スターオーシャン  

(特訓のシーンは市販されている小説を元にしています)  
ファンシティ 午前十一時三十八分  
闘技場で、クロード達が仮想のザフィケルと戦っている。  
強い。果てしなく強い。  
朝から数えて挑戦は五回目に上るが、一度として打撃を与えられてはいなかった。  
理由はいくつも考えられるが、客席で分析しているレオンを萎えさせるのはそれら全てが当たっていることだ。  
まず、人数の差を差し引いて余りある実力がザフィケルにはある。レナの話では剣を持って一ヶ月程もたっていない  
クロード、体術を心得ているとはいえ、やはり学者肌のボーマン、更には十六歳のプリシスではかなうはずも無い。  
唯一善戦しているのは神宮流体術師範という肩書きを持つチサトだけだが、ザフィケルの力に押され、やはり苦戦。  
そして、戦闘センスの差。元々戦闘要員として生まれてきたザフィケルは、恐らくネーデ最強の女将、マリアナをも  
再起不能まで追い込んでしまった。  
勝つための方法は何か。レオンの仕事はそれを見つけることである。  
接近戦で負けている以上、有効なのはレナ、セリーヌ、ノエル、そしてレオンの紋章術である。ただし、レナ、ノエル  
は戦士達の回復に回らざるを得ないので、実質、二人だ。  
ここで古い戦法書を紐解いて見る。体が硬く、素早い魔物への対処法。  
外が硬いのは中を守るためである。ザフィケル達のバリアは無効化されているが、やはり有効なのは内部への攻撃だろう。  
シミュレーション。まず戦士達が命がけでザフィケルの動きを止める。その間に術士はできる限り近づく。  
ザフィケルの動きが止まったら速攻で呪文を唱え、口の中めがけて炎を−−−  
いくつかの矛盾点がある。しかも、致命的な。  
第一、そのくらいの作戦ならクロードたちはもう実行していた。戦士達は今でも命がけなのだ。ザフィケルを止めようとすれば  
三回は死ななければならない。  
絶体絶命。これだけの準備をしているにも関わらず、レオンの脳裏にはその四文字が浮かんでいた。  

「一回だけ攻撃が当たったけど」  
控え室。疲労困憊のクロードたちを前に、レオンはホワイトボードで説明を始める。こんなとき、  
エクスペルとは違うということを思い知らされるが・・・正直、使えるものなら使っておいた方がいい。  
「腰が入ってなかったから多分かすり傷だね。よくわかってると思うけど、バリアがなくなっても体そのものが硬いから、  
全力でないと駄目。しかも相手は戦闘のプロだから、本物だったらさっきの一撃も止めたと思うよ」  
「・・・で、なんか思いついたのか」  
そんなことは重々承知だ。ふてくされたボーマンがつぶやく。  
「攻撃の要はチサトさん」  
ホワイトボードに丸を描いて、中にザの文字。  
「ザフィケルと相対峙するのはクロード兄ちゃん」  
クのマーク。その後ろにチサトを描く。  
「おじさんとプリシス姉ちゃんがサイドから撹乱」  
ザフィケルの上下に二つの印。  
「それを支援するのは僕とセリーヌさん。全力で唱えるんだ」  
ボーマンとプリシスの更に外側、クロード達よりに印。  
「こうすればザフィケルはクロード兄ちゃんを狙ってくると思うんだ。実力に自信があるからね。外を倒してから、  
なんて小さいことはしないと思う」  
キュッ、と矢印をクロードに伸ばす。  
「クロード兄ちゃんの役目はザフィケルの攻撃を受け止めること。これが一番厳しいけど、やらなくちゃならない。最悪でも、  
死ななければどうにかなる」  
自分はとても残酷なことを言ってるのだろう。しかし、勝つための最善の策だ。  
「だから、レナお姉ちゃんはクロード兄ちゃんだけを意識して」  
チサトの更に後ろ。再後方にレナを置く。  

