風精ウィンディーネの故郷とも呼ばれるガルカシュの草原地帯に、乾いた風が吹き抜けていった。
かつてボローニャからジャピトスまでを支配圏においた超大国トゥイングーも、今ではこのガルカシュ一国を統治する弱小集団に落ちぶれている。
国民のほとんどが遊牧民という貧しいこの国が、血で血を洗う戦国の世を生き抜いていくためには、友好国との同盟維持は欠かせないものである。
しかし、今まさにこの国最良の同盟国フーリュンとの友情に、修復不可能なヒビが入ろうとしていた。
※
大草原で睨み合う、凛々しい若者2人。
一人はこの国の始祖、『天狼』ハン・デ・カーンの血を受け継ぐ若き君主、ハン・デ・クルである。
そして今一人は、大陸全土に伝播するラコルム武術数百派の頂点、ラコルム宗家の正統継承者にしてフーリュンの君主、7代ハマオウその人であった。
「俺が何の用事でやって来たか、分かっているな」
ハマオウがおもむろに口を開いた。
「勿論だ。しかしマリルは渡さない。例え僕が死んでもだ」
そう言い切ったクルの背中に冷たい汗が流れ落ちる。
相手は太古から脈々と続く、ラコルム武術の叡智を結集して作られた人間兵器であり、素手で戦争をやれば大陸最強と言われる国の頂点にいる男である。
まともに殺し合えば、クルはひとたまりもないであろう。
しかし大事なマリルを手元に引き止めておくためには、ここで引く訳には行かなかった。
「いい度胸だと言いたいが、マリルのために血を流すのは、俺の本意ではないからな。決着は競馬でつけることにする」
「なにっ、正気か?」
思いも掛けなかったハマオウの申し出に、呆気に取られるクル。
「こちらの専門分野で勝ったとしても、嬉しくも何ともないからな。それに……殴り殺すには、お前はいい奴過ぎる」
そう言ってあらぬ方に顔を向けるハマオウ。
「それで良いんだな。本当に」
競馬となれば、子供の頃から馬に慣れ親しんだ、騎馬民族のクルが圧倒的に有利である。
「くどいぞ。男に二言はない。勝負は週末の正午からだ」
そう言うとハマオウは、馬首を巡らしてフーリュンへの帰途についた。
その後ろ姿を見送りながら、クルとマリルは自然と頭を下げていた。
「やっぱり、僕たちの親友ハマオウは立派な男だった」
「えぇ。流石はラコルム武術の頂点たるお方です」
そんな賛辞を知ってか知らずか、当のハマオウは馬上で一人ほくそ笑んでいた。
「奴らは勘違いしているだろうが、敵が最も得意とする分野で圧倒してこそ、二度と立ち上がれぬ敗北心を植え付けることが出来るというもの」
ハマオウの目は獲物を前にした猛獣のように爛々と輝いていた。
「そして、俺には秘策がある」
※
国へ帰る早々、ハマオウはレース用の馬を厩舎から引き出した。
あぶみの位置が他の馬に比べて異様に高い。
その馬に跨ったハマオウは馬場へと乗り出し、早掛けを開始する。
「異界チキュウから来たメガネの出っ歯が教えてくれた乗馬方法。もうモノにしたのね?」
高山寺の檀家の娘で、女性拳士としてはフーリュンで一、二を争う腕前を誇るオウリンが、熱っぽい目で君主を追いながら賛辞を送った。
ハマオウがそこで見せた乗馬方法は、鞍の上で中腰になり、上体を思いっきり前傾させる──いわゆるモンキースタイルであった。
空気抵抗を思いっきり減らしたこの乗馬方法は、今までにない馬速を稼ぎ出せる。
とにかく馬上での戦闘を考慮に入れず、ただ馬を早く走らせることだけに特化した、レース専用の乗馬方法である。
「見てろよクル。マリルは今週一杯預けておくから、せいぜい名残を惜しんでおくんだな」
闘志を剥き出しにしたハマオウの叫びを聞いて、オウリンは一気に泣き出しそうな顔になる。
せっかく最大のライバルが、自分から消えてくれたというのに、ハマオウの心は彼女のものにはならなかった。
※
同じ頃、クルも自分の愛馬に跨り、大草原を疾走していた。
「勝負は貰ったも同然。これで気兼ねなくマリルと一緒になれるし、同盟も安泰だ」
その時、有頂天になっていたクルの心に隙が出来たのであろう。
草むらに隠れた穴ぼこに愛馬の前足が引っ掛かり、大きく前につんのめった。
おまけにその穴が毒蛇の住処だったから始末が悪かった。
毒牙に掛かった愛馬は、背中のご主人様の事など忘れて、苦し紛れに跳ね回る。
「うわぁぁぁっ」
ロディオの経験などなかったクルは、愛馬の尋常ではない暴れっぷりに耐えきれず、思いっきり地面に叩き付けられた。
「クル様っ」
慌てて駆け寄ったマリルの介抱で、ようやくクルは意識を取り戻した。
