エリクール2号星。
アーリグリフとシーハーツの間には和平条約が結ばれ、
さらにアーリグリフ13世とシーハーツ27世の姪の婚約が成立。
両国は共に歩むことを選んだ。
先の戦争で疲弊した両国は、国力の回復と内治に専念することを当面の目標としたが、互いに深刻な人材不足の為、中々軌道に乗らずにいた。
シランド城、白亜の間。
太陽は傾き、余熱を残して地平に沈もうとしていた。
その黄昏の中、三人の男女が会話を交わしていた。
「…どうしても、残るのか」
クリフ・フィッターは金髪の頭を掻きつつ尋ねる。
「うん。僕には、ここでやるべきことがあるんだ」
蒼い髪の少年、フェイト・ラインゴッドは力をこめて言った。
「へっ、以前とは大違いだな。ま、オレやミラージュは別に反対はしねぇがな。ディプロで待ってるソフィアの嬢ちゃんやマリアは寂しがるぜ。
それに、俺たちがコイツで行っちまうと当分お迎えはナシだ。帰りたいっつっても出来ないぜ?」
クリフは側に置いてある短距離転送装置の外壁をコンコンと叩きながら言った。
「いいんだ。もう決めたことだから」
フェイトはきっぱりといった。
「…そうか、ま、お前なら何かあっても万事オッケーだろう」
「クリフ。そろそろ出発です」
クリフの横に立つ女性…、ミラージュ・コーストが腕時計を見ながら告げる。
「おう、わかった。じゃな、フェイト。お袋さんの事は任せな」
「フェイトさん、又会う日まで、お元気で」
クリフとミラージュは別れの言葉を告げると、転送装置に入った。
「ああ、ありがとう、二人とも。マリアやソフィアにも宜しく」
フェイトの言葉が終わるか終わらないうちに、二人の姿は消える。
「でも…、本当はそれだけじゃないんだ…。僕の、僕の心を奪ってしまった人が、ここにいるから…」
一人残されたフェイトは、オレンジに染まる西の地平線を見つめながら呟いた。
二日後。
アリアスの村。
光牙師団「光」の隊長クレア・ラーズバードは病床に臥していた。
原因は人手不足から来る激務。
それが彼女に充分な休養を与えず、風邪をこじらせて、肺炎の一歩寸前まで追い詰めた。
部下たちが慌てて医者を呼び診察させたのが昨日。
典医からは一週間の絶対安静を言い渡されていたが、ベッドから半身を起こして、今日も書類の決済を行っていた。
「クレア様、お体の方が…」
「私の事なら心配しないで。一体この案件を誰が片付けるというのですか。緊急を要するのです。休んでる暇などありません」
身の回りの世話をする女性兵士が止めても、いや、誰が諫めても彼女は頑として聞かず、山と積まれた書類に目を通し、判を押す作業を延々と続ける。
(このままでは、クレア様が…)
部下達のあいだに不穏な空気が流れていたその時だった。
「クレア!」
凄まじい勢いで、部屋のドアが開けられた。
血相を変えて入ってきたのは封魔師団「闇」の隊長、ネル・ゼルファー。
ゲート大陸にその名を轟かす『クリムゾンブレイド』の一人で、クレアの親友だ。
「はあ、はあ、はあ…」
相当急いで来たせいか、赤い髪がほつれ、肩で息をしている。
「…なんです、ネル。騒がしいわよ」
クレアは顔を一瞬だけ上げて呟くように言うと、また書類に目を落とした。
「倒れたって聞いて心配して来たら…、何をやってるんだい!」
ネルはクレアの居るベッドまで近づくと、書類をひったくる様に取り上げた。
「アンタ、これを持ってきな!」
「は、ははっ!」
そして、側にいたクレアの配下にそれを持たせて下がらせる。
部屋はクレアとネルの二人だけになった。
「何をするの。返して、ネル」
「クレア! こんな状態になってまで仕事して…、アンタ、死にたいのかい?
