「パウラス・ヌイ征伐。いよいよご決心なされましたか」
ナハリへと急ぐ大君主の車中で、帷幕に加わったばかりのチクが口を開いた。
ザーフラクは、ドラゴンソウルの入手を急がせているという風聞のみで、自分の考えを見通したチクの鋭さに感心する。
フラウスター兵団の首都国ロギオン。
その西側の、狭い水道を隔てた位置に存在するパウラス・ヌイは、ザーフラクにとってのど元に突きつけられた匕首そのものであった。
国力が低いゆえ、積極的に攻め込んでくる危険性は低いと思われるものの、決して膝を屈せぬ隣国の存在は気持ちの良い物ではない。
更にはパウラス・ヌイの君主ブレイクが、不可侵条約を持ちかけたザーフラクの使者を斬って捨てたことで、両雄の決裂は決定的となっていた。
しかし当時、覇権に乗り出したばかりで、まだ国力の整っていなかったザーフラクは、直接攻撃をも操る最強武将のブレイクを相手にすることを、躊躇せざるを得なかった。
いたずらに兵力を損なう不利な戦いをよしとしなかったザーフラクだったが、ドラゴンソウルを使い、率いる兵を対魔防御力の高い『竜戦士』にすることさえ出来れば話は違ってくるのだ。
「兵の士気を犠牲に対魔陣形を持続させれば、直接攻撃はしのげますが、お味方の攻撃力が4分の1になるのでは・・・」
ロギオンの弱卒では勝ち目はない、とまではチクは口にしない。
気力が低下し、必殺技を封印された状態の今のジャドウを相手になら五分の戦も出来ようが、来るべくブレイクとの決戦の前には、何としてでもドラゴンソウルを手に入れる必要がある。
「それと、早いうちに天魔クラスの必殺技を・・・できれば剣属性以外で」
チクの言葉は必要最小限度だが、翼戦士に守られたボルホコ山攻略を意図したものであるということは、ザーフラクには理解できた。
ザーフラクが振るう3種の必殺技のうち、実に2つまでが剣属性であり、翼戦士は剣属性の必殺技を無力化してしまう。
「考えておこう」
徹底した能力主義を貫くザーフラクは、獲得したばかりの幕僚の明晰な頭脳に満足して薄く口元を弛めた。
しかしチクには1つの危惧があった。
「大君主は捕らえたメイミーを使って、実父である魔王軍のバイアード13世に謀反を迫るような愚を犯すであろうか・・・」
親娘の情を弄ぶその行為が、戦術上無意味であるばかりでなく、人臣の心を離反させる元凶ともなりかねない事をチクは知っていた。
※
9日後、神速ともいうべき早さでジグロードに到達したザーフラクは、事前にナハリへと放っていた、ゴルベリアス麾下の強行偵察部隊から意外な報告を受けた。
「アレース殿は既にカイゼルオーンに撤退。君主ギュフィ2世様におかれましては、城内にて御存命の模様」
突如として隣国カイゼルオーンより襲来したアレースは、ナハリ軍に壊滅的打撃を与えた事に満足すると、何故か攻城戦に入ることなく悠々と引き上げていったという。
「恐らく、只の退屈しのぎの遊びだ」
と、若き黒騎士の奇癖を知るザーフラクは推測する。
「で、どうする?カイゼルオーンへ追撃して、奴等を皆殺しにするかい?」
ゴルベリアスの態度は、ザーフラクに対する敬意など一向に感じさせないものであったが、大君主は意に介さない。
有用な道具は使えるうちはどんどん使い、使えなくなった時点であっさりと切り捨てればいいだけなのである。
自軍に投降して来たばかりである、この元5魔将軍の1人は、現時点ではザーフラクにとって、まだ使い道のある道具であった。
「カイゼルオーンへの仕置きは、しばらく保留する」
ゴルベリアスに対し、短い言葉でそれだけ告げるとザーフラクはナハリへ向かって自軍を進めた。
※
「アレースなど恐れるに足らぬが、あ奴の保つ魔剣ランシュバイクは、そう遠くない将来、必要になってくる」
どうも大君主も新参幕僚であるチクの前では多弁になるようである。
「さて、ナハリの仕置きであるが・・・その方の考えを申してみよ」
既に考えのあったチクだったが、即答を避け、しばし熟考するように首を傾げる。