「その他のメンバーの回復はノエルさんが」  
外側の方に適当に印す。そして、アシュトンをレナの隣に。  
「アシュトンはレナお姉ちゃんを守りつつ、ギョロ・ウルルンと共に戦況分析。全員に指示」  
この中で一番経験があるとすれば、アシュトンに他ならない。戦闘の優劣を見極めるのも、  
彼が一番に違いない。胆力もある。  
「アシュトンが回復したら、この作戦で戦って見たいんだ。質問があるなら今のうちに」  
「下手に近づくと小さくても斬ると思うぜ」  
「うん、だから外の二人には飛び道具でザフィケルの意識を散漫にさせて欲しいんだ。  
あくまで決め手はチサトさんの体術だから」  
「無残にも斬られた場合は」  
「そんな仮定しないでよ。もし斬られても僕達の術が一瞬でも足止めできれば、勝てる」  
チサトに顔を向けて、  
「ザフィケルは哄笑する。しなくても大声で気合を発しながら突っ込んでくる。チサトさんが狙うのは」  
自分の顔を指差して、  
「口の中」  

 

ザフィケルは一人で戦うのが好きだ。それに、以前フィーナルへ突入したときに、わざわざ仲間を  
後方に下がらせて戦い、勝った相手に仲間を連れてくるわけが無い。  
ただ、それは想像の域をでないのが現状だった。99.999999・・・∞と続いても、絶対ではないのだから。  
全ては賭けだった。ザフィケルが一人で来なければ、勝てない。  

午後二時三分  
勝てた。一太刀が限界だったザフィケルに、どうにか勝つことができた。  
これはネーデ軍にしてみればすばらしい前進で、士気がとてつもなく上がったのは言うまでも無い。  
ただし、代償は大きかった。  
クロード、ボーマンが絶対安静の大怪我。セリーヌは精神力の使いすぎで意識がなく、レナとノエルは  
共にザフィケルの達を少しだが浴びて重症。レナを守っていたアシュトンはギョロの首が切れかけている(アシュトン経由  
ギョロ曰く勝手に治るらしいが)他、左腕を複雑骨折という最悪の状況。  
プリシスは奇跡的に傷は少なかったが、獲物である無人君二号が大破し、戦える状態ではない。  
かく言うレオンも、ともすれば気絶してしまいそうな気だるさの中、先ほどのシミュレーションのまとめをしなければならなかった。  
今はザフィケルが現れないことを祈りつつ、自分のでき得る最上のことをせねばならなかった。気絶など、している暇は無い。  
外傷に関しては全く無いのだから。  
クロードに攻撃が集中したおかげ(というほど軽い出来事でないのは承知している)でチサトは軽傷だった。  
知り合いの軍隊に連絡して、ネーデ最高の医師をここに集め、その傍ら負傷者の看病。  
最悪だ。ザフィケルに勝てば平和が訪れるわけではないのだ。戦闘に関してはザフィケルが一番とはいえ、  
決して他の十賢者が弱いわけではないのだから。  
もっと少ないダメージで勝たねばならない。今の戦い方ではこちらの全滅の方が早い。  
(しっかりしろ・・・考えろ・・・この頭はなんのためにあるんだ・・・!)  
非力なことはわかりきっている。  
自分の役割は、どうしても果たさねばならない。  

つまり、疲労しているとはいえレオンが一番暇なことに変わりは無かった。  
セリーヌがレオン以上に強力な呪文を多々使用していたため、彼女の疲労はレオンとは  
比べ物にならなく、レオンはといえば一日寝たらどうにかなる程度だったのだ。  

正午  
ファンシティのホテルの一室で、プリシスが無人君二号をいじくり回している。  
大破、とは言ったものだ。原形など留めていたものではない。プリシスの操るコントローラから伸びる  
コードに繋がるセンサーの部分は完璧にイカレていて、更に配線が切れて絡まって尋常でない  
様相。ひしゃげ潰れたハンマー部分はどうにかなるはずもなく、ミラージュ博士にでも頼まなければ  
再生不可能だった。おまけに無人君二号の大部分は父の仕事で、一見わけのわからない部分も多い。  
機械技師として未熟者のプリシスに直せるかはとてつもなく怪しかった。  
いや、寧ろ普段は、それは彼女の向上心を満たす材料になるものであった。が、切羽詰ったという状態の  
極みにある今ではただただ気分が萎えるだけで、事実彼女は先ほどからドライバーを握り締めたまま  
溜息をついてばかりいたのである。  
もちろん溜息で配線が解けるわけもなく。  

もちろん溜息で最悪の状況が回避されるわけでもなく。  
レオンが廊下を歩くだけで神算の如きアイデアが浮かぶこともあるわけがなく。  
気がつけば、プリシスの部屋の前で立ち止まっていた  

