どうして、こんなことになってるんだろう。
広告代理店の岡村さんと食事した後。
巴草先生が息せき切った様子でショッピングモールまでやってきて、私は、先生が捕まえたタクシーに強引に乗せられていた。
よく聞えなかったけど、先生が行先を指示したようで、タクシーは間もなく動き出す。
酔いのせいで頭が十分に回らない。
それでも、漠然とした不安を感じた私は、ろれつが回らないながらも巴草先生に尋ねた。
「せん、せい、どこへ、行くんですか?」
先生はイラついた口調で、短く答えた。
「…いいから、黙ってろ!」
そういう答えだと、もう何も言えない。
後部座席でシートにもたれ、窓から流れていく夜の街をぼんやりと眺めていた。
「…おい、着いたぞ。」
そこは、いつも行き慣れた先生の家。でも、夜来るのは初めてで、明りの落ちた家はなんだか知らない場所のような気がした。
先生は、あらかじめ用意したあったお金を運転手に渡し、お釣りはいらないと言っているようだった。
動きが鈍い私より先に車を降り、反対側に回ってドアを開けると、手首をつかんで強引に引っ張りだす。
固い表情の先生は、口を固く引き結び、明らかに怒っている様子だった。
「きゃっ…!」
まだ酔いが抜けず、ぼうっとしていた私は、予期せぬ先生の行動にバランスを崩して転びそうになる。
「おっ、と!…悪い。」
背中から倒れて頭を打つ、と思った瞬間、たくましい腕に肩を抱きとめられた。
不可抗力とはいえ、私、先生に抱きしめられている?
胸の鼓動が早まったのは、きっと酔いだけのせいじゃない。それからも、私の心臓はちっとも落ち着いてはくれなかった。
私の肩を抱いたまま、先生は家の中に入っていく。服の下から、温かさが伝わってくる。
「お前、歩けるか?」
先生が私にそう聞いてきた。足は少しもつれるけど、何とか歩ける。
「大丈夫、です。」
私が小声で答えると、先生は階段を上っていく。確か2階は、先生のプライベート空間として、寝室に使っていたはず。
その部屋のドアを開けたかと思うと、あっという間に私の体はベッドの上に投げ出された。
「先生、何を、…っ!」
先生が私の頬を両手で覆い、抵抗する間もなく口をふさがれる。
あの雨の日の時みたいに、唐突で強引な激しいキス。
「好きだ。サツキ、お前が好きなんだ…。」
唇を何度も何度も重ねながら、先生はうわごとのように囁いている。
「先生が、私を、好き…?」
そんなことあるはずない。世話係は地味で目立たない人間がいいって、歌劇団に要望を出したのは先生で。
女性として、見られていないはずなのに。私は、回らない頭で漠然とそう考えていた。
まだキスの雨はやまない。それどころか、先生は私が着ている服のボタンをはずして、首筋や鎖骨、胸元まで範囲を広げだした。
素肌に、無数の赤い花びらが散らされていく。
「ああ、そうだ、ずっと昔から、お前が好きだった。それなのにお前は無防備で、俺がはずすなっていった眼鏡をはずしてる。他の男と、お前に何かあったらと思うと、俺は…!」
先生は、苦しそうな、泣きそうな表情になっている。傷ついた子供みたいに、がむしゃらに抱きしめてくる。
「昔からって、と、巴草先生?」
「違う!」
「え…?」
「カナデだ。…俺は、お前の嫌いな、カナデだよ。」
「カナ、デって…。巴草先生が、カナデ?」
突然告白されて、事実を告げられ、私の頭は混乱する。カナデのことは、幼いころからずっと好きだった。…あの件があるまでは。
そして今、巴草先生のことを好きだ、と思う自分がいる。
でも、先生はいつもぶっきらぼうで、愛想が悪くて、時々はきつく当たることもあって。とても、私に対する好意を感じさせるような人じゃなかった。
