白い満月が辺りを煌々と照らし出す秋の夜更け―
今だに生臭さの残る部屋から避難したヒロは、満月の光の下で独り手摺りに寄りかかり一冊の本を読み耽っていた。
秋の虫達が求愛の歌を合唱する中で、その歌をBGMにヒロは黙々とページを読み進める。
その傍らには宿の者が用意したのか団子の盛られた皿が置いてあり、ときおり彼女は思い出したかの様に異形の腕を伸ばす。
「こんな時間に食べたら太っちゃうわよぉ〜?」
不意に自分に掛けられた声にヒロは読書を中断し、僅かに視線を上げると上目遣いに声の主を睨め上げる。
そこには昼間の穢れを洗い落としたリューンエルバが、薄手のネグリジェに身を包み微笑を浮かべ佇んでいた。
「お前こそ、そんな格好で風邪ひくぞ?」
再び本に目を落としたヒロはグラス片手に近づいて来る彼女にそう呟くと、その異形の指で団子を一つ器用に摘み上げる。
団子の皿を挟む様に手摺りに寄りかかったリューンエルバは、ヒロの指先から団子を掠め取ると自らの口へと運ぶ。
「はいはい♪そんな顔しないの♪」
気分を害し半眼で睨みつけてくるヒロを宥めながら、クスクスと笑いつつリューンエルバは団子を口へと放り込む。
美味しそうに団子を頬張る彼女は下に何も身に付けておらぬ様で、ぷっくり色付いた先端や股間の陰りが薄い布越しに鮮明に見て取れる。
そんなリューンエルバを睨んでいたヒロだったが、どうでも良くなったのか新たな団子を摘み上げると今度こそ読書を再開した。
「何を見てるの・・・?」
また熱心にページをめくり始めたヒロは、無言で表紙を傾けリューンエルバの問い掛けに答えた。
僅かに身を傾けたリューンエルバの目に飛び込んできたタイトルに、彼女の視線は再度ヒロの顔に移される。
「純文学ねぇ…」
「ただの暇潰しだ、他意は無い…それより」
ヒロは手の中の本に栞を挟みパタンと閉じると、床に無造作に放り出してあった運動会のプログラムを忌々しげに拾い上げる。
「明日の競技だが…どうやら私達も参加するようだ」
開いたプログラムの内容に眉をしかめ、ヒロは吐き捨てるように呟いた。
彼女の視線に釣られる様に、リューンエルバも身を乗り出してプログラムを覗き込む
「そうなの?」
「ああ、種目は『借り物競争』…各チームの代表とパートナー、私達の事だな…が走り、伏せたカードの中から2枚選び、カードに書かれた物を持ってゴールする…だそうだ」
一通りの説明を終えるとヒロは乱暴にプログラムを閉じ、再び床へと無造作に放り出す。
そんなヒロの様子に苦笑いを浮かべつつ、リューンエルバはプログラムを拾い上げ内容を確認する。
「またロクでもない内容に決まってる…間違いない、賭けても良い」
「あはは・・・そうねーこの大会の趣旨って丸解りだもの…でも明日の競技には負けない自信はあるわよ私」
ふふん♪と得意げな笑みを浮かべるリューンエルバへ、ヒロは不敵な微笑みを浮かべ言葉を返す。
「大した自信だな…ま、明日になれば解る事か」
「そう言う事♪じゃ、そろそろ寝ましょうか?」
んっふっふー♪と怪しげに笑いながら、リューンエルバは部屋の中へと戻っていく。
ヒロは不気味なオーラを放つ彼女の背中を見送りつつ、もう一つ団子を摘み上げると口の中に放り込む。
もごもごと咀嚼しながら本を広げる彼女の耳に、「先生穢されちゃった〜慰めて〜」「ひぇぇぇぇぇぇ!?」と言う声が届く。
にわかに部屋から漏れ出す妖しい雰囲気に溜め息を吐くと、彼女は月明かりの下で読書を再開した。
翌日、快晴の青空とは対照的にヒロの表情は曇りきっていた。
「なるほど…昨夜言っていた自信の源はこれか…」
目の前に広がる光景に鬱々とした気分にさせられ、渋面のヒロが重苦しい溜め息混じりに呟いた。