そろそろ限界だ。ただ睨めっこするだけでこうも疲れるとはさすがに思っていなかった。  
結局無人君二号は改善の兆しが見えなかった。この前壊れたときは大丈夫だった操作系統が  
完全にイカレてしまっていたのが最悪といえた。とにかく、この部分は彼女の手にはおえない。  
ミラージュに手伝ってもらえば何とかなるだろうが、その、なんだ。自分の作品である(手伝ってもらったとはいえ)。  
意地でも直す。意地で直ればの話だが。とりあえず今は休もう。  
工具を部屋の隅に放り投げ、プリシスはベッドの上に転がった。座りっぱなしの使いっぱなしで頭が痛い。  
まとめていたゴムを取ると、髪の毛がバラッと広がった。切るのも、悪くは無いかもしれない。  
「・・・・」  
天井を眺めていた大き目の瞳が、入り口付近へと移動する。  
「いつからいたの?」  
逆立ちしたレオンが見えた。  
彼は口をつぐんだまま少したっていた。何かが言いたそうで、言えなさそうで。  
「あのさ」  
レオンの耳が僅かに動く。無意識にプリシスの声を聞き取ったようだ。  
「髪、切ったら似合うと思う?」  
「え?」  
それで、レオンの口はあっさりと開いた。  

「髪、あたしの」  
ベッドに広がった金色の髪を見ながら、  
「切りたくなったの」  
「なら、切っていいと思うけど」  
「似合うかきいてんの」  
「・・・んー」  
しばらく、レオンは思考をフル回転した。  
「今の方が似合ってるよ」  
「そう」  
「見てみたいけど」  
「え?」  
「や、なんでもない」  
レオンはゆっくりと歩いてきて、ベッドに腰掛けた。  
「手伝おうか」  
「んーん。一人で直す」  
「そう」  
「ありがと」  
え?とは口にしなかったが、顔をこちらに向ける。まぁ、理解に苦しんでいる顔ではある。  
「そのために寄ってくれたんでしょ?」  
「ん・・・まぁ」  
「ありがと」  
「それだけ、じゃ無いんだけど」  
無言で少し経ち、レオンがボソッとつぶやいた。プリシスは上半身を起こすと、背中を向けているレオンをむいて胡坐をかく。  
「どしたの」  
「やっぱり言わない」  
「十賢者?」  
「・・・」  
何も言わなかったが、図星? のようだ。まぁ、考えられないことも無かったわけで。  
レオンの体が少し震えた。いや、震え始めた。  
「レオン?」  
「・・・僕のせいで」  
プリシスの体を何かが走り抜けた。  
「みんな・・・」  
「そんなことないよ、みんなが何も言わなかったのはそれが一番よかったからだよ」  
ネガティヴ思考だ。しかも結構な。今までの責任感やら緊張やらの重圧が、今一気に噴出したのか。  
「僕の責任だ」  
「違うって」  
背中は相変わらず震えていて、プリシスは慌てて肩に手を乗せた。  
「僕の」  
プリシスは気づいた。見えなかったが確かに、  
レオンは泣いていた。  

孤独という物がある。ただ一人、その状態を言う。  
対して強いとは言えなかったクロードは、それでもリーダーだった。  
なにか下品なことを言っては一人で笑っていたボーマンは、それでも学者で、レオンより遙かに頭が良かった。  
もっとも頼りにしていた二人が、一番危険な状態にある。  
責任を感じると共に、二人のいない孤独感という物が背中に重くのしかかる。  
歯が震えているのに気が付いただろうか。知らず、腕を抱えて縮こまっているのに、はたして彼は気づいていただろうか。  
守ってくれる者が居なくなり、はじめて彼は知った。  
死の危険。旅に絶えずつきまとう、それは常識だった。  
レオンは知らなかった。その常識を、何故か、知らなかった。  
守ってもらっていたからだ。クロードに、ボーマンに、レナに、アシュトンに、プリシスに、セリーヌに、ノエルに、チサトに。  
だからこそ、死という絶対的恐怖を感じずにここまで生きていた。  
それが無くなる、しかも最悪の状況で。  
これを生き地獄と言わずなんという。自らの指示で。今攻めてきたら、ネーデは間違いなく終わりなのだ。  
震える頭で思考する。自分は絶えず誰かに助けられてきた。いつもだ。  
しかし  

(僕は・・・誰かを助けたか?)  

