時は1003年。  
 遥か東の孤島の一国であるムロマチに、魔王の娘が加わった。  
 それまで、地道に、だが着実に領土を広げつつあったムロマチだが、目下東の最大の敵、フラウスター兵団に西への進出を阻まれていた。  
 だが、魔王の娘がムロマチの武将として前線に出てきた事により、膠着していた戦況は変化。  
 そのまま畳み掛けるように、今まで赤毛の軍師が温存していた兵力を投入。フラウスターを突き崩しにかかった。  
 結果、同盟国からの援軍もうけ、ムロマチはフラウスターを倒したのである。  
 
 
 一戦が終わり、人々が勝利の美酒に酔いしれている頃、一人の男が君主の青年にごねられながらも、その宴から抜けだした。  
 濃紺の夜空に白い月。空気は夜の風に冷やされ、酒で僅かに火照った体に心地よい。  
 とはいえ、さほど飲んではおらずしっかりとした歩調で男はある一室を目指した。  
 音もなく動くのは男の職業柄のくせだ。長年の事で身に染み付いてしまっているため、それが自然なのである。  
 鶯張りの床さえきしりとも音を立てない。  
 
 そうしてやってきた一室の前でとまると、軽く咳払いをして、襖に手をかけた。  
 「姫さん、入るぞ」  
 「待て!はいってくるな!!!」  
 その声は、言って襖を開けたと同時だった。  
 思わず驚いて、中に入ろうとした体を止めたが、襖は開けてしまったので、中の様子は見えた。  
 「………………」  
 妙な間が流れる。  
 お互い無言で、相手を凝視していた。  
 場が凍りつくとか、時間が止まったと言う言葉は、まさにこんな時に使うのだろう。  
 男の目にまず映ったのは、自分が個人的に仕えている姫君の背中だった。それも、上半身一糸纏わぬ。  
 それからその白い体に巻かれた更に白い包帯だ。  
 彼女の近くには桶にはいった水と布、それから使っていない包帯、あて布。傷薬、鋏。  
 そして、見事に真っ赤になっている彼女の顔。それらをみて男は判断した。  
 「……傷の手当てして」  
 「入ってくるなと言っただろうが馬鹿者ー!!!!」  
 「うおあっ?!」  
 言葉はその怒鳴り声と、投げ付けられた鋏によってさえぎられる。  
 だんっ!!と勢いよく投げられた鋏は男の横の柱に突き刺さった。  
 
 「あ、あぶねぇな!いきなり鋏なんか投げんなよ!」  
 「お前が悪いんだろうが!入ってくるなと言ったのに入ってきて!!」  
 「いやそりゃ悪かったけど、だからって鋏はあぶねぇだろ!」  
 「自業自得だ!!」  
 真っ赤な顔で、今にも噛み付きそうな勢いの声を張り上げる。  
 ここが離れの部屋でなかったら、今頃、普通ならば何事だと、女中や見回りの兵士がやってきただろう。  
 「とにかくさっさと出ていけ!!」  
 さながら怪我を負った獣のように、肩で息をしながらこちらを見据えている。  
 しかし、男はようやくおさまったこの事態に、半ば複雑な表情をしながら思った事を告げた。  
 「……出てくけど。その前に取りあえず姫さん、隠した方がいいぞ」  
 俺だったからまだ良かったものの、と僅かに頬を赤らめて頭をかいた。  
 へ?と不意をつかれたような顔をして、彼女を改めて今の自分の姿を認識した。  
 手当てをしていた途中なので、上は何も身に付けておらず、中途半端に巻かれた包帯が崩れてきてしまっている。  
 つまり。ばっちりと。目の前にいる男には見えてるわけで。  
 「────────」  
 息を飲んだ。表情が引きつり、先ほどよりも真っ赤になる。まずい、と男が思った瞬間、彼女が振り被った姿が見えた。  
 「馬鹿者──────っ!!!」  
 目の前が炎に染まった。  
 
 さすが忍者と言うべきか、男は見事に彼女の必殺技をかわし大した怪我も負わず、軽い火傷ですんだ。  
 手当ても諦めたのか、ヒロは寝間着を羽織り、まだ赤い表情でそこに座っていた。  
 「だいたいお前が悪いんだ、サトー。普通、入るぞと声をかけたあとは一息待って開けるものだろう。  
 それをいきなり開けるとはどういう了見だ」  
 「だから悪かったって。まさかアンタがこんな所で怪我の手当てなんかしてるなんて思ってなかったしよ……」  
 向かいあわせに座ったサトーは、困った顔で対応する。  
 「私の部屋だ、私が何をしていようとかまわんだろう」  
 「そりゃそうだが……」  
 もっともである。だがしかし、ここでサトーは素朴な疑問を口にした。  
 「なんで、ちゃんと医療室で手当て受けねぇんだ?」  
 数年前の兄に対する敗北以来、極親しい者以外には心を閉ざし、表情の乏しくなった彼女が、それでも見て分かるほどに一瞬顔を強張らせた。  
 「…………」  
 だがしかしそれも一瞬で、ヒロは目を伏せると静かに言った。  
 
