まどろみと浅い覚醒との間で夢を見る。  
血塗れの剣。血塗れの手。倒れ伏す人影。耳障りな哂い声。  
ああ、これは繰り返し。  
両親を殺されてひとりぼっちになってしまったあの日の再現。  
必死で傍らの母親へと手を伸ばし、  
あれ。  
どうして。  
どうして、私の手に剣があるのだろう。  
はしゃぐように身を捩じらせ声なき歓喜を発する刀身は深碧の輝きを放つ。  
何をそんなに喜んでいるのか。私がこんなに苦しんでいるのに何が嬉しいのか。  
―――苦しんでいる?  
嘲笑を多分に含んだ声は、  
「シャル、トス?」  
―――これは汝の望み。よく見るがいい  
目を凝らす。  
「……あ…ああっ……」  
シャルトスが、この手が血に汚れるのは、  
―――汝が我を振るうからだ  
叫びは胸のどこかで塞き止められてしまう。  
傷を負うのは両親ではない。傷つけたのは旧王国兵ではない。  
「―――何迷ってるのさ、先生」  
それは。  
「イスラ」  
白い肌を赤黒く染め、もう一人の魔剣の所有者は口の端を吊り上げた。  
 
キルスレスの再生能力も追いつかぬダメージを受け、地面に膝をつき私を見ている。  
「君の大切なものを守るんだろう?」  
「……っ」  
―――我を振るえ。汝が敵を滅ぼせ  
「やりなよ」  
―――汝の手で終わらせるのだ  
「出来ないはずがないだろう? 仲間を守るためなら、出来ないことなんかないんだろう?」  
―――さあ  
「さあ」  
―――さあ!  
「う…うああああっ!」  
叫んで。  
大きく無防備にシャルトスを振り上げる。  
静かに目を閉じたイスラへと。  
切っ先を。  
  まるで  あの日の  旧王国兵のように  
ざくりとえぐる感触。  
イスラの目が驚きに見開かれる。  
刃は、地面へ深々と突き刺さっていた。  
「違うっ! 私は……っ」  
意味のない否定。そして。  
「……馬鹿だよ、君は」  
憐れむような呟きと共に真紅の光が視界を灼く。  
イスラの身体が跳ね、キルスレスが赤い軌跡を描き咄嗟に構えたシャルトスと打ち合わされ、  
 
 
 
ぱきん、と。  
 
 
 
シャルトスは砕けた。強大な力を持つはずの魔剣は酷くあっけなくその姿を失った。  
破片がきらきらと舞い散って。  
「      え 」  
あれだけ騒がしかったシャルトスの声が消える。  
『―――魔剣とは、持ち主の精神を具現化する、いわば心の剣。持ち主の心が弱まれば剣も容易く砕ける。  
 そして剣の破壊はすなわち―――』  
私の心が砕ける。  
「アはははハハははっ! 赤ん坊みたいに泣き叫んで、みっともないよ先生?  
 そんなんじゃ恥ずかしいだろうから」  
頭上で剣を構える音がした。  
「僕が殺してあげるよっ!」  
悲鳴と怒号と驚愕と罵声と鋭痛と血臭と白光と憎悪と憐憫と抱き上げる腕と誰かの泣く声。  
 
私には。  
私が守りたかったもの。  
私が信じていたこと。  
それが何だったのか、もう分からない。  
分かっていたのかすら、分からない。  
 
そしてまた、まどろみと浅い覚醒とを繰り返す。  
 
 
控えめなノックの後、半開きのドアからソノラが顔を覗かせた。  
「先生、ここにアリーゼ……来てないよね。あの子、今朝から見当たらなくって……」  
しばしの間を置きアティは惰性のように身を起こす。  
「……探しに行かないと……。私は、あの子の『先生』なんだから……」  
夢の残滓を引きずったまま彼女は部屋を出た。  
 
 
 
軽い目眩を感じてアティは立ち止まる。  
ここ二日近く食事をろくに摂っていなかったのに加え、あてもなく歩き回るという行為が相当の負担を強いている。  
どの集落にもアリーゼの姿は見当たらなかった。  
探す場所がなくなって森に入ってしまったけれど、正直こんな所にいるとは思えない。  
木の根元へ座り込む。朝方雨でも降ったのか地面がぬかるんでいるが気にする余力もない。  
(……何してるんだろう、私)  
膝を抱えぼんやりと空を見上げる。木漏れ日の暖かな好い天気だ。  
こうしている間にも、無色の派閥やイスラが島を荒らし続けているなど、悪い冗談にしか思えない。  
いつの間にか目を閉じて頭を膝上に乗っけていた。  
とろつく静寂に身を委ねていると、アリーゼを探している最中に会った人達の断片が浮かんでは消える。  
ゲンジに説教されたり、ジャキーニには慰められたり、パナシェがユクレスにお祈りしてるのを見てしまったり、  
(アズリアにはいきなり斬りかかられるし……まだちょっと痛いかな)  
「……完全に呆れてたよね、あれは」  
たった一言、腑抜けたお前に用はないと最後通牒を突きつけられてしまった。  
悲しいと思う。このままではいけないとも思う。  
けれど感情と行動がうまく繋がらなくてどこか他人事のよう。  
(当たり前か、私、壊れちゃったんだから)  
目を閉じる。眠いというより起きているのが辛い。  
 