背中と肩に、重みを感じた。その時点で、プリシスがいたことに改めて気づいた。  
組んで締めきっているレオンの腕に、背後から両手を回して、ゆっくりと外した。  
・・・震えていた、のをやっと感じた。  
震えていた。  
プリシスの腕は、レオンの背中の後ろから、そっと彼を包むように動く。  
「ね」  
レオンは垂れていた頭を上げた。プリシスがなにかつぶやいて、彼の頭に手を乗せたからだ。  
「いろいろ考えたら」  
考えたら・・・?  
「・・・考えても」  
言い直した。  
「どーにもならないよっ」  
途端、重みがあっけなく取れ、後頭部に軽い衝撃が走った。はたかれた?  
「え?」  
「ほら、落ち込んでてもよくなるはず無いじゃん。考えよーよ」  
「・・・何を」  
「あたし達だけで勝てる方法、でしょ!」  
自分たちだけで勝てる方法。ある分けない、そんなこと。  
だが、しかし。  

考えたことがなかった。  
メンバーが全員そろわなければ、必ず負けると思っていた。いや、確かにそれは事実だ。だが、  
あるかもしれないのだ。可能性が、米粒一粒でも。  
なにか、分かったような気がした。いや、現在進行形で分かってきている。  
まず、何をするべきか。気持ちの整理。感情の放出。思考をフル回転させるためのブレーキを外す。  
レオンは突然後ろを向いた。ベッドの、窓側の方。プリシスが座っている方。  
少し萎えた。決心した次の瞬間、プリシスが思いきり胡座をかいているのが見えた。が、  
レオンはプリシスの両肩に手を置いた。忘れているが、いつかと同じ動作。  
「ぼ・・・ぼ、僕はっ」  
どもる。声がとぎれて、息だけが大量に出る。どうだ、情けない。プリシスはこちらから見ても訳の分からない表情で見返している。  
「ねえ、ちゃんが・・・」  
直視できない。できるはずもない。顔に血が上るのが分かる。火が噴きそうだ。構うものか。  
肩に力がこもった。全身を石のごとく硬直させて、口に神経を集中させる。どうだ、なにか出てくる。  
「す」  
勢いで言え、ほら、あと少しだ。  
「好き・・・・です」  
言ったのに、少し気づかなかった。顔を上げると、プリシスが、先程の顔を継続させてこちらを向いていた。  
どうだ、笑ったらどうにでもなれ。はたかれてもどうにでも慣れ、いや、さきに言うことがある。  
「だから」  
だから、僕は  
レオンの左腕が何かにはじき飛ばされ、人差し指と中指の骨が折れた。  
恐ろしい衝撃波が体を殴り、後方に吹き飛ばされた。視界に部屋の左側の壁が爆砕しているのが見えた。遅れて強烈な破壊音が鼓膜を刺した。  

僕は、姉ちゃんを守ります  

プリシスがいない。  
レオンが視界にそれを確認したのは、実に吹き飛ばされてから2秒経った後だった。背中をドアに  
ぶつけて、痛みに目を見開いたときである。  
レオンの左腕をはじき飛ばしたのは激しく左にいどうしたプリシスの体で、その彼女は右にできた穴に続いて  
粉々にされた左の壁から飛び出していった。  
一瞬、いや、もっと長い間。かなりの時間、レオンは事態が把握できなかった。体は勝手に動いていた。  
本能の体を動かすままに左手の穴から外に飛び出して、左腕の激痛を感じながら全力疾走した。  
ファンシティの中央に聳える巨大な城のアトラクションが、地響きを立て、砂煙を上げて倒壊しているところだった。  
ものすごい早さで、建物という建物が爆発していった。一つの弾丸がファンシティを駆け回っていた。  
ザフィケルが、来た。  
先程部屋を破壊したのは、一つの衝撃の固まりと化した十賢者の一人だった。  
遠方で何かが空高く飛び上がった。色の派手な、レオンの見覚えのある何か。  
青を基調とした服に、太陽の光をそのまま反射したようなブロンド。そばに黒いサングラスのかけら。  
プリシスの体が、地上18メートルを舞っていた。それは恐らく、今プリシスをさらっていったザフィケルの仕業だった。  
胸があらゆる感情で詰まった。プリシスの体は高さだけでなく、横にも飛んだ。背中から闘技場の控え室付近の屋根  
に突っ込んだ。  
ほんの、十秒掛からない間の出来事だった。  