「やはり国替えがよろしいかと・・・ネウガードとカイゼルオーンの2大強国に挟まれたナハリを統治するにはギュフィ2世殿下では、余りにも脆弱。全てを瓦解させる蟻の一穴を作らぬためにも・・・」
満足いく回答に、大君主は微かに頷いて応じる。
本来なれば死罪も免れぬかという不始末をしでかしたギュフィ2世であるが、彼は魔導世紀初頭より脈々と続く名族の嫡男である。
自身が勇魔戦争以来の成り上がり者だけに、血統などは歯牙にも掛けないザーフラクだったが、その有用性と使用法は充分に承知している。
「して、誰にナハリの統治を任せるがよいか?」
続く大君主の問いにチクはしばしの沈黙の後、口を開いた。
「私の考えに間違えがなければ・・・ナハリに着く頃には早馬が到着するでしょう・・・」
またも我が意を得た幕僚の回答に、今度は呵々と声を上げて笑う大君主であった。
※
「ハイヤァッ」
大陸西部を縦断する街道筋、ガッツォからシルヴェスタへと至る辺りを1団の騎馬隊のが北上していく。
荒くれ男達の先頭を行くのは、法衣の青色も眼に鮮やかな、フラウスター兵団外交官のランジェである。
ミニスカート風に改造した法衣の裾が捲れ上がるのも気に留めず、鞍に腰を下ろさぬ中腰で乗馬しているため、形の良いお尻に貼り付いた純白の下履きが丸見えになっている。
「うっひょぉぉ〜。姐さん、たまんねぇっす」
根が単純なリュウなどは、それだけで鼻血でも出そうかという舞い上がりぶりであった。
「うふふっ、リュウったら・・・たまにはサービスしとかなくっちゃね」
深い前傾姿勢のまま後ろを振り返ったランジェは、リュウに向かって手にした乗馬ムチを振りかざし、芝居掛かった仕草で怒ってみせる。
ザーフラクの寵愛は、自分の容姿に依るものなどではなく、能力を愛でて貰った結果であると、わきまえていたランジェであったが、無論容姿の方にも充分自信は持っている。
フラウスター兵団では、まだ新参者に分類される身であるランジェの悩みは、自身の武力が知力程には高くなく、また股肱の臣を持たぬ事であった。
一計を考えたランジェは盗賊征伐にかこつけ、ザーフラクから借り受けた兵力をもってマンビー盗賊団を根こそぎ生け捕りにした。
そしてマンビー、ギャプなどの主だった幹部に無理矢理死神の血判状を書かせ、有力な配下として抱え込んだのである。
裏切れば呪いの掛かる血判状のせいで、最初は嫌々ながら仕事をこなしていた彼らだったが、決して部下の出自をもって分け隔ての理由としないランジェの魅力に、徐々に惹かれていった。
また大君主ザーフラクのランジェに対する寵愛の深さ、成功報酬として得られる恩賞の高さを、身を持って知らされたならず者共は、いつしかランジェ麾下の軍団でも、最も有力な戦士部隊となっていた。
『汚い仕事』をする時、必ずマンビー盗賊団を用いるランジェは、ツェンバーとの交渉の供回りとしても、やはり彼らを同行させた。
往路の弱国ガッツォは使節団の通過を一も二もなく許可したが、ナハリへと急ぐ復路を遮るシルヴェスタは、それを黙殺したのである。
※
数日に渡る、文字通り裸の付き合いで、すっかりうち解けたメイミーの協力もあって、ツェンバーとの交渉は淀みなく進んだ。
その結果、取り敢えずの開城によるドラゴンソウルの譲渡、そして従属の証に人質として有力武将の差し出す事が命じられ、代わりにメイミーを君主とする当面の自治権の承認が大君主ザーフラクの名によって約束された。
人質の人選をツェンバー側に一任したランジェは、その後たっぷり2日間待たされることになるが、その間、彼女は事ある毎に大君主が強烈な民族主義者であることを強調し、自らもバンパイアを毛嫌いして見せた。
「一体どうしちまったんだよ、姐さんは。あの日かよぉ?」
差別主義とは無縁に思っていたランジェの豹変振りに、リュウは首を捻るばかり。
「てめぇには分かんねぇのかい。姐さんはどうやら、あのドファンとかいう金髪の兄ちゃんにご執心のようだって事さ」
同じく幹部のギャプは面白く無さそうに顔をしかめながら吐き捨てるように言う。
「それも兄ちゃんの方から、喜んで来てくれるように仕向けてんのさ」
「それじゃ、俺達はお払い箱・・・うわっ」
