伝説の大魔導師の名を冠した魔法国家、ガレーナ。  
 ジグロード、マリアンルージュ、エイクスと共に並び立ち、4大魔法国家の一角を形成するこの国の母体は、幾つもの小規模な魔法都市の集合体である。  
 政治体制は古くから評議会制が採られており、国の実質的なリーダーたる評議代表は、各都市の代表たちによる投票決議で決められている。  
 ところが、前評議代表ザップ・ロイの突然の出奔により、君主不在というこの国の歴史始まって以来、前代未聞の事態が巻き起こっていた。  
 次期君主の座を巡って争いを始めたのは、魔法研究を国策の中心に置こうとする保守的な魔法派と、魔法以外にものにも目を向けていくべきだと主張する革新的な進歩派である。  
 両者の意見は相容れることなく、紛糾する国内情勢は、遂に内戦の一歩手前まで来てしまった。  
                                 ※  
 評議会議事堂最上階の一室で、一人の若い女性が悲しみのこもった目で、眼下に広がる光景を見ていた。  
 女性の名はミキナーベといい、評議会の運営に携わる要職を任された才媛である。  
 皆が素敵だと褒めてくれる笑顔は、彼女の表情に今は無い。  
 議事堂前広場には、数千の群衆が2つの陣営に分かれて向かい合い、紛糾は今にも暴動へと発展しようとしていた。  
「もう、この国もお終いだわ」  
 彼女は中立の立場から平和的な解決を模索し、あらゆる手段を講じてみたが、全ては徒労に終わった。  
 事ここに至っては、もはや魔法派と進歩派の争いは、実力行使による勝負でしか決着のつけようがないように思えた。  
 双方のほとんどが高位の魔法使いである以上、いずれが勝つにしても無傷という訳にはいかず、また美しい国土も荒れ果てることは疑う余地もない。  
 
 十数歩の距離を隔てて対峙した両陣営の間には、憎しみのこもった思念がエネルギーと化して激しくぶつかり合い、そのため周囲の気温は数度上昇していた。  
 涙に濡れたミキナーベの目が、人垣の間に割って入る大男を捉えたのは、まさに双方が攻撃を開始しようとする寸前のことであった。  
                                 ※  
 陽炎の立ち上る中、悠然と歩を進める男の胸板は身長に見合った厚みを持ち、四肢は丸太の如き充実振りを見せ、それだけでこの男がただ者ではないことを雄弁に物語っていた。  
 殺気の渦巻く真っ只中、あたかも無人の荒野を行くが如き涼しい顔で歩き続ける男の姿を、居合わせた全員が息を飲んで見守っていた。  
 やがて集団のど真ん中で歩を止めた男は、2つの陣営に視線を送ると、ニヤリと口元をほころばせた。  
 真っ白い歯が印象的であった。  
「お前様はどちらさんかの?どこの国から来なすった使者かの」  
 魔法派の長老と呼ばれる老人が口を開いた。  
 余りに威風堂々とした男の態度に、彼がこの紛争に介入すべく送り込まれた異国の使節だと見誤られたのも無理はなかった。  
「俺はイヌオウ。どこの国にも属していない、いわば荒野の野良犬よ」  
 大男は悪びれもせず名乗りを上げると、はにかんだような笑顔を見せた。  
「この野郎ぉ……はひぃ」  
 怒りに駆られた一人の若者がイヌオウに駆け寄ろうとしたが、ただの一睨みでその場に釘付けにされる。  
「あんたらがドンパチやるのは勝手だが、この美しい山河まで荒れ果てるのは馬鹿らしいとは思わんのかい」  
 イヌオウは大げさなジェスチャーをまじえて群衆に訴えかけた。  
「それに隣のゴルデンにゃ、フラウスター兵団が駐屯していることは知ってるよな。いずれが勝っても、結局は奴等のために働いてやることになるんだぜ」  
 
 今更ながらに、自分たちが亡国の危機にあったことを思い知らされた群衆は、水を打ったように静まりかえった。  
 せっかく自分の支持する主張が通ったとしても、異国に占領されて属国化されてしまうのでは意味がない。  
「では、どうすればいいと言うんだ」  
 進歩派の代表が真っ青になってイヌオウに詰め寄る。  
「野良犬の俺には知った事じゃない。自分たちの問題は、自分たちで考えるんだな」  
 たった今まで暴動寸前だった両者が、急に話し合いの席につける訳でもなし、といってこのまま紛糾を続けていたのでは、イヌオウの言う通りフラウスターが介入してくることは明白である。  
「お願いします」  
 その時、議事堂から走り出たミキナーベがイヌオウの足元に跪き、涙に濡れた目で見上げながら訴えかけた。  
「さぞかし名のあるお方とお見受けいたしました。この事態を収拾出来るのは、あなた様をおいて他にありません。どうか、この国を救うために力をお貸しください」  
 ミキナーベはそれだけ一気に叫ぶと、再び頭を下げた。  
「参ったな。俺は涙と美人には弱いんだ。その両方で攻めて来られてはな……どうするね」  
 イヌオウは両陣営の代表を見比べながら問い掛けた。  
「急がねば、フラウスターの介入があるのは必定。他に手段がないのであれば、イヌオウ殿に一任するも良策かと」  
「なかなかの人物とお見受けいたした。ここはイヌオウ殿を信じるとしよう」  
 双方の代表は不承不承ながらも、イヌオウの仲裁に全てを委ねることを応じた。  
                                 ※  
「あの方は救世主様だわ」  
 イヌオウの民衆に媚びない、それでいて決して偉ぶろうとはしない態度に、ミキナーベはすっかり夢中になっていた。  
 