レオンの困惑と悲痛と激怒の入り交じった獣の如き絶叫が響き渡ったのは、  
ザフィケルがいい加減走り回るのに飽きた頃だったようだ。既にレオンの周りは廃墟と化して  
おり、彼らが泊まっている宿屋が奇跡的に大破のレベルで残っているのみだった。そこかしこ  
から呻きや悲鳴が漏れ出て耳を付くが、それでもレオンは叫ぶ。  
全てが変わった。何もかもが、本当にあらゆる物が流れるように破壊された。  
チサトが飛び出してきて、レオンを見ぬままあらぬ方向に走っていく。携帯電話を耳に当てて、何か叫ぶ。  
--あたしがなんとかしのぐから、  
無理だ。レオンは全ての二酸化炭素を吐き出した肺を膨らませながら否定する。チサトでは止められない。  
あらん限りの大声を出せば、  
「チサトさん!」  
先程の絶叫の半分ほどの声量しかでなかったが、チサトは振り向いた。  
驚いた。レオンの目は泣いているようにグシャグシャになっていてなお充血しているのがはっきりと  
見て取れ、眉根に深く皺が寄ってその先はつり上がっていて、顔は青に血を混ぜたような赤で染まっていた。  
耳は怒髪の変わりに天を突き刺しており、体全体で肩を怒らせ、震えるだけでエネルギーを使い果たしてしまうようで、  
爪が手のひらに食い込んで血が出るのではないかと疑うほど握り締めて、チサトを呼んだ口は普段から考えられないほど開いていた。  
あらゆる穴から体液が流れ出ていて、チサトは青くなった。レオンは、このまま死んでしまうのではないか。  
それでも、レオンは冷静であった。少なくとも、冷静のつもりであった。足が震えているのが情けなかった。  
この期に及んで、まだ恐怖が体に覆い被さってくる。  

レオンを包み込んで虚空に消え去ってしまいそうだ。振り払うように呪文を唱えた。枯れた喉からは  
しわがれたかすれ声しか出なかったが、そしてレオンはなんの呪文を唱えているのか自分でも分からなかったが、  
大空に突如として巨大な扉が出現したことで何が発動したかは分かった。  
レオンの身長を3倍にしてゆうに有り余る大きさの鉄扉がゆっくりと両開きに動き始める。  
どこかにいるはずのザフィケルにも見えるはずだ、伝承やらで伝えられるあまりにも有名な形状の  
鎌を手にした、醜悪とか恐怖とか憎悪とかとにかく負の感情を詰めて闇と蛙で煮込んだような  
気を発する、悪魔の姿が。  
相手はこいつだ。どうでる?  

ザフィケルが飛び出してきたのははっきりとは見えなかったが、彼方で起きた爆発とこちらに向かってくる  
黒い影がなによりの証拠ではある。悪魔めがけてザフィケルが跳んだ。500メートルは離れているであろう所から、ひとっ飛びで。  
しまった、気づく。今のままで果たしてダメージは与えられるのか?  
レナの持っているナントカとかいうやつの効果は果たして届いているのだろうか。レオンは背後の宿屋の扉を  
体当たりでぶち破って、ロビーに転がり込んだ。見事に大破したロビーの隅で、従業員らしき人間が2、3人  
小さくなって震えていたが、レオンは一別もくれないで廊下を走り出した。クロード達が眠っているのはどこか  
分かっている。もちろんレナもそのナントカも同じ所にある。認識するより早くからだが動いた。  
部屋に飛び込んで、レナの上着のポケットから、  
レナがいない。  
何故いないかを考える暇など無かった。どうする。壁に掛けられた拳に目がいく。クロードの、ミラージュが作った。  
柄を握った。左手で。痛みが右腕まで走ったので持ち替えた。  

