一つの国なり王家なりが、この世から滅び去るのは意外に呆気ないものである。  
 魔導世紀257年より脈々と続く名門中の名門、クリアスタ王家の血もその例に漏れず、バンパイアによる奇襲の前にあっさり途絶えようとしていた。  
「近衛騎兵連隊、壊滅っ」  
「第3衛士隊、全員討ち死にっ」  
 シルヴェスタの国王、ビリオンの元に入ってくる情報は、敗色の色濃いものばかりであった。  
「コリアスティーンからの使者は見えんか、ギュフィ王からの援軍はまだか」  
 城下を完全に包囲された現在では、同盟国からの援軍などあてに出来ないことは王にも分かっていた。  
 しかし彼にとって命よりも大切な宝物だけは何としても守らねばならない。  
「どうして私たちがこの様な目に。お兄様が船遊びなんかなさっているから……」  
 ビリオンの一番の宝物、幼い愛娘のミュラ姫が唇を振るわせて言った。  
 まさか姫の実兄が政務を怠って海賊行為に走っているとは打ち明ける訳にもいかないが、今となってはそれがクリアスタ王家の血を守る怪我の功名になるかもしれなかった。  
 剣を斬り結ぶ激しい物音は、今や王の居室の前まで迫っている。  
 もはや全ての手立てを失った事を悟ったビリオン王は姫の肩を強く抱きしめた。  
 この日の日没前にクリアスタ城は壊滅し、戦略上の要衝、シルヴェスタは魔王軍の手に落ちた。  
                                 ※  
 時は流れて魔導世紀99X年。  
 985年、シルヴェスタ奇襲に端を発する人間対魔族の戦い、いわゆる勇魔戦争と呼ばれる大戦は、この年の後半に入り、ようやく人間側優位に傾き始めていた。  
 最初、圧倒的な戦力と緻密な連携をもって人間を追い詰めていった魔王軍だったが、戦線が延びきると同時に戦いは膠着状態に入った。  
 
 一方、後方に下がりながら戦力の充実を図っていた人間は各地で反撃を開始、緒戦の戦訓を取り入れ、意思統一された指揮下で戦う反攻軍は、魔族に蹂躙された都市を次々と奪回していった。  
 夏の盛り、大陸の東に位置するロギオン北西部の小都市で、一つの砦を巡って人間対魔族の激戦が繰り広げられていた。  
「この砦を奪い返せば、ロギオンから魔族を一掃出来る。死ぬ気で突っ込めぇーっ」  
 指揮官の命令一下、喚声を上げた部隊は砦に対し、最後の突入を試みる。  
 多大な犠牲を払いながらも城門を破壊した反攻軍は、雪崩を打って城内へと侵入していく。  
 補給の途絶により士気が低下しきっていた魔族は、数に勝る人間に対抗出来ず、徐々に追い詰められていった。  
「いけるっ、いけるぞぉ。このまま押し切れぇっ」  
 反攻軍の指揮官が勝利を確信した時、これまで勝ち得た優位を一瞬で瓦解させるような出来事が起こった。  
「ギャァァァッ」  
「ヒィィッ」  
 砦の2階を占拠していた大部隊が、濁流のように階段側へと押し寄せてくる。  
「どうした、引くなぁっ」  
 指揮官の怒鳴り声も恐怖に駆られた雑兵の耳には届かず、勝手な撤収は砦からの転落死という悲劇まで招いた。  
「これはどうしたことだ」  
 人の流れに逆らうように進んでいった指揮官が見た物は、見るも凶悪そうな1人の魔族であった。  
 魔族の足下には10人以上の兵士の死体が無惨な姿を晒しており、4本ある手に握られた蛮刀からは、鮮血がしたたり落ちていた。  
 
「これはいかん。こいつ一匹のために総崩れになる」  
 危機感に駆られた指揮官は一斉攻撃を命じるが、恐怖に囚われた雑兵の耳には届かない。  
「人間風情が小賢しいっ」  
 4本腕の魔族は無造作に4本の蛮刀を振るうと、指揮官の体を一瞬で輪切りにしてしまった。  
「ヒィィィーッ」  
 こうなると、逃げようとする雑兵を止める術はもう無かった。  
 敗残兵が一時に出口へと殺到したため、混乱は極限に達する。  
「これが浅ましい人間の本性よ」  
 4本の蛮刀を振りかざした魔族が、舌なめずりをしながらゆっくりと近づいてくる。  
 その時、身勝手な罵詈雑言の嵐が吹き荒れていた雑兵の集団がピタリと静まりかえった。  
 そして大賢者の奇跡により、真っ二つに割られた海面のように、集団の中心から左右へ分かれていく。  
「ぬぅっ?」  
 4本腕の魔族は人間の海を割りながら、ゆっくりと歩んでくる1人の若者の姿を認めた。  
 年の頃なら二十歳前か。  
 くすんだ赤の上下に包まれた体躯と虎の様な双眸には、溢れんばかりの力が漲っている。  
「ザーフラク……ザーフラクだ」  
 雑兵の間から上がった小さなざわめきは、直ぐに大いなるエールへと変わる。  
「ザーフラクッ、ザーフラクッ」  
 一旦消沈した反攻軍部隊の士気を無言で挽回させた若者、ザーフラクは、背中に吊したグレートソードをスラリと抜き放つ。  
 長さ幅とも通常の剣を遙かに凌ぐグレートソードを、無造作に肩に乗せたザーフラクは魔族の手前で歩を止めた。  
 
