「終末の時まで後2年、こんな所で足踏みしている暇は我々には無い」
ロギオン城塞の作戦室に勢揃いした部隊長達を前に、ザーフラクは厳かに言い放った。
「冬が来る前にメイマイを陥落とす。何か意見のある者はおらぬか」
既にネバーランド大陸の半分以上を制覇した、フラウスター兵団の有能な部隊長達と言えど、今回のように余りにも限定された状況下では打開策の立てようも無かった。
「ならば余の考えた作戦を実行する事にする」
ザーフラクは立ち上がると壁に貼り付けられた大地図を指し示しながら説明を始めた。
「今更言うまでもないことであるが、この度の戦いで厄介なことは、強力な戦力を持った複数の敵が、海を隔てた島国に分散して配置されているという事にある」
大君主の顔が忌々しげに歪む。
「また我軍にロギオン防衛という足枷がある以上、全兵力を上げての侵攻が不可能であるという不利を背負っていることは承知のことと思う」
ザーフラクは部隊長達を見回しながら続ける。
「そこで分散している敵を一カ所に集めた上で一気に叩くことにした」
部隊長達はお互いの顔を見ながらざわめく。
「恐れながら何処に、またどの様にして敵を集められるのですか?」
重装歩兵部隊を預かるドミニムが恐る恐るといった風情で問い掛ける。
「これより余は手勢を率いてトラテペスへ侵攻する。トラテペスが陥落れば、奴等の頼みとするプリエスタが自軍の勢力圏から分断されてしまう事になるので、必ずや救援に向かって来るであろう」
ここで大君主は自嘲的に笑った。
「また余を討つ最大のチャンスともなるこの一戦には、敵は必ず総力を上げて向かって来ようぞ」
「そっ、それでは大君主様自らが囮のお役目を?・・・いけません。危険すぎます」
ギャリンが真っ青になって席を立つ。
「他に方法がないのであれば、これが今取れる最善の作戦である。お前達は待機しつつ、敵の出方を見極めた上で、可能な限り迅速に、可能な限り多くの兵力をもってトラテペスに駆け付けよ。余はそれまで何とか持ちこたえておく」
代案を出すことの出来ない部隊長達は自らの無能を呪いつつも黙らざるを得ない。
「お待ちを・・・」
その沈黙を破ったのはギュフィ2世の軍師、シーマ・ツヴァイであった。
「ほう、シーマ殿には何か腹案があるとみえるな」
ザーフラクは大陸きっての名軍師と言われる男を一睨みした。
「些か試してみたい手があれば・・・なに、大君主様のお手を煩わせる程のことでもありますまい」
シーマ・ツヴァイは眼鏡を冷たく光らせながらほくそ笑んだ。
※
「どうしてこんな事になっちゃったんだ・・・」
メイマイの森林地帯を、王女ティナの手を引いて一心不乱に逃げるフォルトは、炎上を始めたメイマイ城を振り返りながら呟いた。
2人を追いかけてくる群衆は、昨日まで彼を君主と仰いでいたメイマイの国民である。
「いたぞっ、ゾディアのスパイだっ」
「売国奴のティナも一緒だぞ」
フォルトは前メイマイ王グランの遺志を受け、危機に瀕したメイマイを救いにやって来たデュークランドの勇者である。
フォルトの故郷ゾディアは、もう長い間メイマイ国との戦争状態が続いていた。
厄災に襲われたゾディアをグランが救った事で、両国の緊張は幾分緩和されたように見えた。
しかし長年に渡る戦乱で家族恋人を失った下級兵士や市民レベルの感情面で言えば、両国の和平などは到底納得の出来ない遠い未来の夢物語であったのだ。
「平和な世になったら、国民にも全てを打ち明けようと思っていたのに・・・こんな事になるのなら・・・」
時間稼ぎのため城門に踏みとどまったアニータの事も気になるが、ともかく今はティナを無事に落ち延びさせることが先決である。
「フォルト。私を差し出せば、ザーフラクはきっと降伏を受け入れてくれるわ」
自分を犠牲にしてでも愛する人を救おうというティナ。
しかしそのティナを失ってまで得た未来に、何の幸せがあろうか。
「いけないっ、囲まれてる」
動きの取りにくい森林地帯のこと、巧みに四方を取り囲まれたことに気が付いたフォルトの顔から血の気が引く。
「もうお終いなのね・・・」
朝から走り詰めだったティナが力無くその場に座り込み、弱々しくフォルトを見上げる。
「お願いフォルト・・・最後に・・・してっ・・・」
国も城も、そして民からの信奉も、全てを失った王女は只の小娘同然に震えていた。
「ダメだよティナ。最後の最後まで諦めちゃ・・・」
