「おらぁ! 働けぇ! 働いたやつだけ飯を食わせてやらぁ!」
…私を運ぶ馬車からはそんな男の人の声がする。その声に、私はよりいっそう膝を強く抱くだけ。
私達は戦争に負けた。…ううん、私はもちろん参加してないからその言い方には違和感があるのだけれど、とにかく私達のポリスは戦争で敗れた。
私はお母さんと家の中で震えていたから分からなかったけど、お父さんが家を出て、次にやって来たのは知らない男の人だった。
男達は皆戦争で命を落としてしまい、私達のような女子供は一人残らず奴隷として売り払われた。
ガタゴト 荷馬車が揺れて、私達は何処へ連れて行かれるのか。
「お姉ちゃん…。」
「ヘカテ、大丈夫だから、お姉ちゃんがついてるから…!」
震える手でもう一つの震える手を抱き締めた。僅かに生まれた温かさだけが、私達に灯る唯一の希望。
「おら! 降りろ!」
急に視界が開けて半日ぶりの光が差し込む。その光の眩さに目を細めながら見回した辺りは、先程の男の声から想像した私のイメージと寸分違わぬものだった。
「おら! 早く歩け! おいカサンドラ! 追加だ!」
カサンドラと呼ばれた綺麗な衣装を身に纏った女性は、私達姉妹を値踏みするような目で見つめたあと、すぐに男の人の方を向いてここからでは聞き取れないような話をしている。
「…わかりました。」
「よぅし、神官様が到着されるのは三日後だ。」
「わかりました。」
…意味が分からない文の羅列。でも、ここから逃げ出したい衝動に駆られるには充分過ぎるほどの不吉さを伴っていて。
…もし逃げたとしたら、ヘカテはどうなるのだろうか…考えただけでもぞっとする…それに第一、私ごときがただの乗り物もなく逃げ切れるわけがない。
替え玉のきく役割なんだ。きっとあっさり殺される。
…いつのまにか、ヘカテが震えているのか、私が震えているのか分からなくなっていた。多分、どっちも震えていたのだろうけど。
「―――…!」
その時、耳に音が届いた…気がした。
「聞こえないのかい? そこの二人!」
と、その声は目の前にいる女の人から発せられていた。
「あ! …ぇ…えっと、す、すいません…。」
慌てて頭を下げる私。
女の人はふん、と鼻を鳴らして「着いて来い」と短く告げた。
その女の人の名前はカサンドラという人らしい。
今は、やってくる奴隷の教育、斡旋、そんな仕事をしていると言っていた。
「…何をするんですか…?」
妹、ヘカテは恐る恐るカサンドラさんに尋ねる。
カサンドラさんは全く普段と変わらない様子でただ一言「接待さ。」とだけ告げた。
曰く、風の都イリオンには城壁を作る奴隷以外にももちろんたくさんの人間がいて、神官様だっている。
私達はそんな人達の「接待」をするために連れてこられたのだ。
「…わ、私達みたいな奴隷の酌を…?」
…私の言葉を聞くと、カサンドラさんは顔をおさえて笑いだした。
「まぁ、そういうことだね。神官様方に失礼の無いようにね。」
笑ってる理由が分からず閉口する私達だったけれど、することが男の奴隷のように石垣を積み上げる作業ではなく、偉い人に酌をする作業だと分かって、気分がほんの少しだけ楽になっていた。
三回月が廻って、カサンドラさんに言われた日がやって来た。
私達二人は手を繋いで指定された場所に向かう。お互い緊張してるからか、足取りは遅い。
「お姉ちゃん…。」
「大丈夫だよ、ヘカテ!」
頭一つ分下の妹を見て私は言う。
「お姉ちゃん達は、今から偉い人にお酒を注ぐだけだからね。ほら! もっと笑顔にならないと!」
そんなの無理だろうと、接待に失敗したらどうなるかなんて想像に難くない。私はヘカテに向かって、全力で笑いかける。