チサトの目に映ったのはレオンの異様な状態で、突如現れた悪魔で、悪魔のようなザフィケルだった。  
悪魔は恐るべきスピードでザフィケルの体に巨大な鎌をねじ込んだ。切り払った。ザフィケルは縦回転の独楽  
よろしく信じられないスピードで回転した。彼の持っていた拳が遠心力に負けてどこかにとんでいった。  
不思議に思ったのは、体が今だ上下ともつながっていることだった。突然回転が止まる。どういう理屈でかはわからない。  
分からないが、ザフィケルは顔中に満面の笑みを浮かべていた。浮かべて、悪魔の頭にその拳をたたき込んだ。  
断末魔の悲鳴がネーデを揺らした。  

その悲鳴でアシュトンは飛び起きたが寝惚けた彼の頭は、状況を理解するのに全くと言って役に立たなかった。  
する気もないと言って良かった。  
彼が寝ていたベッドに頭を預けて、レナが眠り込んでいた。頭が普段の倍以上の処理速度で計算を始める。  
レナはどうやら彼を治療してくれていたらしい。傷はすっかりとは行かなかったが痛みは無かったし、  
ギョロの首もちゃんとつながっていて、  
何故、こんなに急いだ?背中の龍が鳴く。よく意味がとれない。試行錯誤の結果、どうやら龍はまだ寝ていて  
口から漏れたのは山と積み上げられた餌に向かっている夢の中での幸せの声だろうと言うことがわかった。  
2匹の頭を叩こうとしたがふらふら揺れていて手が届かない。その代わりに、アシュトンはレナの頭を揺すった。  
「レナ」  
起きない。こんな系統の話では、すぐに目を覚ますはずだが。  
レナを呼ぶ声が疑問系に変わる。異変に気づく。  
レナは、息をしていない。  
「レナ!?」  
彼は叫んでレナの蒼い髪の上から頭を叩いた。力無く垂れた頭は慣性に任せてグラグラ揺れる。アシュトンはベッド  
からはいずり出ると、レナの体を抱え  
尻餅を付いた。ぐったりと力の抜けたレナの体は華奢な体と普段の軽やかさからは想像もできないほど  
重く、彼の腕からずり落ちて床に転がる。  

蘇生だ。それに気づいたのはしばらく絶望に呆けた後だった。前にやったことがあるはずの蘇生法が  
頭の中でとぐろを巻いている。混乱した頭を一つずつ整理する。思い出せ、思い出せ。  
意識と呼吸がない。アシュトンは深呼吸して気恥ずかしさを体から追い出すと、レナの胸に耳を当てた。  
動悸もない。  
この場合はどうするか。まず危険を誰かに知らせる。いない、どうすればいい。  
するしかなかった。アシュトンはレナの額を押さえ、顎の下を引き上げた。ずる、とレナの蒼白の顔が  
天井より反らされ、喉が一直線に通る。  
もう一度確認。呼吸は、ない。  
人工呼吸。  
追い出したはずの恥ずかしさがあっさりと戻ってきた。既に初体験は済ませている。おちつけ、樽と思えばどうにでも  
なるはずがない。やるしかない。というか人工呼吸はマウストゥマウスだがキスとは違う。相手の  
口周辺を大口開いて包み込まねばならない。ロマンティックな状況などであるはずがない。相手は一応、死人だから。  
心臓はバクバク言っていたが、アシュトンは意を決してレナの口を包んだ。柔らかい、でなく息を吹き込め。  
胸が僅かに膨らむ。二回。急ぐ必要もないが口を離す。レナの顔色は更に悪くなっていた。どちらだろうか。  
次、次。心臓マッサージ。肋から骨を辿っていって両肋が一つになったところの指2本分上。  
辿っていったら、胸に当たった。反射的に指を離す。ゴメン、と無意識につぶやく、冷たい汗が背中を流れる。  
反応はなかった。当たり前だ。  

というか、胸が意外とでかく、でなく肋の一が服の所為でよく分からない。いや、これは言い訳でもなんでもなく、  
よって彼は行動に移すしかなかった。探す方法は一つでなく、  
「レナゴメンッ」  
片言だったのが不思議だ。それはともかく、彼はレナの服を前からはだけさせ、アンダーを外した。  
う、今の状態の所為かはわからないがとにかく白い胸が眼前に現れる。その頂点にはピンク色の突起。  
乳首を結んだ中点を押さえる。アシュトンはとりあえず手袋をした。直にさわる勇気は全くない。  
レナの鳩尾の上あたりに右手を当てる。開かねばならないのでどうしても左乳房に覆い被さる形になってしまう、くそ、  
変なところが反応してしまう。  
左手を添えて、ぐっと押した。  
駄目だった。レナの押さえていない方、つまり右乳がとても揺れた。顔が染まるのが分かった。  
我慢できるか疑問だった。とにかく、両目を激しく瞑って集中する。15回。15回。  
繰り返せ。大丈夫か? まさか死姦などという非人間的犯罪を犯す男か俺は?  
大丈夫だ。  