「騙してて、悪い。お前に嫌われてる、ってわかったから言えなかった。でも、もう無理だ!お前を他の男に渡すぐらいなら、いっそ…。」
巴草先生、いやカナデは私のつけているブラを上にずらし、露わになった胸を荒々しく揉みしだいた。
「やめて、カナデ!」
私は、思わずカナデを突き飛ばそうとした。もちろん、私の力ではびくともしないのだが、カナデは予期せぬ抵抗にあって驚いたようだった。
我に返った私は、カナデの手を振り払って叫ぶ。
「嘘よ!私を嫌ってるのは、カナデの方でしょ!『あんなブス、誰が相手にするかよ』って、他の男の子に話してたじゃない!」
思わず感情が高ぶり、カナデの胸板を何度もたたく。
「…聞いてたのか?」
珍しく怒りの感情を爆発させた私を、カナデはバツの悪そうな表情で受け止め、落ち着くまでしたいようにさせていた。
抵抗が止んだころを見計らって、カナデがおもむろに口を開く。
「まあ、その、なんだ。ガキだったんだよ。他の連中にからかわれるのが嫌で、つい本心とは違うことを言っちまったんだ。…馬鹿だよな、俺って。」
「カナデ…。」
口調に後悔をにじませてカナデは語る。
「ごめんな、サツキ。」
カナデが、不安そうな色を浮かべて私を見つめる。
「サツキ、答えてくれ。今でも、俺のことが嫌いか?」
今まで、心の底に閉じ込めていた本当の気持ち。9年前に、カナデに打ち明けようとして、果たせなかった気持ち。
あのとき、もう恋なんてしないと誓ったのに、また同じ人を好きになっている自分がいる。
この時の私も、カナデと一緒で不安な表情をしていたと思う。
カナデの気持ちがわかっていても、告白とは、とても勇気のいる行為だから。
「…好きだよ。」
そして私は、自分の方からカナデにキスをした。
今までずっと心に秘めていた、好きだという思いを込めて。
それから、カナデと私は、夢中で何度もキスしあっていた。
お互いの唇を貪ることで、失われた時間を取り戻そうとするかのように。
カナデの両腕が背中に回され、がっしりとつかんで離さない。
私も負けじと、カナデの体を強く抱きしめる。
ついばむような浅いキス。相手の吐息を奪うかのような濃厚なキス。経験のない私にも、少しずつ官能の扉が開いていく。
キスが、こんなに気持ちいいものだなんて知らなかった。
口づけを解いたカナデが、真剣な眼差しで私の顔を覗き込む。
「…なあ、サツキ。」
「何?」
カナデは顔を赤らめながら一瞬ためらった後、意を決したように切り出した。
「お前を俺のものにしたい。その、お前が、欲しいんだ。」
「ええっ!」
それって、やっぱり、そういうことをしたいってこと、だ。
経験のない私には、正直言って、心の準備ができているとは言い難い。
「嫌、か?」
「…嫌じゃないけど…。」
好きなんだからいいじゃない、という思いと、未知の行為に対する恐怖がせめぎ合う。
いや、恐怖の方が大きいかもしれない。かといって、カナデの望みを無下に断るなんてできない。
ちょっとだけ、私は姑息な手を打った。
「わかった。でもカナデ、その前にお風呂貸してもらってもいいかな?ついでに、ムツキにも電話しておきたいし。」
「あ、ああ。」
お酒を飲んで汗をかいたから、それを流してさっぱりしたいという気持ちは、確かにあった。
でも、本当はカナデとのことを先延ばしにしたい、というだけのこと。経験のなさが、私を臆病にしていたのだった。
世話係として掃除を任されてたから知ってるけど、浴室は寝室の隣にある。私はお湯をため始めた。
家に電話すると、案の定ムツキは怒っていた。心配をかけたのは私の方だから、謝る他はない。
