漆黒、薄墨、何れなりとも常闇の世界であった。  
那辺より来やるのかわからぬ菫色の幽光が気紛れに闇の色を変え、亡者の白面を明らかにすれば、常闇  
の世界、亡者の貌、腕は地上のものに無い白さでもって闇をなお深く見せた。  
その冥府のくらやみの、目を凝らしそのうちまことの凝りに気がつけば、それが死その者、即ち冥王である。  
王の傍ら、石の褥に娘は仰臥していた。  
褥は冥府よりの石、亡者の欠片でも紛れたか、暗くきらめく白色の、それよりなお白い娘であった。焔のなか  
もっともまばゆく輝く年のころ神の類に捧げられた娘であった。冥府に於ては冥王の花嫁となる娘であった。  
花嫁の名はアルテミシアと言った。  
穏やかな表情で、冥王が知る限り、娘がそのような表情をしていたのは死する者たちの蜻蛉のいのちのよう  
な焔の中においても、ほんの一瞬。産着、乳の余香と母の腕のなか。  
その砌には常に傍らにあった、器たる青年の面差しを娘のうちに見ながら、冥王はその双つの差異をなぞる  
ように、たおやかな頬を愛撫した。その頬に焔の熱はなく、冬の夜の冷気もなく、唯々感じるのは己の花嫁た  
る娘への愛しさであった。  
何処に壁があり、何処に柱が在ろうと同じようには響かぬ響きでもって冥王が語りかければ、それを享けてア  
ルテミシアは二度三度、銀無垢の睫を震わせたのち目をあけた。  
娘の菫の瞳は用を為さないが、冥府に於いて、或いは冥王という存在の傍らに於いてはそのような手段を必  
要とせず、覚醒ののちただちに己が何時より何処に在るか、また何者の傍らにあるかを、そして己の役割を  
正しく理解するようであった。  
盲いた瞳でもってひたと冥王を見つめたのち、その正しき名を呼ぶと再び目を閉じ其の人の訪れを待つ。いま  
やアルテミシアには欠落も過剰もなく、在るべきものの傍らに在ることを歓びとし無垢の笑みを浮かべていた。  
それを見やり、こだまのように唇端に笑みを浮かべた冥王は、漸く己のものとした娘をまことの花嫁とするため  
くちづけた。  
 
くらやみのなか、ミーシャは愛撫をそこここに感じながら同時に王を感じていた。  
頬を撫ぜる長い髪はまさに絹の感触であった。唇は熱を、焔を冬を知らず、唯互いが対のものであるように  
合わさり、若枝に似たしなやかさを持つ指の動きはミーシャを翻弄するばかり。ミーシャとて娼婦見習のころ、  
美しい二人に彼是を仕込まれていたが、この手管の前では嵐女神に翻弄される小舟、ただの小娘であった。  
王がミーシャの、娘であるところにくちづけた際の不意の快感に伸ばした手が触れた王の膚はすばらしくす  
べらかで、それ自体が官能的であると言えた。  
煮詰めた砂糖のようにミーシャは蕩け、冥王の若枝のような指がそこを過ぎれば夜霧のごとく枝を濡らす。  
ミーシャはあまりの快さに慄いた。盲いの闇でなく、意識の闇の闇へと溶けていくことに、闇のなかに煌めき  
があり、それが輝きを増し獣の早さで近づいてくることに恐怖を覚えた。己よと、すがるものを求めて手を伸  
ばした先には冥王の背中があった。それを引きよせ招き入れた瞬間娘のうちに光がはじけ、すべては冥王  
のものとなった。  
王は閉じようとする扉を何度も抉じ開けミーシャのなかの別の扉を次々と開いていった。時に獣のように四足  
を付かせ、時にミーシャを腹に乗せ、様々にまぐわい、そうしてミーシャのくらやみが意識のものになったころ、  
漸く冥王はその歓びを彼女の胎に知らしめたのである。  
神話の時代、それは冥府に母の嘆きが響いた日のことであったという。  
 
 
おしまい  
 

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