昔から争い事は苦手だった。  
誰かと意見を異にしても自分から引く場合が多くて、勝気な友人によく説教された。  
「お人好しが過ぎる」だの「そんなだと何時か酷い目に遭うぞ」だの。  
曖昧に笑うことしか出来なくて、幾度も友人を怒らせたものだ。  
その友人は知らない。おそらく他の仲間達も知らない。  
傷つけることを厭うのは、他者への思いやりからだけではなく。  
―――己が内の負の感情を怖れるか  
耳を塞いでも無駄なこと。シャルトスの声は自分の内から聞こえてくるのだから。  
―――もう解っている筈だ。汝が何を望み、何を行なうべきかを  
「……やめて」  
―――我を呼べ。  
―――我を召喚せよ  
 
「やめてっ!」  
自分の悲鳴でアティは目を覚ました。シャツが汗でべったりと貼り付き気持ち悪い。  
この所同じ夢を見て、その度にこうして飛び起きる。  
荒い呼吸が落ち着くにつれ、ぐちゃぐちゃだった思考が少しずつ元に戻る。  
気分は相変わらず優れないが、とりあえず着替える余力は湧いてきた。  
一張羅のワンピースに袖を通しマントを羽織る。いつも通りの動作が心を日常に引き戻してくれる気がした。  
 
 
「……だから、そんなことアイツに言えるわけないだろ?!」  
「ちょ、アニキ声が大きいって!」  
静まったはずの心臓が再び乱れだす。  
船の外でカイル達が何やら言い争っている。理由は考えなくても分かる、自分だ。  
 
「イスラに対抗出来るのはセンセだけだって、もう分かってるでしょ」  
「でも……今だってあんなに戦うのを嫌がってるのに……」  
足が固まってしまい動かない。何事もなかったかのように出て行くのにはどうしたら良いかと悩んでいると、  
「……先生?」  
アリーゼに先に気づかれた。  
ばつの悪い顔をする面々に、アティはどうにか微笑む。  
「ごめんなさい、寝坊しちゃいました。みんなはもう朝ご飯食べ終わりました?」  
「え、ええ。先生の分取ってありますよ」  
「……悪いけど、今日は食欲がないから代わりに食べちゃってください。  
 私ちょっとラトリクスまで行ってきますね。昼には戻りますから」  
返事を待たず逃げるように皆に背を向ける。  
あからさま過ぎたと後悔したが、足を止めることは出来なかった。  
 
 
毎日親身になって手当てしてくれる相手を憎み続けるのは難しい。  
たとえそれが少し前まで命懸けのどつきあいしていた相手だったとしても、だ。  
ビジュも例外ではなく、アティに対する敵意はとりあえずなりを潜めていた。  
「……」  
「……」  
とは言っても手当てをおとなしく受けるようになったというだけの事、  
理由なしの訪問を受ける間柄ではない。  
「……何しに来やがった」  
「お構いなく」  
答えになっていない。椅子に腰掛けるアティは顔も上げず救急箱の中味を整頓している。  
ビジュの知る限りでは、かれこれ三回は確認しているだろうか。  
 
再び続くと思われた沈黙は、アティが溜息をつき救急箱のフタを閉めたことで途切れた。  
「散歩行きましょう」  
居座りの釈明かとの予想を裏切る言葉に思わず聞き返す。  
「そろそろ体力回復も考えた方が良いですよ。うんナイスアイディア決定」  
「ちょっと待て、誰も行くと」  
「その前にアルディラに許可取らないといけませんね」  
聞いちゃいない。むしろ意図的に無視している。  
とりあえず提案自体は悪くない。部屋に閉じ込められるのも飽きてきたし、  
これからどうなるにせよ鈍った体を元に戻すのはマイナスにはならない。  
それを差し引いても妙に反発を覚えるのは、  
「前から思ってたんだが、テメエには警戒心がねェのか」  
「失礼な、ありますよ」  
なら『敵』にあまり近づくな、と言おうとしてやめる。  
わざわざ忠告する義理はないし、そんなこと彼女の仲間がとっくにしているだろう。  
アティがわざとらしく溜息を吐き、  
「患者は医者の思いどおりには動かないって言われましたけど、これほどとは思いませんでした」  
「うるせえぞエセ医者が」  
「その似非の治療選んだのは貴方でしょう。諦めて指示に従ってもらいますから」  
「『捕虜』だからか?」  
咄嗟に出た言葉はアティのみならずビジュ自身をも黙らせてしまう。  
気まずい空気を振り払うように、  
「アルディラの所に行ってきますから、出る準備しておいてください」  
ドアが閉まる。  
「準備、ねえ」  
無意識にポケットに突っ込んだ手に、冷たい感触。  
 
