―――外は雨が降っていた。  
数日前から降り出した無数の雫は、途切れることなく空から地へと落ち続ける。  
窓に見える風景をボーっと眺めて、一人の少女は退屈そうに小さく欠伸を漏らした。  
 
「ずっとこんな天気だと気が滅入るわね……」  
 
呟いて、少女、ライラはまたテーブルに顔を伏せる。  
 
数多の血と、数多の涙を流し続けた聖戦の終わり…  
静かにそれを見届けた後、少女と悪魔はひっそりとその場所から去り、  
誰も知ることの無い所にあった小さな家で、誰も知ることの無いまま、長い時間を過ごしていた。  
既に人でない身でありながら、焔を生み出す以外はこれと言って以前とは変わらぬ生活。  
契約を交わした悪魔も、そんな自分に合わせてなのか、意外と彼もそうだったのかはわからないが  
通常の生活にすっかり順応し、少女との生活を満喫していた。  
 
そんな緩やかに時間の流れる、雨の日。  
彼女の同居人の悪魔は朝から木の実を捕りに山の奥へ入っていた。  
普段ならそういうのはどちらかというとライラの役目だったのだが、  
たまには休みもいいだろうと彼は言った。  
あまり感情を表情に出さない彼の珍しい好意を断るのも悪かったので、お言葉に甘えて今日は家でのんびりとしていた。  
 
「それにしても…やることが無いのも暇ね…」  
 
朝食は先に済ませ、彼の分も既に作り終えている。  
掃除も昨日のうちにあらかた終わらせているし、洗濯もこの天気では干すことも出来ない。  
元々休んでもらう為に彼が出ているのだから普通に休んでいれば良いのだが、  
いざ休もうとすると逆に退屈に感じる。  
耳に聞こえるのは、ただ雨粒が屋根にあたり、そのまま地面へと流れ落ちる音だけ…  
無音の中、水の音だけが流れるそれは、何処か寂しく、何処か不気味にも感じる…  
単調に続くその音色に、徐々にうつらうつらとライラの意識が沈みだす。  
意識が暗く途切れるその直前まで、水の流れる音は遠く、そしてハッキリと聞こえていた――――  
 
「……………ん」  
 
少しずつ目覚めだした意識。  
相変わらず聞こえるのは水音だけ。しかし、何故か今度はやたらと近くに聞こえる。  
ゆっくり、と閉じていた瞳を開けると………  
 
「……え?」  
 
視界に映るのは、湖のような一面に広がる水面。  
空にはうっすらと霧が立ち込めているようなぼやけた青空が広がっている。  
足元を見ればそこに土は無く、底の見えない水中がどこまでも続いていて…  
しかし、ライラの足はその足場の無い水面をしっかりと踏みしめその場に佇んでいる。  
水面と空以外は何も無い……そんな場所に、ライラは一人佇んでいるという状況だった。  
 
「………夢、よね。これ」  
 
多少動揺したライラだったが、少し考えてすぐに結論を出す。  
ただ、その割には何故かリアルな実感があるが……  
少しばかりその場を歩き、辺りを見渡してみる。  
本当にあるのは水と空だけ…耳に聞こえるのは水音だけの静寂…と、その時  
 
「夢ってワケじゃないけどね。ただ、君の意識がずっと深くまで沈んで此処に近づいたからいるだけ」  
 
唐突に背後から聞こえた声。  
反射的に振り返ると、そこには自分と同じように水面に佇んだ、一つの影。  
見た目の容姿から自分より幼いであろう一人の少年。  
身に纏っているのは黒い衣。自分の着ている服も黒を基調としているが、目の前の少年が纏っているのは黒一色。  
くすんだ銀髪と、病的なまでに生気を失った肌の色…  
そしてなにより、自分を見据える光の無い瞳と…口元に浮かんだ笑みが異様に目に付いた。  
 
