「はいムシュー、あーんして下さいな♪」
「ムシュー、あの……よろしければこちらも……」
「あ、うん、ありがとう二人とも……」
やや戸惑い気味のイヴェールを真ん中に挟んで、それぞれ手にしたチョコレート・デ
ザートを差し出してくる姫君たち。
左隣に座っているオルタンスは、満面の笑顔でフォークに刺したチョコレートケー
キを。右隣に座ったヴィオレットは、控えめにココアクッキーを口許まで運んでくれる。
時は2月14日、俗に言うところのバレンタインデー。仏語で言うとLa Sant-Valentin。
元は聖人の云々だとかチョコレートを贈るのは云々だとか、そんな野暮な話はこの際
うっちゃっておく。ともかく今大切なのは、彼女たちが食べさせてくれているのが愛の
詰まったバレンタインチョコだということだ。
……それはいい。と言うか、むしろ嬉しい。手作りらしいケーキもクッキーも美味し
いし、ちょっと恥ずかしそうにしながら食べさせてくれる二人はすごく可愛い。だから
問題があるのは、そう。
テーブルの上にこれでもかと並べられている、チョコレートの数々であった……!
「……ねぇ、ふはりほふぉ。はんは、ひょっとほーくはい?」
(訳:ねぇ、二人とも。なんか、ちょっと多くない?)
むぐむぐと口の中に詰め込まれたチョコレートを咀嚼しつつ、イヴェールは思い切っ
て訊ねてみる。視線の先にはシンプルなハート型の一口チョコを始めとして、たっぷり
のチョコクリームが入ったオムレットに艶やかなザッハ・トルテ、薔薇の花を模った見
事なチョコレート細工のタルト等々が所狭しと広げられていた。一つ一つを見ればどれ
も素晴らしい出来栄えなのだが、いかんせん量が量である。基本的に甘いものは何でも
好きなイヴェールでさえ、見ているだけで胸焼けを起こしそうだった。
「……多い、でしょうか? ムシューのお好きなものばかりですが……」
「ムシューのことを考えながら作っていたら、いつの間にかこんなに出来てたんですよ
ねー」
ね、と微笑むオルタンスと、恥ずかしそうにこくんと頷いて同意するヴィオレット。
彼女たちの気持ちは大変に嬉しいのだが、愛が重い。主に物理的な意味で。
「んぐ……、いや、どう見てもちょっと多……」
ごくん、と口の中のものを飲み込んでからそう言いかけて、しかしイヴェールは思わ
ず言葉を詰まらせた。
大きな紫と青の瞳が、不安そうにこちらを見つめる。小さな体がますます小さく見え
るほど、明らかにしょんぼりとしてしまったヴィオレットとオルタンス。さっきまでの
上機嫌ぶりとの落差がぐっさりとイヴェールの心を抉った。
「……ご、ご迷惑でしたでしょうか、ムシュー……」
「申し訳ありません……す、すぐに片付けますので……」
「わあぁ!? い、いやっ、そんなこと全然ないから!! もちろん全部食べるようん
!!」
肩を落とす二人に慌ててぶんぶんと首を横に振るイヴェール。我ながら勢いだけで無
茶を言ってしまったと思うのだが、あんな捨てられた子犬のような目で見られたらどう
しようもない。二人は自分のために作ってくれたのだ。それを、食べられないなどとは
言えるはずもなかった。
「で、ですが……ご無理をなさらなくても……」
「無理なんてしてないよ全く! 二人が僕のために用意してくれたものが、嬉しくない
はずないだろう?」
にっこりと笑いかけると、二人の白い頬にポッと朱が灯る。俯いて指を絡めるヴィオ
レットと、嬉しそうに微笑むオルタンス。……これが可愛くてついつい乗せられてしま
うのは、ある意味本望と言えなくもないかもしれない。
「ムシュー……」
「うん、ありがとう二人とも。良かったら一緒に食べようか」
さり気なく保険をかけつつ、イヴェールはまだ半分以上が残っているケーキとクッキ
ーに手を伸ばす。姫君たちが喜ぶのなら、例えどんな苦難が訪れても諦めず勇敢に立ち
向かわなければならないのだ……!
────で、およそ三時間後。
「か、完食……!!」
やり遂げた顔で、ばたんとソファに倒れ込むイヴェール。テーブルの上を占領してい
たチョコレートの大群は、残さず綺麗になくなっていた。傍らに控えた双子の姫君がぱ
ちぱちと拍手を送ってくれる。
「……すべて受け取って下さって、光栄です……ムシュー」
「ふふっ、やっぱりムシューはお優しいですねー」
ヴィオレットはともかくオルタンスについては、微妙に故意犯の匂いがするのはどう
してだろう。……いや、まぁ別にいいんだけど。ただ当分の間、チョコレートは見たく
ない。
「……なんか、体の半分くらいチョコレートになった気がする……さすがに夕飯は遠慮
しておこうかな」
はぁ、と深く息を吐くと、それすら甘い香りがしてげんなりした。ぐったりとクッ
ションに顔を埋めるイヴェールを、ヴィオレットとオルタンスが覗き込む。
「…………ムシュー」
「お腹いっぱいになるのは、まだ少し早いですよ……?」
「え?」
まだ何かあるのだろうか、と顔を上げるイヴェールに、姫君たちの目が合った。じっ
とこちらを見つめる瞳はどこか煽情的に潤み、頬は赤く染まっている。少女たちの小さ
な手が、彼の身体へと添えられた。
「……そっか。まだメインディッシュが残ってたね」
その手を取って、二人を自らの方に抱き寄せるイヴェール。
重ね合わせた口唇は、どのチョコレートよりも甘美に感じられた。
おしまい。