何故、私やラッセル執政官に言わないんだ? …どうしていつも、一人で全てを背負おうとするんだい?」
ネルは大体の事をクレアの部下から聞いてきたのだろう、沈痛な面持ちで親友に問いかけた。
「…それが私の職務。『クリムゾンブレイド』の義務なの」
やや間を置いて、クレアが呟くように口を開いた。
「時と場合によるよっ! そういう真面目さも! まずは体を直すことだろ? それからやればいいんじゃないかい?」
「話はそれだけ? 書類を返して」
ネルは手に負えない、といった感じで天を仰ぐ。
「全く…、アンタって女は…。あ!」
と、不意にポン、と手を打って明るい表情になる。
「そうだ、すっかり忘れていたよ」
「? 何?」
不審そうな顔つきで、今度はクレアがネルに訊ねた。
「アンタが倒れた件で、陛下や執政官殿がえらく心配されてね。急遽、光牙師団『光』の副隊長が拝命されたのさ」
ネルが先程とは変わって、どこか楽しげに口を開く。
「副隊長? 今のシーハーツに、そんな人材がいるとは思えないけど…、誰なの、その人は?」
クレアはしきりに小首を傾げている。
「ふふ、クレアもよ〜く知ってる男だよ。事務も実働もアンタに代わってこなしてくれる優秀な人材さね。ホラ、副隊長、着任の挨拶をしな!」
ネルは向き直ると、ドアの方に向かって声を張りあげる。
「…一体、誰だというの…?」
「フフフ、見てからのお楽しみさ」
クレアの疑問をよそに、カチャリと音がしてドアのノブが回った。
「失礼します」
聞き覚えのある声に、クレアの瞳が丸くなる。
「!? 何故貴方が…ここに…。とっくに、行かれたものと…」
次第にか細くなる声。無理も無い。
本来なら、ここに居る筈のない青年が、クレアの眼前に立っていたからだ。
…心の中で、密かな想いを育てていた人。
父、アドレーが高くその才を評価していた人。
…いつも、誰かの為に奔走していた人。
…親友達、祖国を、この世界を助けてくれた人。
…もう逢えない、その思いから、その想いを消す為に、仕事を理由にして、忘れ去ろうとしていた…、でも、消せなかった人…。
その人の名は…フェイト・ラインゴッド。
「本日付けでアリアス駐屯の光牙師団『光』の副隊長に任ぜられました、フェイト・ラインゴッドです」
シーハーツ式の左胸に右手を当てる敬礼をしてから、端正な顔に微笑みを浮かべるフェイト。
「ネ、ネル。フェ、フェイトさんが…、わ、私の副官に?」
「フフフ、そういうことさ。なんだい、その顔は。不服かい?」
「不服とかじゃなくて…、ど、どうし…て、な、何故?」
ネルは普段真面目なクレアの動転してる様子が面白くて仕方ないらしく、しきりに肩を揺すっている。
「本人がシーハーツで働きたいって理由で残ってくれたのさ。
ちょうど、アンタが倒れたって報告が来てね。陛下やラッセル執政官がそれなら…と、推挙したって理由さ。そうだろう、フェイト?」
「はい。まだ新参の未熟者ですが、指導の程よろしくお願いします、クレアさ…、いや、クレア隊長」
フェイトは一歩前に出ると、深々と頭を下げる。
「えっ…、あ、はい…、ちゃ、着任を認めマス…。こ、こちらこそよろしくお願いシマス…」
クレアも何が何だか解らないうちにつられて頭を下げていた。
「…フェイト。見ての通り、クレアはダウン状態だ。アンタが代わって全て仕切るんだよ、いいね」
ネルは真面目な顔付きになると、フェイトに忠告する。
「了解です、ネルさん」
「クレア、そういうことだからアンタは早く体を治すんだよ。これは女王陛下からの厳命でもあるんだ。仕事は病が癒えるまで禁止だよ」
厳しい口調で、ネルはクレアに告げた。
「…わかったわ」
「よし、それでいいんだよ。いや、しかし、クレアが倒れたってのを聞いた時に、
コレが血相変えて伝令に『クレアさんは大丈夫なんですかッ!』って凄い剣幕で詰め寄ってたの、見せたかったねぇ〜♪おっと、これはひみつだったー」
フェイトを指差すと、ネルは楽しそうに裏話をバラす。
最後の言い訳は棒読みで。
「えっ…?」
「ちょ…ッ、そのことは…、ネルさんッ!」
フェイトが顔を赤めてネルに抗議する。
「ふふん、フェ〜イト。この者はねぇ、アンタが帰るって聞いた時から、空ばかり見て溜息ついていたんだと♪
で、時折『フェイトさん…』と、口に出して呟いていたそ〜だ♪ と、封魔の複数のソースから情報が入っているんだ。
あ、たいへんだー。こっかクラスのきみつじょーほーを、ついうっかりしゃべってしまったー」
