ネルにクレア。そして、タイネーブの三人は、アリアスに向けて馬を走らせていた。  
昼夜を問わぬ疾走に、疲弊した馬を何度か乗り代え、  
ペターニへと辿り着いたのは、王都を発って、日付が三回程変わった昼過ぎの頃だった。  
 
「皆さ〜ん、こっちですぅ〜♪」両手をやたら大袈裟に振り、アリアスに駐在していた  
ファリンが、三人を出迎える。  
軽い挨拶を交わし、町の郊外に泊めてある。ファリンが用意した4頭立ての『馬車』  
へと乗り込む。  
馬車の進行方向を向いて、ネルとクレアが並んで座り、タイネーブとファリンは、  
その向かいに座った。  
 
そして、数人の護衛を伴い、未だ戦闘の繰り広げられているアリアスへと馬首を巡らせる。  
 
「はい、これが今回の戦闘の資料ですぅ」そう言ってファリンは、自分が纏め上げた  
書類の束をクレアに差し出した。  
その中には、ここ数日の敵の動きや、陣形などの詳細なデータが事細かに書かれていた。  
「ありがとう、ファリン」資料を受け取り、クレアは早速、目を通した。  
 
(それにしても……)ネルは、馬車の中を見渡した。  
色取り取りの花々が馬車の中のあちらこちらに、飾り付けられて居た。  
その様はまるで、小さい頃に読んだ絵本の中に登場する  
『おとぎの国』行きの夢の馬車……という様相を呈している。  
 
「ちょっと、ファリン!…この花は何なの?!」ネルと同様に、その花々を気にしていた  
タイネーブが、堪り兼ねて同僚に噛み付く。  
馬車を調達したのはファリン。そして、こんな奇行をやってのけるのもファリン。  
タイネーブの思考には、誰がやったのか聞かずとも、既に、首謀者の名前が上がっていた。  
「ええとぉ…そこの白い花がぁ、リンドウでぇ…その黄色いのがぁ……」  
「ちが〜うっ!!」花の説明をし始めた、首謀者ことファリンを、タイネーブが制止する。  
「そういう意味じゃ無くて、何で馬車に花を飾ってるのっ?!」  
 
いつもの、『あれ』が始まったか…と、ネルはこめかみを押え、嘆息した。  
まあ、久し振りの再開だし、これもひとつのスキンシップだと思えば良いだろうと、  
自身を納得させ、そのまま放置する事にした。  
そんなネルの配慮を良い事に、二人は更に漫談を続けた。  
「あっ、これはぁ…ペターニの教会の前でぇ花を売っている娘がいまして…  
その子から買ったのですけどぉ…」  
「……話し、長くなるの?」長くなりそうな同僚の口上に、タイネーブが横槍を入れる。  
「もう少し…すぐですからぁ…」タイネーブを宥めるように、ファリンが囁く。  
「それでですねぇ……」  
 
と、再び説明を始めて、五分後…。  
「……ですから、少しでも雰囲気を和ませようと思いましてぇ〜…」緊張感の無い  
ファリンの話しが続いていた…。  
いや、本当に緊張感が無いのだ。と、タイネーブは思った。  
それに……「ファ〜リ〜ン〜〜〜!話が長いのよ――!!」ビブラートを効かせた声を発し、  
タイネーブはファリンの頬を両手で左右に引っ張った。  
「いっ、いふぁい…ぼうりょふ、ふぁんふぁいでふぅ〜!(いっ、痛い…暴力反対ですぅ〜!)」  
そう言い、ファリンもタイネーブに習い、頬を引っ張る。  
「ふぁんふぁ!いふぇるふぉふぉと、ひゃっへふふぉふぉふぁ、ひはうひょひょ〜〜!  
(あんた!言ってる事と、やってる事が、違うのよ〜〜!)」  
両者一歩も譲らない。  
 
「まぁまぁ…」  
流石に加熱し過ぎだと思い、ネルが部下の二人を窘める。  
 
がさっ…と、今まで目を通していた資料を膝の上に置くと、クレアは顔を上げた。  
二人のやり取りで気が散り、集中出来なかったのか?と、思い。ネルが彼女の様子を伺う。  
と、クレアは鼻の頭を軽く人差し指で撫でた。  
 