 「別にいいだろう。この傷は情けなくも私の落ち度で付けられた。それを誰かに治療してもらおうとは思わないだけだ。  
 それに大した事もない。私達魔族は治癒力が高いしな。こんなもを巻かずとも、放っておけばそのうち治る」  
 反論を許さないような、低いがきっぱりとした声だった。  
 けれども、黙ってそれをきいていたサトーは、伏し目がちの視線のまま、言い放つ。  
 「嘘付け」  
 「何?」  
 「嘘付け、って言ったんだよ。あいにく目はいいもんでね。  
 確かにアンタは怪我の治りが早いかもしれねぇが、大した事はなくねぇだろ。  
 現に、ほれ、血ィ、滲んできてるぞ」  
 指摘され、ヒロははっと腹の傷口を押さえた。確かに顔にはださないが、傷口はじくじくと熱をもち、痛みをともなっていた。  
 治りが早いといっても、限度がある。そんな瞬間的に治るわけじゃない。  
 「うるさい、お前には関係ないだろう」  
 「関係なくねぇだろ、ほら、今からでもいいから医療室いくぞ。先生は俺が連れてきてやっから」  
 戦争での怪我人の治療を何とか終えて只今仮眠中であろう医師を叩きおこそうと言うわけだ。しかしヒロは言下に告げた。  
 
 「いやだ」  
 「は?」  
 「いやだと言ったんだ。余計なお世話だ。お前も今日の戦で疲れているだろう、さっさと寝てしまえ」  
 そのつっぱねた態度にかちんときたのか、サトーは表情を険しくする。  
 「何だよそりゃ、いうに事かいて余計なお世話かよ。放っておいたらいくらアンタでもまずいだろ、治るもんも治らねぇぞ!ほれ、いいから行くぞ!」  
 言ってその腕を掴んだ。けれどもヒロはその腕を振り払う。  
 「行かん」  
 「行くぞ!」  
 「行かんと言ったら行かん」  
 「何でだよ!」  
 「…………」  
 押し問答を繰り返すうちに、ヒロは俯いて瞼を僅かに伏せた。その様子に怪訝な表情を浮かべる。  
 「…………魔族の、それも魔王の娘の怪我の手当てなぞ、したがる人間はいない」  
 静かに呟かれた言葉に、息を飲んだ。  
 「……怯えた視線と震えた手付きで治療されても不快なだけだしな」  
 自嘲気味に笑うのは、新生魔王軍が滅ぼされてからここ数年の間に増えた笑い方だった。  
 
 戦争が始まり、この国でも種族に拘らない君主のおかげで、魔族の兵も増えている。  
 だがそれでも、人間達にとってはまだ慣れ親しまない魔族は脅威だ。  
 おまけに彼女は、その魔族を率いていた魔王の娘。  
 医者とてただの人間だ。それなりに肝が座っていても、『魔王の娘』に対する怯えは隠し切れない。  
 「だから行かん」  
 そう繰り返して、ヒロは座り直した。  
 「…………」  
 怒りを表すでもなく、嘲笑するでもなく、ただ無表情に座る彼女を見て、サトーは暫し黙りこんだ。  
 そして、やおら片付けた救急箱を取りだすと胡座をかいてヒロの前に座りこんだ。  
 「な、何だ?」  
 不意の行動に戸惑ったように問いかけると、サトーは口をへの字に曲げたまま、眉間に皺を寄せて救急箱の蓋をあけた。  
 「だったら俺が手当てしてやる」  
 「何?」  
 「あんたは手当てなんていらねぇって言うが、俺の気が治まらねぇ。だから俺が手当てをする。つーかさせろ」  
 「……はぁ?!」  
 