引き出した掌には没収されたはずのサモナイト石が収まっている。  
アティ達の目を誤魔化して隠し持つのは案外簡単だった。  
問題は使いどころだ。  
(いっそ今使うか?)  
仲間から離れた所でアティを襲い、彼女を手土産に無色へと戻るという手もある。  
シャルトスの所有者の価値は大きい。  
イスラとの一件を差し引いてもビジュの身の安全を保証するには充分だろう。  
そうだと判っていて―――いまだ迷いがある。  
 
 
いくら許可が出たといってもそう遠くまでは行けない。  
ビジュが本調子でないことや、捕虜という立場もあるが、それ以上に島の住人が問題だった。  
彼が住人相手に戦いを何度も仕掛けたことはそうそう忘れられるものではない。  
特に風雷の郷では「スバル様人質に取った男を信用なぞ出来るか」と、怒り心頭に来ている。  
ミスミやキュウマが抑えてはいるが、姿見せようものなら問答無用で攻撃受けるだろう。  
他の集落住人も似たようなもので、ラトリクスが軟禁場所として選ばれたのはリペアセンターの存在もあるが  
それ以上に機界住人で感情を持つ者がごく限られているという背景もあった。  
感情がなければ憎悪もない、というわけだ。  
必然的に散歩はラトリクス内をうろつくことになる。  
鉄の街を走り回るのは、金属の身体持つ召喚獣たち。  
住人以外には分からない言語と、彼らにしか聞こえない音で会話し、定められた作業を続ける。  
黙々と。ひたすらに。  
人間という異分子が紛れ込んでもお構いなく。  
スクラップ場に据付けたテラスから見下ろしそんな埒もないことを考える。  
 
横ではアティが何やら黒い箱に話しかけている。  
「―――はい、感度良好です。じゃあ何かあったら連絡入れますね」  
ぱちんとスイッチらしきものを操作した後、思い切り伸びをした。  
「それは?」  
「ん、これですか」  
ベルトに下げた黒い箱を指し示す。  
「無線機、っていうロレイラルの通信機器です。これで何かあったらすぐに連絡できますよ」  
「連絡する前に壊されたら」  
「その時は『連絡がない』こと自体が非常告知になるわけですし」  
ということは拉致はほぼ不可能か。  
思ったほど落胆しないのがかえって疑問だった。  
会話が途切れる。  
少々気まずい沈黙を打ち消すつもりかアティはぽつりと口を開く。  
「リハビリは口実なんです。ちょっと他の人と顔合わせ辛くて。  
 一応言っておくと、貴方が原因ではないので安心してください」  
ビジュを助けた事が他の仲間からどう思われているのか、アティは特に語らない。  
おそらく良くはないだろうが、ひょっとしたら『アティだから』で半分諦めの心境なのかもしれない。  
それよりも、この際聞きたいことがある。  
「―――どうして俺を助けた」  
問いかけに迷うように目をしばたかせ、  
「……さあ」  
「さあ、ってテメエのことだろうが」  
「そうですけど……なら、貴方は何故あの時私に協力したんですか?」  
 