「…貴方は誰」  
「さあ、誰だろうね。でも君の事は知ってる」  
「…ッ……何故…?」  
「クスッ…何でだろうねぇ」  
 
こちらの問いかけに、少年は回答ではない返事を返す。  
少年のその仕草にライラは少しずつ苛立ちを覚えていった。  
自然と語尾が徐々に強くなっていったが、少年はそれを気にも留めずに一層笑みを深める。  
 
「質問に答えて!此処はドコで、貴方は一体――――」  
「ねえ、君…生きてるのって、楽しいかい?」  
 
ライラの言葉を遮り、唐突に少年が問いかけた。  
 
「いきなり何を………楽しいわ」  
「本当に?」  
 
戸惑いながらも答えたライラの返答に、少年は笑みのまま聞き返す。  
 
「永遠の生が毒だと知りながら、それでも君はいまの生が楽しい?」  
「私は自分からこの永遠を選んだ。苦い毒も飲み干すと決意して。それに後悔はないわ」  
 
キッパリと、少年を正面から見据えて言う。それでも、少年は嘲るように嗤う。  
 
「それは君がまだ毒を毒と感じてないからじゃないかい?」  
「…………!?」  
「永遠の生が意味する苦しみ…痛み、悲しみ、孤独、『彼』はそれを知っているが故に契約の際に警告した。  
 君はその時、それを理解していたかい?考えたことは?」  
「それは…………」  
 
少年の言葉に、思わず返事が濁る。少年は更に続けた。  
 
「君が憎むと決めた負の連鎖。それにより続く争い。なら、それが終わった今、君の永遠の意味は何?」  
「それ、は………」  
「君の愛する物みんな腕からすり抜けて…それ以上何かを失わない為に力を得たけど……  
 本当に、これからも何も失わずに済むと思ってるのかい?」  
「ッ……!?」  
 
フッと……少年の姿が掻き消えたかと思うと、その声は自分の真後ろ…すぐ耳元で囁かれた。  
 
「存在し続けるということは、それだけで何かを失い続けることと同じ意味なんだ…  
 長い時間を生きれば生きるほど、何かを忘れ、何かを無くし…喪失は常に付き纏う…」  
「そんなの……私は………」  
「耐えられる?毒の意味も考えずに永遠を受け入れた君が?」  
 
反論を言う暇さえ与えず紡ぎ続けられる少年の言葉。  
耳元で囁くその声が、不気味なエコーになって脳を震わせながら染み込んでいく。  
 
徐々にそれが不協和音のように不快に感じ出して、少年から離れようとする……が、  
その前に、少年の黒い両腕が背後からライラの体を抱き寄せた。  
見た目柔らかに見えるその抱擁は、想像以上に固く……  
自分と殆ど変わらない華奢な細腕が、まるで巻き付いた黒い蛇のように見えた。  
振りほどけないそのままの状態で、尚も少年は囁く。  
 
「…そもそも、君と共にある『彼』だって、本当に共にあるかどうかなんてわからない…」  
「ッ…………!?」  
 
その言葉を聞いた瞬間、ドキンと心臓が一際大きく鳴った。  
そんなこと、あるはずが無い。絶対にあるはずが無い…!  
そう心が叫んでいるのに、そのずっと奥では―――――  
 
「…そう。人は誰だって、最悪の可能性を常に考えていながら、それを直視できずに記憶の奥底に沈ませる。  
 そうやって無意識に隔離した不安は闇になり、照らされざるその闇はより昏く、深くなっていく……  
 別れって言うのはね、何も死だけじゃないんだ。キッカケは何だっていい。それがどう繋がって行くかだけ……  
 苦味の意味を知らず、永久に続くはずの支えも失った時、君は残る永遠を受け入れることが出来るかい…?」  
 
ノイズのように続く言葉。脳を震わせ麻痺させていく旋律。  
心臓の音がやたらと響いて聞こえる……頭が…何処か…ボーっとする…  
気付けば、無意識に…その言葉を小さく零していた……  
 
