一面の水面……霧がかった青空
数多の記憶が流れ、また沈んでいく地平線…
その果てなき水平線のなかで、佇んでいたのは二つの人影――――
「………………」
「…………ん?」
ポン、とぶっきらぼうに、半ば投げ渡すような形で渡された小さな包み。
それを受け取りながら、僕は渡した人物を見る。
穢れのない白…艶のある金色の髪…小さく頼りないが、髪と同じ煌く金の翼。
僕とは真逆に位置し、対極に存在する少女……
珍しく自分の方から僕の前に現れたかと思えば、無表情にその包みを放り投げ、そのまま無言で背を向ける。
受け取った包みから、ほのかに香る甘い匂い……
その香りの正体に気づくと同時に、思い当たったのはとある行事。
「……ああ、そういうこと」
「……………………」
そう呟いた僕の声に、背を向けた彼女はピクリと僅かには反応する。
こんな場所で、どうやってこんなの持ってきたんだか。
そもそも、此処では時間や季節の概念なんて、あってない様なものだというのに……
「意外だね。君がそんな無意味なイベントに乗っかるなんてさ。それもわざわざ僕になんて」
「………………」
「ま、此処に存在してるのは君と僕ぐらいだし、此処を流れていく者に渡したって意味はないし」
「………………」
「ねぇ。折角渡しに来てくれたんなら、今日ぐらいは返事ぐらいしてよ」
「………………」
「おーい。ねーってばー」
背中を向けたまま、振り向きもせず、微動だにせずただただ無言。
流れていく者に対してはあれだけ警告するって言うのに、その肝心の僕に対してはいつもこの調子。
ま、僕に対してはこれが正しい対応の一つでもあるんだけど……
…なら、なんでわざわざこんな物を持ってきたんだか。
黙したままその場に佇む彼女の背を眺めているうちに、段々といつもの悪戯心が湧いてきて…
いつものように、音も、気配もなしにそっとその背に歩み寄る。
「…………………!」
彼女が気付いた時には、もう僕の手はその肩を掴んでいた。
驚いて振り返る君の瞳は、足元の水面と同じ……どこまでも澄んで…清らかさで綺麗な水色。
ホントに、何度見ても僕とは正反対なんだと思ってしまう。
何処までも真逆で、何処までも対極で……けれど君は…脆く、か細い。
「話さなくてもいいからさ、久々に会ったんだからもうちょっと相手してよ」
「………! ……………!」
体を向き直させて、ギュッと両腕を回して逃がさないようにする。
それに対して必死に僕の胸を押すけれど、その力のなんてか弱いことか。
「フ……」
「ッ…………!!」
そっと耳に息を吹きかけてみれば、先ほどの無表情を面白いほど崩して朱色に染める。
そんな様子が可笑しくて、そのまま耳をほんの少し噛んでやれば……
「ッッッ……!!ふぁ………!」
じっと堪えていた声を漏らし、腕の中で小さく震える。
抵抗する力も次第に失われていくその様に、加虐心がくすぐられる…
喪失の闇を警告し続ける光――――
けれど、此処を流れていった者で、その警告に救われたものは果たして何人いるだろう。
対極でありながら、白と黒の力の差は、こんなにも大きく………
――――――――――このまま首でも絞めれば、この『光』を消せるんじゃないだろうか?
ふと、そんな考えも浮かんできて………
………………すぐに、下らない事だと却下する。
どんなに脆弱でも、どんなに光が淡くても……彼女もまた僕と同じ、人の中に在り続ける永遠なのだから。
僕と言う人の中の闇が在れば……彼女の光も必ずなければならない。
対極で、真逆で、正反対で……けれど、それ故に最も近しい…似たもの同士でもある。
……そこまで考えて、気付く。
「……………ああ、そうか」
片手に持ったままだった小さな袋を見る。
この日、女が男にこれを渡すというのは、東にある小さな島国だけの風習で、
本来は男女関係なく自分に縁の在る者…自分に近しい者へと贈るのが一般的だ。
この喪失の地平線で、失うことが出来ない自らの半身…
同時に、永遠に存在し続け、相対、反発し続ける対極…
今回の彼女のコレは、ある意味での遠回し的な僕への宣言なんだろう。
自分たちは最も近しい存在であり…相容れない存在だということを………
――――――――――― 忘れるな、と
「クスッ…随分とまぁ、回りくどい事するんだね。いつもみたいにハッキリ言っちゃえばいいのに」
「……………………………」
腕の中の彼女にそう言うと、プイッと逃げるように顔を逸らした。
その様子もまた、見ている側からすれば可笑しく、愛らしく……
包みを開けて中を見れば、小さなボール状の黒が甘い匂いを漂わせる。
そのうちの一粒をつまみ出すと、自分の口にくわえ……
「ッ………! ん……!んくっ……!!」
グッと体を引き寄せ、自分の口にくわえたものを相手の口に押し込む。
逃げようとする頭を押さえ、押し込んだ舌が相手の舌に絡みつかせる。
「ん…ん…チュ…!クチュ…んん……!んっ…!…ピチャ……ぷはっ…!!」
口の中に広がる、甘さとほのかな苦味。足元に流れる水音とは別の水音が、しばし静寂の中小さく響く…
ようやく口を話した瞬間、彼女は渾身の力で僕から体を引き剥がした。
口から伸びる水の糸を拭いながら、キッと睨みつける青の瞳。
顔を余すとこなく朱色に染めながらも、その瞳に込められているのは、照れと、羞恥と……確かな、拒絶。
そんな彼女の顔を、僕は満足げに眺めた――――
…君に言われなくたって、僕だって分かってるさ……
僕の場合はわかったうえで、君をからかってるんだからね。
僕が幾ら君に構おうと、君は僕を受け入れはしない。だからこそ、僕は君に飽きはしないんだ。
君が僕を警告し続ける限り…僕は何時までも君と対極にいられるんだから……
全ての人間の記憶の奥底に潜み…その心を見てきた中で…唯一覗くことのできない心を持つ君…
そんな君が常に僕と並び立ってくれるから……
―――――ボクは何時だって、この永遠に退屈しないんだよ……
一人の聖者の命が喪失した日…その日も『黒』と『白』は互いの存在を見つめながら…
近づき、離れ…喪失と忘却のなかを流れていく―――――
fin