 素っ頓狂とはまさにこの声だ。サトーは言ったが早いか、消毒薬と血をふく布を手にもつ。  
 「…………なっ、何を言っているんだお前、何でお前が……!」  
 「姫さん、自分じゃ手当てろくにできねぇだろ。包帯巻くの下手だしな」  
 「う、うるさい!」  
 「他人にゃしてほしくない、でもって自分じゃできない、だったら俺がやるのが一番いいだろ」  
 至極真面目な顔に有無を言わさぬ口調で言ってくる。ヒロは思わず逃げ腰になった。  
 そう言えばこの男、結構寛容に見えて妙なところで頑固だった。  
 「だ、だ、だからって、手当てって、つまり、お、お前の前で、ふ、服を、ぬ、ぬ、ぬ……」  
 先ほどに負けず劣らず、真っ赤になってきたヒロは、その状況を想像していくうちに口調がどもり始めている。  
 その顔は今にも火をふきそうなほどに赤い。  
 「……落ちつけよ。……それに、今更、だろ」  
 「!!!!」  
 視線をヒロから外し、サトーがぼそりと、気まずそうに赤くなりながら零した。  
 そんな大層に照れたり慌てふためいたりする歳でもないのだが、妙に居た堪れなく恥かしいのは、目の前で全身を赤く染める彼女のせいだろう。  
 ヒロはもういっそ、この場から走って逃げ出したいほどだったが、その恥ずかしさのあまり、気持ちはそう思っても、体の方は腰が抜けてしまっていた。  
 
 「……変な事をしたら燃やしてやる」  
 「変な事ってなんだよ」  
 そう返すと凄い形相で睨まれ、左手に魔力を込められたので慌てて片手を上げる。  
 「冗談、冗談だって。ちゃんと手当てすっから」  
 降参の意味もこめた表情で苦笑すると、ヒロは赤い顔のまま小さく息をついた。  
 呆れたため息と言うより緊張による胸苦しさを吐き出したと言う感じだった。  
 サトーの方はともかく、ヒロの方はそういった男女の関係に対し、鈍く疎く、そして幼い。  
 普通の女性でもいくら好いている男性に対して堂々と肌をさらすのは気恥ずかしいものだが、ヒロの場合はそれが酷い。  
 どうしていいのかわからず半ばパニックに陥る事もあり、そして無駄に強いものだから、下手に刺激すると必殺技が飛んでくると言うわけだ。  
 早くもうちょっと慣れてほしいなと思いつつ、この物騒な初々しさも可愛いなどと思うのは惚れた弱みだろう。  
 「……んじゃ、まず先に脇腹のから。別に脱がなくていいから、服、少しまくって押さえててくれよ」  
 本当ならば、脱いだ方が楽なのではあるが、ヒロが、見ているこちらが気の毒になるほど恥かしそうなので、そう言った。  
 「………………」  
 それにしても、と思う。  
 
 傷口を丹念にふき血を拭い取り、それから清潔な布に消毒薬を染み込ませ、さらにそれで拭く。  
 そして傷薬をとって塗りこんでやる。薬が染みるのか、朱に染まる顔に時折痛みの表情が浮かんでいた。  
 何もいわず淡々と、手当てを続ける。  
 『こんなに……』  
 今、サトーの胸中に先ほどからわだかまるのは、そこここに見え隠れする、彼女の古傷だ。  
 彼女の身体には、既に治ってはいるが薄らと残る傷跡が幾つもある。  
 戦場で力をふるう者として、怪我はつきものだ。  
 ましてや前線で戦う魔王の姫君。怪我をするのも無理からぬ事だった。  
 しかし、絞めつけられる想いが浮かぶ。  
 こんな戦争のある時代でなければ、まだ心穏やかに過ごせたかもしれないだろうに。  
 それを思っても詮無き事ではあるが、だが、それでも思わずにはいられない。  
 「………………」  
 慣れた手付きでガーゼをあてて包帯をまく。その作業をヒロは黙ってみていた。  
 「……よし、と。それじゃあとは肩の傷だから……」  
 「………………」  
 
 じぃ、と頬を染めたまま上目で何かを訴えるように見るのに気がついた。  
 「……脱がなきゃ手当てできねぇだろ」  
 「し、しかし……」  
 「医者の前だったら脱いでるだろうが、それと同じだ」  
 「………………」  
 「……こっちに背中向けて。それならまだいいだろ?」  
 色々頭の中で葛藤しつつも、このままでは埒があかない事もわかっているので、ヒロはくるりとサトーに背中を向けた。そしてゆっくりと寝間着を脱ぐ。  
 小柄なヒロの、小さい背中が現れる。サトーの懐にすっぽりと収まってしまうほどの体。  
 その背中を改めてみた時、サトーははっとなった。  
 『……これは』  
 手を伸ばして左肩に触れる。  
 そのごつごつとした指の感触に、ヒロは思わず見を竦めた。  
 「………………?」  
 しかし、そのサトーが触れた所は傷のある場所とは反対だ。どうしたのだろうと思い、ヒロは恐る恐る視線を後ろへ投げた。  
 サトーは自分の左肩をじっと見ている。その先を見てヒロは、ああ、と声を落とした。  
 