「……どうすれば…いいの……?」  
 
ゆっくりと首だけで振り返り……少年に顔を見た瞬間――――  
 
「ッッッ――――――――――!?」  
 
血の気が引くと同時に、一瞬でぼやけた意識が覚醒する。  
思わず声にならない悲鳴を上げ、少年の顔を凝視した。  
少年の浮べた笑みが…… “変わっていた”。  
裂けんばかりに歪んだ口元…見開き、自分を見つめる…暗い、昏い…光の差さない水底のような両眼。  
先ほどまでの皮肉めいた笑みではない……おぞましいと言っていいほどの、歪な満面の笑み…  
 
 
「 そんなの簡単さ 」  
 
「なっ………!?」  
 
歪んだままその言葉が発せられたその瞬間…ライラの踏みしめていた足場が無くなった。  
唐突に足元の感覚がなくなったかと思うと、感じるのは両足が何かに沈んでいく感覚。  
見れば…水の色が一変していた。青く澄んだ水は今、少年と同じ深い闇色…  
しかも水のような液体性は殆ど無く、まるで水底に沈殿した泥のように粘着質に、ライラの下半身を呑み込んでいく。  
 
「ぃ、や…!嫌、嫌っ……!!」  
 
這い出ようともがくほどにその泥が絡みつき、ずぶずぶと沈んでいく。  
そんなライラに、少年の囁きが上から投げかけられる…  
 
『  君がいなくなっちゃえば良いんだよ  』  
 
声ではなく、もはや脳髄に直接響くかのようなノイズ―――  
 
『 在る物全部が無くなったら あとはただ Lost≪喪失≫へ墜ちていくだけだから 』  
 
笑う、嗤う、哂う……記憶を塗りつぶすかのように響く少年の笑い声。  
 
「違、う……違う…!私が“いま”生きる為に望んでたのは………!!」  
 
もがけばもがくほど泥は少女を呑み込まんと絡みつく。  
もう腕を伸ばすことも出来ずに沈んでいく…視界に『黒』が広がっていく……  
 
 
『  失ウマデ  逃ガサナイ  』  
 
 
その囁きを最後に…少女の意識は途切れた。  
最後に視界に映るのは…何処までも深い、深い…暗闇の色…  
 
 
…………………。  
 
……………………否。  
 
 
最後に、見えたのは…  
 
 
 
―――“黒”を引き裂いた “緋い焔” ―――  
 
 
 
―――――…、 ――――ラ…  
 
沈んだ意識の中で、何かを感じた。  
 
――――イラ、ラ――――、―――ラ…  
 
誰かが、自分を呼んでいる…  
 
ライ―――、ライラ―――、ライラ―――!  
 
ああ、そうだ……この声は……  
 
 
そっと目を開くと……視界には、見慣れた赤い髪と瞳が映りこんだ。  
 
「シャイ、タン………」  
 
呟いた、彼の名前…  
いつの間にか自分はベッドに移されており、その傍らに座った彼が、心配そうに自分を見つめていた。  
 
「ライラ…随分トウナサレテイタゾ…ソレニ、起コソウトシテモ全然―――」  
 
そんなシャイタンの言葉を遮って…思わずライラはその体に抱きついていた…  
何か、夢を見ていたような気がする。どんな夢だったかは、塗りつぶされたかのように覚えていない。  
けれど、ただ今は…彼の存在が傍にあることを無性に確かめたかった。  
 
「ゴメン、なさい………」  
 
何故かはわからない。わからないが、いつの間にか、彼に謝罪していた…  
シャイタンは突然の事に多少困惑しながらも…そっと、少女の体を抱きしめ返した。  
 
「何ガアッタノカハ、ヨク分カラナイガ……」  
爪で痛めないよう、ライラの髪を優しく撫でながら…ただ一言。  
 
「…大丈夫ダ。私ハ…此処ニイル…」  
 
いつも通りの無表情で淡々とした言葉。  
それでも、それでも……ライラにとっては充分だった。  
ひとしきり彼の腕の中で泣いた後…再び、眠りについた。今度はずっと、安らかな顔で……  
 
