ゴンッゴンッ
図太いノックの音が、部屋に木霊する。こんな音をさせるのは、男かタイネーブかのどちらかだ。
「はーい。開いてまーす」
忙しくペンを走らせながら、フェイトは見向きもせずに言う。がちゃりと音がして、誰かが室内に入ってきた。
「フェイト殿」
「……アドレーさんですか。あ、ちょっと待ってくださいね。もうすぐ報告書……書き終わるんで……」
ルシファーの戦いの後、フェイトは女王やラッセルの要望もあり、ここエリクールに留まり、客将として働いていた。
新兵の戦闘訓練の監督、施術発展部と名を改めた施術兵器開発部への助言、モンスターや盗賊団退治…。内容は様々だったが、充実した日々を送っていると実感していた。
「いや、そのままで結構」
恐らく後ろにいるのは、功臣の一人、前代クリムゾンブレイドであり、現シーハーツ軍司令、クレア・ラーズバードの父でもある、アドレー・ラーズバード。
フェイトの戦友でもある。
「実はな…少し頼みたいことがあるんじゃ」
「何ですか?」
相変わらずペンは走っていた。最近ようやくスムーズに書けるようになったエリクール文字が嬉しく、書類仕事も苦にはならない。
「フェイト殿……」
アドレーが大きく溜息を吐くのが分かった。
「クレアを抱いてやってくれんか?」
ベキィィィィィッッ……
ペンが折れ……いや、粉砕されていた。
「………」
「……フェイト殿?」
「あっ、そろそろ紅白歌合戦の衣装を考えないと…」
現実逃避を始めるフェイトだったが、アドレーに肩を掴まれ引き戻される。
「むぅ……分かりにくかったか? つまり、クレアとまぐわえと…」
「わ゛ーわ゛ーわ゛ーわ゛ーー!!!」
「……少し落ち着かれよ、フェイト殿」
数分して、ようやくさっきの体勢に戻る。
ベッドに腕を組んで腰掛けるアドレー、椅子に腰掛け、額に手を当てているフェイト。
「……で? どういう事なんです?」
「どうって……言った通りの意味じゃが?」
「話が進まないんで、いい加減詳しく教えて下さい」
ウンザリする青髪の青年に対し、アドレーは大きく頷いた。
「それがな、クレアに見合いの話が来ておるのじゃ」
「はぁ……」
「相手は、アーリグリフのデタント派の貴族の息子で、はっきり言って苦労知らずのドラじゃ。そんなヤツとはくっつけたくはない」
「断ればいいじゃないですか」
「それが、しつこいんじゃ…。確かにこの縁談がまとまれば、シーハーツとアーリグリフのデタントは一気に加速するじゃろう。そういうメリットもある分……」
「邪険に出来ないと?」
「そうじゃ。下手すればデタントどころではなくなる」
「……で、僕ですか?」
「救国の英雄たるフェイト殿と恋仲であれば、向こうも納得するじゃろう」
「ちょっと待って下さい。恋人の振りをしろ…なら話は分かりますけど……それがどうして、その……僕が……その………クレアさんと……ぇぇと……」
「まぐわ…」
「だからストレートは止めてください!!」
真っ赤になって怒鳴るフェイトに、アドレーはおどけたように怯えてみせる。
「おーおー。ウブいのぅ、フェイト殿は…」
ピキッ……
俯いていたフェイトに、変化が起きた。
「……え?」
小刻みに肩を震わせていたが、暫くして突然頭を振り上げる。
キュゥゥイィィィィィィンン
額に紋章が浮かんだ。
全てを壊す破壊の紋章。クリスタル色の女神が導く破滅へのカウントダウン。
「僕は真面目に話してるんですけど……」
彼のディストラクションを防げるものは、論理的にも存在しない。バンデーンの巨大戦闘鑑でさえ一瞬で消去する力の切っ先が、今まさにアドレーへと向けられている。
「お…落ち着けっ、フェイト殿! 流石にそれはヤバイ!!」
「真面目に話してる人に対してふざける人って……どうかなー?とか思うわけなんですけど……」
「く…クレアはフェイト殿に惚れておる!!」
それだけ叫び、アドレーは腕で顔を庇った。
一秒経過…
三秒経過…
七秒経過…
光が収まったのを確認して、ようやく腕を下ろす。
(……助かった…)
フェイトは停止していた。
浮かんでいた紋章も既に消滅している。
青年の顔は、茹で蛸のように真っ赤だった。今にも耳や鼻や口から蒸気を吐き出さんばかりに熱を帯び、唇を金魚のようにパクパクと上下させている。
「今……何て…?」
「じゃから…クレアが本当に好きなのは、フェイト殿であると…」
「またまたぁ、冗談を…」
「冗談などではない」
そう言うと、アドレーは一枚の写真を取り出した。エリクールにカメラなんてあったか?という疑問はさて置き、そこに映っていたのは…。
「……僕?」
「クレアの部屋から見つかったものじゃ」
「娘の部屋で何してるんですか…」
「ともかく! わざわざ引き出し一つ空っぽにして、これだけ入れてたんじゃ!」
アドレーは勢いよく立ち上がると、拳を握り締める。
「きっとクレアは…夜な夜なこれを見つめては、
“フェイトさん……あっ! ちょ…そこはダメ……って…そんな……激し…く…! っはぁっ! い…や……やめない……で……!”