フォルトはティナを抱き起こして勇気づける。
「何としても囲みを突破するんだ。海岸まで落ち延びたら、船を奪って一緒にゾディアまで行こう」
そこまで言って、フォルトはティナを抱き寄せた。
「そしたら・・・君の作ったペルーチュを毎日食べたいな」
フォルトはそう言うと、微笑んで目を瞑ったティナにキスした。
「いたぞぉっ、スパイと売女だっ」
暴徒と化した農民達が2人を取り囲む。
リーダー格の男が手にしているのは、見まごう事なきアニータの鞭である。
「殺しちゃだめだよ」
手加減しようのない竜剣カシュシリアスを投げ捨てたフォルトは、手頃な棒きれを拾って防戦に努める。
勇者と呼ばれたフォルトと言えど、疲労しきったティナを庇いながらの戦いでは、とても十重二十重に囲まれた人の壁を破れそうになかった。
「もうダメか」
疲労の極みに達したフォルトが流石に諦め掛けた時であった。
「うわぁぁぁっ」
「何だっ、ウギャァァァッ」
2人を幾重にも取り巻いた人の壁を、あっさり蹴破って飛び込んできた黒い影があった。
「ポチッ」
それはアニータがペットとして飼っていた魔狼ケルベロスであった。
最後までご主人様を守って戦ったのか、体には無数の傷が走り、あちこちに矢が刺さったままである。
目と目が合った瞬間、フォルトは魔狼の言わんとする意味を理解した。
「ティナッ」
フォルトはティナの腕を掴むと、彼女を強く抱きしめてケルベロスの背に飛び乗った。
同時に空高く跳び上がったケルベロスは人の壁を軽々と飛び越えると、2人を背中に乗せたまま疾風の早さで駆け始めた。
※
ザーフラクが抵抗らしい抵抗も受けないまま、半壊したメイマイ城に入ったのはそれから2日後の事である。
自分が望んだ形での勝利を遂に得られなかったザーフラクの表情は憮然としたものであった。
「如何でしょう。お約束通り大君主様の兵を、只の一兵も損なわせることなくメイマイは陥落いたしました。イズルヒとムロマチの陥落るのも間もなくかと」
確かに時間と兵力を大幅に節減させたシーマ・ツヴァイの鬼謀には感謝すべきであったであろう。
イズルヒ攻めは既に掃討戦に入り、四源聖を擁するギュフィ2世の主隊もムロマチの本城に迫っているという。
「しかし余の欲した勝利はこの様なものではなかった」
口には出せない大君主であったが、その心は晴れなかった。
後味の悪さを残したままメイマイ討伐戦は集結し、事後処理をルーセイダーに託したザーフラクはロギオンへと引き上げていった。
結局この遠征でザーフラクが得た最大の戦利品は、王宮の寝室に立て籠もり、恐怖の余りに狂ったようになってオナニーに耽っていた美しい小間使いであったという。
※
メイマイ討伐戦から早1年余りが過ぎようとしていた。
フラウスターの征くところ、その旗に屈せぬ者のあるはずもなく、版図は加速度的に広がっていった。
フラウスターの誇る4つの軍団のうち、フレッドバーンを陥落としたギュフィ王国軍は海峡越しにカーシャを臨み、クリス忍軍はウマリー島に兵を展開させている。
長らくシルヴェスタ攻めに苦労したランジェ隊だったが、スパイの存在を知った彼女が情報漏洩を逆手に取った作戦で一気に攻勢に出て以来連戦連勝を続け、終局的な勝利を掴んだ。
そのスパイ、大君主の傍にあってあらゆる機密に通じていたカミシアは、グレイの死と時を同じくして彼の愛に殉じていたのである。
残る1人、先月不倶戴天の敵、神翼兵ミルリアをボルホコ山ごと焼き討ちしたばかりのチクは、新たな指令を受け取るためにロギオンへと帰還していた。
「久し振りに御親征ですか」
武具に身を固めたザーフラクを見てチクが驚いたような声を上げた。
「ガッツォに攻め入ったランジェが救援を乞うてきた。遂に神聖皇国軍が重い腰を上げおったとか」
「ではシリニーグのグリーザが」
チクの顔にも緊張が走る。
「聖神の白き獅子を相手にしては、流石にランジェも腰を抜かしおったらしい。慌てて余直々の出陣を願い出てきたわい」
ザーフラクはランジェからの文をヒラヒラとチクに見せながらも、言葉とは裏腹に機嫌は良さそうであった。
「そこで、戻ったばかりで悪いが。その方が先発隊として、一足先にガッツォへ向かってくれ。余は今宵サンライオの寺院でギュフィ2世殿下の歓待がある」
ザーフラクは傍らに座しているギュフィ2世とその軍師シーマ・ツヴァイへ首を振った。
