「はぁっ…はぁ……はぁ…っ」  
どこまでも続く深い密林。  
太陽の光がまともに刺さない程、分厚い葉々が絡み合う。  
道無き道が永久と思えるほどに続く。  
少し進めば同じ所を通っているのではないかと言う錯覚に襲われる。  
得体の知れぬ獣の呻き声が聞こえてくる。  
所々でまだ乾いていない血の匂いがする。  
日が傾きかけてきた。  
銀髪の乙女クレア=ラーズバードは、傷ついた右足を引きずりながら森の中を進む。  
 
時は少し戻り、今日の早朝。  
「陛下、私に何の御用でしょうか?」  
シランド城謁見の間。  
クレアは起きて間も無く、ロメリアに直接呼び出され、豪華な彩色が施された大扉をくぐった。  
床に手を付き頭を下げる。いつも通りの硬い礼節にロメリアはふっと笑いを漏らす。  
「いいのですよ。今はそんなに堅くならなくても」  
「従者には黙って頭を下げるのが隠密の勤めの一つです」  
クレアは頭を上げずに返す。  
この者といい、ネルといい、ラッセルといい、自分の側近はどれも人一倍頭が固いな、と思い、  
再びロメリアは笑う。  
「ならば今はシーハート27世と言う事ではなく、『貴女の知人のロメリア』と言う事で…良いでしょう?」  
その言葉を聞き、クレアは頭を上げ、立ち上がった。  
「え…?そ、そう言う事でしたら。…で、どう言った御用でしょうか?」  
クレアの要領の良さに三度笑いを漏らすも、次の瞬間には堅い表情に変わっていた。  
 
「クレアは当然…『ルコ』を知ってますね?」  
「え…はい、勿論ですが…」  
ルコと言うのはゲート大陸に住まう小動物の名前。  
姿形は兎と犬を足して二で割ったような感じ。  
何世代前までかは、その愛くるしい容姿と人懐っこさで三割ほどの家庭で飼われていたのだが、  
その時襲った極度の恐慌で、生活に困った主達は違法ながらも森へと逃がした。  
そして群集心理により、いつのまにかルコを飼育する家庭は限りなく0に近くなった。  
しかしもともと野生の動物であるルコは、大自然の中大いに繁殖していったが、  
ここ数十年前からの魔物の凶暴化、テリトリーの侵食、拡大。さらに人間の技術進歩、  
紛争、森林の開拓、それらが相まってルコの数は数えれる程になってしまった。  
「…それがどうかしたのでしょうか?」  
突然今となってはマイナーな質問をされたクレアは首を傾げた。  
「ココ最近、違法にもルコを捕らえ、これまた違法とも思えるほどの高額で愛好家に売りつける  
 という集団が確認されています。ただでさえ数が激減しているルコがこれ以上に減るのは  
 一国の長としてではなく一人の人間として黙ってみている事は出来ないのです。  
 密猟団の発見、壊滅…とまでは言いませんが、せめて罠にかかる可能性の有るルコの保護と  
 発見できる限りの罠の解除を…『お願い』してもいいでしょうか?」  
エメリアはクレアの綺麗な瞳を見つめ、深く頭を下げる。  
「分かりました。…その…『お願い』、確かに引き受けたわ、ロメリアさん。  
 それと、頭は上げて欲しいわ、親しき中でも礼儀は程々に…ね」  
クレアは照れくさそうでかつ、半分申し訳無さそうな顔ではにかんだ笑いを見せる。  
「ふふ…良い感じですよ、クレア」  
その瞬間、クレアは恥ずかしさから頭が爆発しそうになった。  
「も、申しわけありませんっ!!……では」  
そして足早に去って行った。  
 
「さて…どうしたものかしら…?」  
早速クレアは路頭に迷った。  
「困ったわ…」  
意気込み一つで城を後にしたものの、具体的に何をどうすればいいのか考えていなかった。  
保護するにも罠を外すにも簡単に出来るものではないし、どこに行けばいいかも良く分からない。  
罠を外すと言っても大陸中に星の数ほどの罠があるだろう。  
保護すると言っても野生のルコを体一つで見つけるのは困難を極めるだろう。  
そんな事を考えながら歩いているうちに、クレアの体は自然とある場所へと向かっていった。  
「ここに…入るべき…と言う事かしら…?」  
常人の倍はあろう速度で歩いていたクレアが足を止めた場所。  
そこはシーハーツとアーリグリフを跨る大陸最大の樹林地帯、通称『死の森』  
その規模と森に住まう野生の猛獣、日の光を受け入れない程に巨大化した万年樹の多さ。  
一度足を踏み入れたら、無傷で帰る事はおろか、生きて帰れるかすら分からない、と言われている。  
「ちょっと…怖いわね…」  
流石のクリムゾンブレイドも未知なる場所に足を踏み入れるのには、何か危険な物を感じた。  
「ううん、行かなきゃいけないのよ」  
確かな情報は何も無いと言うのに、震える自分に喝を入れて、クレアは死の森への第一歩を踏み出した。  
 
