「はぁ、はぁ、はぁ……」
ウマリー島――古の神が眠る島にある平原に、一人の剣士が大の字に倒れていた。
ボロボロの服装で折れた剣を片手に持ち、疲労困憊なのか必死で息を整えている。
「はぁ…くっ…ん…」
風に揺れる草原の向こうから剣士と同じくボロボロの服を着た少女が現れ、彼の元に歩み寄ると片手を差し出した。
「はぁ、はぁ…こ、これで…」
「ああ、終わったよ。ネクストは去った…あたし達の勝ちだ」
少女は剣士の手を掴み起き上がらせると、彼の目を見つめ笑みを浮かべた。
「ふぅ……そうか…勝てたのか…」
「フフフ、なんとかな…。ありがとう…お前のおかげだ」
微笑む少女の髪が風になびく。その姿を、剣士の男は素直に美しいと感じていた。
「いや、僕の力じゃない…ウェイブや皆の力が、そして君の力があったからさ…。それに…」
大地そのものとも言える力に人間が勝てるはずがない。だとしたら、ネクストは僕達を受け入れてくれたのかも知れない…
違うかもしれないけれど、今はそう信じていたい、と男は思った。
「シフォンー!ヒロー! 大丈夫ー!? 生きてるーーっ!!」
「おーいっ! 坊主どもっ、生きてたら返事しやがれーー!!」
遠くから、彼らを呼ぶ声が聞こえてくる。赤毛の女性と厳つい大男だ。
「まったく、僕はもう坊主って歳でもないのに…あの人は」
「フフ…エルティナ! おーいっ!こっちだ!!」
「あぁーっ! 二人とも、よかった…生きてたよーーっ!!」
涙を浮かべて走ってきたエルティナが、勢いよく二人に飛びつく。
「エ、エルティナっ!」
「ぐふっ!? …ちょっと待って、僕はまだ…うわっ!?」
ヒロに肩を借り、どうにか立っていたシフォンは彼女を支えきれず、三人とも地面に倒れてしまう。
「ご、ごめん。あたしっ、嬉しくってつい…」
あわててエルティナも肩を貸し、シフォンを担ぎ上げた。
「いや、いいよ…。 よかった、二人も無事だったんだな」
「ああ、このイヌオウ様がこのていどでくたばるかよっ! …しっかし両手に花たぁうらやましいな坊主」
「あ、いや、これは…」
はたから見れば今のシフォンは女の子を二人抱えているようにも見えるが、実際はフラフラな彼を女二人で支えているのである。
「まぁいい、実はさっき伝令があってな。冥王ムゲンのほうもムロマチ軍…じゃなかった、シンバ帝国軍が無事撃退したってよ!」
「そうなの! これでやっと、やっと…この大陸は平和になるのよっ!」
胸の中で幼馴染が喜びの…いや、それ以外のものもたくさん詰まった涙を流している。
それを見て、ようやくシフォンの中にもこの戦いが終わったという実感がわいてきた。
「そっか、これでやっと…」
「あぁ、やっとだ。シフォン」
「ヒロ…」
見上げれば今日のウマリー島はよく晴れていて、先ほどまでの激戦が夢のように感じられる。
魔導世紀1012年…長く続いた戦乱は、ここで一つの終局を迎えていた…
「そこでこの俺様の超撃滅な必殺技が決まり、ネクストの野郎怯みやがった! それで何とかシフォン達も盛り返してきたが腐っても神、それだけじゃあ…」
「おぉ、さっすが切り込み隊長イヌオウ様だぜ!」
最後の激戦が終わり凱旋を果たした夜、カムリア王城での大戦終了の祝賀パーティー会場にて、大量の飯を囲んだイヌオウが大法螺話に花を咲かせ、兵士達もそれを喜んで聞いている。
皆の顔にはそれぞれ笑顔が浮かび、これまでの苦しみを洗い流すかのように飲み、食い、笑っていた。
「…あんたは最初の一撃でのされて、後はずっと気絶してただけじゃない。まったく」
イヌオウの様子を横で見ているエルティナが、料理をつまみつつ苦笑を浮かべる。
「エルティナ、ちょっと…」
珍しく女性的な衣装…ドレスに身を包んだヒロが、エルティナを見つけると小走りに近寄ってきた。
「ヒロ、どうしたの?」
「いや…シフォンの姿を見かけないんだが、知らないか?」
「え、パーティー会場にいないの? なるほど、だったら…」
エルティナはすぐに思いついた心当たりのある場所をヒロに伝えた。
「そうか…わかった。じゃあ、そこに行ってみる」
「あ、ヒロっ!」
すぐさまその場所に向かおうとするヒロを、エルティナは思わず呼び止めてしまう。
「なんだ?」
「あ…えーと、なんて言うか…あたし、その…」
「エルティナ…」
二の句が次げず困惑しているエルティナに、ヒロは優しく微笑みかけた。
「ありがとうエルティナ…それと、ごめんなさい」
「うぅん、いいの。じゃ、またねヒロ…」
「ああ、また…」
去って行くヒロの後姿に、エルティナは寂しげな笑みを浮かべる。
「……なぁ、アレでよかったのかよお前」
「…あんたこそどうなのよ、サトー」