それで、今はカナデのところにいると正直に伝えたら、ムツキは少しの間黙りこんだ後、母さんにはうまく言っておくよ、と言ってくれた。
本当に、ムツキはできた弟だ。こんな姉で申し訳ない。
電話を切った後、服を脱いでお風呂に入る。カナデが借りているこの家はやたら広く、当然湯船も大きくて、お湯のたまるのには時間がかかりそうだった。
先に髪と体を洗う。いつもと違うシャンプー、せっけんの匂い。
カナデと同じ匂いをまとうんだ、と思うとやたら気恥ずかしかった。
洗い終えても、まだお湯は浴槽の半分ぐらいしかたまっていない。
それでも、浸かると体の疲れをほぐしてくれる。少しぬるめのお湯が心地いい。
ぼんやり浴槽につかっていると、勢いよく浴室のドアが開けられる。
「…カナデ!」
「べ、別にいいだろ!俺だって、お前を追いかけて汗かいたんだよ。」
そう言われてみればそうだ。でも、カナデは裸に、腰にタオルを一枚巻いたきりの格好で、なんだか目のやり場に困る。
カナデが体を洗ってる間、恥ずかしくてなんとなく壁の方を向いていた。
シャワーの音が止まって、カナデが浴槽にざぶりと浸かる音がする。
男の人とお風呂入るなんて、小学生のころムツキと入ったこと以来だ。
とりとめのないことを考えていたら、突然手首を引っ張られ、後ろ抱きにされた。
「捕まえた。」
「ちょ、ちょっと、カナデ…。」
「焦らすお前が悪い。」
そう言ってカナデは私の濡れた髪をかきあげ、耳朶に舌を這わせる。経験したことのない、ぞくぞくするような感覚に、私は思わず身をよじった。
「・・・んっ!」
カナデはしっかり私の体を抱きしめていて、離れることなどできはしない。
「こら、逃げるな。」
「だって…。」
カナデは耳だけではなく、首筋や肩も舐めてくる。そうしながら、両手で私の胸を弄び始めた。
細くてしなやかな人差し指を使って、胸の突起を巧みに刺激してくる。体の奥に、少しずつ熱が生まれて来る感覚。
「本当に、柔らかいな。服着てたら、わからなかったけど。」
「やっ…、そこは…、ああぁっ!」
変な声が出てしまうのが恥ずかしい。我慢して唇を噛むけど、カナデがそれを制止する。
「声を我慢するな、傷ができちまうぞ。」
「恥ずかしいの!…イヤらしい声、出るし。」
カナデはほくそ笑み、私の耳を甘噛みしてから囁いた。
「ヤらしいことしてんだから、当然。ほら、もっと聞かせろ。」
「あ…、ダメだよ、カナデ、ダメだってばぁ…!」
私の抵抗などおかまいなし。もちろん、私だって本当に嫌か、と聞かれればノーだ。ただ、恥ずかしさが先にたつのはどうしようもない。
いつのまにかカナデは、右手を私の秘部に伸ばしていた。自分でも、そんなところ触ったことないのに。
「ここは、洗ったのか?」
「…、そんなこと、聞かないでよ…。」
「じゃあ、俺が洗ってやる。」
「やだあっ…、あぁっ…!」
カナデの指は、あっという間に最も感じる花芽を探り当てる。そこをしばらくいじってたかと思うと、私の中におもむろに指を入れてきた。
決して強引ではないけど、ゆるやかに、確実に動く。
「お、お願い…、指、抜いて…っ!」
「イヤだ。ちゃんと慣らしとかないと、つらいのはお前だぞ?」
そう言って、カナデは指の抜き差しを続ける。体内を開かれる初めての感触に、どうしていいかわからない。その、体の奥から、何かがあふれてくる感覚にも。
「そろそろ、いい、か。」
そう一人ごちたカナデは、後ろ抱きの体勢を解いた。ようやく解放されると思ったのもつかの間、カナデの体が上から覆いかぶさってくる。
「やっ、カナデ、こんなところでっ…!」
「9年間待ったんだ、もう待てねえよ。」
カナデは私の足を開き、すっかり固くなった分身を入れようとする。でも、私が未経験なせいなのか、すんなりとは入らない。しびれを切らして、カナデが強引に分身をねじ込む。