「………………」  
 
ライラをベッドに寝かし直した後…シャイタンはスッと立ち上がり、窓の外に目をやる。  
外はすっかり夜となっていたが、未だに雨はやんでいなかった。  
その雨の外…窓の正面から見える地面には、大きな水溜りが出来ていた。  
と…その水溜りの上に、ぼんやりと黒い影法師のようなシルエットが佇んでいた…  
 
「ッ―――――――」  
 
シャイタンはその影法師を鋭く睨みつけ、その緋い瞳に殺気を込める。  
常人なら一瞬で気絶しそうなその悪魔の殺気を、しかし、影は平然と笑みで返した。  
 
『クスッ…もうちょっと、だったんだけどなぁ』  
「……何故、彼女ニ干渉シタ」  
『ちょっとした興味本意さ。死の訪れない存在を墜としたらどんな感じかなーと思ってね』  
 
ケラケラ嗤う影。睨み続けるシャイタン。  
昏い瞳と、緋い瞳。雨音の続く静寂の中対峙する二人の人ならざる存在。  
 
『けど、僕が言った事の大半は間違ってはいないはずだよ。僕は彼女自身の中に居たからこそ知っている』  
「…彼女ガ今、何ノ為ニ生キタイト思ッテイルカ…彼女ハモウ知ッテイル。ソレヲ言ワセナカッタノハ貴様ダ」  
『まあそれはそうなんだけどね〜』  
 
悪びれもせずに笑みを崩さない黒い影。  
悪戯に失敗した子供のように、無邪気ささえ感じる笑みの中に、  
何処までも底の見えない皮肉めいた嘲笑を込めて。  
 
「…モウ、ライラニ手ヲ出スナ」  
『どうかな?彼女が永遠を生き続けるのなら、幾らでも僕と出会う機会がある。今度は…逃がさないかもね』  
「…………………フッ!!」  
 
ボァッッ!!!  
 
視線に一気に力を込めた瞬間、吹き上がる炎が水溜りごと影法師を包み込んだ。  
夜闇を照らした緋色の焔が水を、影を、一瞬で蒸発させていく。  
 
―――その影が消える、直前に…影の口は一言だけ囁いた。  
 
 
 
“ またね ”  
 
 
 
………最後まで哂いながら紡いだその言葉の後には、再び響く雨音だけの静寂と、  
水溜りがあった跡だけが残った窪んだ地面がそこにあった。  
 
「…………………………」  
その地面を、シャイタンは無言でジッと見つめていた。  
 
……あの少年に、地平線に干渉するほどの力は無い。いや、そもそも干渉する必要が無い。  
アレは人の中にいる。人の、見えないほどの奥深くに沈みながら存在する。  
地平線という壁など関係なく、そこに生きる、心を、記憶を持つ者、全てに存在するのだ。  
地平線を超える必要など無い。何故なら、もう既にそこにいるのだから。  
ただ、水の底深くに蠢き表に出てこないだけで。  
しかし…ふとした瞬間に、人は流れの中で立ち止まり、  
彼はそんな者の元へ這い寄り、水底へと引きずり込もうとする。  
 
人が人として存在するのに必要なものの大半は、恐らくは心というものが占めているだろう。  
そういう意味では、『人間』であることをやめたライラもまだ『人』であるかもしれない。  
だからこそ、あの少年は彼女の前に現れた。そして、あの少年の言うとおりに、  
彼女が永遠であり続ける以上………アレもまた、永遠に付き纏うかもしれない。  
 
「…………ソレデモ」  
 
ライラを寝かしたベッドの傍らに腰掛け、そっと…その寝顔の髪を撫でる…  
彼女は、ちゃんと知っている。自分の永遠が、決して無意味な物ではないことを。  
そして、再びあの存在の闇が彼女を蝕もうとしたその時は……  
 
「何度デモ、コノ腕デ退ケヨウ…君ト共ニ生キル限リ……」  
 
小さく囁いた決意の言葉と共に…そっと少女の額に口付ける…  
 
 
……窓の外は…徐々に雨があがろうとしていた―――  
 

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