カルサアの風は埃っぽい。タイネーブは短い金髪を手ぐしで少しなりとも整  
え、そして深呼吸する。隣を歩くファリンは、そんなタイネーブを見て苦笑し  
ている。  
 隣の家との違いなど目につかない、良く似た佇まいの民家の前で二人は足を  
止める。入り口に近づくと、ドアは内側から開かれた。  
「ようこそ、時間通りですね」  
 暗い赤髪の男性が顔を出す。タイネーブとファリンは屋内に入った。  
「アストールさんおひさしぶりですぅ」  
「……お元気ですか」  
 タイネーブとファリンは、アストールにぺこりと頭を下げた。  
「久しぶりですね。こちらはつつがなく。あなた方にはお変わりありません  
か?」  
 特徴のない平凡な顔立ちに、アストールは柔和な笑みを浮かべている。  
 タイネーブはアストールの方に体を向けながら、視線だけを反らしている。  
顔が少し赤い。そしてタイネーブを見つめるアストールの瞳はとても優しげだ。  
(まったく、この二人はいつまでこのままなんですかぁ?)  
 随分前から互いに好意を持ちつつも、一向に進展しない二人を、ファリンは  
じれったく思っている。  
「……ネル様からです」  
 タイネーブは蝋で封をされた書簡を差し出す。その手は震えている。  
 アストールは無言で受け取って開封した。  
 
(んもう。手ぐらいにぎったらどうですかぁ〜)  
 ファリンは一人でいらいらしている。  
 アストールは読み終わった紙片を暖炉にくべ、燃え尽きていくのを眺めてい  
た。その横顔を、タイネーブは夢見るような目で見つめている。灰が崩れるの  
を確認したアストールが振り向き、タイネーブと目が合う。微笑するアストー  
ル、そしてうつむくタイネーブ。  
「え〜い! 二人とも何やってるんですかぁ!」  
 ファリンはとうとう心中を声に出してしまった。アストールとタイネーブは  
きょとんとしている。  
 しまった、と思いつつ、引っ込みがつかなくなったファリンは続けた。  
「好き同士が、それもいい大人が、なぁんにも進まずにいるのって、いらいら  
しますぅ!」  
 タイネーブはものすごい勢いで首を振った。  
「なななな……何言ってるのよファリン! わ……私にとってアストールさん  
は頼れるお兄さんみたいな素敵な人で……そのぅ……」  
 熟れたトマトのように赤くなった後、タイネーブはドアに向かってダッシュ  
した。  
「私、ちょっと頭冷やしてきますっ!」  
「ちょっとタイネーブ、どこ行くですぅ?!」  
 ファリンの静止をふりきり、タイネーブは街中へ走って行った。  
「隠密らしくない行動ですねぇ」  
 ぼそりと呟き、振り返ったファリンは動揺した。  
「『お兄さん』か。そうか……なるほど……はははっ」  
 アストールは乾いた笑いを響かせていた。ファリンが見たこともない虚ろな  
表情であった。  
(やばいですぅ)  
「アストールさ〜ん?」  
 
 アストールはテーブルの上で手を組み合わせ、上に額を載せた。  
「彼女にはもうこの世にいない兄がいましたね……私はその代わりという訳で  
すか」  
(これはファリンのせいです……よねぇ? まずいですぅ。何とかしないとい  
けないですぅ)  
「アストールさん、タイネーブはあなたを一人の男性として好きなんですぅ。  
良く一緒にいる私が言うんだから、間違いないですよぉ」  
 ファリンは焦りながら言った。しかしアストールから返ってきたのはこんな  
答えだった。  
「慰めてくれてありがとう……」  
「どうしてそうなるんですかぁ!」  
 ファリンはテーブルをばしん、と叩いた。ついでにアストールの頭も叩いて  
しまった。  
 母親に叩かれた子供のように頼りなさそうな顔をして、アストールはファリ  
ンを見上げている。  
「タイネーブを連れてきますぅ。それまでにいつものアストールさんに戻って  
おいてくださいですぅ」  
 ファリンは通りに出て行った。  
 
