「レイオット……」  
少し鼻にかかったような、甘えた声が彼の名を呼んだ。  
(…………誰だっけ?)  
レイオット・スタインバーグは、どういうわけだかハッキリしない意識で声の持ち主について考えた。  
ぼんやりとした視界を拭うように目を眇めると、朧ろなシルエットが浮かび上がる。  
しっとりと汗ばんでいる白い肌。ほっそりとした小柄な四肢。  
そのくせ乳房は豊かで十分な弾力を手の中に伝えてくる。  
桃色の頂はつんと尖り、熱を帯びていた。  
(………あ?)  
一糸まとわぬ女性が、こちらの顔を覗き込んでいる。しかも自分は彼女の乳房を鷲掴みにして…  
(………何だこれは?)  
性的興奮や羞恥心より先に、正体不明の違和感がレイオットの意識を揺さぶった。  
これは何かが違う。間違っている。おかしい。  
「……レイオット」  
おかまいなしに、先ほどよりもっと掠れた、欲情にまみれた声で女が囁く。  
半開きになった、少しぽってりとした唇。幼さを残した僅かに丸いラインの顎。  
汗ばんだ白い額には栗色の髪が張り付き、下がり気味の翠の瞳は普段よりもさらに緩んで、潤んでいた。  
普段よりも。  
確かに自分はこの女性を知っている。知っている…はずだ。  
だが、ぼやけた意識が邪魔をする。思い出せない。  
 
「んふ……」  
女が鼻を鳴らしてソレに頬を寄せた。屹立した肉棒。  
女性の手にしては少しごつごつした質感が伝わる。  
そういえば銃の訓練で大分手の皮が厚くなってタコまで出来たと言っていたっけ。  
いくら対魔族用とはいえ、<ハンティング・ホーク>はやっぱり彼女には重過ぎるんじゃあないだろうか。  
(いや、そうじゃないだろ)  
何とか自分に自分でツッコミを入れる。  
気にするべきことはそんなことではなくて。  
問題は使用している銃器の名前まで覚えている女性が誰なのか判らないことで、  
しかも彼女がレイオット自身を今にも口に含まんとしていることで。  
「……ッ!」  
柔らかな舌の感触に、思わず体が震えた。  
女は嬉しげに目を細め、先端にキスの雨を降らせる。  
かと思うと、ぞろり、とカリ首に舌を巻きつかせて執拗に舐め上げた。  
手で竿を擦り上げるのも忘れない。  
「……ねェ………気持ちいい……?」  
さっきはこちらを覗き込んでいたはずの瞳が、今度は蠱惑的に煌いてレイオットを見上げる。  
「ああ……イイよ」  
欲情に掠れた男の声にぎくりとする。それはまぎれもない自分の声だった。  
(何言ってんだ俺は…?)  
レイオットの内心には気付きもせず、女は蕩けきった笑みを浮かべた。  
さらに口技に没頭するように、深くレイオット自身を咥え込み、頭を振って啜り上げる。  
振り乱された髪が一房、肉棒に引っ掛かったが気にしてもいない。  
むしろ、自分の髪ごと舐め上げて、唾液まみれにしてしまっている。  
 
(違うだろ…)  
自分の知っている『彼女』はそんなことはしない。  
身支度をする『彼女』はいつも念入りに髪を梳かしていた。  
しょっちゅう埃まみれ泥まみれになる職場では切ってしまったほうが楽だろうに、それでも長く伸ばしていて。  
尋ねたことはなかったが、たぶん栗色の髪はお気に入りなのだろう…。  
(いや、そうじゃなくて……!)  
そんなことは判るのに、何故『彼女』の名前が判らない…?  
必死に記憶を探るが、部屋中にじゅぽじゅぽと響き渡る、淫猥な口技の音が思考をかき乱す。  
猛烈な焦燥感と、なぜか罪悪感。そして、射精感。  
慌てて彼女の頭をもぎ離すも、それは一瞬遅くて。  
「あ…」  
白く粘ついた液体が、幼さを残した彼女の顔をびゅるびゅると汚してゆく。  
あまり高くはない鼻に引っかかった、丸い眼鏡のレンズごと。  
「……ネリン…!」  
ようやく彼女の名を呼び、レイオットは違和感の決定的な原因にようやく気がついた。  
(そりゃそーだ。『彼女』は俺のことをそんなふうに呼ばない)  
それでもって。  
レイオットと彼女はそんなことをする関係ではないのだ。  
二人は『スタインバーグさん』と『シモンズ監督官』の仲なのだから。  
 