今度はクレアの方を向くと、同じ様に裏話をバラす。
最後の言い訳はやはり棒読み。
「ええっ…?」
「〜ッ! ネル!」
顔を真っ赤に染めたクレアがネルに枕を投げつける。
「おっと。ははは、邪魔者は消えるよ、隊長殿。じゃ、後は頼んだよ、副隊長」
何なく枕を避けると、ネルは笑いながら部屋を出て行く。
パタン、と扉が閉まる。
部屋には男女が二人きり。
先程の喧騒が嘘の様に、沈黙と静寂が場を支配した。
「あの…、本当に、良かったのですか? あ、どうぞソコに座ってください…」
沈黙を破り、先に口を開いたのはクレアの方だった。
「はい、隊長。ココに残った件については…、僕が…、自分で決めたことだから。それに…亡くなった父さんやディオン、アミーナ達の為にも…」
そう言葉を紡ぎながら、フェイトは彼女の枕元の椅子に腰掛ける。
「あ、フェイトさん…」
「なんです、隊長?」
「『隊長』ではなく…、名前で呼んで欲しいのですが…」
「では…、クレア隊長、でいいですか?」
「あの、ですから…『隊長』抜きで…」
「では、今まで通り…、クレアさん、で」
「はい…」
クレアは嬉しそうに微笑む。
顔色はまだ青白く、頬もこけ、体重も少し落ちていたが、その笑みがフェイトには嬉しかった。
「ネルさんが言った通り、実務の事は僕に任せて下さい。こう見えても、レポートとかは意外と得意なんですよ、クレアさん」
「ありがとうございます…フェイトさん」
クレアはフェイトの手を取って礼を述べる。
熱のせいか、掌が温かい。
「あ…、いえ、そんなに見つめられたら…」
フェイトは胸の高鳴りを押さえるのに必死だった。
(うぅ…、クレアさん…、か、可愛過ぎるよ…。だから、僕は…)
「じゃ、じゃあ、僕は、早速、仕事にかかりますよ…」
抱きしめたい…、という衝動を何とか押さえ、フェイトが腰を浮かせかけた、その時。
「ま、待って、フェイトさんっ…!」
「な、何です、あッ…?!」
クレアがフェイトの手をぐい、と引き寄せ、男にしては薄い胸に縋る様に顔を埋めた。
「あ、あの、く、クレアさんッ?!」
フェイトの顔がたちまち桜色に染まる。
「ごめんなさい…、でも…どうしたらいいか分からなくなって…、私、私は…、わたし…うぅ…」
誰よりも愛しい人の腕の中で、クレアは大粒の涙を溢し、嗚咽する。
「貴方が帰るって聞いて…、私の心は千々に乱れて…、無理してまで貴方を忘れようとした…。
でも…、駄目だった…。ますます想いは募るばかりで…」
「クレアさん…、泣かないで…」
「貴方が…、ここに、居て、欲しい…」
涙に暮れながら、クレアは自分の想いを吐露する。
「あ…、クレアさん…。僕は、ここに、確かに、います。だから、だから…、もう、泣かないで…」
フェイトは慈愛に満ちた微笑みで、そっと泣き伏すクレアの白銀の髪を撫でてやる。
ふわりと、エーデルワイスの良い香りがフェイトの鼻腔をくすぐった。
「本当に? 側に、側にいてくれるのですか?」
「はい。そして、いつも、微笑んでいて欲しい。僕の心を奪った、あの優しい微笑みを…」
フェイトもクレアの想いに応えるように。
「あ…、フェイトさん…」
「クレアさん…」
顔をあげ、潤んだ瞳のクレアが、フェイトの蒼より青い瞳を見つめた…。
フェイトがそっとクレアの華奢な身体を抱き寄せる。
そして、今にも二人の唇が重なりあいそうになった、その時。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「〜〜〜〜〜〜〜〜!」
何やら、窓の外が騒がしい。
「な、何…?」
慌てて、二人は離れる。
「ぼ、僕が見てきますよ。あ、そだ。これ滋養薬です。ルイドさんに頼んで作ってもらったんで、飲んでください」
何包かの白い薬の包みを取り出してテーブルの上に置くと、フェイトは外の様子を見に部屋を出て行った。
「んぅ〜。フェイトさんと…、甘い、キス…、したかった、な…」
一人残されたクレアは、薬に手を伸ばして服用すると、頬を染めてポツリと呟いた。
「やれやれ、結局誰もいませんでし…、って、クレアさん?」
「…眠い、です…」
ウトウト、と半身を起こしたまま、舟をこぐクレア。
「そうか、この薬、眠気を催すのか…」
「フェイト…さん…」
「大丈夫です。僕が、クレアさんが寝るまで、側にいてあげますから…」
再び枕もとの椅子に腰掛けると、フェイトは優しく微笑んで言う。
「はぅ…、ありがとうございます…」