途端に飛んで来たウィスキーの瓶を、慌てて避けるリュウ。
「どいつもこいつも静かに出来ねぇのかい。酒が不味くならぁ」
マンビーは不機嫌そうに唾を吐くと、新しいボトルの封を切ってラッパ飲みして見せた。
ようやくツェンバー側の会議が終わり、決まってみれば選出された人質は、やはりドファンであった。
元々ツェンバー只1人の人間の武将であり、浮いた感の拭えなかったドファンは、不要者の烙印を押されたことで、むしろサッパリした気分でランジェの供回りに加わる事が出来た。
「けど、あんな除け者の兄ちゃんなんか人質に貰ったからって、ツェンバーの奴等なんか信用していいのかよ?あいつら絶対裏切るぜぇ。姐さん、大君主様に叱られんじゃないのかな」
リュウは心配顔でギャプに話しかける。
「アホが、奴等が裏切ろうが知ったこっちゃねえんだよ。どっちみち飛び地のツェンバーを無理して支える兵力は無いんだから」
訳知り顔でギャプが答える。
「仮に裏切ったとしても、いずれ併呑したガッツォやシルヴェスタの連中にでも攻めさせればいいんだよ。まぁ、そのくらいの計算の出来ねぇバンパイアの姫さんでも無かろうけどよ」
「ふぅ〜ん。やっぱ姐さんは賢いや」
ギャプの言葉にようやく嬉しそうに笑い、先を走るランジェのお尻を照れながら見つめるリュウであった。
※
一行はガッツォを抜け、不戦協定を無視したシルヴェスタへと侵入していく。
本来ならガッツォから占領したばかりのエイクスを経由し、ナハリまで行きたいランジェであったが、要らぬ会議で2日余計に時間を費やした今、回り道をしている暇はなかった。
「けど後腐れ無くお土産を頂けたし・・・仕方無いのよね」
ランジェは左後方に続いている、今は亡きトータスブルグの元君主ドファンを振り返って微笑む。
トータスブルグはかつてナハリの西方、現在のネウガードの北東部に当たる位置に存在した亡国であり、魔王軍と神聖皇国軍の狭間で数奇な運命を辿った国家である。
現在はネウガードの一部として魔王軍による恐怖政治の統治下にあるが、かつて同国を中立国として独立させることに成功、善政を敷いた名君ドファンに対する憧憬の念はいまだに強いものがある。
特に彼の率いた騎士団ローザの残党は、魔王の娘ヒロに壊滅的打撃を与えられたとは言え、現在も地下に潜伏し、時が来るのを待ち構えているという。
振り返ったランジェの微笑みを、自分に都合良く解釈したドファンは、気取ってウィンクまでしてみせる。
一行がシルヴェスタ深くまで侵入した時であった。
切り立った崖の向こう側から、雨のような矢の奇襲が襲い掛かってきた。
「何者ですっ?」
ランジェを庇った盗賊団の兵士が2名、払い損ねた矢を体に受けて馬から転落する。
「我らこそラーデゥイ騎兵団。フラウスター兵団の盗賊共を退治してくれんわ」
髭面の中年男を先頭に逆落としに崖を駆け下りてくるシルヴェスタの騎馬兵たち。
「お師匠様っ」
ランジェはかつての師匠に当たり、五勇者のリーダーと呼ばれた男の出現に慌てふためく。
「姐さんを守れ」
盗賊団の面々は次々に馬の横腹に蹴りをくれると、ラーデゥイ騎兵団に立ち向かっていく。
伝説の『武神』に率いられた騎馬隊といえども、実戦ともなるとやはり経験豊富なマンビー盗賊団に分があった。
柄の悪い事で有名な盗賊と言えどマンビー、ギャプは大陸でもまず1流の剣士の部類に入る。
更にラーデゥイ騎兵団にとって運の悪いことに、一行にはかつて騎士団ローザを率いた名うての剣の名手、ドファンが味方していた。
「お師匠様っ、引いて下さい」
味方優勢に戦いが進む中、自身も細身のサーベルを必死に振るって戦うランジェが叫ぶ。
「うるさいっ。ザーフラクなどに魂を売った貴様など、既に師匠でも弟子でもない」
とりつく島もないラーデゥイの言葉に、狼狽えたランジェの後方に、敵の兵士がコッソリと忍び寄る。
気配を察したランジェが振り返るのと、マンビーが兵士を切り捨てるのが同時だった。
「マンビー・・・」
「ケッ。自分のケツくらい、自分で面倒見ろってんだ」
御大将に礼を言わせる暇も与えずに、再び乱戦の中に飲み込まれていくマンビー。