ここ数日で泣き腫らした目をあどけなく潤ませ、ヘカテは小さく口元を歪めた。
「私達が無事なんだから、きっとお母さんも大丈夫! ね! お姉ちゃんを信じて?」
「…うん。」
こくりと小さく頷いたのを確認して、私は彼女の手を引いて神官様の待つ場所へと向かう。
「よく来たねぇ。」
私達を向かえた、その胡散臭い男の人は鳥肌が立つような声でそう呟くと立ち尽くしたままでいた私達の背中を押して中に招き入れた。
「さぁて、最初はどっちなしようかなぁ?」
分かりやすい舌舐めずりの音にニヤニヤした笑い。嫌悪感を覚えないはずがないけど、私は無理に笑顔を作って一歩前に出た。
「…わ、私がお酌をします。」
口ごもった自分を叱咤してやりたかったけど、男の人は嬉しそうに小さく笑った。
「…で、ではお酌を…」
私が最後まで言い切る前に、私は後ろへと倒されていた。
驚いて、顔をあげた瞬間、男の人の表情を見て血が凍った。
「お、お姉ちゃん!!」
このヘカテの叫びが無ければ、私は何も出来なかったと思う。
「逃げて!!!」
充血した目が私を捉えて離さない。私はその目から逃げるように妹に叫ぶ。
「早く!!」
ヘカテは全然状況が分からないはずだけど、生理的な危険は感じていて、けれども逃げることはできなくて…。
「逃げたら、この仔猫ちゃんがどうなるかなぁ?」
私にのしかかった男の人は、口の端から涎を垂れ流して荒い息のままでヘカテに告げる。いきなり声をかけられたヘカテは体を小さく震わせた。泣いていた。
「さぁ、私の渇きを潤おしておくれ!」
薄い服の上から、ザラザラした感触が伸びてくる。
「…っ、ゃあ…やだぁ!」
今まで生きてきた中で一番気持悪い感触。
逃げ出そうと私が両手両足をばたつかせて泣き叫んでも、男の人は彼の片手で私の両手を抑え、跨られている今の状況では何も出来ない。
妹は耳を塞いでしゃがんで泣いているのが見えた。
「イヒヒ…気持いいかぃ? ここかぃ?」
男の人の手は服の下に侵入してくる。全力で食い止めても…何も出来ない。
「ゃだ…ぃやだ…やだぁ…。」
「イヒヒ! イヒ! イヒヒヒヒ!」
私の胸なんて、他の女の人、例えばお母さんやカサンドラさんと比べたら全然無い。だけど、男の人はそんな私の胸に手を伸ばしてくる。
「やだぁ…! やだぁ! やめて! おねがい…します…。」
泣いても泣いても、関係無い。伸ばされたその手は頂点の小さな突起を摘む。
吐気を催すような於曾ましさ。私がそうしなかったのは、声を出し続けていたからだろう。
獣躙される感覚。その気持悪さ、一つ一つが逃げようとする意志を蝕んでいく。
「可愛いおっぱいだねぇ…ほらぁ、ちくびが立ってきたぁ!」
耳から抜けてく言葉、妹の叫び声も遠く。
「ゃ…やだぁ…! きもちわるいぃ…! …ゆるして! おねがい……!おねがいします…!」
理性を残して私だけが壊されていく感覚。
獣躙される場所は上半身にとどまらず、下半身へと伸びていく。誰にも触られたことない場所に、悪寒が走る。
「イヒ! イヒヒ! ほらほらぁ、だんだん濡れてきたねぇ…! 体は正直なんだねぇ…イヒ、イヒヒ!」
体勢を変えた男の人は私の股に顔を近付けてくる。
私は逃げようと、自由になった両手で地面を掴むけど、両足を捕えられて動き出せるほど力があるわけない。
「いい臭いだ…可愛いお豆ちゃんだよぉ。」
「…ゃ……やだぁ…やめてよ…ぃやだよ…ん…きたないからぁ…!」
ヘカテ、ゴメンね。
お姉ちゃんは駄目なお姉ちゃんだね。
運命の女神は運命を紡ぐだけ
紡いだ後はそれを見ているだけ
そんな神様 いらないよ
妹、貴方は今のうちに逃げて。
この地平のどこかに。
本当の幸せがあるはず
だから、一言、伝言を残すから、ね?