それは簡単に答えられる。  
「別にテメエを助けたわけじゃねえ。イスラの野郎にムカついただけだ」  
「ああそっか」  
どうでもよさげな口調で相槌を打ち、  
「本当にどうして助けちゃったんでしょう」  
「……は?」  
困ったような表情で、  
「貴方は助力を拒否したし、他の人に放っておけとも言われましたし……私も迷いましたし」  
そこまで言うか。  
「ただあのまま何もしなかったら後悔しただろうな、って」  
「おい、それだけかよ」  
「たぶん。だから無理に感謝しなくてもいいですよ。私が勝手に助けたんだから」  
「しろと言われても出来るか」  
手すりに腕をかけアティは微笑み自分にやっと聞こえる程度の音量で呟いた。  
「―――貴方が居なくなった方が私は……」  
遠慮会釈ない合成音が言葉を遮る。無線機の呼び出しだ。  
『―――アティ、今どこにいるの?!』  
スイッチを入れた瞬間、挨拶も抜きでアルディラの焦った声が発せられる。  
「まだスクラップ場ですけど?」  
『今すぐ戻って!』  
「ちょ、ちょっと一体どうしたんですか」  
『侵入者よ! 迎撃システムを何人か逃れ』  
アルディラの言葉を最後まで聞けなかった。  
 
横合いからの殺気を感じた瞬間、反射的に無線機を投げつける。  
甲高い音を立てて無線機が床を滑っていった。  
叩き落したのは無色の、  
「「……っ!」」  
鈍く光る銃口を見た瞬間、アティもビジュもそれぞれの場所から飛び退く。  
大気を切り裂く轟音に血の気が引くのを無理矢理押さえ、状況を確認した。  
アルディラの言った『侵入者』らしき無色の兵士は目に入る限りでは二人。一人は剣、もう一人は銃を構えている。  
テラスは充分な広さがあるので多少の立ち回りは可能だろう。  
欲を言えば銃に対し遮蔽物が欲しいが、ないものねだりしてても始まらない。  
目線は兵士らに固定したままでアティは囁いた。  
「注意を引きつけておきますから、階段まで頑張ってください。  
 ―――せっかく治った身体だし、大事にしなきゃいけませんよ」  
何を、と問う暇もない。  
白いマントが翻る。ビジュを庇うように、いや実際庇って。  
苛立つ。  
何故、彼女はこうもあっさりと後ろを見せるのか。  
どうして敵を―――彼女に害を加えようとする人間を―――護ろうなどどいう気になる。  
銃声にアティの肩が浅くえぐられる。一歩下がったところを剣が襲う。このままでは押し負ける。  
兵士二人はビジュが攻撃手段を持たないと判断したのか、向かってくる気配はない。  
逃げるのは容易い、だが。  
「……甘いんだよ、どいつもこいつも!」  
床を蹴る。  
階段に向かってではなく、戦いの場へと。  
 
足元を銃弾が穿ちリノリウムの欠片が飛び散った。  
構わず走りサモナイト石を取り出す。  
素手だと思い込んでいた相手の行動に対し動揺が表れるのを見逃さず、  
転がる無線機を力いっぱい銃使いへと蹴り飛ばす。  
 
正直時間稼ぎにしかならないが、今はそれで充分。  
サモナイト石が意志に呼応し熱を帯びる。  
「―――後悔しなあっ!」  
空間が歪みブラックラックが現れ、その輪郭がぼやけアティと鍔ぜりあう兵士と重なり同化する。  
唐突にアティを押さえつける力が緩む。  
驚愕する兵士の横へと付き、飾り帯引き抜き鞭の要領で腕を絡めとり力任せに引く。  
通常ならばいなされて終わりだったろうが、憑依で身体能力の低下した状態ならば。  
「……っ?!」  
兵士が体勢を崩す。  
ほんの一瞬だけ、アティは躊躇い。  
杖をくるりと回し剣の切っ先を逸らさせ、身を寄せる。  
ほとんど密着状態になった兵士の腹にサモナイト石を押しつけ。  
閃光。衝撃。鈍い音がしてアティより頭ひとつ分高い体が吹き飛び動かなくなる。  
余波にぐらつくがどうにか踏みとどまった。  
残った方が身を翻す。向かう先には何もない。  
ちらりとアティ達を振り返ると、手すりを乗り越え無造作に飛び降りた。  
「ここからなんて無茶な……!」  
慌てて駆け寄るアティの襟元を、ビジュが思い切り引っ張る。  
よろめいたアティの身体がぶつかる格好になった。  
「ちったあ考えろこの馬鹿が!」  
つい先程までアティの頭があった場所に銃弾が撃ち込まれる。  
逃げたふりをして鉤縄かなんかでぶら下り死角に潜み、のこのこやって来た間抜けの頭打ち抜く。  
古典的ではあるが効果的な手法で、実際ビジュがいなければ今頃アティの頭はばっちり爆ぜ割れていただろう。  
間髪いれずに召喚術叩き込む。敵の姿が見えないため如何ともしがたいが、一応は手ごたえがあった。  
用心しつつ近寄ると、主を失ったロープが風に頼りなくあおられているのみ。  
 