「若造、貴様かぁ。サンライオで我らの仲間を可愛がってくれたってのは」  
 魔族は威嚇するように胸を反らして4本の蛮刀を振り立てる。  
「いい機会だ。ここで仲間の礼を……」  
 だが4本腕は最後まで言い終えることが出来なかった。  
 火を噴くような剣撃が真っ正面から襲い掛かってきたのである。  
 続けざまに振り下ろされるグレートソードは、4本の蛮刀をもってしても防戦するのが精一杯であった。  
「ちょっ……まっ……ギャッ」  
 荒れ狂う鋼鉄の暴風を受け損なった4本腕の脳天に、グレートソードが深々と食い込む。  
 頭蓋骨を叩き割られた4本腕は、眼球を飛び出させながら石畳の上に崩れ落ちた。  
「ザーフラクッ、ザーフラクッ」  
「ワァァァァーッ」  
 英雄を讃える叫びは喚声へと変わり、再び勢いを取り戻した人間の部隊は、魔族の群れへと突入していった。  
                                 ※  
「ロギオンでの戦いは、これで終わった」  
 町外れの酒場で、ジョッキを煽りながらザーフラクが不機嫌そうに呟いた。  
「これもひとえに、あなたの武勇のなせる業でしょう」  
 取り巻きの1人、アンソニーが卑屈な微笑みを浮かべる。  
「ロギオンの住民は、みんなあなたを讃えているわ」  
 ギャリンもすかさずお追従を口にして、新たなジョッキを差し出す。  
「空位となった君主の座、我が手にすることが叶おうか?」  
 ザーフラクはジョッキを受け取りながら取り巻きたちに問い掛けた。  
 戦乱が去れば、殉死した前君主の後任を選出するための選挙が行われることになる。  
「ザーフラク様をおいて、なんびとに叶いましょうか」  
 アンソニーはここぞとばかり身を乗り出す。  
 
「ただ気掛かりといえば、ザーフラク様がお若いこと、それに地付きの名族程の基盤を持ち合わせておられないことです」  
 ザーフラクの右腕、グリドフが歯に衣着せぬ言葉を口にする。  
「それに喉元過ぎれば熱さを忘れる、という言葉もあります」  
 実直な右腕は、ザーフラクに対する住民の熱狂が、選挙当日まで持続している保証がないことをほのめかした。  
「ならば、我が熱さを忘れぬようにするまでの事。例の義勇軍の話はまだ生きているな」  
 ザーフラクは飲み干したジョッキをテーブルに叩き付けて言った。  
「では、傭兵部隊に……」  
 突然の事に声を失う取り巻きたち。  
「これより大陸全土の人間を救うための戦いに身を投じる。お前達はこの地に残り、その詳細を大々的に報じ続けよ」  
 ザーフラクが口にした以上、既にそれは決定事項であった。  
「なんと、慈悲深いザーフラク様は一国ロギオンの平和には満足せず、人類共通の敵、魔族を根絶やしにするための戦いに旅立たれるか」  
 酒場中に響いたギャリンのお追従は、噂としてその日のうちにロギオン全土に広まった。  
                                 ※  
 ネバーランド大陸の東、洋上遙かに浮かぶ島国ムロマチ。  
 このムロマチとて戦禍の圏外にあって安寧を保つことは許されず、魔族による侵略の手は忍び寄った。  
 しかし魔族の本拠地たるネウガードからの距離と、大陸との間を隔てる大海がこの国を救った。  
 遂に大挙して押し寄せることの叶わなかった魔王軍は、ムロマチ本土における最終決戦に惨敗、同国の占領を断念した。  
 地理不案内な敵軍を内陸に引き込む見事な采配で、終局的な勝利をものにした立役者、大蛇丸は、今夜も重臣の屋敷に忍び込み、夜這いの真っ最中であった。  
 
