ファンシティでは、常に幾つもの風船が宙を舞い、騒がしい音と人々の笑い声が響いている。
レオンにとって、今までは単にうるさいだけの場所であった。しかし今日は違う。
楽しげな音が耳に入るだけで、期待で胸が膨らむのだ。
待ち合わせ場所の宿屋の入り口に立って、しばらくが経過した。
女には色々と準備が必要なの、と諭されて、しぶしぶ待っているわけだ。
「レオン、おまたせ!!」
声に気付いたレオンが振り返ると、
無人君をバッグに詰め込み終えたプリシスが駆け寄ってくるのが見えた。
「遅いよプリシスお姉ちゃん」
「へへっ、ごめんごめん。じゃあその分もいっぱい楽しもうよ!」
モチロン二人きりでね、とプリシスは付け足す。
そう言われ、レオンは思わず嬉しそうな笑みを返した。
何と言っても、今日はプリシスとの初デートなのだ。
「そんじゃ、行こっ!」
「う、うん…!」
そしてそのままどちらともなく手を繋ぎ、お互い照れつつも笑顔を交わす。
(やっぱり勇気を出して告白してよかった…)
レオンがプリシスへ想いを伝えてから、もうかれこれひと月程が経つ。
しかしこうして二人きりになるのは初めてではないだろうか。
ファンシティに到着してから、各々が自由時間を取って良いという事になり――…。
当然のごとく、一緒に遊ぼうという展開になったのだった。
しばらく様々な場所をまわった後、記念にみやげ屋を覗くことになった。
「うわぁ…色んなのあるね」
「うん…。…あれ?」
レオンはふと、奥の方の棚に見慣れない品々を見つけた。
陰にわざわざ隠してあるように置いてあるのが妙に気になる。
あの道具類、一体何の目的で使うんだろう…。
「レオン?」
ハッと気付いた時には、プリシスの可愛らしい顔が目の前にあった。
「どしたの? そんなに一生懸命になって…。何か楽しいものあった?」
「あ…うん、研究で使えるかなぁって…」
とっさに嘘をついてしまった。こんなものを研究に使うはずがない。
しかしプリシスは、レオンの嘘には気付かなかったらしい。
「へ〜、レオンって研究熱心だね。
…じゃ、邪魔しちゃ悪いから、あたしはちょっとあっちの記念品見てこよっかな」
あまりに真剣そうなレオンの顔つきに、きっとプリシスなりに気を遣ってくれたのだろう。
じゃね、と小さく手を振って、そのまま小走りに反対側の部屋へと走り去ってしまった。
プリシスが自分から離れてしまったにも関らず、胸の中は安堵感でいっぱいだった。
それ自体はひどく申し訳ない事だと思う。
折角のデートの流れを中断してしまったわけだから、
今すぐにでも追いかけて謝るべきだ…、理屈ではそう分かっている。
けれどレオンには、この道具類への漠然とした好奇心が捨て切れなかったのだ。
どうしてこんなに見えにくい場所に置いてあるのか。
扱い方はどういったものなのか。
それだけではない。
この商品には、見ているだけで心を妖しくするような何かが感じられるのだ。
少し近付いていくと、それらの多くが機械類なのだという事がわかった。
それに何だか妙な薬まである。
他の客はこの場所に気付いていないだろうと思っていたのに、
実は何人かの男達がひっそりと立っていて驚いた。
「ん? あれ、レオンもここに来てたのか」
不意に後ろから声がかかった。
聞きなれたその低い声に、レオンは思わず身体を震わせてしまう。
「ボーマンさん!?」
急いで後ろを振り返った瞬間、驚きと羞恥の混じった表情を浮かべてしまった。
別に何も悪い事してないのに…と、自分で自分の挙動に違和感を感じる。
(僕、何か変だ…。)
らしからぬ行動。そして妙にビクついた態度。
しかし、レオンが悶々としているのも知らず、ボーマンは明るく言葉を続けた。
「そういやさっきプリシスにも会ったんだぞ。あ、もしかしてお前ら一緒に来たのか?」
瞬間、レオンの顔はみるみる紅潮してしまった。
改めてプリシスとの関係を取りざたされると、やはりまだまだ照れが先立つのだ。
俯いて、顔の赤さを必死に隠そうするその様子を見て、ボーマンはニヤニヤと笑いを浮かべた。
「何だ、デート中だったってわけか。熱いねぇ…」
レオンはふと、離れているプリシスに想いを馳せた。
「…あ、あのさボーマンさん…。プリシスお姉ちゃん、どんな感じだった?」
予想外の返事に、一瞬ボーマンは戸惑ったようだ。
「何だ? お前ら、ケンカでもしてるのか?」
「違うよ!! その…ちょっと別行動とってるだけなんだ!」
向きになって反論するレオンを、ボーマンは不思議そうな眼で見つめた。
「おいおい…気になるんなら別行動するなよ。
それにしても、オマエどうしてこんな場所にいるんだ?」
辺りをキョロキョロ見回した後、不思議そうにボーマンは問いかけた。
「ど、どうしてって…。あの、ここ変な場所なの?」
「……」
なぜか黙り込んだボーマンを見て、レオンはますます不安をかきたてられた。
「ボーマンさん、この薬とか何なの?… 変なもの?」
「…お子様向けのものじゃない事は確かだな…」
お子様なんかじゃない、とレオンは反論しかけたが、プリシスとの別行動の事を思い出すと黙り込んでしまった。
そんなレオンの様子をしばらくながめていたボーマンは、突如意味ありげな表情を浮かべた。
「そうだ、これプリシスにプレゼントしてやれよ。喜ぶぞー…」
「えっ?」
しかしこれらは、どこからどう見ても女性向けの商品ではない。
「使い方は後で俺が教えてやるから…。ま、こいつでお子様じゃない事を証明してもらおうか」
何も要領を得ないレオンをよそに、ボーマンは戸棚から一つの薬をレオンに手渡したのだった。
買った薬の用途を知り、レオンは激しく後悔してしまった。
(そんなこと、出来るはずないじゃないか――…)
あの後プリシスと再び合流したものの、ろくに顔を合わせる事もできなかった。
だからだろうか。
ホテルに戻った時、
「後であたしの部屋、遊びに来なよ。ね?」
と、プリシスはもう一度レオンを誘ってくれたのだ。
「プリシスお姉ちゃん…」
扉の前でしばらく逡巡したものの、「お子様」の発言を思い出し、レオンはようやく意を決した。
どうにでもなれという思いで、一気にプリシスの部屋のドアを叩いた。
「あ、レオン!」
出てきたプリシスの表情はいつも通りだった。
少し胸が痛んだが、もう後戻りは出来ない。
「あの、プリシスお姉ちゃんに、コレあげる…!」
レオンの手に握られているのは可愛いキャンディーである。さっき買った薬の入った。
さっき買った薬――媚薬である。
「へ? あたしに? ありがとー」
視線を外しながらになってしまったが、何とか渡せた。
疑われていない事を確認して、レオンはとりあえずホッとしたのだった。
「あ、今食べてよ!」
「今? 何で? 変なレオン」
何も知らずに笑うプリシスを見ていると罪悪感を感じるが、もう後戻りは出来ない。
「入って入って! 今日ちょー面白いもの買ったんだ!」
キャンディーを口に放り込んだのを見て、レオンはますます気が重くなった気がした。