 「……あの時のか?」  
 先に問いかけられて、ヒロは苦笑した。  
 「……そうだ」  
 何か、鋭いもので貫かれたような傷跡で、その深さを物語っているかの如く、他の消えかかっている小さな傷よりもそれは存在を主張していた。まるで。  
 「………敗者の証のようだな」  
 「………………」  
 また、己を嘲るような笑みを浮かべる。  
 「明らかに私のミスだ。疲弊しきった隙をついて戦いを仕掛けてくるのは戦術として当然だろう。  
 私は、私の甘さにより虚をつかれ、奴に破れた。……無様だな」  
 貫通された傷は、サトーが触れる場所だけでなく肩の前にも残っていた。  
 ヒロはその傷を確かめるように撫ぜた。そうして、突如その傷に爪を立てた。  
 がり、とまるで抉り取るように立てられ、血が滲む。  
 「姫さん!」  
 「……父様と、姉様が……私に託してくれたあの国を、あんな奴に奪われて……  
 おまけにそのせいでチクやザキフォンも行方不明になってしまった。  
 私は……私は、私を信じてくれた人達の期待も信頼も裏切ってしまった……  
 今の私などに、いったい何の価値がある、何があると言うんだ……!!」  
 
 視線を前にもどし、俯きながら言うヒロの表情は、背中ごしのサトーには見えない。  
 だがそれでも、自責の念に苛まれる声は、いっそ悲痛で、聞く者の胸を締めつけた。  
 「………………」  
 サトーは黙ったまま、しばらくヒロの背中を見ている。そうして、肩に残る傷を優しく撫ぜた。  
 この傷を彼女が受けた時、自分は目の前にいたのだ。庇い守る事も、声をかける事すらできなかった。  
 「!」  
 不意に肩の傷にあたたかく柔らかいものが押し付けられた。  
 その感触にびくりとヒロは体を強張らせた。覚えのある、だがまだ慣れ親しまないそれ。  
 サトーが、その傷跡に口付けていた。  
 「サ、サトー……?」  
 胸が早鐘のように鳴っている。治まってきていた熱が再び上がりはじめて困惑してきているようだ。  
 傷から口を離すと、サトーはその太い腕でヒロを背後から抱き寄せた。  
 膝の上に抱え、もう一度肩に口付ける。まるで、あたかもそこから見えない血が流れており、それを拭うかのように。  
 「ちょ……こ、こら、待て……ッ!」  
 舌の感触にぞくりと背中が粟立ち、真っ赤になりながら堪えるように目をきつく瞑る。  
 
 「……アンタは、何も裏切ってねぇよ」  
 「え……?」  
 背後で呟かれた声に思わず疑問の声をあげた。  
 「確かに……国はとられちまったけれど、それは何もアンタだけのせいじゃない。  
 チクやザキフォンの事だって、俺達が好きでやっただけだ。アンタに命令されてやった訳じゃねぇだろ。  
 俺達は、アンタを守りたかったからああしただけだ」  
 「……だが、私にはお前達にそうしてもらう価値など……」  
 「あるさ。アンタがどう思おうと、俺達がそうしたかったんだから。姫さんの親父さんや姉さんだってそうだろうさ」  
 「……でも、私は奴に国を……」  
 「それもだ。親父さん達が託したのは『国』じゃないんじゃねぇのか?  
 あの二人が託したのは、『想い』なんじゃねぇのかな……」  
 「………………」  
 側で呟かれるように綴られる声は、ただ静かに染みる。  
 「国に拘って、親父さん達が何をしたかったのかを見誤ったら。  
 負けた事に引きずられて、自分ばっか責めていたら、それこそ裏切っちまうんじゃねぇのか?」  
 
 「………………!」  
 「やり直しは諦めねぇ限り何度でもきく。時間はあるんだ、そうだろ?」  
 「……しかし……」  
 「だーっ!『だが』も、『でも』も、『しかし』もあるか!!  
 難しく考えてたってはじまらねぇだろうが、ウジウジやってる暇あったら前に進めっての!」  
 ぐしゃぐしゃと頭をかき回すように撫ぜる。いきなりの事に呆気になって、ヒロは自分を抱えるサトーの方を振り返った。  
 サトーは、僅かに目を細めて笑っている。その笑みにつられ、髪が乱れたままでヒロも気恥ずかしそうな困った顔ではにかんだ。  
 「……お前は、難しく考える事が苦手だからな」  
 「おう。そう言うのはチクに任せてたからな」  
 「いばって言うことか。……ま、それがいい時もあるがな……」  
 「だろ?」  
 人好きのする、屈託のない顔で笑う。裏表のないこの笑顔がヒロは好きだった。  
 お互い、ひかれるように口付ける。深く重ねあわせてから一度離し、再び交わる。  
 「……ん……む、ぅ、こ、こら!」  
 「あ?」  
 
