それは、ある寒い冬の朝のこと。
いちばん早く起きて身支度を整えたネルは、いつものようにアルベルを起こしに
部屋へと向かった。
窓の外はまだ暗く、白い雪がアーリグリフの町を真っ白に変えていた。
どこまでも白い町。怖いぐらいに静かな朝だった。
ノックぐらいで起きないのはわかっているが、それでも他の宿泊客の妨げにならぬ程度に
軽く扉を叩いて名乗ってから部屋に入ると、予想通りアルベルはまだ眠っていた。
ベッドの空いた場所に腰を下ろして男の寝顔を伺うと、軽い寝息が聞こえた。
アルベルが父親と左腕を失ったときの悪夢に苛まれてよく眠れないのは、
部下からの報告書で知っていた。
それを読んだとき、こんなことまで調べてしまう自分の職業を呪った覚えがある。
知られたくないであろう傷なのに、記録は永遠に残ってしまう。
だからといって、自分の一存で破棄するだけの勇気も当時のネルにはなかった。
自分が父を亡くしたときはあんなに苦しかったのに。思い出すだけでも胸が痛い。
相手が敵国の将軍だったら何をしてもいいなんてことは絶対にない。
謝ろう。謝って記録を破棄して……しかし、今さらのようにそんなことをして許されるのか?
疑問は尽きなく、答えの出ないまま今までこうしている。
だから時間の許す限り寝かせておいてやるのはネルのせめてもの心遣いだった。
ぎりぎりまで寝かせておいて、長い髪などの身支度は手伝ってやればいい。
しかし今日は、まだ他の誰も起きてくる気配はないからまだ起こさなくていいだろう。
大雪なので誰もベッドから出てこようとしないのだろうか。
ネルは眠るアルベルに手を伸ばして顔にかかる髪をそっと払った。
床に落ちている長い後ろ髪も、軽くはたいてベッドの上に戻してやる。
さらに毛布をかけなおしてやりながら、自分ももう一眠りしようかと思った。
「今日は外には出られねぇよ」
不意に声がしたので見ると、アルベルが薄く目を開けてこちらを見ていた。
「これから猛吹雪だ。出たら戻れなくなる」
カルサア育ちといえども、さすがはアーリグリフ生まれといったところか。
ネルには全くわからない雪の様子など、窓からひと目見ただけでわかったようだ。
「ごめん、起こしたかい」
慌ててネルは立ち上がろうとしたが、アルベルに袖を引かれてまた腰を下ろした。
「テメェが入ってきた時にな」
「え……」
「何でテメェが毎日そこに座ってるのかは知らねぇが――」
クク、と喉を鳴らして笑うアルベルに、ネルはやや頬を赤らめた。
「俺のことは気に食わねぇんじゃなかったのか。クリムゾンブレイド」
反射的に赤い瞳から逃れるように顔を背けた。
「そうだよ……」
力のない声しか出ない。
「あんたのことなんか大嫌いだよ」
それでもその場を動かなかったのは雪の町の静けさを乱したくなかったからかもしれない。
アルベルも起き上がろうとはせずに、寝転がったままこちらをきつい視線で見上げている。
「何でだ」
「あんたは敵国の人間だから」
「和平したぞ。もう忘れたのか」
「あんたはシーハーツの人間を殺した」
「そう言うテメェは何人殺したんだ」
「あんたは……」
「もう終わりか?」
冷たい言葉で、わかってはいるが考えたくなかったことを次から次に言われて
涙で視界が歪む。
何てひどい男なんだろう。
そう思ったとき、男の手が顔に伸びて涙を拭った。
「テメェ自身の理由はないのか?
さっきからテメェが並べてんのは他人の理由だろうが。自分の理由を言ってみろよ」
私の……理由……?
涙が再びあふれ出した。今度は止められそうにない。
今まで人前で泣いたことなんてなかったのに、何でこの男の前で泣いたんだろう。
「泣くな」
「うるさいね!」
理解できない激情に任せてアルベルの頬を張り飛ばした。
「そんなに聞きたいなら言ってやるさ」
アルベルを睨みつけて言い放つ。
「あんたといると自分の嫌なところばかり思い出すからだよ!」
戦争が終わって、あとに残ったのは死体と残骸。
戦いに疲れ、何もかもが嫌になっていた。
軍を辞め、家に戻って見合い結婚でもして平和な家庭を、と夢見たこともあった。
たくさんの人の犠牲の上に立って、それでも幸せになりたいと思う自分がいる。
彼らを守れなかったのは自分なのに。
彼らを戦いに行かせたのは自分なのに。
彼らを殺したのは自分なのに!