「生きているから、色々楽しみもあるってもんよ。嫌なら言ってくれ、出ていくから」  
 全ての国民の恩人にして人気者の君主様にそう言われて、拒絶する女は皆無であった。  
「あぁ〜ん、お殿様っ……すっごぉ〜い」  
 酒と喧嘩と女が何よりも大好物という大蛇丸は、色の道においても一流の戦術家である。  
「バッ、バカ。声がでかいよ」  
 感度のよすぎる姫の反応に大蛇丸は慌てる。  
「だってぇ、殿様がぁ……あぁ〜ん、そこぉ。イクッ、イクゥ〜ッ」  
 忘我の境地に達していた姫は、なりふり構わず喘ぎ声を漏らして腰を突き上げてくる。  
 部屋から漏れ出てくる妖しげな物音は、直ちに姫付きの侍女の知るところとなった。  
「曲者〜っ、お出会いなされませぇぇぇ〜っ」  
 白い鉢巻き姿も凛々しい侍女部隊が、廊下を踏み鳴らして近づいてくる。  
「ヤバッ、また来る」  
「あんっ、お殿様ぁ」  
 素早く身支度を整えた大蛇丸は障子を蹴破って庭へ飛び出た。  
「事もあろうに姫様の居室にぃ。無礼討ちにしてくれる」  
 美女揃いの侍女軍団は、相手が君主様とは露知らず、手にした薙刀を振るって一斉に襲い掛かってきた。  
「おほぉ〜。こりゃ、まさに百花繚乱」  
 大蛇丸は次々に振り下ろされる薙刀を余裕の表情でかわしきると、瓦葺きの塀へ飛び上がった。  
 そして名残惜しそうに姫の部屋を振り返ると、ウインクして塀の向こう側へ飛び降りた。  
                                 ※  
「畜生、もう一寸でいけそうだったのによ。あの侍女共ときたら……ありゃ欲求不満かね」  
 ぼやきながら、誰もいない夜道を小走りに駆ける大蛇丸。  
 その耳が空気を切り裂いて飛んでくる複数の物体を捉えた。  
 大蛇丸は振り返りもせず、飛来した金属片を刀の鞘で弾き返す。  
 
「俺を不意討ちしたきゃ、音のしない吹き矢を使うんだったな」  
 足元に転がった3枚の十字手裏剣を見ながら大蛇丸が叫ぶ。  
「出て来な。手裏剣から見て、月組忍軍の残党だろ」  
 月組忍軍はかつてのムロマチ統一戦において、大蛇丸に敵対した一大勢力である。  
 折しも雲間から顔を覗かせた満月が、一本松の頂に立った刺客の姿をほのかに照らしだした。  
「あぁ〜ん?クノイチか」  
 大蛇丸の看破した通り、刺客のほっそりとしたボディラインは女のものであった。  
「大蛇丸っ。仲間の受けた恥辱、忘れたとは言わせぬ。月組忍軍の誇りと名誉のために、お前を……斬るっ」  
 そう言うや女刺客は松の木から跳躍し、空中で腰の小太刀を抜きはなった。  
「不如帰の刃。受けてみよっ」  
 相当に訓練を積んだのであろう、不如帰の太刀筋は常人では避けきれぬほど鋭かった。  
「おっ、やるねぇ」  
 しかし戦場で鍛え抜かれた大蛇丸には到底通用するはずもなく、全ての攻撃は最小限度の見切りでかわされてしまう。  
「おほっ、なかなかの美形じゃねぇか」  
 紙一重で切っ先を避けつつ、大蛇丸は刺客がまだ年端もいかない美少女と気付く。  
 極端に短い裾からスラリと伸びた脚線美は、将来に期待を持たせる。  
「真面目に立ち合えっ」  
 あくまでふざけた態度を崩さない大蛇丸に業を煮やした不如帰は、白刃を逆手に構えて真一文字に突っ込んでいく。  
「それじゃ、遠慮無く」  
 大蛇丸は愛刀『昇陽』の大業物を鞘から引き抜くと、突進してきた刺客に向けて真っ向唐竹割りに振り下ろした。  
 
