「ようこそ、レオンティウス様。」
「何もないところですが、どうぞごゆるりと。」
穏やかに微笑む女性達に礼を述べて、レオンティウスは辺りを見回す。
此処は詩人の島。――戦続きの彼に息抜きを、と部下達が段取りをつけてくれたのだ。
争いの影も、血なまぐさい匂いもない此処は、レオンティウスにとって何時か、と夢見る平和そのものだった。
「…何時か我がアルカディアも、このレスボスのようになるといいのだが。」
「殿下の時代には、きっとそうなるでしょう。」
カストルのその言葉に小さく頷いて、レオンティウスはゆっくりと歩き出した。
「そうだな。…そのためにも、バルバロイたちをどうにかしないと…。」
折角休暇に来たにも関わらず、ついつい仕事の話ばかりしてしまう二人。
しかし危険が全く感じられないために、彼らはつい油断していたのだろう。
だから、それは起こった。
「きゃっ…」
「っ…、失礼。大丈夫か?」
レオンティウスと、女性がぶつかる。
体格差故か、彼女の方は転んでしまったらしい。
レオンティウスは手を差し伸べて…驚いた。
一人で歩いている彼女が盲人だったのも、その一つ。
しかし何より。
「いえ、此方こそ失礼しました。」
困ったように笑う整った彼女の顔立ちが…とても、美しかったから。
いや、単なる美しさだけなら、先日戦場で出会ったアレクサンドラとて負けてはいない。
しかしこの女性には、何故かレオンティウスの目をひきつけてしまうだけの“何か”があった。
「…あの?」
「どうかされましたか?」
不思議そうな女性の声と、カストルの声で我に返ったレオンティウスは慌てて手を離し、謝罪をした。
「重ね重ね申し訳ない。…私はレオンティウスだ。」
「レオンティウス…レオンティウス殿下?」
名を聞いて、女性は不思議そうに復唱する。
しかしすぐにレオンティウスの身分に気付いたのだろう、慌ててその場に跪く。
「殿下とは露知らず、失礼いたしました。」
「いや、気にするな。…そなたは?」
「アルテミシアと申します。」
柔らかな声が、そう名乗る。
何処か憂いを秘めたような彼女の雰囲気が、なるほど、名前の通り“月”のようで。
レオンティウスは、じっと頭垂れている彼女を見つめていた――
「レオンティウス、どうしたのですか。」
「母上。」
故郷に戻っても、アルテミシアのことが頭から離れないレオンティウスに、そう心配そうに尋ねたのは母親のイザドラだ。
王族という身分でありながら、擦れずに育ったレオンティウスは、悩みながらも結局素直に告げた。
―詩人の島で出会った、盲目の巫女が忘れられないのだと。
それを聴いたイザドラは喜んだ。
レオンティウスは本人に妙に潔癖なところがあり、今まで浮いた話の一つもなかったのだ。
それに頭を悩ませていたのだが、此処に来て本人からのその言葉。
アマゾンのように敵対しているところよりもレスボス、しかも巫女なら後腐れもないだろう。
そんな思惑から、イサドラは早速レスボスのソフィアに掛け合い、その巫女を召し上げた。
…それがやがて、彼らの運命を大きく変えることになるとも知らずに。
「アルテミシア。何をしている?」
「…レオンティウス殿下。いえ、特には…」
アルテミシアがアルカディアの王宮に呼ばれてしばらく。
権力者たちのやっかみを受けたりはするが、それでもレオンティウスたちに守られ、アルテミシアは恙無く生活をしていた。
不安だった王宮暮らしも、慣れてしまえば落ち着ける。
しかし、今の生活に順応すればする程…
「…アルテミシア、…そなたは何を憂いている?」
レオンティウスの率直なその問いに、アルテミシアは顔を俯かせた。
そんな彼女を見て、レオンティウスはそっと頬に手を添える。
「何か不自由でもあったか?」
「いえ、とんでもないことです。皆様良くしてくださっております。」
レオンティウスは、出来るだけと彼女に心を砕いた。
しかし、アルテミシアとの心の距離は以前遠く、閉ざされた瞳は別の方向を見るばかり。
手を伸ばし確かに捕まえているのに、遠い。
彼女は正しく、“月”だった。
「教えて欲しい。どうしたら、そなたは私を見てくれる?」
「殿下、そういうことではないのです。ただ、…私は…。」
唇を固く引き結び、首を力なく振るアルテミシア。
これ以上尋ねてもきっと答えないだろう。
レオンティウスはまた来ると告げて、背を向けた、その時だ。
偶然なのか、レオンティウスの耳は捕らえた。
「…エレフ。」
知らぬ男の名を寂しそうに、しかし愛おしそうに呟く彼女の声を――