 タイネーブは通りで猫をなでなで、ため息をついていた。  
「はぁ……」  
「ニャーン」  
「ふぅ……何やってんだろ私……」  
「ニャーン」  
 猫はタイネーブの独り言に、律儀に返事をしている。通行人は、タイネーブ  
を哀れみの目でちらりと見、足早に去っていく。  
「んもう! タイネーブは馬鹿ですかぁ?」  
 呼ばれて、タイネーブはぼーっとファリンを見ている。  
「どうせ私は馬鹿だよ」  
「ニャーン」  
「開き直りはカッコ悪いですよぅ」  
「カッコ悪い……まさに今の私のことだよね」  
「ニャーン」  
 猫はタイネーブの指を舐め始めた。  
「あははっ、舌がざらざらしてくすぐったいな」  
 トラ模様の猫の行動に、タイネーブは和んだようだ。ファリンがぽそっと言  
った。  
「人間の舌はざらざらしてないですよぅ」  
 タイネーブはきょとんとしていたが、すぐにボッ、と赤くなった。ファリン  
は笑った。  
「タイネーブはやらしいことを想像しましたねぇ?」  
「ししししてないよ」  
 ファリンはいつも通りの眠そうな顔と声だったが、意地悪さが見え隠れする。  
「その猫ちゃんより、アストールさんに舐めてもらった方が楽しいですよぅ」  
 タイネーブは赤面したまま絶句している。  
 
「……ファリンってば」  
 ぽそりとそれだけ言うと、タイネーブは猫ののどをなでる。ごろごろと低い  
音がした。  
「タイネーブ、自分に素直になるですぅ。私たちの仕事内容はこんなでしょ  
う? タイネーブやアストールさんが、明日死んだってなんにも不思議じゃな  
いんですよぅ? そんなことになったら、自分の気持ちを伝えられなかったこ  
と、どんなに後悔することになるかわかんないですよぅ?」  
 ファリンとしては、ここはすこし脅しをかけてやらないと、というほどのつ  
もりだった。しかし彼女のこの台詞を聞いたタイネーブは固まってしまった。  
 動かなくなったタイネーブの手を、猫は再び舐め始める。  
「ニャーン?」  
 猫はタイネーブの脚に体をおしつけて、すりすりする。猫のしましまの毛並  
みの上に、ぽつんと水滴が落ちた。タイネーブは泣き出していた。  
 ファリンはぽかんと口を開けた。  
「想像しただけで泣いちゃったんですかぁ?」  
「だ……だってファリン……ぐすっ」  
 ファリンは唐突にタイネーブの頭を抱いた。  
「ちょっとファリン!?」  
 むにゅっと柔らかな胸の感触に、タイネーブはどぎまぎする。  
「私が悪かったですぅ。ごめんなさい」  
「……ファリンは何も悪くないよ」  
 タイネーブがファリンの胸の中から顔を上げると、ファリンは母親のような  
優しい笑みを浮かべていた。  
「それじゃ帰りますよぅ。アストールさんが心配しますぅ」  
「……うん」  
 二人は何となく手をつないで、アストールの隠れ家に戻って行った。  
 
 アストールは夕飯の準備を始めていた。  
「アストールさん、このお鍋はなんですかぁ?」  
 ファリンはキッチンの片隅の鍋をのぞいている。  
「オール・スレイヤーの主人にいただいたものですよ」  
 ファリンはフォークで、鍋の中をつついてみた。ホワイトソースの上にチー  
ズが焼き付けられている。その下はトマトソースやらひき肉やらがいっぱいだ  
った。  
「この料理……もっとナスが入ってるはずじゃありませんかぁ? 何だかやけ  
にトマトっぽいんですけどぉ」  
 ファリンは、武器屋の女主人のことを思い出して嫌な予感がしてきた。  
「そうなのかい? 私はその手のことには疎くて良く分からないが」  
 アストールは、ジャムの瓶を見ている。残り少ないことを気にしているよう  
だ。  
「私、ちょっとオール・スレイヤーまで行ってきますぅ。しばらく戻ってきま  
せんからぁ」  
 ぎこちない動きで果物の皮をむいているタイネーブに声をかけると、ファリ  
ンは出て行った。  
 