 「そ、そう言えば手当ての途中だっただろうが!何処を触っているんだ!!」  
 触られてはっと気がついたのか、口付けから逃れ、当初の目的を思い出したヒロが怒鳴った。  
 「あー……そうだった」  
 つい勢いにのってしまい、いくら何でも今日はまずいな、と思ってサトーは手を離した。しかし僅かに残念、と言う表情が浮かんでいる。  
 「………………まったく」  
 ため息まじりの言葉を落として、ヒロは赤い顔をしたまま、体をサトーの方に向けて両手をのばした。  
 「姫さん、肩……」  
 「……大丈夫だ」  
 「……いいのか?」  
 伸ばされた腕を、それでも負担がかからぬように背中に軽く回させ、先ほど撫ぜて乱れた髪をなおすように手櫛で梳いてやる。  
 「……わ、私の、気が変らぬうちだ……」  
 自分から先に求めることなどないからか、湯気が立ちそうなほど赤くなって俯いている。  
 「……了解」  
 その様子に小さく笑って、額にキスをした。  
 
 「ふ、あ、く……ぅんん……っ」  
 着ていた衣服も脱がされて、向かい合い、サトーの両足をまたぐ形で膝立ちになった。  
 ヒロの首筋に舌をはわせ、鎖骨から胸元へと続ける。  
 程よい大きさの乳房の頂きに口付けると、ヒロは分かるほどに体を震わせた。  
 膝立ちのままでの刺激に、心許無さそうな彼女の腕をサトーは自分の体につかまらせた。  
 そうして自分は彼女の腰の辺りに手を添えてやる。  
 「う……あ、ふあっ……」  
 もう片方の手で残りの胸をゆっくりと揉む。  
 緩やかな感触に小さく声をあげてやり過ごすのを見ながら、舌をはわせるのも忘れない。  
 「あ、あぁ、んあ……っ」  
 こそばゆいような、もどかしいような感覚に肩を竦め、ヒロは半ば縋り付くようにサトーの頭を抱えこむ。  
 サトーにしては押しつけられるような感じだったが、その柔らかさを心地よく思いながら、手の中の頂きを指ではさんですりあげる。  
 「んぅっ」  
 少し強い刺激に声をもらし、強張らせる。  
 その反応を楽しむように、二度三度と続け、さらに口の中でも舌先で転がしてやる。  
 
 「ん、んんっ、あ、や、あぁっ」  
 まだそう慣れない刺激は快感には直結せずに、奇妙な感じであるが、それをどう対処したらいいか分からずに声をあげるしかない。  
 だが厭ではない。サトーの手は暖かかった。  
 サトーは愛撫を続けたまま、胸元から手を離し、体の線をゆっくり辿って腰の方へと落とす。  
 そして後ろの方から双丘の狭間に指を滑らせた。  
 「あっ!ちょっ……」  
 思わずその動きに静止の声をあげようとしたが遅かった。  
 しっとりと濡れはじめていた秘所に骨ばった指が入りこんできた。  
 「っ!」  
 異色の感覚に腰がひけてしまいそうになるが、サトーは逃さなかった。  
 乳房から顔を離すと、縋り付くヒロに声をかけた。  
 「……姫さん、ちょっと苦しいって」  
 「お、お前が、悪いんだろうが……あぅっ」  
 言いながらも、指はヒロの下で蠢いていた。  
 しかし中には入らずに、何度も往復するように撫ぜているだけだが、それだけでもヒロにはたまらないらしい。  
 
 伸ばした中指で、奥まった場所にある突起を押し付けるように撫ぜる。  
 「ふぁあっ、や、……っぅ……っ」  
 すがりついてはいるものの、下からの刺激に力が入らなくなってきたか、ヒロの足が震えはじめ、腰が落ちてきた。  
 頭を抱える腕もほどけ、サトーの肩に力なくかかるだけになる。それでもサトーは指の動きを止めない。  
 湿った、どこか粘り気のある水音が耳に届く。  
 サトーの腿の上に完全に腰を落としてしまったヒロは、為すすべなくその音を聞いているだけだった。  
 これが、自分の体でサトーが鳴らしているのだと頭のどこかで認識すると、ヒロは更に羞恥が増してくるように感じた。  
 「…………っ」  
 頬を赤く染め、与えられる刺激に喘ぐ姿はいっそこのまま押し倒してしまいたくなるほどだった。  
 だがそれを半ば無理矢理、理性で押しとどめ、サトーはその変わりにヒロに口付ける。  
 「ふっ……」  
 舌を挿し入れてからめる。貪るように口付けながらも指は動いている。  
 飲みきれなかった唾液がヒロの口の端から零れて顎につたった。そして、唇を離すと同時に、指もそこから離した。  
 「……はぁ……」  
 熱にうかされたように、ぼうっとなっているヒロの前で、白く濡れた自分の指をサトーは少しなめる。  
 それを見て、はっとなったヒロは赤い顔を更に赤くして眉をひそめた。  
 