やがて嫌々ながら敗北を認めたラーデゥイは、独断で出した騎兵団を何とかまとめ上げると、這々の体で退却していった。
「お嬢さん。お怪我はありませんでしか?」
気取ったポーズで薔薇の花を差し出すドファンを無視して、ランジェは改めて礼を言うためマンビーに近付いた。
「マンビー・・・いつもありがとね」
「チッ。本当に感謝してるんなら、そんな言葉なんかより、血判状を返せってんだ」
マンビーは、ランジェが差し出した手を無視して、吐き捨てるように言った。
「そうしたら、俺は・・・俺はっ・・・」
「俺は?・・・」
途端に悲しそうな表情を浮かべたランジェを前に、マンビーは言葉を失い、馬首を巡らせるとナハリ方向へ向かって駆け出し始めた。
「あっ、待ってよ。マンビー」
遅れじとその後を追うランジェ。
ヤレヤレとばかり首をすくめて、互いを見合わせたギャプとリュウがそれに続く。
※
「何にせよ、殿下が無事で何よりであった。敵の兵種を見極めて籠城戦に切り替えたのはお見事」
ナハリの城にて、ギュフィ2世との会席に臨んだザーフラクは幼き君主を褒め称えた。
無論のこと、上座は大君主であるザーフラクが占めている。
しかしながら本当は、籠城戦どころか命からがら城に逃げ帰った彼を、アレースが見逃してくれたというのが事実であり、彼もまたそれを承知していた。
しばしの沈黙の後、ギュフィ2世は信頼する軍師シーマ・ツヴァイより託された秘策を語り始めた。
「この度の失態、大君主様に対して取り返しのつかないものになるところでした・・・」
「まあ良い。既に済んだことではないか」
ザーフラクの言葉を手で制しながら、幼き君主は血を吐き出す思いで言葉を続けた。
「ネウガード、カイゼルオーンという2大強国に挟まれたこのナハリの統治・・・今の私には、ちと荷が重すぎまする。出来れば私が一人前になるまで、大君主様にお預けしとうございます」
思いも掛けぬ幼君の言葉に、機先を制された形となったザーフラクは言葉を失う。
「殿下はそれでよいのか」
「祖先より受け継ぐこの地に未練が無いと言っては嘘になりますが・・・これも大君主様の覇業に対する、些少ながらの私からの助力と思っていただきたい」
余りに出来すぎた幼君の台詞に、不審を感じた大君主は、側近シーマ・ツヴァイの訳知り顔に思い当たった。
「あのタヌキか・・・」
ギュフィ2世は消え入りそうな声で先を続ける。
「されば祖国最後の夜の思い出として・・・お情けをいただきとう存じます」
※
翌払暁、夜を徹しての大君主の責めに、狂ったように燃え上がり、何度も登り詰めた幼君は死んだようになって眠っている。
1人テラスに佇む大君主は、登りつつある朝日に背を向け、その眼は仇敵ジャドウの待ち構えるネウガードを見据えている。
その眼は、今まさに登らんとする若い太陽より、更に爛々と燃えさかっていた。
やがてヘルハンプールへと移るギュフィ2世の一行が、出立の時間となった。
「ヘルハンプールはかつてモンコンで栄えた商業と娯楽の町。全てはこのシーマ・ツヴァイにお任せを・・・」
大陸随一の噂も高い名軍師は、幼い君主を元気づけるように耳打ちする。
「あぁ。いつかここに戻ってくる日のために・・・」
一大決心で家臣団を守り抜いた幼い名君は、最後に居城に一瞥をくれると、国境を過ぎるまで、二度とは振り返らなかった。
※
次いで新君主ドファンの任命式が執り行われ、元騎士団ローザの団長は、正式にナハリの君主として統治権を与えられた。
『名君還る』の報に、既にネウガード国内の旧領民も沸き返っているという。
「よくぞやってくれた。褒美に国を取らせる」
口頭による命令以上の結果を出したランジェを、大君主はご機嫌で迎えた。
「いえ、現在での身分でも身に余る光栄ですわ。大君主様が大陸を制覇なされた暁には、私はデュークランドに攻め込み、彼の地を頂戴する積もりですので」
ザーフラクの元を離れたくないランジェは、主君のご機嫌をいいことにシャアシャアと言い放った。
「豪毅なことを抜かしおるわ」
あくまで機嫌の良いザーフラクは笑って捨て置いた。