どの位そうしていただろうか。  
ふと土を踏む音を捉える。  
そういえば続く無色の蹂躙ではぐれ召喚獣が狂暴化しているという話を誰かに聞いた。  
このままでいるのは襲ってくれと言ってるようなものだが、アティは動こうとしない。  
足音は一度止まり、次いでアティへと一直線にやってくる。  
近づく。  
まだ目は閉じたまま。  
更に近づく。  
まだ閉じたまま。  
すぐ傍で、音が止まる。  
まだ。  
「―――やっぱり、テメエに警戒心なんかありゃしねェ」  
顔を上げる。  
呆れと苛立ちがないまぜになった表情でビジュが見下ろしていた。  
長い事森にいたのか、膝の辺りが土で汚れている。  
「よく外に出られましたね」  
「俺なんぞに構ってる余裕がなくなったみてェだな」  
「それ私のせいです」  
自虐めいた台詞を吐いて再び目を、  
「寝るな。はぐれに襲われたらどうする気だ」  
「……さあ」  
舌打ちの音。  
「とにかくこんな所うろつくな」  
「そういう貴方こそここで何をしてるんですか」  
問いにビジュが僅かな狼狽を見せる。  
 
「別にテメエには関係ねェだろ」  
「そうですね……ごめんなさい」  
のろのろと立ち上がりまた目眩を起こしかけた。  
ふらつく身体にビジュは手を伸ばしかけて、結局引っ込めてしまう。  
全く柄じゃない。それもこれも、アティが酷く蒼白い顔してるからだ。  
今にも倒れそうな身体を背の木に預け息をつくのを見ていると、  
憎いはずの女に別種の感情が生まれそうになる。  
そうではない、唯。  
「借り作ったままだと気分悪りいからな」  
「……『借り』?」  
脈絡のない言葉に聞き返したがそれ以上の答えは得られない。  
「ほれ、とっとと帰っちまえ」  
アティは首を横に振り、  
「アリーゼ……あの子を探してるんです。見つけるまで戻れません」  
探す理由は教師としての義務感からだけかと問われたことを思い出し、胸のどこかが痛む。  
おかしなことだ。とっくに壊れてしまったはずの心が痛みを感じるなど。  
ささやかな疑問はビジュの一言で吹き飛んだ。  
「あのガキなら一時間ばかり前にここ通ったぞ」  
「え。それで、アリーゼどこ行きました」  
指し示す方向には、二日前に無色と戦った―――シャルトスが砕かれた場所。  
アティは身を翻しかけ、  
「……」  
「まだなんか用があるのか」  
「怪我、治りました?」  
不意打ちだった。  
 
見りゃ分かるだろうとか、人のこと言える顔色かとか、言い様はいくらでもあったはずだが、  
返したのは頷きをひとつだけ。  
「そう。良かったですね」  
アティが残したのもその一言だけ。  
白い姿が道の向こうに消えてからも、しばらく目で追い続けていた。  
 
 
この日ばかりはビジュに感謝した。  
アリーゼは確かに居た―――崖下に。  
もう少し見つけるのが遅かったら。もしくはアリーゼの落ちた丁度その場所にクッションとなる木々がなかったら。  
気を失ったアリーゼを引っ張り上げ、癒しの術を掛けるその時間がやけに長く感じた。  
やがて、うっすらと目蓋が上がり、  
「あれ……先生……」  
「何考えてるんですかっ!」  
怒鳴り声に、側で心配そうに見守っていたキユピーが驚いてあとじさる。  
アリーゼは余りのことに固まっていた。  
「危ないことして……下手したら怪我じゃ済まなかったかもしれないんですよ?!」  
「……っ」  
「どうしてこんな事―――」  
「だってっ!」  
今度はアティが驚く番だった。  
「だって、これがどうしても必要だったんだから!」  
気絶しても握り締め続けていたポシェットから、何かがこぼれ落ちる。  
くすんだ碧色の鉱石に似たそれは、  
シャルトスの欠片。  
 
「この剣は…っ、先生の心なんでしょう……だ、だからあ、剣を直せば先生の心も元に戻るって、思って……」  
アリーゼの小さな身体がぶつかってきた。  
温かく柔らかいそれはしゃくりあげる声と一緒になって大切な何かを伝えてくる。  
「いやなのっ、先生が、あんな風になってるのを見るのは……。それに、せんせえ、言ってたでしょう……?  
 力は色んなものを壊すけど、言葉は壊れたものを甦らせる、って……!」  
「……!」  
「せんせえが前みたいに笑えるようになるまで、わたし何度でも呼びかけるから……! だからあっ……」  
ずっと感じていた疑問が氷解する。  
知らず知らずにアリーゼを抱きしめていた。  
(まだ、私の心は砕けてなんかいない。そのふりをして逃げていただけ。だって本当に砕けてしまっていたなら―――)  
「先生……」  
(―――この子をこんなに温かいと思えるはずがないもの)  
「ごめんね、アリーゼ……もう大丈夫だから」  
泣き出しそうなのを無理矢理抑えているから、鼻にかかって聞き取りにくいかもしれない。  
けれどアリーゼには確かに伝わった。  
せんせい、と涙混じりの呟き。  
けれどそれはきっと嬉し涙だ。  
 