 「お、お前なっ……!」  
 「何だ?」  
 「…………っ」  
 聞き返されてしまったのでそれ以上二の句が継げずにヒロは黙ってしまう。眉を下げて小さくサトーは笑った。  
 「……傷とか、痛くねぇ?」  
 なるべく負担はかけないように起きたままでやっているのだが、それでも気になるので問い掛ける。  
 「……大丈夫だ」  
 「本当か?アンタ、どんなに痛くても我慢するからなぁ」  
 「当たり前だろう、すぐに泣き言をいうなんて情けなくてできるか!」  
 「いや、アンタの場合は我慢しすぎだって。  
 我慢するのが悪いってわけじゃねぇし、すぐ音をあげるってのもいいってわけじゃねぇが、限度ってもんがあるだろ」  
 言われてぐぅっとなる。確かにヒロは、そのプライドの高さからか、絶対に助けを求めるような弱音は吐かない。  
 「本当に大丈夫だ!」  
 それでも負けじと言い返す。  
 「……ったく。アンタは本当に意固地だよなぁ」  
 
 苦笑まじりに言うと、サトーは先程の肩の傷跡にまた唇を落とした。  
 先ほど、ヒロがその傷口に爪をたてたせいで血が滲んでいる。  
 それを舐めとるようにすると顔をあげて言葉を続けた。  
 「……これもさ」  
 「……何だ?」  
 ヒロが『敗者の証だ』と言ったそれ。  
 「負けてできた情けない傷だって思いこんでるみてぇだけど、逆にこうも考えられねぇか?」  
 怪訝そうにサトーの顔を見上げる。  
 「もう負けねぇっていう戒めと誓いってやつ」  
 「…………」  
 「俺のこの傷もさ、ガキん時にやられたやつでな。  
 昔はこの傷見る度に腹がたって情けなくてしょうがなかったが、今はそうじゃなくて、  
 もうあの時みてぇに見境なく突っ走ったりしねぇ、俺は仲間を裏切ったりはしねぇって思うようにしたんだ」  
 頬の刀傷を一度撫ぜてそう言った。  
 ヒロは、そういえばこの傷について話してもらったのは初めてだな、と思った。  
 
 「だからさ、アンタもこの傷みて情けねぇって思うより、今度会ったらあいつをぶちのめすって思ってみたらどうだ?」  
 「…………」  
 この男の、呆れるくらいに前向きな考え方はなんだろうか。  
 考えていくほど深みへはまりそうなるヒロの腕を掴んで、引きずり上げるようだった。  
 「……お前は単純だな……」  
 「あ、酷ぇな」  
 「事実だろう」  
 ヒロはくすくすと笑って、サトーの頬の傷に触れた。  
 「……そうだな、もう少しお前の単純さ加減に感化されてみるのもいいかもな」  
 「何となく言い方が気になるんだけど」  
 「気にするな」  
 そう言って今度はヒロの方から口付けた。それにサトーも応える。  
 「……んっ、ふ……ぅ」  
 何度か具合を確かめるように角度をかえ、舌の動きをかえる。  
 
 サトーは先ほどまで後ろから挿し入れた手を今度は前にもってきた。  
 同じように、口付けたまま指先を動かすとヒロはびくりと震えたが、今度は腰をひかずにその指の動きを受け入れた。  
 「……入れるぞ」  
 それにサトーは、今まで入り口を撫ぜていた指先を一本、中へと押し入れる。  
 「んっ」  
 声はくぐもったまま飲みこまれた。サトーの腕を掴んで、必死に何かを堪えるように指を受け入れる。  
 太く骨ばった指が中をかきまわし、内壁をこすりあげる。  
 その度に先ほどよりも大きな水音が響いて、ヒロの身の内を何かがかけめぐった。  
 「……っはっ、あ、やぁ、さ、サトー……っ!い、あぁ、んっ」  
 サトーの肩口に頭を押しつけ、声を上げながら、たまさか空気を求めるように息を飲む。  
 何処か苦しそうな声に、少し気遣う気持ちが浮かぶが、同時にもっと泣かせたいと言う想いも浮かぶ。  
 それに、今十分に慣らしておかないと、あとでヒロの方が辛い。  
 「……もう一本、いけるか?」  
 「ん、ぅ、だ、だいじょう……ぶ……ふあぁっ」  
 ほとんど受けいれた事のない中は狭くてきつく、指二本でぎちぎちだった。  
 それでも慣らすように動かしてやる。  
 
