場所は墓地。
【桜井家之墓】と彫刻されたひとつの小さな墓石の前に一輪の綺麗な花と手作りチョコレートを供え、彼女は今はもう居ない愛した人の名前を呼んだ。
「トモキ……大好き」
『俺もだよ、ニンフ』
続く……かも。