ゲギャア!ギニャアァ!!  
聞いた事も無いような獰猛な鳴声が聞こえてくる。  
右を見れば大量の血がこびり付いた大樹が。  
左を見れば頭から下が丸ごと食い千切られている獣の姿が。  
もはや危険度SSクラスといっても過言ではない。  
こんな場所にあのひ弱なルコが生息出来るのか?などと思いながらクレアは一歩ずつ確実に  
前へと進んでいく。  
日はまだ地平線を離れたばかり。  
 
「………ふぅ」  
森へ入ってから数時間、ルコを見つけることも無ければ、罠らしい罠を見つけることも出来ない。  
幾度も野生の獣に襲われたが、その度にご自慢の施術で眠らせてきた。  
もはやこの任務自体無謀な物だったのではないかと改めて思い直していた。  
「ネルも呼べば良かったかしら?」  
道標として、木々に切跡を残していく。  
今までどんなにも危険で、難しい仕事を幾つもこなして来たが、これほどまで暇で退屈な任務は無かっただろう。  
獣道を通りながらクレアの表情から真剣さが少しずつ消えようとしていた。  
その時、  
ヒョォォン…  
独特な鳴声が耳についた。  
「あら?今のって…」  
クレアが今の音を聞き取ろうと耳に手を当て、神経を集中させた。  
ヒョォォン…  
「やっぱり…ルコ」  
確かに聞こえた。  
「向こうからかしら?」  
クレアは音のした方へと足を運ばせる。  
 
「確か…こっちのはず………っ!!」  
音の発生場所に辿り着いたクレアが見たものは、  
「な、何これ…!?誰、こんな事したの!!?」  
視界に飛び込んできたのは、一m四方の鉄籠の中、ボロボロに傷つけられ血を流し、  
うめきとも取れる助けの叫びを上げるルコの姿だった。  
「…酷い…今すぐ助けてあげるからね」  
クレアは小走りでルコの元に近寄ったが、二歩ほど手前の所でカチッと何かを踏んだ感触が足の裏を走った。  
 
次の瞬間、  
ガシャアンッ!!  
「きゃぁあっっ!!」  
クレアの右足首が罠であろう鉤爪に挟まれた。  
えぐられた場所からは血が絶え間なく流れ出てくる。  
溜まらずクレアはその場にしりもちを付いた。  
「っ…私とした事が…何で…こんな物?」  
昇って来る痛みを堪え、クレアがこの罠の正体について考えていると、茂みの向こうから  
ガサゴソと草を分けて人が近づいてくる音がしてきた。  
 
「けけ、また馬鹿な獣がかかったみてぇだな兄弟」  
「全くだ。仲間をほっとけねぇなんて、泣かせる話じゃねぇか。まっ、それ以上に馬鹿な話だが」  
「ちげぇねぇ、ヒヒヒ」  
声と気配は一致して二人。判断するに今こちらに向かって来ているのが密猟団のメンバーであろう、  
そしてこの罠を張っていたのもこの者達。傷ついたルコを放置していたのは、助けに来る同族を  
捕らえるため。  
「けけっ、どれどれ、今度のは雄か雌かでかいか小さいか………ってなんじゃこりゃぁ!!?」  
手前の草を取り払い、仕掛けた罠を覗いてみた男はルコの代りに捕らえていた物を見て絶叫した。  
「だ、だ、だ、誰だてめぇは!!!?」  
男は勇ましいんだか情けないんだかわからない声を出している。  
「どうしたんだ…」  
男の背後の茂みから声がする。  
「って誰だあんた!!?」  
一足遅れてきた相方であろう男も罠に掛かっているクレアの姿を見て腰を抜かした。  
 