 「い、んんっ、あ……ぅんっ……は……ぁっ」  
 中から溢れる蜜が指の動きを助けてくれる。続けていくうちに、苦しそうだった声に艶がではじめた。  
 「姫さん」  
 呼ぶと、ヒロは生理的に浮かぶ涙で潤んだ視線を上げた。  
 しかしすぐにまた、動かされる指に目をきつく閉じて快感をやりすごす。  
 ぞくぞくと襲いくる全身の力が抜けるような感覚が矢鱈にもどかしく怖かった。  
 サトーの胸元にまたすがるように身を寄せる。  
 そろそろか、と思い、サトーは指を抜いた。  
 「ふぁ……」  
 抜いてみれば指は、挿し入れなかったものにまで白い蜜が伝っていた。放心したような声を出すヒロに、サトーはまた声をかけた。  
 「姫さん」  
 「……何だ……?」  
 「ちょい、もっかい膝立ちになってくれねぇか?」  
 「…………?」  
 疑問に思いつつ、ヒロははいらぬ力を無理に入れて、サトーの体も支えにして膝立ちになる。  
 そうすると、サトーはヒロの腰を支えるように掴んだ。  
 
 「辛かったら、しがみついていいから」  
 言われて、下の唇が熱くそそりたつ硬いものに軽く当たって、ヒロは瞬間的に赤さを増した。  
 「ちょ、ちょっと待て、こ、この格好で……っ?!」  
 「……姫さんの肩と腹に負担かけられねぇだろ?」  
 「だからって……こんな……む、無理だっ」  
 困惑するヒロに無理もないか、と内心で思いながらもサトーは優しく声をかける。  
 「大丈夫だって。……ほれ、肩に手おいて」  
 「…………っ」  
 口を引き結び、サトーに促がされてヒロはそれでもゆっくりと腰を落とした。  
 濡れそぼった口に頂があたる。  
 おもわず体を強張らせたが、この状態でいるのも辛い。けれど、自分から入れるには恥かしく、難しかった。  
 「……サ、サトー……っ」  
 助けを求めるように喘ぐと、サトーは苦笑して、ヒロの腰をしっかりと掴み引き寄せる。  
 「ふ、あ、あぁあっ!」  
 何度かの抵抗と圧迫を感じながらもずるずるとサトーはヒロの中へと入っていった。  
 
 狭い内壁がその度に収縮を繰り返して、飲みこまれてゆく。  
 ようやく全部収まると、ヒロは熱い息の塊を吐き出した。  
 「……姫さん」  
 「……大丈夫……だけ、ど……っんか……へん……っ」  
 「へん……?どこがだ?」  
 「わ、かんな……、だけどなんか……」  
 真っ赤な顔で、どこか居た堪れないように切ない声を上げる。その様子に心配げにサトーは訪ねた。  
 「……落ち付くまでもうちょい待つか?」  
 「ん……大丈夫……だと、思う……」  
 サトーに問われ、多分、前の時と体勢が違うからだろうと思い、ヒロはそう言った。  
 「……んじゃ、動くぞ」  
 「うん……っ」  
 同時に中を突き上げる圧迫が襲った。  
 「んぅっ!」  
 こんな体勢は初めてなので、どうしたらいいのかわからない。  
 襲いくる突き上げに一瞬頭の中が真っ白になった。  
 奥の奥まで突かれ、気持ちがついていかずに振り回されるようだ。  
 
 「あ、あぁっ!や、さと……っんぅ、やあ、ぁあっ!」  
 突き上げる度に嬌声が上がり、ヒロはその衝撃に耐えるようにサトーの頭を抱えこむ。  
 「姫さん……っ、あんま掴むと苦しいって……」  
 「だ、だって……!な、んか、前より……うぁあっ!……ふか……いぃっ!」  
 苦しいというより、正直やりづらいのだが、彼女の方が辛いだろう事がわかっているのでやらせておく。  
 それでもぴったりと纏いつく暖かさと柔らかさに、くらくらと眩暈を起こしそうに酔う。たまらなく気持ちがいい。  
 「ひあぁっ!や、ぁあっ、さと、サトー……っ!だ、だめ、……ぅんあぁっ」  
 確かに前の体勢よりもヒロの奥深くへと入りこむ。重力のせいで否が応にも深くなるのだ。  
 結合する部分から蜜が溢れ、滴ってサトーの腿を汚す。  
 彼女の声で、自分の名前を呼ばれる度に、どうしようもなく押さえきれないものがこみ上げる。  
 たまらなくなって、暴走しそうになるのを堪えながらも、それでも激しくなりつつある。  
 一度息をはいて、腰をひくと、また深く突き上げた。  
 「サトー……っ……ゃだ、そん……なに、うごく……なぁあっ!」  
 「……っわりぃ……でも、姫さん、気付いてっか……?」  
 「……っ?」  
 