 キッチンの中は、気まずい沈黙が続いた。アストールは、瓶のフタを開けた  
り閉めたりを繰り返していた。そして、思いきり強く閉めてしまった。ようや  
く決心したアストールはすっと立ち上がった。  
「タイネーブ」  
「は、はい?」  
 包丁を持ったタイネーブは不安そうな顔をしている。アストールはにっこり  
と笑った。しかし緊張のあまり少しひきつっていた。  
「私は君が好きだよ……君にとって私は兄代わりでしかないのかもしれない  
が」  
 タイネーブの手から包丁が落ち、床にさくっと突き刺さった。  
「大丈夫かい!?」  
「すいません……何ともないです……」  
 涙をぽろぽろこぼし始めたタイネーブの肩をアストールはつかむ。  
「タイネーブ?」  
「……ご、ごめんなさい……あの……びっくりして……あんまり嬉しくって…  
…」  
 タイネーブの純な様子に、アストールはたまらなくなった。そのままぎゅっ  
と抱きしめてしまう。  
「アストールさん……あなたは私の兄とは違います」  
 タイネーブはアストールの胸に顔を押しつけた。ファリンとは全く違う、か  
っちりした感触だった。  
 顔を上げると緊張のあまり怖い顔をしたアストールが見下ろしてくる。タイ  
ネーブは震えながら顔を近づけて目を閉じた。  
 アストールはそのままタイネーブに口づけした。腕の中のタイネーブは細か  
く震えている。落ち着かせようと背を撫でるが、アストール自身も足元から震  
えてきてしまっている。  
 
 二人は唇を離し、はぁはぁと息をついだ。  
 タイネーブは懸命に勇気をふりしぼって言った。  
「アストールさん……私を抱いてください……」  
「は? え!?」  
 アストールは本来細い目を大きく見開いている。タイネーブは赤くなりなが  
らも、じっとアストールを見つめながら言う。  
「ファリンに言われて気づいたんです、私たちはいつ死んでもおかしくない。  
だから……」  
「……タイネーブ」  
 体を寄せてくるタイネーブが愛しく、アストールは彼女を寝室に連れて行っ  
た。緊張しきっている二人の足取りはあやしかった。  
 
「あんまり見ないでください……私の体、女らしくなくて……」  
 タイネーブはベッドの上で肌をさらした状態で、顔だけを隠していた。  
「君はとてもきれいだよ」  
 アストールは顔をおおっているタイネーブの手を取ると、顔をじっと見下ろ  
す。  
「アストールさん、恥ずかしい……」  
 顔をそむけようとするタイネーブの頭を抱き、アストールは軽いキスをする。  
空いた方の手は、壊れ物を扱うかのようにタイネーブの体をそろそろとなでて  
いた。しかし軽くふれているだけだったアストールの手の動きも、少しずつ変  
わっていく。  
 胸をもまれても特に何も感じないタイネーブだったが、アストールに生まれ  
たままの姿を見られ、体に直接触れられているというだけで、恥ずかしさと嬉  
しさで体が熱くなってしまう。  
 アストールはタイネーブの胸に顔をうずめ、感触を味わった。次に乳首を口  
に含む。  
 
「……あっ?」  
 タイネーブが困ったような声をあげる。アストールは軽く吸うと、わき腹を  
なで、しっかり割れた腹筋の凹凸をなぞる。  
「アストールさんっ……」  
 しびれるような快さを感じ始めたタイネーブが、アストールの名を呼ぶ。  
 アストールはタイネーブの股間に顔を埋めた。女の湿った匂いがする。割れ  
目にそって舌を動かすと、タイネーブは悲鳴のような声をあげて腰を浮かせた。  
 アストールは顔を離した。体を起こし、タイネーブを見下ろす。何かを我慢  
しているような表情のタイネーブが見上げてくる。  
「わ……わたし……大丈夫ですからっ」  
 タイネーブの細い声にアストールは熱い衝動を感じた。それと同時に「優し  
くしなくては」という思いも強くなり、ひどく緊張してきてしまった。そして  
……。  
(あれ……? なぜ……?)  
 さっきまでやる気満々だった彼自身が急にしおれてしまっていた。  
「アストールさん……?」  
 タイネーブの不審そうな声が、焦っているアストールには責めているように  
聞こえてしまう。  
(なんということだ、このままでは事に及べない……)  
 アストールは崖に追い詰められたような気分になっていた。  
 
 ファリンはオール・スレイヤーの女主人を問い詰めていた。  
「あの鍋の中身は、普通の肉なんでしょうねぇ?」  
 女主人はけらけらと笑った。  
「もちろんですよ。死んだルムの肉なんか使ってませんよー」  
「……じゃあ何の肉なんですかぁ?」  
 女主人と話ながら、ファリンはタイネーブたちのことを思っていた。  
(今ごろ、アストールさんとキスぐらいには進展しているといいですけどねぇ  
……アストールさんに優しくされて……)  
 緊張のあまり手も足も出なくなってしまったアストールを、タイネーブが押  
し倒すような形になってしまっていることを、この時点でのファリンはまった  
く知らなかった。 

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