「……とりあえず危機脱出、ですか」  
軽い咳を交えアティが呟く。  
予想外に近い場所からの声にうろたえて、思わず腕の中の身体を押してしまう。  
「わ…とと」  
危ういところで体勢を立て直しこちらを向いて、  
「そういえばそのサモナイト石は……」  
戦いは終わったというのに、妙な汗が背中を伝う。  
言い訳は無理だ。むしろこの状況で上手く煙に巻ける奴がいたら連れてきて欲しい。  
「……まあおかげで助かりました。ありがとう」  
「……それだけか?」  
「今のところは」  
微妙に安心できない台詞にひきつるのにアティが小さく笑う。  
文句を言おうとし。  
たん。  
聞き逃さなかったのが不思議な程小さな、足音。  
はじかれるようにして目を遣った先で、  
無色の兵が、疾る。  
右手を懐に差し入れ、こちらに向かって。  
目的ははっきりしていた。すなわち、自爆による標的の抹殺。  
近すぎる。意識の有無を確かめなかった判断の甘さを悔やむが、遅い。  
口元に浮かぶ狂気が一層深くなり、  
手が自爆用の火薬へとほくちを切り、  
「アクセス!」  
アティ達と兵士の間に立ち塞がるようにして鋼の巨人が現れ、兵士の身体を抱きしめ押し戻す。  
爆風も抱擁の中四散する体も巨体に遮られアティ達には届かなかった。  
火薬と濃い血の臭いに思考が奪われるが、それも一時のこと。  
召喚獣が戻った後には、何も残っていなかった。煤に黒く汚れる床だけが、何があったのかを示す。  
 
 
黒煙を突っ切って人影がふたつ駆け寄ってくる。  
「アルディラ、それにクノン? じゃあ今のは」  
「良かった間に合って……クノン、身体状態のチェックを」  
「はい。失礼します、アティさま」  
クノンが近寄ってきて応急処置を始める。  
低めに設定された体温が戦闘の熱の残る肌に心地好い。  
緊張を解いたところで、アティは首筋にからみつく不快な感触に気づいた。  
汗でべたりと湿り、重く垂れる血色の髪。  
震える手で梳き落とそうとして―――俯いたまま乾いた笑みをもらす。  
赤いのは元からだ。別に返り血のせいではない。だから、この行為に意味はない。  
「下で侵入者一名の死亡を確認したけど、あれは貴女達が?」  
「はい」  
「……迂闊だったわ、イスラはラトリクスに滞在していたんだもの。警備システムを変更しなかったのは私のミスよ」  
アティはひとつ息を継ぎ、ゆっくりと顔を上げ、言葉を紡ぐ。  
「イスラや無色をこれ以上放っておくわけにはいきません」  
「……アティ?」  
決めなければ、ならない。  
「皆さんを集めてくれますか―――決着をつけます」  
その決断が心底自分のものなのか、シャルトスの影響下にあるからなのか、アティにはもう分からない。  
 
どこからか満足げな哄笑が聞こえた。  

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