赤組と青組の男達は前日と同じ様に、エネルギッシュな暑苦しい笑顔を浮かべウォームアップを続けている。
他の2組とは違い白組の男達は精も根も尽き果てた表情で、腰を押さえうずくまる者、降り注ぐ日差しに眩暈を覚え倒れ伏す者など…
まさに生ける屍と言うに相応しい集団になった白組を前に、その原因となった者をヒロは睨みつけた。
「さ〜て?何の事かしらね〜?」
言葉とは裏腹に計画通りとほくそえむリューンエルバに、ヒロは軽い殺意を覚えた。
そんな二人を見ながらミュウはアハハ・・・と乾いた笑いを浮かべている。
「えーっと、頑張ろうねヒロさん」
「さっさとリタイアして不戦敗の方がマシかもしれん…」
既に負け組ムード全開のヒロをよそに、スピーカーから流れる底抜けた声が大会の開催を告げ、それに応える様に観客席も熱気に包まれた。
「大変長ら(前略)…ただいまよりドキド(中略)…3日目を(後略)…」
―ウォォォォォォォォ・・・・・・―
いつもよりハイペースで進む実況の声を聞き流しながら、3人はスタッフの誘導に従い各組の代表者と共にスタートラインに着く。
昨晩ヒロが説明した通りの競技の説明がなされ、やがてスタッフが空砲を持ってスタートラインに近づいてきた。
「それでは位置について・・・・用〜意・・・」
競技開始前の声に緊張の面持ちで体勢を整える5人と青ざめた表情でふらつく1人。
次の瞬間、空砲が鳴り響くと同時に脳髄へ響く音に打ちのめされた白組代表がバッタリと大地に沈んだ。
「おぉぉぉぉぉぉい!!!!」
「そっれじゃ、おっ先〜♪」
ヒロの絶叫とリューンエルバの高らかな笑い声を合図に三日目の競技『借り物競争』が開始された。
「立て!!寝るな!!起きて走れっ!!」
呻き声を上げながらノロノロと立ち上がる男に、ヒロは必死の思いで叱咤激励を送り続ける。
しかし既に遠くを走るリューンエルバから聞こえてくる高笑いに、ヒロの中の何かが音を立て切れ、その額にビキィと青筋が浮かんだ。
「止むえん、非常手段だ……お前は走らなくていい…ただ生きていろ」
そう呟くとヒロは異形の左腕で目の前の男をガッチリと捕まえ、そのまま猛然と走り出した。
地面が削られる轟音に混じり微かに上がる男の悲鳴に、それまで声援を送っていた観客達が恐怖に凍りつく。
「ヒヒヒヒヒヒロさん!?その人死んじゃう!!死んじゃうよぉぉぉぉ!!」
背後から聞こえる轟音に思わず振り向いたミュウは、我が目に映る惨劇に悲鳴をあげた。
彼女の抗議とも取れる声を完全に無視し、ヒロは更に足を加速させ前を走る二人に追いすがる。
「到着〜♪」
ヒロとミュウのやり取りと一切無視し走り続けたリューンエルバが、一番最初にカードの有るチェックポイントに到達した。
大きな机の上に伏せたカードが何枚も敷かれ、彼女は迷う事無く2枚を選び書かれた内容を確かめる。
「あっ、ラッキー♪これなら探し回る必要は全然無いわ」
カードに書かれていた内容に顔を輝かせると、彼女は一目散に目当ての場所へ走り出し、それに慌てて青組代表も後に続いた。
そんな青組に僅かに遅れを取りつつ、今も背後を気にするミュウが2番目にチェックポイントへと辿り着く。
背後から迫る轟音と悲鳴に冷や汗を浮かべながらも、彼女は2枚のカードを選ぶと恐る恐る覗き込んだ。
「えっと・・・これってどこだろう?観客席かな?」
書かれている内容に首を傾げながらも、赤組コンビは観客席へと走り出す。
そして最後に肩で息をするヒロと、断続的な痙攣を繰り返す白組代表がチェックポイントに辿り着いた。
彼女は別々の方向へ走り出した2組を一瞥すると、目の前に並ぶカードの中から2枚を握り潰すかの様に掴み取ると内容を確認し・・・
・・・その場にガックリと膝をついた。