「あなた達……あなた達が密猟団ね!?」  
クレアの鋭い眼差しが二人を刺す。  
「!…誰だよてめぇ?」  
一般人が知るはずのない事を言われて、正直戸惑いを隠せなかった。  
「……クリムゾンブレイドかっ!?」  
もう一人の男が、女の顔を思い出したかのように言った。  
「は?何言ってんだよ、シーハーツの重鎮がこんなとこ来るわけ…ねぇよな…?」  
大量の汗をかきながら男がクレアをチラッと見た。  
「…私はシーハーツ隠密部隊光牙師団『牙』部隊長、クレア=ラーズバード。  
 陛下の命によりあなた達に罰を下しに来たわ」  
クレアの凛とした姿勢を取る。  
その鋭い眼光に男二人は一歩後ずさる。  
しかし幾らクレアが相当のてだれと言っても脚を怪我してる上に相手は屈強な体つきの男が二人だ。  
とても必ず勝てると言える相手ではなかった。  
クレアの考えはこうだ。この二人がこうして脅えている間に罠を解除し一度姿を隠す。  
そしてアジトへと帰っていくであろう二人の後をつけ、場所を特定する。  
一度シランドへ戻り、手勢を連れ、団を壊滅に追い込む、という物だった。  
罠を破壊するため、クレアが右腕に気を溜める。  
しかし、この作戦が上手くいかないという事は当のクレアが一番分かっていた。  
「どうするよ…?」  
「どうするもこうも、最も厄介な奴に見られちまったんだ…。  
 このままじゃ親方に殺られちまう…」  
「だ…だよな…」  
男達の声は一発でわかるほどに震えていた。  
 
「じゃあ俺たちゃどうすりゃ良いんだよ…おい」  
「や…やや、殺るしかねぇだろ…ヘヘ」  
「だ、だよな…ヒヒヒヒヒヒ」  
男達の目の色が変わった。  
背中にぶらりと垂れ下げている斧の柄に手をかけ、クレアの方へ振り返ろうとしている。  
クレアの恐れていた事が起こった。せめてあと10秒遅ければ良かったものの。  
ネルより僅かに施術の切れが良くないクレアにとって、この時間内に罠解除、怪我の回復は  
高望みであった。  
「くっ……解!!」  
バチィィンッ……!!  
金属の爪は激しい音を立て弾け飛び、元の形を成さないほど粉々に砕け散った。  
足が自由になるや、すぐさまクレアは駆け出した。  
「まちやぁがれぇぇぇぁぁぁああああ!!!」  
こうして、クレアと犯罪者による長い長い追いかけっこが始まった。  
日は丁度南中時。  
 
時は元に戻る。  
真昼に始まった逃走と追跡、夕日が紅に燃える今もなお続いていた。  
クレアの体は限界だった。  
右足さえ怪我をしてなければ逃げ切る事はおろか、この二人を始末する事だって赤子の手を  
捻るより簡単と言った所であろう。  
それ故、予想以上に脚の怪我は大きく響いた。  
足が地面に付く度に、刺すような激痛が発生し体中を駆け巡る。  
少し力を入れて男達を視界から消しても、垂れる血痕が自分の進行方向を教えてしまう。  
傷を回復させようにも走りながらだという事、更に足の痛みが相まって集中する事が出来ない。  
足を止めればすぐさま捕まってしまう。  
そのため走りつづけなければならないが、痛みを消す事は出来ない。  
この最悪とも言えるループがクレアの肩に重く圧し掛かる。  
今クレアを保たせているのは一本の細い糸とも言えるべき、極限の精神。  
こうなったらもはや迎え撃つしか…  
そういう考えがクレアの中を過ぎった時、狭苦しい道から一転、赤焼けの空と共に一気に視界が広がった。  
「え…っ!?」  
クレアの足が止まる。  
ギリギリの所で止まった右足。その足を踏み切っていれば、クレアの体はまっさかさまにこの断崖絶壁の  
餌食になっていただろう。  
「そんな…」  
崖から眺める夕焼け空。一見してみれば心を踊らすシチュエーションではあるが、見方を変えれば  
崖に追い詰められ、この鮮血の様に赤い空の藻屑と成るか否か。  
とても景色を堪能できる様子ではない。  
右にも左にも前にも、勿論後ろにも逃げ道は無い。  
やはり闘うしか…。  
 
丁度動き回れるだけのスペースは有る。向こうも疲れているのだから自分がすこし頑張れば…。  
クレアがそう思考を過ぎらせていると、後ろの森の中から男二人の巨体が出てきた。  
「ひゃぁ…はぁ…やっと追い詰めたぜぇ…!」  
「観念…しやがれ…」  
肩で息をしている二人は、疲れを隠そうとすぐさま斧を振り上げ前進してきた。  
「ハァ…ハァ………ふぅぅ………」  
呼吸を整え、腰に手を回しダガーの柄をゆっくりと握る。  
双方の距離が次第に縮まっていく。  
張り詰めた空気。  
「「がああああああぁぁぁああぁあああ!!!!」」  
その圧力に耐えられなくなった男達は張り裂けんばかりの怒声と共に勢いよく飛び掛る。  
一気に距離が無くなった。クレアの手に必然的に力が入り、そして斬りかかろうとした…と、  
「五月蝿ぇぞ阿呆がぁ!!!」  
…熊が飛んできた。本物の熊…と言うよりグリズリーだ。体長3mはあろう巨体。  
それが三人目掛けて飛んできた。  
「きゃっ!」  
クレアは間一髪で避けた。  
しかし、熊の飛行方向に背を向けていた男二人は、避けきれず熊の下敷きとなった。  
「誰!?」  
呆気に囚われながら、クレアは声のした方へと視線を移した。  
そこにはシーハーツ、アーリグリフの者なら知らないものは居ないであろう男の姿があった。  
「『歪みのアルベル』!?」  
驚きの余り素っ頓狂な声を出していたかもしれない。それほど驚いたのだ。  
「ん?お前は…クリムゾンブレイドか。こんな所で何してやがる?」  
アルベルがゆっくりとした歩調でクレアの元へと寄って来た。  
 