「何か、いい案が浮んだようだね」  
彼女のその仕草が、名案が浮んだ時のいつもの癖だと知っているネルが、声を掛ける。  
「ええ…名案では無いですけど、今回のアーリグリフの進軍についての全体図が、  
見えて来ました」  
ファリンのもたらした資料による事実と、自分の描いていた青地図がほぼ、ピタリと一致し、  
クレアは満足の笑みを浮かべた。  
「どんな事だい?」ネルは興味を覚え、身を乗り出し親友に問い掛ける。  
「まぁ、アリアスに着いてからの、お楽しみという事で…」と、にっこり微笑む。  
急く事も無いだろうと、ネルはクレアに頷いた。  
「それよりも、アリアスに着くまで、少し休みましょうか…」馬車に乗り換えたのも、  
ここ連日の疲れを休ませる理由からで有った。  
実際、馬をひたすら走らせた三人の疲労は、かなりのものだった。  
これでは、どんな行動をしても良い結果に結び付けるのは難しい。  
幾らか休めれば、アリアスに着いても即座に行動が出来る。  
「…そうだね」ネルが同意する。  
「あっ!ちょっと待ってくださぁい…」ファリンが、そう言い、自分の足元に置いて有る  
『バスケット』を取り出した。  
「ランチを用意しましたぁ…空腹では、何かと思いましてぇ」  
にこにこと微笑みながらファリンは『バスケット』を開けた。  
ハムと卵と野菜を使った、サンドイッチが綺麗な盛り付けで入っている。  
「へぇ〜あなたにしては、気が利くじゃない…」そう言い、タイネーブが手を伸ばした。  
 
パチン―  
 
伸ばしたタイネーブの手が、ファリンによって叩かれる。  
「なっ!」一体何を!という感じで、タイネーブは同僚を睨みつけた。  
「だめですぅ…お二人が先ですぅ……さあ、ネル様、クレア様、どうぞ〜〜」  
「あっ、ありがとう…」と、伸ばしたネルの腕が止まる。  
「これ……ファリンが作ったのか?」過去に、すご〜〜〜く辛い、パスタを  
食べさせられた事をネルは思い出した。  
「はい〜そうですぅ」こくこくと頷くファリン。  
(うっ…)だが、一度伸ばした手を引っ込めるのもファリンに悪い…。  
思い切って、ハムサンドをひとつ摘んだ。  
まじまじとそれを見詰めるネル。(見た目じゃ、判らないな……)  
「さぁ、どうぞ〜」  
「あっ、ああ…」ファリンに促されるまま、ひと口食べる……。  
 
「うん…(ファリンにしては)美味しいよ」空腹の為、そのままパクパクと食べる。  
「じゃあ、私も頂こうかしら」とクレアは、野菜サンドを摘んだ。  
ネルがじろリと、クレアを見る。(私を毒見役にしたな……)  
その視線に気付きクレアが、肩をすくめペロリと舌を出す。  
「私も頂くわよ!」タイネーブが手を伸ばし、卵サンドをパクリと、食べる。  
 
「……ぐっ!!」タイネーブ顔が見る見る間に、真っ赤になって行く。  
「あっ、それが当たりですねぇ…」にやりと、ファリン。  
「かっ……辛―――――――――〜いっ!!!!」ポロポロと涙を流し、暴れ回る。  
(確信犯だな……)  
(確信犯ね……)  
ネルとクレアは同時にそう思った。  
タイネーブが卵好きな事を知っていたファリン。絶対に卵を取るだろうと、  
たっぷりと、パンに辛子を塗って置いたのだ。  
「当たりは、1個だけなのでぇ、もっと食べてくださいねぇ…」  
「ぷっ…」  
「ふふふっ…」  
苦しむタイネーブには悪いが、ファリンの方が役者が一枚上手の様だった。  
二人は堪えきれずに笑い出した。  
 
−シーハーツ領 アリアスの村。  
 
敵対するアーリグリフと国境が面している為。幾度となく一方的な暴力に晒された。  
村には戦火の傷跡が生々しく残り、そこに住む人々に暗い影を落としていた。  
 
一行の馬車がアリアスに到着したのは、日も暮れ、村の人々がそろそろ眠りに就く頃合い  
の時間だった。  
 
アーリグリフ軍は、日が沈む前に『野営地』へと、帰ったらしい。  
現在シーハ―ツ側の軍事行動は、警戒の為の哨戒行動のみ、行われていた。  
 
『クリムゾンブレイド』一行到着の報を聞き、出迎えたのはクレアの二人の部下だった。  
『でこぼこコンビ』と、ネルは頭の中で勝手に呼称している。  
 
「皆さん、長旅ご苦労様です。到着をお待ちして居りました」  
ネルより5センチ程身長の高い女性が恭しく礼をし、挨拶をする。  
光牙師団『牙』第二部隊『虎牙』の部隊長、エイレーネ・ミュリエスだった。  
ショートボブの黒髪に、どことなくファリンを想わせる。おっとりとした感じを  
漂わせている。  
実際、ファリンとは仲が良く、周りを不安定にさせる程のマイペースな会話を  
時折二人で楽しんでいる。  
ネルより3歳年上で、既婚者だが、アーリグリフとの開戦直後に、夫を亡くし、  
未亡人となってしまった。 四歳になる娘が一人居る。  
防御戦に秀でていて、『シランドの盾』と呼ばれ、称される事もある。  
 
