テーブルの上の料理もほぼ片付いた頃、作戦内容の細かい打ち合わせも終わり、  
時刻は深夜を回って、新しい日付へと変わっていた。  
 
あと数時間もすれば東の空が白み、再び戦闘が始まる。  
そして、悪戯で残酷な運命を『束ねる何者』かが、争いに加わった者達をいつもの様に、  
二つの籠へ選り分ける。  
 
明日の太陽を『拝める者』と、『拝めない者』の二者へと…。  
当然の事ながら、誰がどちらの籠に入れられるか等は、まだ決まっていない。  
選り分ける者が、気まぐれな性分だからだ……。  
 
詰めの打ち合わせを続けるクレアとメアリーを部屋に残し、他の面々は明日へ備え  
身体を休める事にする。  
 
親しい関係の二人だけを、部屋に残す……。  
その状況はネルにとって、心穏やかな出来事では無かった。が、  
『物資』と『人員編成』と云う、自分が入り込む余地の無い題材が中心であった為、  
二人を横目で見つつ、その場を去るしかなかった。  
 
「あの…少しお話しを、宜しいでしょうか?」  
部屋を出てすぐの、蝋燭の薄明かりが灯る廊下。  
クレアの件で消沈気味なネルに、感情ガ余り篭ない無機質な言葉を掛けて来たのは、  
意外にも時折ネルに対して敵意を剥き出しにするエオスだった。  
 
(へぇ……珍しい事も有るもんだ)エオスの顔をしげしげと見詰め、その真意を探る。  
エオスは、そんなネルを避けるかの様に、目を合わさず、俯き加減で返答を待っていた。  
(まぁ、いいか…)今一人で居ると、ろくでもない考えしか浮びそうになかった。  
それに、彼女を拒む材料も特に見当たらなかったし、普段疎遠なエオスから切り出した  
『話し』にも少なからず興味もあった。  
 
ネルは「ああ…」と、簡潔に応え、招待に応じた。  
 
その返事を聞き「では、付いて来て下さい…」と、くるりとネルに背を向けエオスは歩き出した。  
(ここで話をするのは、まずいのだろうか…)人に聞かれたくない話題なのか、  
それとも……。  
考え込むネルに気付いたのか、エオスが歩みを止め、振り返る。  
(……まぁ、いいか)溜息にも似た呼吸を一息つき、ネルは後を付いて行く事にした。  
 
二人は仮の『本部』舎を出て、村の中を進んだ。  
この村に到着した時とは違い、親友も部下も居ず今は二人だけ…。  
二人の足音と、衣擦れの音が静かな村に響いた。  
その音に呼応して…では、無いと思うが。野犬の類だろうか……時折遠くで、  
何かが吼える鳴き声が聞こえて来る。  
 
ネルが前を行くエオスの後ろ姿へと目線を向ける。というより、自然とそちらに  
目が行った。  
身長が低い所為か、その歩き方が、ひょこひょこと妙に可愛らしかったからだ。  
その歩みに合わせるかの様に、彼女のサラサラな麻色の髪が、面白い様に揺れ動いた。  
(……大きな、赤いリボンが似合いそうだな)この状況で、不謹慎とも思える  
想像をネルは始めた。こうして歩いているだけなら、『可愛い』のに…と。  
 
エオスから敵意の眼差しを向けられ始めたのは、いつの頃からだったろうか…。  
考え込むネル。  
(確か…)そう、クレアと二人、『クリムゾンブレイド』の称号を王女陛下から  
請け賜った後の事だったと思う。  
(…まさか)とは思うが、クレアとの関係を羨んでの事では無いのだろうか?  
そんな筈は無い。と、自分の考えを一笑に付し、ネルは大きく頭を振った。  
だいいち、クレアとは羨まれる関係などでは無い。親友で有り、信頼の置ける同僚、  
それだけの事だった。  
羨まれる関係に……なりたいとは思った事は有るが。  
 
(………)  今が夜で良かったとネルは思った。  
今の自分は絶対に頬が赤くなっている。顔が熱い程に火照っているからだ…。  
日の光に晒されたら、その事がばれていただろう。  
クレアの事を考えると、いつもそうなってしまった。  
 
エオスがピタリと立ち止る。  
(!!)ネルは思考を読まれたのかと、どぎまぎとしたが、  
どうやら目的の場所に辿り着いた様だった。  
 
村外れに一本だけ生える『楡の木』……。  
首を大きく上に向け、少し体を仰け反らせると、やっと先端が視界に入った。  
それだけ大きな木だと云えた。  
確かその木には、何かの『言い伝え』が存在したと思う。  
遠い昔に災厄に見舞われた村を救った、通りすがりの旅の者が植えたもの。とか、  
村を荒らした物の怪の類を封じた、符術師が木に姿を変え、今も尚村を守り続けている、  
とか…どこにでも有る、ありふれた解釈のものだったと記憶している。  
 