後刻、莫大な恩賞をナハリの通貨である家畜で下賜されたランジェは、マンビー盗賊団の元を訪れた。
「やったわよっ。大君主様も殊の外お喜びで恩賞に預かったわ。今夜は飲むわよ」
嬉々として跳ね回るランジェに引き込まれて、鬨の声を上げる盗賊団の兵士達。
「やったぜ、姐さん。今夜は徹夜で飲み明かすぜ」
酔っぱらったランジェの脱ぎ癖を今から期待して、リュウも飛び上がって喜んだ。
※
「手元に置いてこそ能力を発揮できる者もいれば、外征でこそ、その実力を生かせる者もいる。」
と能力主義者のザーフラクは信じる。
「仮にジャネスの息子が人間で、余の陣営に迎えることが叶っておったら・・・」
自分は今頃、母国ロギオンでゆるりと酒でも飲んでおられたものを、とも思ったが現実は夢物語とは相容れない。
※
魔導世紀1005年7月初頭、全ての軍備を終えたフラウスター兵団は、実に10個軍団をもってジャドウ討伐に出立した。
先頭に立つのは、ザーフラクの直卒する竜戦士部隊、その数1000。
「何とか和解の手は無いものか・・・」
一路ネウガードへ向かう車中、幕僚総長に任命されたチクは、1人『人魔和解』の手段を探って頭を悩ませていた。
一方、筆頭副官を兼任するランジェは、『ヒロ、メイマイ国を出奔』の報に接した後、10日に渡ってその行方が掴めないままになっている事に、終始不安を禁じ得なかった。
ネウガード討伐の緒戦において先鋒を勤めたドファン部隊は、一斉に武装蜂起した旧トータスブルグ領民の助けもあって、いとも簡単にルドーラの軍勢を西へと追いやった。
歓喜の涙を流す領民達に担がれてトータスブルグ城への帰還を果たしたドファンは、更なる追撃によりこの地区の魔族を完全に一掃、敵地に確固たる橋頭堡を築くことに成功した。
「ザーフラク!!ザーフラク!!」
熱狂的な歓呼の声に迎えられてトータスブルグ入城を果たしたザーフラクは、トータスブルグの再独立と旧領主ドファンによる統治を大君主の名において確約した。
同じくジグロード側からネウガードに侵攻したゴルベリアス部隊は、ほとんど抵抗らしい抵抗も受けることなく東南部地区を席巻、バルハラ城塞を完全に沈黙させると最小限の兵を残して北上し、本隊との合流を果たした。
※
「輝かしきフラウスターの同志よ!!時は来たッ!!この世の全ての凶、魔族を討つ時がッ!!」
出陣に当たっての閲兵式の終盤、ザーフラクによる最後の演説が行われる。
魔族の影に怯えて暮らしていた人々は、人間の魔族に対する優越性を説く大君主の姿に感激し、むせび泣く者まで出てくる。
「本来劣等種族であるこの世の全ての魔族を殲滅し、正しき秩序を人間の手に取り戻す事こそが、我ら選ばれた存在であるフラウスターの使命なのであるッ!!」
歓声を上げて大君主の元に殺到してくる領民。
「ザーフラク!!ザーフラク!!」
次々と名乗り出る志願兵に衛兵達もたじたじになる。
「流石に上手いな・・・」
演説の草稿を担当したチクは、ザーフラクのカリスマ性と弁舌の完璧さに舌を巻く。
そのチクも、今回は攻城戦を担当する1武将として、志願してきたトータスブルグの民を率いての参戦が決定していた。
ジャドウ討伐の最終局面であるネウガード城攻略戦における攻撃隊の陣容は先頭より
第1陣 ランジェ隊 戦士800
第2陣 ドファン隊 ナイト600
第3陣 ハン・デ・クル隊 ナイト400
第4陣 クリフ・リフ隊 野獣200
第5陣 ドミニム隊 ナイト400
第6陣 ザーフラク本隊 竜戦士1000
第7陣 ギャリン隊 ナイト600
第8陣 ゴルベリアス隊 スケルトン400
の8段構えの威容を誇り、更にその後方には攻城部隊としてチクの率いる村人志願兵1000、そして遊撃隊としてクリス忍軍200とマリルの率いる拳法使い200が続いていた。
「ザーフラク!!ザーフラク!!」
いつまでも鳴りやまぬ歓声の中、必勝の布陣をもって、フラウスター本隊は一路ネウガ
ード城目指して進撃していった。
※
「どうするんだ?このままじゃ、いよいよ俺達も最期だな」