 動きを押さえるように緩やかにする。  
 そのせいでヒロも追いたてられる勢いがおさまって、深く息をはいた。それからごくりと唾を飲み込むように息を飲む。  
 それにサトーが顔をしかめた。  
 「……っ、そうやって」  
 「ふぁ……っ?」  
 「姫さんの方も俺の事、締めつけてんの」  
 「……………っ?!」  
 近くにあるヒロの顔を引き寄せて口付ける。荒い息のせいで苦しいが、それでも貪るように舐めつくす。  
 ヒロが息を飲む度、身体の方も強く収縮を繰り返して、サトーを高みへと追い立てるのだ。  
 無意識の事とは言え、ヒロはその言葉に声を失う。  
 「……それに、今も、姫さん、自分で腰、動いてるの知ってるか?」  
 唇を僅かに離してそう言ってやると、ヒロは慌てたように自分の体に意識を向けた。  
 サトーの動きにあわせ、腰が知らずに動いた事に気がついた。  
 今まで与えられる衝撃に感じ入るだけで、そんな余裕などなかったのだ。  
 「や……っ!こ、これは……っ!!」  
 火照りかえった顔を両手で隠す。たまらなく恥かしかった。  
 
 「……イイんだ?」  
 言われて更に恥かしくなる。みっともなくて消えてしまいたくなった。  
 「そっ……そういうことを言うなぁ!!」  
 「すまねぇ……でも俺は嬉しいけどな」  
 「なっ……」  
 蹲るようにサトーの胸に頭をつけて俯くヒロの体を抱きしめる。  
 「前はそんな余裕、アンタにゃなかったしな……。今もねぇけど、それでも感じてたんだろ……?」  
 「……わ、わかるか、そんなこと……っ!!」  
 「ん……それでもいいけどな、今は」  
 「馬鹿も……あぁっ!」  
 再び律動が開始された。  
 「や、あぁ、きつ……っ!さと……ぉっ、きついぃ……っ!!」  
 「……姫さん、あんま……締めんなって……!」  
 先ほどの台詞で、変に腰を意識して力を入れてしまうのだが、そのせいでサトーを締めつけてしまう。  
 更に締め付けられ突き上げるので、サトーの方も感じ取り、主張してしまうのだ。  
 
 「んぅ、あ、はぁあっ、う、やぁあっ!っんあっ」  
 がくがくと揺さ振られ、為すがままに受けいれる。熱くて頭の奥が熱で焼け付くようだった。  
 「は……ふあ、んく……ぅ!んん、は、ああぁっ、や、うぁっ」  
 空気を求めるように喉をそらせ、喘ぐ。奥深くまであたり、限界が近い。  
 もう何も考えられず、ただ無意識に声が喉からもれるだけだった。  
 「や、だ、だめ、や、あぁあっ、…………ひあ、あぁああっ!」  
 びくりとヒロの体が震え、背中をのけぞらせる。  
 「…………っ!」  
 きゅう、と締め付けられ、サトーはヒロの中へと放った。  
 勢いをつけたものが奥に叩きつけられ流れこみ、繋がった部分から溢れかえった。その度にヒロの腰が痙攣を起こしたようにひくついた。  
 全て彼女の中に吐きだすと、サトーはゆっくりと己を引き抜く。  
 そしてぐったりと自分に身を預けるヒロをみやった。  
 「……大丈夫か?」  
 その声に反応するように、ヒロが頭を動かす。  
 「……だい、じょうぶ、じゃ、な……」  
 火照った顔でそこまでいうと、まるで眠るように瞼を閉じた。気を失ってしまったようだった。  
 「……わりぃ」  
 サトーは素直に彼女に謝った。  
 正直、今回は本当にまずかった。何度理性を手放しそうになったかわからない。  
 「…………」  
 胸元で規則正しい呼吸を繰り返すヒロに安堵して、サトーは思い出したように救急箱を手にとった。  
 
 
 
(とりあえず)終  
 

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