その木の下で立ち止ったエオスが、ゆっくりとこちらを向いた。  
薄暗がりで表情は見て取れない。が…。  
 
(まさか…)果し合いでは、無いだろうか?  
ネルにそう思わせる程、エオスは必要以上にピリピリとした緊張感を漂わせていた……。  
必然とネルも身構える。  
 
「すみません…ここからは、『クリムゾンブレイド』のネル様では無く、  
一個人としての、ネル・ゼルファーとお話ししたいのですけど、  
宜しいでしょうか?」  
慎重に言葉を選んでいるのか、ゆっくりと、そして、無機質な口調で、ネルに語りかける。  
その言葉使いと、様子からは、相変わらず真意の程は掴めない。  
 
「ああ…構わないよ」ネルは胸の前で腕組をし、短く応えると小さく頷いた。  
 
自分にとっても、その方が都合が良かった。  
歯に衣を着せた様な会話を交す事など、元々自分向きでは無いし、好みでも無かった。  
それに、だらだらと問答をやり取りしても、解決する事は意外と少ない。  
それなら、ばっさりと腹を割って話し合った方が、お互い遺恨も残さないだろう。  
 
そんな決意にも似た思いを抱いたネルの顔をじっと見詰め、  
エオスが躊躇いがちに口を開く……。  
 
「貴方は……クレア様の事を、どう思われてますか?」エオスは、前振りも無く、  
いきなり核心と思われる話題に触れた。  
「えっ?!」どんな内容の話しが飛び出すのかと、身構えていたネルだったが、  
さすがにその話題についての準備と回答は用意していなかった。  
敢えてその話題について外していた、という方が正解かも知れない…。  
他人に余り触れて貰いたく無い話題だったからだ。  
 
「………」ネルは俯き、唇を噛んだ。  
エオスから提出された話題を上手くはぐらかす事も出来ない、不器用な自分を恨みながら…。  
かといってこの場を誤魔化し、取り繕ったとしても、性格からして自分らしくないと、  
『嫌悪感』を後に湧き上がらせる事までも承知していた。  
 
当然の事だが、クレアに対して募らせている。内に秘めた淡く切ない想いなど、  
他者に語れるものでも無く、その事自体もエオスに対しての回答から削除された。  
 
二人に沈黙という、無為な時間が過ぎて行く。  
その沈黙を打ち消すかの様に、風が鞭のような音を経て、耳元をすり抜けた。  
 
エオスはネルの沈黙を自分に対しての回答と受け取り、一際深い溜息をつくと、  
首を左右に大きく振った。  
「やっぱり……まだ、『戻って』無い様ですね………」悲しみにも取れる表情を  
無機質だった顔に貼り付け、静かに呟く。  
怒りと無機質、それ以外にネルに初めて見せる表情だった。  
 
「……『戻って』ないって、どういう意味だ?」行き成り出されたクレアについての難題も  
片付かないまま、今度は理解出来ない言葉を付き付けられ、不安を募らせる。  
 
ネルへの回答の代わりに、エオスは再び首を大きく左右に振った。  
握り締めた小さな拳がふるふると震え出す。  
そして、いつもの様にネルを睨みつけ、腹の底から言葉を搾り出した。  
「あなたがそんなだから!……そんな事だから!!……クレア様は!!!」  
 
エオスはそこまで言うと、言葉を詰まらせ肩を落とし、身体を震わせた。  
(泣いているのか?…)彼女の事も気になる……。  
だが、エオスには悪いが、言葉の続きが気になった…。今までの会話とクレアが、  
どう繋がっているのか…と。  
暗くて良く判らないが、顔に掌を持って行ったことで、涙を拭ったのだと理解出来た。  
そして、気持ちを少し落ち着けたのか、エオスは再び口を開いた…。  
 
だが、その場に再び言葉として発せられたのは、エオスのものでは無かった。  
もちろん、エオスの言葉を待つネルのものでも無い。  
 
「エオス!!」  
言葉と云うよりは、叫び声に近い言葉かも知れない。  
呼ばれたエオス自身も、側に居たネルさえも、その声に同時にビクリと肩を震わせた。  
「クレア様!!」その言葉に呼応するかの様に、エオスが一際高い声で、その声の  
主の名を呼んだ。  
(…クレア?)エオスの驚きの、表情の先を追ってネルが顔をそちらに向ける。  
確かにそこには、見知った顔のクレア自身の姿があった。  
ネルは、そこで初めて声の主がクレアで有った事を理解した。  
言われてみれば、クレアの声だ。  
だが、聞き慣れているネルの判断を鈍らせる程、その声は普段のクレアとは程遠いものだった。  
自分の知っている親友は、怒りに任せて声を荒げる事など無いからだ。  
軍を指揮する時は、確かに声を荒げる時も有る。が、そこには必ずといっていいぐらいに  
彼女特有の気品と優雅さが織り込まれていた。  
先程聞いた声は、怒声というか、只の品の無い怒鳴り声でしかなかった。  
 
クレアが、つかつかと二人に近付く。  
普段と違う様子の親友に戸惑うネルの前を素通りし、エオスの前で立ち止る。  
「あっ…あの…クレア様、これは……」明らかに怒りの様相な、上司を前に  
狼狽するエオス。  
 