……………
………………
声をあげて泣いている妹にそう告げた、妹は泣きながら部屋を出ていく。
逃げて、逃げて、生き延びるんだ。
私はどうでもいいから、ただ自分の為に。
最後に笑えたのが貴女の為で良かった。
ばいばい。
さぁ、もう壊れてしまおう。明日に絶望したものには、明日はもうやって来ない。
汚れた躯から力を抜いてしまえばいい、そんな事を考えた。
その瞬間。大きな声…というより、沢山の人の雄叫びが聞こえた。
「な、なんだぁ!?」
男の人は私から退いて辺りを見回す、そしてまた次の瞬間、その理由を知る。
「下衆が。」
…白と紫の髪の色、紫眼の瞳、黒い剣
やってきた男の人は躊躇を一切見せず、男の人の前へと進む。男の人は腰を抜かして後退りをする。
「お、おおおお前は、あの時のガキか!!!!」
神官は紫眼の方を指差して金切り声で喚く。私は何が何だか分からず、ただ座っていた。
「羽織れ。」
私を全く見ていなかった彼から、布のようなものが渡される…彼のマントだった。
訳も分からぬまま渡されたマントを羽織る。紫眼の男の人は神官の人をにらみつけている。
「…そ、その娘は…私の奴隷だ! …ど、どうしようと私の勝手のはず!」
荒い息のまま立ち上がった神官は紫眼の人に対し金切声で喚く。
そんな鬼気迫る神官の様子に紫眼の人は嘲る様な笑みを浮かべた。
「奴隷…奴隷だと! はは! 貴様もそうではないか! 人間は皆、Moiraの悲しき奴隷! 貴様も私も神に飼い慣らされた奴隷に過ぎない。」
しかし、と彼は続ける。
「私は、私達はそんな負け犬のように運命に飼い慣らされはしない! 剥くべき牙を忘れたりはしない!」
その言葉を聞き、外にいた人から歓声があがる。これにより、神官は外が既に完全に包囲されているのに気付く。
「ふ、ふざけるな! どうして私が奴隷にならなくてはならない! 私は神官だ、こんなどこぞの者とも知れぬ奴隷などとは違う!」
金切り声はさらに音程をあげ、唾をまきちらしながら神官は喚く。
けれども、紫眼の人はその光景に一切動じない。つまらないような物を見るように神官を数瞬見つめた後、右手を軽く上げた。
彼が右手をあげた直後、屈強な男達が中に入ってくる。二桁にのぼる人数の彼等に、私はマントを自分の方に引き身を縮こめる。
「よくも俺の妻を…!」「この変態神官がぁ!!」「絶対に許さねぇ…!」
…怒りの声が部屋を埋め尽す。その的となる神官は、小さく息を飲んだような音を口から漏らす。そして、そのまま部屋の角へと、へたりこんで後退りをする。
「こっちだ。」
それらの様子を呆けて見ていた私に紫眼の人が声をかけてくる。
「立てるか?」
「…はい。」
私は自分の服を見つけ、それを着てマントを彼に返す。
彼は羽織っておけ、と短く言ったあとで私の手を引いて、部屋の外へと向かう。…神官の叫び声と男の人達の怒号と歓声が聞こえた。
外に出たところで彼は私の顔を正面から見つめる。
「これからどうする?」
そう言うと彼は今の様子を教えてくれた。
奴隷を解放したことによりイリオンでは奴隷だった者もそうではなかった者も入り交えて阿鼻叫喚。このままここにいるのは危険だと言う。
「…もう家はありません。」
誰もが侵略し、侵略され、生きていく。たとえどんなに栄光を掴もうと崩れ落ちるのはまさに刹那。
裕福だなんて言えない普通の家庭だった。母さんと父さんと妹とそれなりに幸せだった。
でも、もう父さんはいない。母さんだっていない。最後まで一緒にいたかった妹だって私にはもういない。
…ヘカテはどうなったのだろうか…。
阿鼻叫喚の巷と化した風の都から、彼女は無事に逃げることが出来たのだろうか。
もちろん、姉として私は彼女を探すに行かなくてはならない、はずだ。
だけれども、そうだけども、……汚れた躯をヘカテに見せたくない。
きっと彼女は何事も無かったように「お姉ちゃん!」と私を慕ってくれるだろう。
しかしその笑顔は一昔前のそれとは違う。私を傷つけないようにするための笑顔。もう、戻れないのだ。
…ダカラ、妹ヲ見捨テルノカ?
…どこかで誰かが呟いた気がした。
「…さて、どうする?」
紫眼の人の声で意識を引き戻される。その方は私を真っ直ぐ見ていた。
「い、妹がいるんです…逃げたんです…探さなきゃ…!」
途切れ途切れで、私はそれだけ言った。
でも、こんなこと言ったら荒野に一人きりにされるの? 妹がどこにいるのかも分からないのに?
じゃあヘカテを見捨てる? ううん、そんなこと出来るはずがない。だって血を分けた姉妹だもの。
「おい。もう一人いるそうだ。探してくれ。」
顔を上げると、紫眼の人はそう後ろの男の人に言っていた。
「はっ!」
二人の男の人は近くにいた男の人も連れて、どこかへと走り去っていった。
紫眼の人は変わらぬ口調で
「彼らに探させる。君は私と来い。」
…力強く言う。
私が見た彼の瞳は、良くも悪くも決意を秘めていた。
「…どうして…?」
妹を探してもらう事への感謝よりも先に口をついて出た。
…どうして貴方はここまでするの?
「…誰だって、喪う事の耐え難き痛みには勝てない。…それだけだ。」
「……。」
ヘカテの事が脳裏によぎった。………。
「名前は?」
「…セレネです。貴方は…?」
「…………。エレウセウス。」
暴動は止まることなく風の都を紅く染め、そびえたつ城壁は紅黒い影を作っていた。