とか言いつつ、火照る身体を慰めておるのじゃ! 娘が嫁に行くのは悲しい事じゃが、相手がフェイト殿ならば、ワシも大安心!! さぁ!」
フェイトに顔を向ける。
「今すぐクレアの所に行き、長い間片想いさせていたことを詫び……? フェイト殿?」
彼は震えていた。
顔を固まらせ、カタカタカタカタと、身体をシェイクしていた。
ゾクッ
「!? え……この殺気って……」
「お父様」
いつの間に…だろうか。
ドアの前に立ち、にっこりと微笑み、しかしどす黒い殺意のオーラを背負っているのは、シーハーツ軍司令官で、この国最強の戦士の一人…。
「一体……フェイトさんに、何を?」
心地よい潮風が、三人の頬を撫でる。
「あー……つまりじゃな……」
逆さになった愛娘の顔を見ながら、アドレーは言う。
「お前がいつまで経っても恋人の一人も作らんから、下手な男と結婚させるよりは、フェイト殿とくっつけようかと…」
「私たちはのりしろですか?」
「いえ……あの……その……何と言いますか……取り敢えず下ろして頂けたらなー、とは思うんですけど」
自分の娘に敬語を使っている姿は、かなり情けなかった。
ここ……断崖絶壁にて、クレーンのような器具を使って逆さ吊りにされている姿も、かなり情けないが。アドレーの頭上…つまり崖下では、荒波が砕けて飛沫が上がっていた。
「何を言ってるんですか。勿論下ろしますよ?」
「ちょ…ちょっと待て! ワシが言いたいのは、そっちの地面へ下ろせで……流石にこの高さから落ちたらヤバイ!!」
「だから…言ったじゃないですか。迷子のクマノミを探してきてくださいって」
「無理じゃ! いるワケない!」
「それなら、ベジタリアンのサメでもいいですから…」
「それもおらんわぁぁぁ! ちょ…待てクレア! そのナイフは何じゃ!? それでロープをぶっつりやろうとか考えてはおらんよな!? や…やめろっ、ごめんなさいっ!」
ブツッ
『うううああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ……』
ザバァァァッ………
「さ。お待たせしました、フェイトさん」
「はひっ!!」
笑顔で振り向いたクレアに対し、彼は直立不動で敬礼する。
一部始終を傍観していたフェイトだったが、勿論彼女を止めようなどとは、露ほども思わなかった。
「……父が、大変ご迷惑をお掛けしました」
「いえ…。そんな、迷惑だなんて…」
「いくら私を結婚させたいからって、あんなウソ八百を…」
縁談が持ち上がっているというのは、アドレーの虚言だった。
ウソじゃないのは、写真を見ながら夜な夜な……くらいである。
(お父様も……余計な事をしてくれたわね。人が一大決心をしてフェイトさんに会いに行けば、あんな最悪のタイミングで……)
「……そうだよなぁ…。クレアさんがまさか……とは思いましたけど」
「え?」
「ほら、クレアさんが僕に惚れてるってヤツ。勝手にぬか喜びしちゃって…」
!
「……それは…すみませんでした」
「あっ、いや! 別にクレアさんが謝る事じゃ…」
「お詫びに、喜ばせてあげましょうか?」
「え…?」
地面に映るクレアの影が踊ったかと思うと、突然腕に抱き付かれる。
「クレアさん…!?」
「言っておきますけど。この行動はウソじゃありませんからね」
彼女は僅かに背伸びし、フェイトの耳にそう囁いた。
因みに
口に熱帯魚をくわえ、左手に内気なサメの尻尾を握り、船を乗っ取ろうとする海坊主の噂が立ったのは、それから何日かした後だった。