真っ赤になって目の辺りをこするアリーゼにハンカチを手渡し、  
「でも、剣を直そうなんてよく思いつきましたね」  
「えへへ……」  
ちょっぴり自慢げに笑うのに、  
「それでどうやって直すつもりなんですか?」  
「………」  
「……?」  
「……えっと、その……考えてなかったです」  
 
苦笑するアティの前で途端にわたわたしだす。  
「あの、先生元気になったらなってそればっかり考えてて他のことに頭が回らなかったというかそのえと」  
「落ち着いてほら深呼吸、すってー、はいてー」  
「……すう、はあ。うう、ごめんなさい……」  
いいから、と頭を撫でる背後に。  
「―――ほう。剣を砕かれ尚立ち上がるか」  
「……?!」  
いつから居たのか。佇むのはウィゼルと名乗るシルターンの剣士―――無色の派閥の一員。  
アリーゼを背に庇い、硬い声で問う。  
「何しに来たんですか」  
返答は予想外のものだった。  
「その剣、俺に預けてみる気はないか?」  
「―――で、できませんよ! だってあなたは無色の仲間じゃないですか!」  
混乱するアリーゼの言葉に、  
「確かに俺はオルドレイクと行動を共にしているが、奴らの仲間ではない。  
 俺の目的は強き剣を鍛えること。  
 オルドレイクの狂気を糧に最強の剣を打つ―――無色にはその為に居るに過ぎない」  
「じゃあ先生とシャルトスもそれで……でも……」  
「信じるかどうかはお前達次第だ。どうする?」  
アティは身じろぎもせずウィゼルとアリーゼのやりとりを聞いていたが、  
本心を探ろうとでもいうようにウィゼルを見据え、  
「何故、私に?」  
「自覚しているだろうが、お前は心の弱さを持つ。だが、それでもお前は再び立ち上がった。  
 例えば、目の見えない人間はその分聴覚が鋭くなる。片腕の使えない人間は残る腕の力が強くなる。  
 脆弱さを抱える者の限界をも超える強さ……俺はその可能性を見てみたい」  
「先生」  
不安げにすがりついてくる手を握り返し、アティは。  
 
「―――正直、貴方を信じられない。けれど無色を止めるには力が必要だってことは分かるから」  
ひと呼吸間を置いて。  
「だから、この剣を貴方に預けます」  
「では、俺が剣を無色へ渡したとしたら、お前はどうする」  
「どうせ一度失ってしまった力ですからお好きなように。それに」  
真直ぐな視線がウィゼルを射抜く。  
「たとえ力が得られなくても、私は私の大切なものを守ります」  
決意が、触れる手を通して伝わってくる。  
「―――いい目だ。このウィゼル、全力を以って剣の修復にあたろう」  
おずおずとした口調でアリーゼが尋ねた。  
「でも、直すっていっても道具とかどうするんですか?」  
「心当たりがある。ついて来い」  
 
 
シルターン風のティーカップを傾けてメイメイは訪問者へと微笑みかけた。  
「おやまあ珍しいお客さんだこと」  
「久しいな、店主。奥と道具を借りるぞ」  
「はいはいどぞー」  
やたらと親しげな様子に目を丸くする二人に、  
「古い知り合いでね。それより」  
アティへと優しい眼差しを向け、  
「……うん、良かったわね、戻れて」  
「あ……メイメイさんにも心配かけちゃいましたね」  
「そうよお。ま、その分後でお酒付き合ってもらうから♪」  
「………………その、お手柔らかに」  
アリーゼがくすくすと忍び笑いをもらす。  
 
 
女同士の話が一段落したところで何やらごそごそやっていたウィゼルが口を開いた。  
「準備をする。お前に手伝ってもらおう」  
「え、わたし、ですか」  
「そうだ。魔剣の所有者には他にやらなければならないことがある」  
厳かとも呼べる口調でアティに告げる。  
「―――確固たるものを探せ。お前が剣に込めるべき、確かな想いを」  
それ以上は口を開かず奥へと消える。アリーゼが慌ててその後を追った。  
残されたアティの肩をメイメイがぽんと叩き、  
「難しく考えなくていいのよ。答えはもう貴女の中にあるのだから」  
「私の答え……」  
「ま、自分のことって意外と分かりにくいし、誰かに相談するといいかもね。  
 ―――逢ってらっしゃい。貴女の思い描いたひとに。そのひとがきっと助けてくれるわ」  
半分押されるようにして店を出る。  
しばし悩んでいたが、やがて迷いの残るままながらも歩き出す。  
誰の元へと向かうのか、アティはまだ気づかない。  

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