肉体的ダメージは大したこと無かったが、精神に受けたダメージは致命的であった。
落馬という生涯初めての経験をしたクルは、その時感じた恐怖心から、馬を全力疾走させることが出来ない体になっていたのだ。
「何でもない、何でもないんだ」
頭でそうは思ってみても、体は言うことを聞かなかった。
全力疾走を始めると、つい手綱を引き気味になってしまうのである。
「これじゃ、ハマオウに勝てない」
大事なマリルの身柄が掛かっているというのに、クルが心の奥底に受けた傷は直ぐには癒えそうになかった。
※
その噂を聞いても、ハマオウに嬉しがる様子はなかったという。
「お前がどんな状態でも遠慮はせず、マリルは頂く。親友のお前に対して失礼だからな」
ハマオウは厳しい表情を崩さない。
「その代わり、今度はお前がフーリュンに来るんだ。そしたら殴り合いの勝負を受けてやるから。その時は死ぬ気で掛かってこい」
オウリンにはハマオウの後ろ姿が寂しそうに見えた。
※
「ダメだ。このままじゃ、マリルを取られちゃう」
どんなことがあってもマリルを守り抜くと誓った、アゼレアとの約束は果たせそうにない。
「逃げましょう」
クルが思いもつかなかった策を、マリルがあっさりと口にした。
「逃げましょう、何もかも捨てて。私にはクル様一人がいてくれれば充分ですから」
マリルは真剣な表情でクルを見つめた。
「しかし、僕には国と民衆が……」
「そんな物、何ですかっ。私だって……私だって……」
よく考えれば、マリルだってクルのために、全てを投げ捨ててガルカシュに亡命してきたのである。
「ご免マリル。よしっ、僕も君のために全てを捨てる。国も男のプライドもクソくらえだ」
ようやくクルも覚悟を決めた。
「メイマイへ逃げましょう。脳天気な人が多い国だけど、きっとティナ王女やラトが、かくまってくれるわ」
マリルは暗黒竜事件以来の友人の顔を脳裏に描く。
「ようし、これからは君主でもお妃候補でもない。一人の男と女だ。いいね、マリル」
深々と頷くマリル。
「なら、ここで……してっ。実はさっきから我慢出来ないの」
素敵な男性2人が、自分を巡って激しく争うというシチュエーションは、マリルの自尊心を充足させ、女の部分に火をつけていた。
「なっ、何を……マリル?」
「私たち、只の男と女なのよ。したい時にしていいの」
言うが早いか、マリルは拳法着のパンツをずりおろして四つん這いになる。
染み一つ無い、真っ白なお尻が目に眩しかった。
その真ん中に咲いた、かぐわかしい芳香を放つ真紅の花を見ているうちに、クルも劣情を催してくる。
「マリルッ、行くよ」
クルは猛然とマリルにのし掛かると、既に充分に濡れきっていた部分に、若さ漲る分身を突き入れた。
「あぁ〜ん、クルッ。いいっ。いいわっ。そうっ、そこぉ」
愛しい男のモノは、どんな逸物にも勝るということを、この時マリルは確信した。
「あぁっ、マリル。僕だって。うぅっ、マリル……君のが、締め付けてくる」
目から火花の出そうな快感に、マリルの腰の動きが激しくなる。
「いいっ、クル。いいっ。くはぁぁぁ〜っ」
いつも生真面目なマリルの乱れっぷりは、クルの前後運動に拍車を掛ける。
クルの誤算は、修行によって鍛え上げられたマリルの腰の強靱さを、この時すっかり失念していたことにあった。
「うわっ。マッ、マリル。ちょっ、ちょっと」
すっかり忘我の境地に達していたマリルに、クルの声は届かない。
モノを挿入しているため、クルは尻を振り乱して暴れるマリルから離れようにも離れられず、両膝で彼女の尻を挟み込んで必死で食らいつく。
「こっ、これは……」
先日の暴れ馬以上の動きを見せるマリルにしがみ付いているうちに、クルは自分から相手に合わせるという乗馬の感覚を取り戻していった。
「僕が怖がるから、馬も怖がるんだよな……マリル、有り難う」
やがて限界を迎えたクルは引き金を引き絞った。
※
ガルカシュの大平原、週末の正午前。
草競馬コースのスタート地点に、愛馬に跨ったクルとハマオウがいた。
国中から集まった大観衆の中央、コース全体を見渡せる特等席にはマリルが笑顔を見せて座っている。
「体調を崩したと聞いていたが……流石はクル。逃げなかったようだな」
「そっちこそ、その自信。余程の秘策を身に着けてるんだろ?」
一目で親友の復調を見抜いたハマオウは、寧ろ嬉しそうに笑った。
「マリルには命を懸けるだけの価値があるからね」
「言ってくれる。手加減無しだぞ」
馬上で拳と拳をかち合わせる2人。
やがて時計台が正午の訪れを告げ、秋晴れの空にレース開始の号砲が鳴り響いた。