その右手には麻袋が握られていた。これから察するに先の獣は左手一本で投げつけてきたのであろう。  
だが別に怖いとは思わなかった。むしろ今までのアルベルが不思議に思えるほど、今の彼からは穏やかな波長が取れた。  
そんな事は考えれるものの、正直クレアは何と言えば分からなかった。出す言葉が見当たらなかった。  
「あっ…え…と…」  
「待て、話は後だ」  
何か言おうとしたクレアを制し、アルベルは男達の方を見る。  
体重約100kgの熊を二人がかりで押し退け、勇ましく立ち上がった。  
「誰だてめぇはぁ!?一辺死んでみるかぁ!!?」  
「やさ男はすっこんでろやぁ!!」  
やさ男…。  
その言葉にアルベルはカチンときた。  
「ほう…俺がやさ男と言いたいわけだな阿呆…?」  
アルベルは腰に掛かっているカタナにゆっくりと手をかけ、そして引き抜く。  
「だ、駄目ぇ!!」  
殺すのか!?そう思ったクレアはアルベルに飛び掛ろうとしたが遅かった。  
既にカタナは振り抜かれた後だった。  
死んだ…。正直な所クレアはそう思った、アルベルが怒りの余り…と。  
クレアは目を閉じた。  
「ひぃぃぃぃ…!!」  
死んだ筈の男の声がする。  
目を疑った。男に傷一つ出来てはいなかった。  
バラされたのは男達の足元にあった熊。  
刀の一振りから発生した衝撃波が巨体を切り刻んだ。  
その光景を直に見てしまった男達は、戦意喪失、膝が笑い、腰が抜ける。  
握っていたはずの斧が何時の間にか地面に刺さっている。  
 
「これでも…俺をやさ男と言いたいか…阿呆?」  
アルベルはゆっくりと剣先を男達に向ける。  
男達の取る行動は一つしかなかった。いや、残されていなかった。  
「「憶えてやがれぇぇぇ…………!!!」」  
十秒経たずして、男達の姿は完全に見えなくなった。  
『助かった…のね』  
トサッ…  
クレアは座り込んだ。そして糸が切れたかのようにその場に眠り込んでしまった。  
「さて…聞かせてもらおうか…何でてめぇがここに…っておい、どうした!?」  
返事が返ってこない。一瞬アルベルは焦ったが、聞こえてきた寝息にほっと胸を撫で下ろした。  
「寝てんのか…」  
アルベルはクレアの横に座り込み、寝顔を観察し始めた。  
「…クリムゾンブレイドか…。こうしてみりゃそこらの農村の娘となんら変わらねぇんだがな…」  
プス…  
何気なく指でクレアの頬を刺してみる。  
「…んっ……」  
アルベルは慌てて指を離した。  
「な、何やってんだ俺は…?阿呆臭い…」  
何故か猛烈に恥ずかしくなり、それを紛らわすために勢い良く立ち上がった。  
日が地平線に消えかけようとしている。  
 
こんな所で寝食するわけにはいかないので、この場を離れるためアルベルはクレアを起こそうとした。  
「おい、起きろ…起きろよ……おいっ!!………ちっ!」  
クレアの肩を揺すり無理矢理起こさせようとしたが、何故かその気にならなかった。  
と言うより、眠りを妨げたくなかった。  
しばらく考え込んだ後、アルベルはクレアの体をゆっくりと持ち上げた。  
何故こんな事したのかは自分自身分からなかった。しかしこうしたくなった。  
何故か頭に靄がかかる。  
今までなら放って置いたであろう。昔なら即刻切り捨てていたであろう。  
しかしそのどちらにも気が揺るがなかった。  
甘くなったと言えば一言で終わりそうだがそんな言葉で片付く事は無かった。  
「この辺か…」  
アルベルは崖の手前で止まり、目標を定める。  
クレアが離れないように手を自分の首に回させしっかりと固定した。  
そして、少し角度のついている絶壁を滑り降りた。 

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