エイレーネに遅れて礼をしたのは、第三部隊『狼牙』の部隊長、エオス・ノールだった。  
麻色の髪を腰まで伸ばし、それとは対照的な褐色の肌をしている。  
タイネーブと同期で、歳も同じなのだが、身長が低いうえに、童顔が祟り、  
どこからどう見ても子供にしか見えない。  
だが、戦闘力は並外れて高く、自分の身長よりも大きい『両手剣』を  
軽々と振り回す。  
 
この二人のコンビは、まさに盾と剣で、互いが互いの力を相乗効果で高まらせている。  
今、こうしてアリアスが無事なのも、この二人の活躍が有ったからと云える。  
 
「食事を用意して有りますので、宜しければ、そちらで今後の方針などを  
検討致しましょうか?」そう切り出したのは、エイレーネであった。  
「…そうね、そうしましょう」上司であるクレアが、その提案に頷き同意する。  
 
6人はエイレーネを先頭に、昼の戦闘が嘘のように静まり返った村の中を  
散策でもするかの様にゆっくりと進んだ。  
 
ネルの先を進むエオスがネルに対し、チラリと一瞥をくれる。  
その眼差しは、まるで親の敵でも見るかの様に鋭かった。  
ネルはいつもの事なので、気が付かない振りをしてそれをやり過ごす。  
が、どうもネルは、このエオスが苦手な存在だった。  
恨みをかった記憶は無い。だが、自分の預かり知らない所で、反感を買う事などは、  
良く有る話しだ……と、割り切るしか無いのだが…。  
 
エイレーネに案内されたのは、村の有力者が所有していた家屋だった。  
所有していた。と、過去形で語るのは、その所有者が子供だけを残して、  
全員戦死してしまったからだ。  
そこを借りて、現在の『本部』としている。  
 
ネルとクレアの姿を見て、その『本部』に詰め寄っていた者達から、歓迎と安堵の声が漏れた。  
これ程心強い援軍は、シーハ―ツ領内を探しても、他に見当たらないからだ。  
 
一行が通された部屋には、一人の先客が待っていた。  
「クレア様、ネル様、ご無事な到着、何よりです!」そう仰々しく挨拶したのは、  
軍務統括部『月』のメアリー・フィロンであった。  
若干二十歳にして、幾つかの博士号を取得した才女だが、その事を感じさせない  
人懐こい性格と容姿をしている。  
肩まで伸びた栗色の髪を三つ編みにし、顔には僅かだが、そばかすが有る。  
主な任務は、戦闘には欠かせない、後方支援。つまり、物資の調達や管理を  
担っている。  
 
「お久し振りね、メアリー」クレアは、メアリーとは旧知の仲だった。  
互いに、再び無事に会えた事を喜び合う。  
「………」メアリーと親しく話すクレアを見て、ネルは複雑な心境に陥った。  
それは、嫉妬に近い感情なのかも知れない。  
(こんな些細な事で……)感情を揺り動かす自分の心の狭さを戒める。  
が、自身の感情の安定には至らなかった。  
 
暖炉の火が赤々と灯り、その部屋を暖めていた。  
部屋の中央には純白のテーブルクロスが敷かれた、長いテーブルが有り、  
その上には、家庭で良く見掛ける、ごくありふれた『食事』が並んでいる。  
シーハ―ツの未来を左右する面々の食事にしては、余りにも質素だが、  
ここに列ねている者達は皆。豪華な食事を余り喜ばない、クレアの咆哮を理解していた。  
そして、自分達も、戦争という辛い状況下の元で、粗末な食事さえ口に出来ない  
者達が居ることを、しっかりと胸に刻み込んでいた。  
 
暖炉を背にして、議題を取り仕切るクレアが正面に座る。  
そして横長の面に並ぶ様にネルが座り、その横にタイネーブとファリン。  
そのネルの対面には、メアリー、エイレーネ、エオスが並んで座った。  
しばしの談食の後、議題に入る事となった。  
 
まずは戦況報告。  
エイレーネが紅茶を啜り、喉を潤すと、穏やかな口調で報告を始める。  
「ここ数日の、アーリグリフの攻撃は散発的なもので、こちらの被害は軽微なものと、  
なっています。敵は、日が昇ると攻撃を始め、日が沈むと野営地へ帰って行きます。  
今の所、その例外的な行動は無く、その点から考察すると、今日までの戦闘目的は  
こちら側の戦力と出方を伺っている様に思われます…」  
最後は報告と云うより、自分の意見で結ぶ。  
 