ドファンの部隊に散々に打ち負かされて、更に手勢を喪失したルドーラが、やけくそになったような態度で椅子に座り込む。
ここネウガード城の一室で作戦会議を開いていた魔王軍の面々には、明らかな絶望感が漂っていた。
「なら、お前は降伏でもするのかい」
皮肉った調子でザラックが混ぜっ返す。
「ザーフラクは決して魔族の降伏など認めない・・・」
落ち着き払って両者を諫めようとするバイアード13世だったが、ザーフラクの手に落ちた愛娘メイミーの現状が分からぬ今、内心は穏やかでない。
自ら下した選択により、自分が死ぬのはやむを得ないが、愛娘にもしもの事があれば正統バンパイアの血統が途絶えてしまうのである。
首魁のジャドウの内心は更に怒りで燃え狂っていた。
「この俺が、人間なんかに・・・」
かつて母を殺した人間達が、今度は自分を殺そうとして押し寄せてきている。
あたら強力な魔力を持ちながらも、兵数が激減し、その士気も衰えた今では必殺技の発動もままならないジャドウは歯噛みして悔しがる。
「こうなったら最後の一兵まで戦い、1人でも多くの人間を道連れにしてくれるわ」
腹の決まったジャドウの眼が怪しく光る。
「特にザーフラク・・・奴だけは絶対に許さん・・・」
※
『ドラゴンソウルの入手』、『アレースに対する防壁たるドファンの籠絡』、そして『不確定要素の多いツェンバーの弱体化』という3種の功績を同時にやってのけるという離れ業を見せたランジェが、今回の先鋒を許されたのは当然のことであった。
率いる軍団も攻城戦以外の能力ではナイトに見劣りするランジェの戦士部隊だが、彼女は有り余る恩賞を用いてこれを強化、そこいらのナイトより強力な軍備を整えていた。
魔導世紀1005年7月5日午後0時、ランジェ隊はネウガード城裾野の荒れ地において、ザラック率いるゴブリン隊200と真正面から激突、遂にネウガード城攻略戦の先端が開かれた。
ともすれば戦士が苦手とする山岳地に引き込み、戦いを有利に進めようと巧みに誘いを掛けるザラック部隊だったが、ランジェは麾下の部隊をよく統率し、突撃と撤収を小刻みに繰り返し、敵に出血を強いる。
同日午後1時15分、ランジェ隊による何度目かの撤収運動に、ゴブリン共が釣られて深追いした隙を突いて、第2陣ドファン隊と第3陣ハン・デ・クル隊が側面から回り込み、敵の退路を断つ。
味方の不利を前に、バイアード13世は手持ちのスケルトン部隊300を投入、意外に強力な増援部隊の前に、戦いは一進一退の乱戦の様相を呈してきた。
※
同じ頃、山上にあるネウガード城へと通じる隘路を、長い縦列になって進むザーフラク本隊の姿があった。
規律の行き届いたザーフラク本隊には楽勝ムードなど微塵も見られず、左右からの奇襲に備えた監視の目は怠っていない。
同日午後1時45分、「敵将ジャドウ隊、右翼方面より来襲」の報を受けた時、ザーフラクは先鋒部隊の戦況を聞きながら、遅めの昼食を取っていた。
本陣の位置は、華々しく戦闘を続ける先鋒部隊から、東へ約2時間の距離である。
一向に動じぬザーフラクであったが、ここでこれまで麾下の将帥の心理を顧みることの少なかった大君主に計算違いが生じた。
「ジャドウを討ち取るのよっ」
「敵の総帥の首を上げろっ」
このままでは新参者に戦功を独占されると危機感を覚えたギャリンとドミニムが、先を争って海岸方面から突入してきたジャドウのスケルトン隊に襲い掛かった。
これが本作戦で功を上げる最後のチャンスとばかり、2人の旧臣は全部隊を率いてジャドウに迫る。
そのためザーフラクの本隊は、敵地の真っ只中で一時的に孤立してしまった。
この時、後詰めのゴルベリアス隊は、本隊から遅れること、約20分の位置にあって攻城部隊との合流の真っ最中である。
「左翼方向、敵襲」
いきなり上がった見張りの声にザーフラクが振り返ると、山側からルドーラの手勢、魔法生物300が逆さ落としに降って来るところであった。
「君主自らが囮とは・・・」
この瞬間、縦に伸びきったザーフラク本隊は、横からの攻撃に対する防御力をほとんど持っていなかった。
魔導世紀1005年7月5日午後2時ちょうどの事である。
(つづく)