「何を勘違いしてんだ」
アルベルの見下した口調が心に突き刺さる。それは弱った心にひどくこたえた。
男の手が腰から護身刀を奪い取って部屋の隅に放り投げてもネルは動かなかった。
「こうしたらテメェはただの女だな」
手首をつかまれ、ベッドに引き倒されても弱々しく首を振っただけ。
それを見たアルベルがわざと体重をかけて押さえつけたため、肩や肘の関節が悲鳴を上げる。
「阿呆が……思い出せ、テメェはクリムゾンブレイドでもなけりゃネーベル将軍の娘でもねぇ。
ただのネル・ゼルファーだろうが!」
確かに私は阿呆だ。アルベルの言うように。
怒声を聞きながら自嘲ではなく素直にそう思った。
「俺もテメェは嫌いだ。自分ばっかりが不幸な顔しやがって……
全部私のせいだ、私が弱かったからと言って」
アルベルも言葉を止められないようだった。
「"ネル様はよく働いてくださったと思います"
"悪いのはネル様じゃなくて不甲斐ない我々です"
そんな言葉をかけてもらって安心してんじゃねぇよ!
泣こうが喚こうが死んだやつは帰ってこねぇぞ!」
自分を見下ろす男の顔は苦痛に歪んでいる。
「守れなくて死なせてから後悔しても遅ぇんだよ……」
「アルベル」
「泣くんじゃねぇ。もっと強くなればいいことだろう? 何なら俺が―――」
手伝ってやるから。
最後の言葉はほとんど聞き取れなかったが、ネルの顔にやっと笑みが戻った。
「じゃあお願いしようかな」
体を起こし―――目の前にあった温かい手に口付ける。
目を閉じていても相手が驚くのがわかる。窓の外の雪は、ますます激しくなっていた。
この男の体温でさえ温かくて気持ちいいと感じるのは、外の雪のせいにしておこう。
「本当にいいのか?」
「いいって言ってるじゃないか……」
アルベルの問いにネルは恥ずかしさのあまり、顔を手で覆いながら答える。
「震えてるぞ」
「いちいちうるさいよ」
服を脱ぐときに覚悟は決めたはずなのに、いざとなると怖くて仕方がない。
「手間がかかる奴だな」
呆れたように笑いながら呟かれて、顔まで熱くなった。
「わ、私のほうはどうすればいいんだい。こんなことしたことなかったから……」
大声で笑われるのを覚悟で言ったが、意外にもアルベルは困ったように
頭をかいただけだった。赤い瞳がいつもより少しだけ優しく見える。
「……寝てろ」
天井の木目を数えながら横たわっていると胸に手が触れた。
ネルの顔色を伺うようにゆっくりと力が加えられる。
こいつはもっと自分本位な男だと思っていたのに……。
しかし、手の動きがだんだん激しくなるにつれてそんなことを考える余裕も奪われた。
「おかしいよ、体が熱いんだ…」
「感じてる証拠だ。こっちはどうだ?」
足の間に遠慮なく触れられて体が跳ね上がる。
見たこともないそこがこんなに熱くなるなんて。想像もしなかったことだ。
割れ目を指でなぞられるだけで体がびくびくと震える。
そしてその指が体内に侵入したとき、驚いて足を閉じてしまった。
「ちゃんと慣らさないとあとが大変だぞ」
アルベルの手に促されてゆっくりと足を開きなおすが、
じっと見つめられているのが恥ずかしくて仕方がない。
丸見えなのだ。
乳房も陰部も表情も何もかも。
そして今から、体の中まで許そうとしている。
「嫌になったら殴れよ」
指が引き抜かれ、足の間に何かが当たる感触がある。
「ああ」
痛いのは最初のうちだけ、とは聞いていたがやはり怖くなってアルベルの首にしがみついた。
ゆっくりと大きいものが侵入してきた。
そしてそれが突き当たる感覚。
自分を抱きしめる腕にぐっと力が込められると同時に、侵入していたものがずるっと奥へ
入り込む。そして―――
「痛…っ!」
耐えられないほどではなかったが痛いことは痛い。が、別の感覚もある。
「痛いけど……大丈夫だ、続けておくれ」
「安心しろ、こっちもそんなにもたねぇよ。テメェが締めすぎるからな」
「恥ずかしいことを言うんじゃ……あふ…やだっ急に動かなっ…」
だんだん激しくなる行為で意識が飛ぶまでそれほど時間はかからなかった。
「明日も頼む」
ようやくネルが我を取り戻すと、アルベルがぽつりと言った。
「何言ってるんだい! その……今日みたいに優しくしてくれるんならいいけどさ」
耳まで真っ赤になってアルベルを見ると、口を押さえて笑いをこらえていた。
「ちょっとあんた! 何笑ってんだい!」
「いや……起こして欲しいだけなんだが。ダメだ苦しい」
狭い部屋に笑い声が響く。
ネルもつられて笑い出した。
明日も気持ちよく起きられそうだ。