「ええ…それが正解だと思います」と、部下の報告に頷くクレア。  
それは、ファリンがもたらした情報からも考えられる事で有った。  
敵が攻めて来た時の陣形が、全て防御寄りに徹していたからだ。  
 
しばし考えこんで、メアリーが発言をする。  
「……でも、解せないですね。時間が経てば相手側が不利になる事ばかりなのに……  
物資だって減るだろうし、私達の増援だって来るのですから…」  
後方支援を取り仕切る、メアリーらしい疑問が沸き起こる。  
「敵も増援待ち…とか?」と、遠慮がちに発言をしたのは、エオスだった。  
「ええとぉ…それは無いと思いますぅ。敵の王都、及びカルサアに潜入している方々の報告からはぁ、  
敵部隊の目立った行動は、報告されてませ〜ん……以上ですぅ」  
言い終えるや否や、ファリンはデザートにかぶりついた。 
 
「敵将は確か……」と、ネル。  
「『風雷』第二師団のロズウェル・ブローニです…師団構成員ほぼ全数の千五百名が  
確認されています」と、エイレーネ。  
「対するこちらは、第二、第三部隊、合わせて1千名弱……今こちらに向かっている  
増援部隊を入れれば、やっと、同数になりますけど…」  
溜息混じりで、メアリーが報告を引き継ぐ。  
「ロズウェルって、確か…」名前は聞いた事が有るが、顔が思い出せない…。  
腕を組み、ネルが考え込む。  
「顔に似合わず、緻密な戦略を立てる方ですよ…」と、クレアがネルに  
助け舟を出す。  
(顔に…)  
(似合わずぅ?…)  
タイネーブとファリンはクレアの、その台詞を聞き、顔を見合わせた。  
彼女の部下であるエイレーネと、エオスも同様に顔を合わせる。  
クレアが他人に対して、そういった類の比喩を使う事が、大変珍しかったからだ。  
 
実は、ここ数日一緒に居た人物が要因で、クレアの思考は本人も気付かぬうちに  
その者に毒されていたのだが…。  
「ああ…あの、霊長類のボスか…」その原因の人物である、ネルが更に辛辣な表現を使い、  
納得とばかりに頷いた。  
 
ネルの言葉により、会談の場の流れが一時止まった。  
他の者達が笑いを堪えるのに必死だったからだ。  
 
「そういえば、馬車の中で言っていた事って何だい?」自分の発言をさらリと流し、  
ネルはクレアに話題を振った。  
「えっ?…」クレアが、きょとんとした表情で、小首を傾げる。  
「ほら、全体図が、どうとかって…」ネルは更に言葉を付け足した。  
「ああ…」理解し、クレアはこくりと頷く。  
「この時期に、アーリグリフが進軍して来た理由ですよ…」テーブルに肘を乗せ、  
腕組みをすると、ネルにそう答えた。  
「理由?…単純に気を照らした、だけじゃ無くて?」  
「ええ…初めに敵将の名を聞いて、何となくは感じていたのですけど…」  
少し、間を置き。  
「シュバルツ公爵は、知ってますよね?」  
「ああ、アーリグリフ王の遠縁に当たる……確か、この戦争を最後まで反対していた、  
急進的存在の……今はどこかに、軟禁されているらしいけど…」  
ネルは、自分が知り得る情報を羅列する。  
「ええ…」クレアは頷き、言葉を続けた。  
「今は師団長に甘んじてますけど、ロズウェル候は、そのシュバルツ公爵の片腕的存在  
でした……」  
「って、まさか!!」  
その言葉の意味する事を理解し、声を一際大きくして、ネルが浮き足立つ。  
「こんな無謀な状況下での遠征……見捨てているとしか思えません…」  
クレアの言葉を聞き、その場がざわめく。  
「公の場での、粛清……」ネルが口にする事を躊躇った台詞を、メアリーが  
言葉にする。  
 
「はぁっ……」ネルは一際大きな溜息をつき、椅子の背もたれに寄り掛かる。  
例え味方でも、自分の意に介さない者は切り捨てる……。  
これが、以前クレアが言っていた、人の『狂気』と、云うものなのか……。  
敵将ながら、ロズウェルに同情すら、ネルは感じた。  
 
だが、こちらが負ける訳には行かない。  
シーハ―ツ全ての臣民の生命と未来が、自分達の双肩に掛かっているのだ。  
 
クレアが今後の作戦行動を説明する。一同全員がその案に同意し、頷いた。  
 
「勝負は、三日後です……」全員の前でクレアはそう、宣告した。 

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