―パァン!  
乾いた、弾ける音が響く。  
と、同時にエオスの小さな身体が吹き飛んだ。  
 
クレアが二人の前に現れたのは、偶然という要素を含んだ必然的なことだった。  
メアリーを残し全員が退室した後、二人の打ち合わせが始まった。  
が、少ししてクレアは、何とも形容のし難い言い知れぬ不安に襲われた。  
胸の辺りが何か見えないモノで圧迫され、掻き回されている様な感覚……。  
 
「クレア様?」メアリーが只ならぬ様相のクレアに気付き、声を掛ける。  
クレアは、そんなメアリーを手で制止し、レースのカーテンの掛かった窓へと  
歩み寄った。  
どうしてなのか判らない……。虫の知らせなのか、勘の類なのか、とにかく  
窓の外が気になって仕方が無かった。  
 
レースのカーテンをゆっくりと捲る。  
夜空にはキラキラと、散りばめられた宝石の様な星星がまたたいている。  
村の民家がシルエットだけ浮き上がらせ、押し迫って来る様な圧力を滲み出していた。  
 
「…!!」クレアの視界に二人の人影が飛び込んだ。  
一人は部下のエオス……そして、もう一人は………。妙な知らせは、クレアの  
希有に終らなかった。  
 
「ごめんなさい!メアリー、少し席を外します!!」  
その言葉を口にした時、既にクレアは部屋の出口へと向かっていた。  
そのままの勢いで扉を空け、部屋を後にする。  
「あっ、クレア様!」メアリーが慌てて声を掛けた時には、姿どころか、  
気配すら側には無かった。  
 
(確かこっちに…)二人が消えた方向を、くまなく探す。  
そうしている間も、焦燥感が火種となり、クレアの心の中で燻り出した。  
二人が一緒に居る事…それはクレアにとって、有っては無らない事だった。  
何故なら(エオスは…)ギュッと唇を強く噛む。  
もしかしたら、血が出るのでは無いかと、云うぐらいに強く。  
 
(!!)僅かに声が聞こえた、間違い無く、人の声だった。  
クレアは辺りを伺った。  
大きな『楡の木』が有る………そして!!  
 
強烈なクレアの平手打ちで、勢い良く倒れ込むエオス。  
親友の思いも掛けない行動に、ネルは言葉も無く、立ち竦んでしまった。  
全く状況が掴めずどう対処していいのか、判らない状況だったからだ。  
 
そんなネルを他所に、クレアが言葉を続ける。  
「何をしているの?」平手打ちを頬に受け、倒れ込んだエオスを一瞥し  
問い掛ける。  
「あっ…もっ、申し訳有りません…!」打たれた頬に手を宛て、エオスはそう言うのが  
精一杯の様子だった。  
クレアの全身がわなわなと震え出す。同時に、ぞくっと、ネルの全身の毛が逆立った。  
クレアから湧き上がった波動…それが『殺意』に近かったからだ。  
「クレアッ!!」溜まらずネルは傍観者から、擁護する者へと、立場を移し、  
二人の間に割って入った。  
「どうしたんだい!クレア?!」ネルは親友の両肩を掴み、大きく揺すった。  
夢から覚めたかの様に、クレアの表情が変わる。  
そして、『殺意』も………。  
 
ぐったりと疲れた様に、ネルに身体を預けるクレア。  
「……すみません、部下が失礼な事を…」そういう問題では無いとは思ったが、  
ネルは口にする事を見送った。  
 
ネルはクレアに気付かれぬ様に、エオスに目線で合図を送った。  
エオスは、こくりと頷き立ち上がると、軽くお辞儀して村の方へと走り去った。  
その姿を見送り、ネルは親友の頬を優しく撫でた。  
心なしか今のクレアは、ネルが不安になる程、壊れてしまいそうな儚さを湛えていた。  
そんな儚げな親友を守り、包み込むかの様にそっと優しく抱きしめる。  
「クレアらしく無いよ……」何が原因かは判らない…。が、怒気も殺意もクレアには  
相応しく無い事だけは理解出来る。  
「私らしくない……そうですね…そうかも知れません……」自分に言い聞かせる様に  
聞き取れたのは、ネルの思い過ごしなのだろうか……。  
 
「ねぇ、ネル……もう少し、このままでいいですか?」  
「んっ?」クレアに言われて、初めて気が付く。  
ネルはクレアの身体を抱きしめたままだった。  
意識し始めると、気恥ずかしさと共に、クレアの温もりがネル自身に伝わって来た。  
優しく、静かな息使い。そして、ほのかに香る甘い様なクレアの匂い……。  
 
「ああ、いいよ…」ネルは頷き、そのまま抱きしめる。  
 
例によって、心音が高まり、ネルの敏感な花芯が疼き出す。  
(今夜は、眠れそうにないな……)クレアを感じ、昂ぶる自分を鎮めるのは容易では  
無いだろう。  
 
この後の為に、その温もりと匂いを、ネルは思考の中に深く記憶した。 

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