陥落させたフレッドバーンを下賜されたギュフィ2世は、その礼のために供回りを連れてロギオンを訪問していたのである。
今や北方6カ国を領し、四聖源マハトやホルノス政府軍の残党を麾下に加えたギュフィ王国軍は以前とは比べものにならない程に強力になっている。
そのギュフィ2世が次に狙うのは、魔族最後の砦、キース同盟軍の立て籠もるカーシャである。
「シリニーグを屠れば、もう大君主様に刃向かえる者など何処にもいなくなりますなぁ」
シーマ・ツヴァイが意味ありげな表情で発した言葉に、人魔和解の道を探るチクの顔は心なしか青ざめたものになっていた。
※
サンライオはロギオンの南にあって、かつてミリア僧兵団の支配していた地域である。
サンライオの寺院は建築美術の粋を集めて作られた美しい建物であり、占領後はムゲン信仰を禁じたザーフラクも寺院だけは残して、別荘や迎賓館替わりとして愛用していた。
夜更けまで続いた酒宴も今は終わり、客人達の去ったサンライオ寺院はひっそりと静まりかえっていた。
「カーシャに使節を送ろうと思う」
ザーフラクは侍従リムの入れてくれた冷水をあおりながらおもむろに呟いた。
「不倶戴天の敵であったメイマイのお前とも、こうして和解できた。魔族共と和解出来ぬ道理もあるまい」
魔族のジャドウとリトル・スノーがネウガードで見せた、互いを思いやる献身的な愛がザーフラクの方針転換のきっかけになった事は想像に難くない。
「まぁ、魔族の国の1つも認められんようでは大君主も務まるまいて」
リムはザーフラクの言葉に無言で頷く。
※
魔導世紀1006年12月8日払暁、ザーフラクは馬のいななきを耳にして目を覚ました。
ここサンライオ寺院に詰めているのは供回りの侍女達や厨房要員だけで、兵士達は本朝からのガッツォ遠征のためロギオン城塞において待機中のはずである。
ベッドを共にしていたはずのリムの姿も消えていた。
「何事か」
不審に感じたザーフラクは次の間に待機している侍女に声を掛けた。
「大君主様っ、敵襲です」
メイド服型甲冑に身を固めたリムが緊張した面もちで部屋に入ってくる。
「なにっ、敵だと?何処の部隊ぞ」
ザーフラクはベッドから飛び降りると寝室のカーテンを開いて外を見た。
「チク・・・チクの部隊か」
高いとは言えない寺院の塀越しに林立した幟の旗印はまさにフラウスターの有力な軍団長チクの物であった。
「何故にチク様が・・・」
チクの意味不明な謀反を前に憤りの色を隠せないリムが小さく叫ぶ。
しかしザーフラクの疑問は塀を乗り越えて庭園に侵入してきたスケルトン部隊を見た瞬間に氷解した。
「そうか・・・あ奴目は、まだヒロのことを引きずっておったか」
ボルホコ以来、チクの部隊を構成するのは魔法生物であり、彼らは『白の薬』でスケルトンへと一発変更が可能なのだ。
深慮遠謀を身上とするチクのことである、魔族存続の最後のチャンスとばかり、この日が来るのを待っていたのかも知れない。
「色恋沙汰なら是非に及ばず」
ニヤリと笑ったザーフラクは魔剣ランシュバイクの雌剣を抜くと鎧戸を蹴破って庭園へと躍り出た。
「大君主様っ。私が時間を稼ぎますから、お逃げ下さい」
竜剣カシュシリアスを構えたリムがザーフラクの前に盾となる。
「相手がチクならばそれも無駄であろう。それよりお前は侍女達を連れて落ち延びよ。チクは女子供相手に無用の剣は振るうまい」
ザーフラクは飛び掛かってきたスケルトン達を一刀のもとに切り捨てながら叫んだ。
「嫌ですっ。もう1人だけで生き残るのは」
リムも剣を振るいながら大声で叫び返す。
「仕方のない奴だ」
この時、大陸きっての剣の使い手と言われたザーフラクは、その名に恥じない獅子奮迅の戦い振りを見せたが、所詮は多勢に無勢であった。
「一時、時を稼いでくれ」
リムにそれだけ言うとザーフラクは寺院の奥へと姿を消した。
※
四方を炎に包まれた大聖堂でザーフラクは思う。
「近く冥界から復活する大魔王ジャネスを討つための戦いであったが・・・結局はその娘の前に我が身は潰えるのか」
結局、この大陸を制覇し、大魔王ジャネスとの戦いに臨むのは誰なのか。
ランジェかクリスか、それともギュフィ2世なのか。
あるいは意外にその娘ヒロに与えられた宿命なのかも知れない。
「いずれにしても余には関係のない事よ」
豪快に笑い始めたザーフラク。
その哄笑はやがて燃え狂う炎の中に消えていった。
(完)