それから先はよく覚えてない。  
なにかがむしゃらに蘇生を繰り返したのは頭にうっすらと残っているが、  
レナが息を吹き返したときはあまり感情に変化が無かったと思う。  
心のどこかで、レナは死ぬ気がしないと悟っていたからか、それともなんなのかは分からないが。  
とにかく、レナが息を吹き返したとき、アシュトンはドアに直行した。  
本能による行動かは今でも分からないし、だいいち今は考えることもできない。  
ただ、レナが僅かに声を上げて、それを振り返った瞬間、  

レオンが飛び出したのはザフィケルと反対側、つまり宿の裏側だったが、そんなことは重々承知していたので  
すぐさま走り出した。  
腕がすぐに悲鳴を上げた。初めて持った剣はとても重く、片手を両手に、すぐ地面に引きずるようにしなければならなかった。  
ガリガリと音を立て懸命に走れば、すぐにザフィケルのいる宿の正面に走り出る。  
チサトが、走っていた。ザフィケルにまっすぐ。レオンは何か叫んだが、それよりも早くチサトは蹴りの姿勢に入って、  
それよりも早く、ザフィケルは宿屋をその体で突き抜けた。  
チサトは思わずたたらを踏んだ。レオンはまだチサト制止の声を上げていて、それが唐突に止まる。  
既に開いていた風の通り道に、更に交差するように穴が開いた。  
二人が呆然とその穴を見ているところで、一瞬の近郊を保った宿屋は、今度こそ潰れた。  

クロード達を助けるのが先か、ザフィケルを殺すのが先か。  
かなり厳しい二択だった。平積みに壁が倒れたその向こう側で、ザフィケルは肩を回している。  
レオンの思考は一瞬だったが、そのすぐ後に一方に限定されてしまった。  
ザフィケルは、獲物を持つレオンをその双眸で睨み付けた。  
汗がでるなどという生易しいレベルではなかった。筋骨隆々の肉体が気というかそんな物をレオンに収束  
しつつあるのが見えるようだった。  
レオンは四度叫んだ。ザフィケルに向けては二回目で、今度は恐怖を消し去るための叫びだった。  
かれた喉から、不思議とちゃんとした声が出た。チサトがまさに動かそうとしていた体を止め、  
ザフィケルはそのとき、レオンとゼロ距離射程の位置にいた。馬鹿でかいコブシをレオンの酸素の抜けつつある  
腹にめがけて振っていて、後コンマ2もあれば彼の腕はレオンを粉砕する。  
レオンは全く気づかなかった。ザフィケルのスピードは常軌を逸していて、とても目で追える  
レベルではなかった。反応などもってのほかだった。  
だから、彼はアシュトンに助けられた。  

アシュトンが瓦礫からはいずり出て、そしてレオンを見た瞬間光の如き速さで駆け出したのは、  
別にザフィケルが動いたからではない。ザフィケルの動きはかれにもみえるはずが無かったのだから。  
アシュトンの動きはまさに本能によるものだった。レオンを突き飛ばしたのはザフィケルのフックが  
レオンの腹に触れたところで、物凄い勢いで右に飛んだレオンの腹は肋骨が一本折れる程度で済んだ。  
アシュトンは勢いを殺さず、というか殺せずにザフィケルのフック(むしろアッパーと言えるほど振っていた)  
を奇跡的によけて転がった。レオンを背にして立ち上がると同時に、背後の双剣を手に引き抜いた。  
ザフィケルが動くには十分の早さだった。彼は先ほどと同じくアシュトンの眼前に一瞬で移動し、  
アシュトンの脳天に左のこぶしを打ち下ろしていた。  