 そのイヌオウの示した仲裁案は、ガレーナの分割であった。  
「この国を双方納得いく方法で2つに分ける。それで全て恨みっこ無しとして、互いに同盟を結びな。元々同じ民族同士、外敵からの攻撃には、互いに協力して守り抜く事を対外的に宣言するんだ」  
 その案を呈示された両陣営の代表は面食らった。  
「この国は麦の耕作地あり、銅の鉱山あり、塩田ありで、なかなか魅力的な土地が多い。その辺の価値を充分考えた上で、どちらを取っても損をしないように境界線を引くんだ」  
 イヌオウは進歩派の代表たちに境界線の線引きを命じた。  
 これに魔法派の代表たちが噛み付いた。  
「どうして奴等にそんな権利を」  
 自由に線引きする権利が、敵陣営のみに与えられると知った魔法派は席を立とうとした。  
「それがそのまま認められるって、まだ決まった訳じゃないでしょう」  
 ミキナーベは甲高い声で魔法派一同を叱責した。  
「あなたが一方のみに肩入れしない事……信じておりますぞ。イヌオウ殿」  
 一応落ち着いた魔法派は、イヌオウに頭を下げると議事堂を出ていった。  
「しかし、土地の面積や価値を考えながらとなりますと、境界など直ぐには引けませんぞ」  
 権限を与えられた進歩派も難しい表情を浮かべた。  
「いいってことよ。納得いくまでゆっくり考えな。そういうことはあんたらの方が魔法派より得意なんだろ」  
 確かに論理的な思考という分野では、進歩派の方が魔法派より優っていた。  
「やり直しは出来ないんだから、出来るだけ慎重にな」  
                                 ※  
 出来るだけゆっくりやって貰った方が、イヌオウとしても有り難かった。  
 結果が出るのが遅くなれば、それだけ長く王侯気分を味わえるのである。  
 この国特産である山海の珍味に美酒の接待、魔法都市独特の文化遺産の見物は、数年がかりでも飽がきそうになかった。  
 
 そしていつでも彼のそばにいて、何かと世話を焼いてくれる美女ミキナーベの存在は、イヌオウに時間の経つのを忘れさせた。  
 イヌオウの全てに魅了されたミキナーベが、彼に体を捧げる決心をするまでには、さほどの時間を必要としなかった。  
 ある夜のこと、全裸になったミキナーベは、意を決してイヌオウのベッドに潜り込んだ。  
「もっと自分を大事にしな」  
 やんわりと拒絶されたミキナーベだったが、彼の貞操観念の高さに、かえって尊敬の念は増した。  
「くやしいわ。きっと、故郷に素敵な彼女が待っていらっしゃるのね。でもこれなら彼女を裏切ることにはならないわ」  
 ミキナーベはそう言うと、イヌオウの股間に顔を持っていき、彼のモノを口に含んだ。  
「おっ、おいっ……ウヒィッ」  
 勃起しているとは思えないサイズのまま、イヌオウはあっという間に精を放った。  
「私に余計な負担を掛けまいとして、わざと早く……嬉しいわ」  
 イヌオウが極度の早漏などとは微塵も考えず、ミキナーベは彼の気遣いに感激した。  
「それで、紛糾の仲裁の方は上手くいきそうですか」  
 真顔に戻ったミキナーベは心配そうにイヌオウに寄り掛かる。  
「心配すんなって。万事俺に任せときな」  
 イヌオウは自信タップリに頷いてみせる。  
「ようは、リンゴを2人で分ける方法と同じこった」  
 イヌオウは何かの本で読んだことのある、形のいびつなリンゴの分け方を頭に思い描いて、一人ほくそ笑んだ。  
「充分に楽しませて貰ったぜ。後は、礼金でもガッポリ貰って、この国ともおさらばだ」  
                                 ※  
 やがて進歩派による国土分割の区割りが出来上がり、各代表たちが議事堂に勢揃いした。  
「ご苦労だったな。で、納得いく線引きは出来たのかい」  
 イヌオウは進歩派の労をねぎらい、地図をのぞき見た。  
「西の果樹園と東の麦畑、それに塩田と銅山の価値を考慮し、宅地や農地として使用出来る土地面積を正確に割り出し、どうにか満足出来る区分けが出来ました」  
 進歩派の代表は胸を張って答えた。  
 