 
「………ッッ!!!」  
時刻はもう昼に近いだろうか。  
いつもより数時間遅く、レイオット・スタインバーグは起床した。  
…というか、寝床から飛び起きた。  
そして、毛布の中をごそごそ。  
「…………セーフ………」  
思わず安堵のため息が漏れる。  
「っは〜〜〜〜……思春期のガキか、俺は……」  
自己嫌悪でぐったり頭を垂れる。対照的に息子はむっくり頭をもたげていたが。  
「……ったく、何であんな夢を……溜まってたのかな」  
「何がです?」  
「うわお!?」  
背後からの冷静な声に思わず寄声を上げるレイオット。  
「…あー………その。おはよう、カペルテータ君?」  
「おはようございます」  
感情を何一つ映さない赤い瞳がじっとこちらを見据えていた。  
(うっ………)  
カペルテータがいわゆる普通の『女のコ』と違うことは良く知っている。  
多分レイオット以上にそれを把握している者はいないだろう。  
彼女が彼の見ていた夢を知り、彼の下半身の反応を見たところで、何の感慨も抱かないことは明白だ。  
だがそれでも……  
「……何か用かな、カペルテータ君?」  
感情がないだけに純粋に澄み切った彼女の瞳を直視できないレイオットであった。  
「……遅いです。」  
「…は?」  
「今日は寝具を干す予定だったはずです。天気予報では午後から曇ります」  
カペルテータは平板な口調で告げ、無造作にレイオットの下半身を覆う毛布に手を伸ばした。  
 
「!!…ちょ、ちょっと待った…!!」  
「………?」  
強引に振り払われたことにカペルテータは小首をかしげて疑問を伝える。ただし相変わらずの無表情で。  
「レイオット…?」  
「…いやその何だ。毛布のことは判った。あとで干しとく。だからちょっと部屋から出てってくれ、頼む」  
頼むというよりむしろ、懇願に近い気持ちで告げる。  
が、その懇願は無駄に終わった。  
「……ひょっとして、性的な夢を見て勃起しているのですか」  
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」  
顔色ひとつ変えずにサラリと指摘され、思わず突っ伏すレイオット。  
ここまでくればとっくに萎えていてくれてもいいはずなのに、悲しいかなまだ下半身は元気だった。  
「カペっ……なっ…それ…」  
かつてこんなにカペルテータの前で動揺した自分がいただろうか?  
しかし、良く考えてみれば理由は明白である。  
一緒に暮らすようになってから、いつも目覚めたときには彼女が待ち構えるようにこちらを見つめている。  
それは即ち、いつもカペルテータはレイオットの寝姿を見つめているということであり…  
おそらく、夢見る間に漏らしていたであろう、欲情にまみれた呻き声を聞かれていたのだろう。  
「…………頼むから、日記にはつけないでくれ………」  
「…………分かりました。」  
「…………なんで、ちょっぴり残念そうなんだ………」  
「…………そうですか?」  
「…………いや、いい。それから、シモンズ監督官にはくれぐれも口外しないでくれ…」  
「…………分かりました。」  
「…………あと、仮にも若い娘が『勃起』とかゆーな……」  
「…………分かりました。股間の<ハード・フレア>が暴発寸前なのですね」  
「…………カペル、それ、誰に教わった?」  
「ローランドさんからです。スラングでは男性器を銃器に例える場合があると」  
「何を教えてるんだあの野郎は……」  
ようやく疼きの収まった下半身の代わりに、今度は頭痛が始まるレイオットであった…。  
 

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