そのとき、ザフィケルの顔面を炎が直撃した。  
いきなり炎で視界を奪われたザフィケルは熱さに身をよじった。髪と眉毛に引火して、それを消すために頭を  
振りたくった。アシュトンはそれが当然であるかのように落ち着いて腰を据え、双剣を円状に振り回した。  
ザフィケルの左腕に血の線が入った。彼はそのときは、レナの持つペンダントの効力圏内に入り込んでしまっていたのだ。  
ザフィケルの体に幾筋もの傷が入る。それは意識を分散させるもので、アシュトンの狙いはとどめの一点に集中していた。  
喉を突く。それが仕上げだ。火が消える前までには勝負をつけるつもりだった。事実、いつの間にか突きかけている  
確信した。だから、このとき、彼が、  
誰も予想しなかったことだ。  

アシュトンがます思ったのは、危険だと言うことだった。  
行動したのは、喉にめがけて渾身の突きをいれることだった。  

アシュトンの胸を、ザフィケルの手套が貫いた。  

 

危惧はあった、にもかかわらずレオンが動かなかったのは、やはり恐怖によるもので、  
つまりアシュトンのおかげで最悪の恐怖から脱出したレオンにとって、また身を投げることは無理だったのだ。  

アシュトンの動きが止まる。腹から喉に、そして口に、鉄の味と共に熱い感触が這い上がってくる。  

だから、この瞬間にザフィケルの動きが止まったとわかっても、レオンは動けなかったのだ。  
盛大に血を吐くアシュトンは、それでもザフィケルの腕に支えられて倒れない。  

なにをすべきか。  

レオンの目の前で、アシュトンの背後の龍が唐突に動いた。  
アシュトンが叫んだ。レオン、と。  
レオン、レオン、レオン、  
気づいた。動いた。  
レオン、殺せ。アシュトンがそう言おうとしていたのが分かったからだ。  

レオンが走り寄って思いきり剣を振りかぶれば、ザフィケルは手をアシュトンから抜こうとするに決まっていた。  
彼のまとっていたバリアのような物が効かないのには既に気づいていたから。  
龍がザフィケルの目に食い付いたため、それは失敗した。手を抜くより先に、彼は苦痛で叫んだ。  
レオンの剣を避けることができなかった。レオンの首はザフィケルの首を切り落とすことが、  

できなかった。レオンの力では、ザフィケルの首を切断することなどはかなわなかったのだ。剣は  
ザフィケルの首に数p埋もれて止まった。  
絶望がレオンの頭を埋め尽くした。最後の最後のチャンスは、もう来ないだろう。  
ザフィケルが笑ったような気がした。はっきりとは見えなかったから。  
誰かが、レオンから剣を取り上げて剣を再度振った。両腕で、腰を入れて、渾身の力で。  
レオンは背後から来た彼を見ることはできなかったが、誰かはすぐに分かった。  
ザフィケルの首を今度こそ剣が通り抜けた。クロードはまだそこかしこの苦痛に顔をゆがめながら、  
レオンに笑いかけて、  
倒れた。  

倒れたクロードを見やり、レオンはまだ立ったままのザフィケルとアシュトンへと目をやった。  
悪い予感であればよい。背中から突き出た腕は紛れもなくザフィケルの腕で、  
アシュトンは勿論双剣を地に落とし背中の二匹の龍は動こうともせずに垂れ下がっている。  
それでも、悪い予感であればよい。  
「・・・アシュトン」  
レオンは恐る恐る声を掛けた。うめき声でも上げれば良いのだ。肩に手を置いて、少しでも頭が動けば。  
一秒待って、レオンは耐えられなくなった。たまらずアシュトンの肩をおせば、あっさりと倒れる。ザフィケルを  
道連れにして。  
死んでいた。  

プリシスは見せてもらえなかった。レオンが気を取り直して闘技場へ向かったときには、既にネーデ軍が  
到着していて、傷病人含めたファンシティ訪問者は各地へと移動させられた。  
死に様を問いただせば、誰からもため息と共に帰ってくる言葉、  

 見ない方がいい  

ザフィケルの突撃時の衝撃で左半身の骨が潰れ、壁との激突で全身が蒟蒻になるには十分だったという。  
それからは想像もできなかった。レオンにはどうしても、瓦礫の中から彼女が笑って出てくる気がしてならない。  
泣きながら懇願して、入れてくれるはずはなかった。そのうちチサトが飛んできて、レオンを引っ張っていった。  
   
 ボーマン達を助けるの、  
 彼らは生きてる。  

そしてボーマン達が助け出された頃、ようやく一日が終わる。  

 
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