 その刹那、発生した空気の刃が不如帰を吹き飛ばす。  
「きゃぁぁぁっ」  
 悲鳴と共に不如帰の忍び装束がズタズタに切り裂かれ、あわれ彼女は一糸まとわぬ素裸になってしまった。  
 しかし地面に倒れ込んだ不如帰の、玉のような肌には傷一つ付いていない。  
 必死で立ち上がろうとする不如帰だったが、衝撃波に打たれた体に力が入らない。  
「オリャァァァーッ」  
 大蛇丸は鬼の形相になり、逆手に構え直した大太刀を少女忍者に突き立てた。  
 不如帰の股間すれすれで地面に突き刺さる昇陽。  
 その刃身は秘密の割れ目の間に食い込んでいた。  
「くはぁ……」  
 全身を脱力させた不如帰の股間から、勢いよく小水がほとばしる。  
 その足元にしゃがみ込み、股間の縦一文字に見入る大蛇丸。  
 不如帰のその部分はピッチリと閉ざされ、変色もしていない。  
「なんだよお前。クノイチのくせに、まだ仕込まれていないのか?ウプッ……お漏らししてやがんの」  
 大蛇丸の視線に気付いた不如帰は慌てて股間を両手で覆う。  
「畜生っ、殺せっ。殺せぇぇぇーっ」  
 戦闘力を喪失した不如帰は涙を流して悔しがる。  
 月明かりに照らされた真っ白い肌が、妙に艶めかしかった。  
「もう10年……いや5年待ってくれ。死ぬ、死ぬって目にあわせてやるからさ」  
 目尻を下げた大蛇丸は大太刀を鞘へと収める。  
 その時、大蛇丸は提灯を持った一団が、彼方より走り寄ってくるのを認めた。  
「また侍女軍団かよ。幾ら俺がいい男だからって、しつこすぎるぜ」  
 呆れ顔でぼやいた大蛇丸は、提灯の群れとは反対側から疾走してくる馬に気付く。  
 
「殿ぉ〜っ」  
 お目付役の家老、蓮撃のタイミング良い登場に、大蛇丸は地獄に仏とばかり微笑む。  
「丁度いい、馬を借りるぜ」  
 大蛇丸は蓮撃と入れ替わるように馬に跨る。  
「殿っ」  
「厄介な事になった。後はよろしく頼む」  
 大蛇丸は提灯の群れと地面に倒れている不如帰を交互に見る。  
「殿ぉっ」  
「皆には野暮用が出来たんで、しばらく国を離れるって事で」  
 人懐っこそうな笑顔を蓮撃に向ける大蛇丸。  
「殿ぉぉぉーっ」  
 いつもの通り、お目付役に厄介事の後始末を押しつけた大蛇丸は、馬にムチをくれるや風の如くその場を立ち去った。  
                                 ※  
「兄さん、もう出発するの?」  
 チクは旅支度に身を固めた兄・キャメロンの姿を見て尋ねた。  
「ああ、しばらくは帰れないから。後のことは頼んだよ」  
 キャメロンは不安げな顔で見つめてくる弟を安心させるように微笑んだ。  
「この国は鎖国してもう久しいからね。外の世界を見てくるのも大事な仕事の一環だよ」  
 ここドウム戦闘国家は魔導世紀420年に建国され、その4年後には技術の流出を恐れた当時の中央審議会の決定により鎖国されている。  
 お陰で『科学』と呼ばれるこの国独自の技術は独占する事ができたが、代わりに外界の文化から完全に孤立していた。  
 
「でも外界って、魔族がウヨウヨしているんでしょ?危険過ぎるよ」  
 チクは亡き母・ミナヨに生き写しの兄が大好きであった。  
「うん。でも魔族が一体何者で、何を考えているのか……兄さんはそれが知りたいんだよ」  
 キャメロンはチクの肩に手を置きながら言った。  
「けど、よく父さんが許したね」  
 チクは中央審議会の議長を務める父・ガイザンの厳格な顔を思い浮かべる。  
「この国にとっても有意義なことだからね」  
 キャメロンはチクから目をそらし、曖昧に答える。  
 自分に与えられた休暇が、オーガプロジェクトのための献体と引き替えに許された、最後の自由であるとは弟には言えなかった。  
「危ない時には、これを使ってよ」  
 チクが差し出した箱の中にはピストルの弾丸が詰まっていた。  
「ボクの開発した血液凝固弾。魔族にも通用するはずだから」  
「ありがとう。けど、なるべくならこれを使うような状況にはなりたくないね」  
 キャメロンは弟からの餞別を馬の鞍に取り付けた小物入れに入れる。  
 揮発油を燃料とする自動二輪車の使用は、技術流出を恐れる中央審議会から許可が下りなかった。  
「無事に帰ってきてよ。きっとだよ」  
 馬に跨った兄を心配そうに見上げる弟。  
「約束するよ」  
 期限までに自分が帰ってこない時には、チクを人造戦闘兵の献体として使用するというガイザンの言葉は、躊躇うことなく実行されるであろう。  
「必ず帰ってくるから……安心して待っていなさい」  
 キャメロンは弟を振り返り、今一度深く頷いた。  
(『英雄たちの肖像』編2へつづく)  
 
 

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