「いっ、痛い…!カナデ、痛いよ…!」
「…悪い。ちょっとだけ、我慢してくれ。」
カナデは、狭い道を少しでも広げようと躍起になっている。私は、体をこじ開けられる痛みを堪える。
でも、カナデとすれ違い、意地を張って傷つけあった痛みの方がつらかった。だから、この痛みだって耐えられる。
「まだ、痛むか?」
「ううん、大丈夫。」
そうは言ったものの、苦痛のあまり私は泣いていたらしい。目尻に浮かんだ涙を、カナデが舐め取る。
全部入った後も、カナデはしばらく動かずに体をなじませていた。
「…ごめんな。サツキ、愛してるよ。」
「私も、愛してる。カナデ。」
体を密着させて、湯船の中で愛し合う。痛みも少しずつ薄れ、カナデが動くたびに別の感覚が湧きおこってくる。水面に立つさざ波が、だんだん激しくなってくる。
内臓をかきだされるような、粘膜を激しくこする動き。なぜだろう、もっとそうしてほしい、と願う自分がいる。
初めて覚えた快感。恥ずかしい、でも、もっと欲しい。
「カナデ、やめてっ!私、おかしくなる…!」
「バカ、おかしくなっちまえ。俺は、お前のそういうところが見たいんだよ。」
カナデは恥ずかしげもなくそんなことを言う。余裕たっぷりのカナデが、少し憎らしくなった。
でも、私の思うほど、カナデも余裕があったわけではなかったらしい。分身を何度も私の奥に突きたてながら、眉根を寄せる。
私は、そんなカナデの下でのたうつのみで。
「マジ、ヤバい…。締め付け、すぎなんだよ。」
「そんなの、わからないよ…。ああっ…、んぅ…、はぅっ…!」
カナデの体が揺れるたびに、湯船のお湯も波打つ。私は、カナデの体に必死でしがみつく。
そうしないと、お湯に溺れてしまいそうになるから。
でも、これから、私は溺れていくのだろう、カナデと愛しあうことに。
それでも構わない。カナデにとことんまで溺れて、引き返せなくなっても本望だ。
「ああ…、俺、もうダメだ…っ!」
「いいよ、カナデ。来て…!」
一際鋭いカナデの声が、終わりが近いことを告げる。お互い理性をかなぐり捨てて、本能のままにふるまう。
「…っ、…うぅ、イ、ク…!」
「んっ、…ああっ、カナデ…、カナデ!」
最奥で、どろりとしたものが放たれる。私の頭の中にも、白い火花が散った。思わず、カナデの体を、きつく抱きしめる。
一つになって、溶けあえた瞬間だった。
けだるい空気の中、私たちはまだ抱き合っていた。いい加減出ないと、湯あたりするのは分かってるけど。
ためらいながら、カナデが口を開く。
「俺、今の仕事が終わったら、オーストリアに戻らなきゃいけないんだ。」
「うん…。」
カナデは、ピアニスト兼作曲家。ピアノはあちらの方が本場だから、いつまでも日本にはいられない。それは分かってるつもりだった。
でも、こうやって改めて切り出されると、別れが目の前に来ているようでつらい。
「サツキ、その、俺が戻るときに、一緒に来てくれないか?」
「…いいの、私で?」
「いいも悪いもあるか。お前じゃなきゃダメなんだよ。まあ、即答は難しいだろうから、答えはしばらく後でもいいけど…。」
「…いいよ。私、カナデについてく。」
「本当か?」
「うん。だって、私、カナデと離れたくない。だから…。」
「ああ。俺だって同じだ。…愛してるよ。」
そうして私たちは、再びキスを交わした。
9年間のブランクを経て、私たちは再び巡り合い、傷つけあい、惹かれあい、愛し合った。
いろいろと試練は多かったし、これからの道も平坦とは言えないかもしれないけど、きっと乗り越えて行ける。
だって、カナデは私の運命の人だから。