「さ、ゆっくり休んで、鋭気を養ってください。後のことは、僕にまかせて」
フェイトはクレアに横になる様促す。
「すみま…せん…」
素直に言葉に従うクレア。
「よしよし」
フェイトは毛布を掛けると、優しくクレアの頭を撫でてやる。
「はぅ…、お父様に小さい頃、こうしてよく撫でてもらいました…」
気持ちよさげに眼を閉じるクレア。
「そうですか、サラサラですね、クレアさんの銀髪」
「あぅ…、気持ち、いいです…」
「とても綺麗です、銀の髪も、クレアさんも…」
「すぅ…すぅ…」
安堵に満ちた表情で、穏やかな寝息を立て始めるクレア。
「あ…、眠ったみたいだね…、さて、仕事をかたづけるか…」
フェイトは名残惜しげに手を止め、立ち上がると踵を返す。
「…キス、したかった、な、クレアさんと…」
残念そうに一言、本音を漏らすフェイト。
互いを求める想いは、二人とも同じであった。
一週間後…。
「はい、あ〜ん♪」
夕食のリゾットを乗せたスプーンがフェイトの口に運ばれる。
「も、もう自分で食べられますから…」
今度はフェイトがクレアに看病されていた。
物凄い量の決済事項が溜まっていた為、先進惑星人でクオッドスキャナーを持つフェイトといえど、徹夜の連発を強いられた。
おかげで体調を崩し、病の全開したクレアに今度は自分が介抱されるというていたらくだ。
それでも、膨大な決済事項は全て正確に処理されており、クレアや他の隊員を感歎させた。
「駄目です。看病されてください。隊長命令ですよ、コレは。はい、あ〜ん♪」
とても嬉しそうにフェイトに海鮮リゾット(貧乏クジで家庭的娘、作)を食べさせるクレア。
無理もない、愛する人が自分の為に無理してまで頑張ってやっかいな仕事を片付けてくれたのだから。
「は、はい…あ、あ〜ん…」
恥ずかしそうにクレアから食べさせてもらうフェイト。一週間前とは、まるで立場が逆になってしまった。
「ふふっ♪ 美味しいですか?」
「あ、はい…、とても美味しいデス…」
と、甘々な雰囲気が漂っている所へ…。
「はあ…、楽しそうだねぇ…新婚夫婦かい?」
何時の間に来たのか、ネルが苦笑しながら扉の側の壁にもたれていた。
「うあっ?!」
「なッ…、ネル?!」
「全く、見せつけてくれるねぇ。…クレア、食事が済んだら、ちょっといいかい?」
ネルは腕組みしたまま、クレアに呼びかける。
「私に?」
「あ、僕、一人で食べられますから…、どうぞ」
「そうかいフェイト。悪いね」
「いや、構わないよ。ほら、クレアさん」
「え、ええ…」
フェイトにも促され、二人は部屋から出てゆく。
別室にて。
「何? ネル?」
「何、じゃないよ。その…、何だ。ふぇ、フェイトと…、ど、どこまでいったんだい?」
「え…? 政務ならフェイトさんが殆ど…」
ネルががくり、と肩を落とす。
「違うよ、クレア…。フェイトと…、き、キスくらいしたんだろ?」
「ええっ?!」
クレアの顔がたちまち朱に染まる。
「…さあ、答えな…、親友に黙秘は許さないよ…」
クレアに詰め寄るネル。
「う、ううん…、し、シテナイデス…、何も…」
まるで十代の少女の様に、モジモジと答えるクレア。
「ちょ…、く、クレア。アンタ知らないのかい? フェイトに熱をあげてる女がかなりいる事を…最近じゃ、非公式の親衛隊まで結成されたらしいよ」
「ええ…ッ!?」
クレアは驚く。確かにフェイトは端整な顔立ちでシーハーツ内での人気が高いとは知っていたが、それ程までとは…。
「フェイトは誰にでも優しいからね…。おまけに鈍感ときてる。本人だけだがね、気付いちゃいないのは」
「うぅ…、確かに…」
「だから、一つ覚悟を決めて公然と『私のモノ』にしないと、横から誰かに奪われてしまうよ…?」
その言葉に、少しだけ…、ネルの顔が翳ったのを、クレアは見逃さなかった。
「ネル…」
「さ、善は急げ、だ。幸運を祈るよ」
ネルは優しく微笑む。
「…ありがとう、そしてごめんなさい、ネル…」
そっと、クレアはネルを抱きしめる。
「…何、親友の幸せの為、さ」
ネルは抱擁を解くと、ポン、とクレアの両肩に手を置く。
「だから、絶対に逃がすんじゃないよ、クレア。大事なモノは二度とは手に入らないからね…」
紫色の真剣な眼差しを、クレアに向けるネル。
「ええ、肝に銘じておくわ…」
軽く頭を下げると、クレアはフェイトの居る部屋に戻る。
「…はあ。私も相当のお人よしだねぇ…」
ネルは溜息をつくと、すとんと肩を落とした。