影に隠れていたサトーが、複雑な顔をしてエルティナに声をかけた。
「お、俺は…その……むぅ」
「仕方ないじゃない…こればっかりは……」
しんみりとした空気が二人の間に漂う。それぞれに思っていることは似たり寄ったりなのだろう。
「あらあら、このめでたい席で何しけた顔してんのよ、お二人さんっ」
「マユラ…」
銀髪の美しい女性…マユラが両手に酒瓶をもって現れると、それを二人の前にドンッ、とおいた。
「ま、無理もないかもしれないけどね。フフ、今夜はとことん付き合ってあげるから、飲みましょ♪」
「マユラ……あー、確かにこんな事でうじうじするなんてアタシらしくないもんね! ほら、早く注ぎなさいサトー!」
「お、おうっ!」
こうしてその晩は、三人ともぶっ倒れるまで飲み続ける事になった。
「シフォン…ここにいたのか…」
「ん?……ヒロ?」
カムリア王城の城壁の上、城下の見渡せる場所でシフォンは一人たたずんでいた。
「何をしていたんだ? 今日の主役である勇者様がこんなところで」
「いや…昔を… ここで、ラーデゥイたちと旗揚げした時の事を思い出してね」
十数年前、シフォンはこの場所でかつての師と共に魔族を倒すための軍を起こしたのだ。
その時この城壁から見下ろしたのは、勇者を慕う人間の兵士たちだった。
しかし、今城下に見えるのは人間と魔族が入り乱れて共に喜びを分かち合っている姿だ。
「あの時は…ラーデゥイがいて、クリスもランジェもいて、ソフランもいた…」
師は彼自身の友のために旅立ち、盟友だったはずの二人は己の野心のため去っていった…
「君の父…大魔王ジャネスを殺したあの時から、僕は多くのものを殺し多くのものを守れずに失ってしまった…。ウェイブも、最後の戦いで消えてしまって…帰ってこなかった」
「シフォン…」
「僕は結局勇者にはなれなかったよ。多くのものを犠牲にしてしか生きられない、ただの人だった…」
「…シフォン!」
ヒロはシフォンの背中に抱きつき、お腹に手を回す。
「ウェイブは…ずっとあの時を待ってたんだと思う。ああする事が、彼の最後の望みだった… それに、あいつは闘神だぞ。帰ってこなかったからって、そう簡単にくたばってるわけない…そうだろ?」
「ああ、そうかもしれない。しかし…僕は、何も知らないままジャネスを…っ!」
「それは私だって同じだ。大魔王の娘だからと…力を持っていると驕り、多くのものを犠牲にしてしまった…。でもっ!」
頭をシフォンの背中にうずめ、ヒロはぎゅっ、と抱きつく力を強くした。
「お前は戦ったんだ、多くのもののために。そして、確かに救ったんだ、多くのものを…そう…この私も!」
「ヒロ…」
「最初はお前が憎かった!憎くて憎くて…殺しても収まらないほど憎かった! だけど戦いの中いろんな奴に会って、いろんな事を知ったんだ」
ヒロの大きくて赤い瞳から涙が溢れ、シフォンの背中をぬらしていく。
「そして…シャドウに敗れた後お前に助けられて…あの時はまだ憎かったけど、共に戦うことでお前の気持ちを…苦悩を知っていった…」
「あれだって、君を助けられたのはただの偶然だ。真正面から戦えば、僕がシャドウにかなうはずはなかった」
「フフ、そんなのは関係ないさ。あの時の私は総てに絶望し、何も出来なかった。なのにお前は、裏切られても罵られても、敗れても苦しんでも、諦めることなくもがき、真の平和を求めて戦い続けた」
「それは…僕にはそうする事しか出来なかったから」
「お前のその姿こそ、私を…私の心を救ってくれたんだ。だから…」
背中から体を離すと、ヒロはシフォンの正面に向き直り、まっすぐ瞳を見つめ…
「皆が認めなくても、おまえ自身が認めなくても…私にとってお前は、勇者だよ…」
背伸びをしながらシフォンの唇に口付けをした。
「んっ……い、言っとくけど、初めてだぞ。私はっ」
キスをし終わって照れたのか、真っ赤な顔でヒロは目をそらしてしまう。
「はは、僕もだよ…ありがとう、ヒロ」
ほっぺはエルティナにしてもらったことはあるけど、とシフォンは心の中で付けたしたが。
「ヒロ…君は綺麗だな…あの頃から何も変わらず、ずっと美しいままだ…」
月明かりに照らされる魔族の姫君の姿は、幻想的なまでにシフォンの目には美しく映った。
「シフォンは、ずいぶんと変わったな…」
ヒロは少し寂しそうな顔を浮かべたものの、すぐに笑みに戻る。
「…老けた、かな」
「うぅん…」
ヒロはシフォンの首に手をかけると
「…逞しくなったよ」
再びキスを――先ほどの触れ合うだけのものではなく、舌を絡めあう大人のキスをした。
「…お願いだ…私を抱いて。…私を、お前のモノにしてくれ」
「ああ、喜んで…姫様」