「どうだか分かるものか。お前らが勝手に線引きしたんだからな」  
 魔法派の若い男が、納得がいかないといった口調で不平を漏らす。  
 それを無視して、イヌオウは魔法派の長老に向かって口を開いた。  
「それじゃ、お前ら魔法派が、先に好きな方を選ぶんだ」  
 今度はこれに進歩派の若者たちが黙っていなかった。  
「そんなことが認められるか」  
 今にも殴り掛かりそうな勢いで若者たちが立ち上がる。  
「馬鹿だなお前。どちらを取ってもケチが付かないように分割したのは、お前ら進歩派の方だろ。それとも自分たちの考えた区割りに、何か文句でもあるのか」  
 イヌオウがたしなめるが、これで全てが決まってしまうとあっては、若者たちは引っ込んでいられなかった。  
 双方の若者の合図で、物陰に潜んでいた武装兵士たちが一斉に飛び出て、イヌオウをぐるりと取り囲んだ。  
「卑怯よっ、あなたたち」  
 一斉に剣を抜き放つ兵士にミキナーベが非難の声を上げた。  
「どうやら、結局は話し合いで解決する気なんか、最初からなかったようだな。まいったな、この究極流師範、イヌオウ様の実力を知らない奴がまだこの大陸にいたとは」  
 怯んだ様子など全く見せず、微笑んだままのイヌオウがゆっくりと立ち上がった。  
 今更ながらにイヌオウの圧倒的なまでの肉体に、兵士たちはたじろぎ、逃げ腰になる。  
「おいおい。第4回世界剣武大会を制した、イヌオウ様の技の冴えを見ないうちに何処へ行こうってんだ?滅多に見れるモンじゃないんだぜ」  
 ニヤリと笑ったイヌオウの余裕ある態度と充実しきった体躯に、恐れを知らないはずの若い怒りが急速に萎えていく。  
 門外漢ゆえに、世界剣武大会なるものの存在を耳にしたことのない彼らだったが、余程の強豪が集う武術大会であろうことは、イヌオウの肉体を見ただけで容易に想像出来た。  
 まだ剣を抜きさえしていないイヌオウの前に、兵士たちはヘナヘナと膝から崩れ落ちてしまった。  
「そこまでじゃ。イヌオウ殿が本当に説きたかったことは、充分理解出来ました」  
 魔法派の長老が厳かに口を開いた。  
 
「うむっ。イヌオウ殿は双方に損をしない方法を模索させることによって、我々が互いに譲歩して協力し合えば、上手くやっていけるということを気付かせようとしておられたのですね」  
 進歩派の代表も感銘を受けたように頷いた。  
「このお方には、我々の母なるガレーナの地を、分割させる気など元々なかったのじゃ」  
 長老たちに諭され、血気にはやった若者たちは完全な敗北を悟った。  
「そうですよね、イヌオウ殿」  
「まっ、まぁな。国ってやつは、リンゴじゃねぇんだからさ。そうそう半分こになんかするモンじゃねぇよ」  
 イヌオウは照れ臭そうに鼻の頭を掻いて笑った。  
 イヌオウに許されたことを知った若者たちは、ようやく弱々しい笑顔を見せた。  
「お前が笑顔を見せれば、誰かが笑顔を返してくれる。単純なもんだ」  
 鷹揚に頷くイヌオウの首にミキナーベが飛び付いた。  
「イヌオウッ」  
 満面に笑みを浮かべたミキナーベがイヌオウに顔をすり寄せる。  
「どうだろう。ここは一つ、最初から選挙を行うことにして、イヌオウ殿にも立っていただいては」  
 進歩派の代表が魔法派の長老に、そう持ちかけた。  
「おおっ。イヌオウ殿が迷惑じゃないのなら。無論、ワシらも賛成じゃ」  
 長老もにこやかに頷いた。  
「私からもお願いするわ」  
 ミキナーベもあらためて真剣な表情で、イヌオウに向き直る。  
「仕方のない奴等だ。本来、野良犬には君主なんか似合わねぇんだがな。ただし選挙は公正に頼むぜ」  
 はにかんだような独特の笑顔を見せたイヌオウは、断り切れずに立候補を承諾した。  
「選挙は1週間後よ。私、きっとあなたに投票するわ」  
 再びイヌオウの首に飛び付いたミキナーベが、口付けの荒らしで感謝の意を表明する。  
 冷やかしの口笛と万雷の拍手が、満場の議事堂を埋め尽くしていった。  
 

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