心に浮かぶひとに会いなさい、とメイメイは言った。
剣に込めるべき確かな想いを得るために。
アティはうーんと考え込む。
(アズリアにはまだ会いにくいし……アルディラやスカーレルさんにでも相談してみようかな……)
「あ。その前に」
ビジュの指先に痛みが生まれる。慌てて引くと草で切ってしまったらしく白い線がはしっていた。
幸い血も出ていなかったのでそのまま草むらをかき分け続ける。
「……」
なんでこんな事してるのか、馬鹿々々しくなってきた。
朝からずっと地面に張りついて服泥だらけだし、疲れた。
一旦立ち上がり腰を伸ばす。
その拍子に目に入った空は憎らしいまでの快晴。
天気は人間なんかに構いやしない、という当たり前のことを再認識させる空模様。
人が気候を動かすのを見たのは一度きり。二振りの魔剣により引き起こされた嵐。
魔剣の所有者両名のうち、一人は今も島のどこかでキルスレスと共に暗躍しているのだろう。
だがもう片方は。
「……アイツがイスラにやられさえしなけりゃ……つか俺が心配する必要なんてないだろうよ全く……」
「何ぶつくさ言ってるんですか」
背後からの声に思わず飛びのき腰へと手を遣り、
すかった感触で武器、ついでにサモナイト石も取り上げられたのを思い出した。
元凶のアティは驚いた顔している。
気配を読み取れなかったことに歯噛みする。自覚はないが注意力がかなり落ちているらしい。
「何の用だ」
「あ、その、アリーゼ見つかりました」
それで納得した。アティを蝕んでいた自棄の空気が随分軽くなっている。
「本調子取り戻せたみてェだな」
「あの子に説教されちゃいましたから」
ほんのり優しさを含んだ苦笑が言葉と一緒に滑り出る。
「私は、焦ってたんだと思います。イスラを前に、みんなを守れるのか不安になって。
自分を曲げることも時には必要だって言い聞かせて……結局、あの有様でしたけど」
特に返答を期待したわけではない。だが意外にも、応えがあった。
「要するに、だ。テメエは仲間を信用してねェってわけだな」
「……え?」
「テメエだけが無理すりゃ勝てるなんて考えて、他の連中ほったらかしだしな」
アティが言葉に詰まる。その頬に戸惑いと僅かだが怒りの朱が差す。
「信用してます。ただ、大切な人達に傷ついて欲しくないだけです」
平静を装っての答えも、眉がしかめられていては効果半減だ。
「痛い所突かれた、って顔だな」
「嫌な人ですね、貴方」
それはそれは嫌そうな声色に何故だか愉快になった。
まだ、そんな表情もできるのだと。
「……確かに言われてみればそうですけど。
駄目だなあ。自分の我侭のせいで人に迷惑かけちゃうなんて」
聞こえるか聞こえないかの呟きに違和感を覚えた。
「我侭っつーのは、誰が」
「え、私、ですけど。
貴方にも言いましたけど、私が誰かを守るのは単にそうしたいから、というだけなんです。
それで勝手に動いて自滅して。もう見捨てられても仕方がない位ですよ」
自虐とも取れる内容の割にはアティはいつも通りだ。
まるで当たり前のことでも話すかのように。
それが、妙に。
「連中がテメエを見捨てるなんざ在り得ねェがな」
「皆さん優しいですから」
「違うだろ」
癇にさわる。
「連中がテメエを助けるのはテメエだからだろうが」
「私だから、ですか?」
狼狽の色が濃く滲み出る。
……この女は本当にそのことを分かっていなかったらしい。
ビジュは思わずこめかみを押さえた。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、
「ここまでとはなあ……」
「つまり行為に対してのお返し、ってことかな……でも本当に自分勝手な気持ちからだから……」
横でぶつぶつ言うアティの頭を一瞬はたきたくなるが、どうにか踏みとどまった。
その代わりに、
「テメエと一緒だろうよ。我侭ってやつだ。
それとも自分はよくて他人のは許せねェ、ってか? 都合のいいこった」
「なっ、そんなんじゃないです!」
強すぎるまでの否定に、アティ自身が驚いたようだった。
「ただ、私を守る必要なんて……シャルトスもある…あったし……」
「それはそっちの都合だろ。んなの関係ねェから我侭っつーんだろうが」
アティが黙って俯いてしまう。うろうろする視線からすると、反論の言葉を探しているらしい。
追打ちをかけるようにビジュはわざとらしく溜息をついて、
「それで上手くいってたんだろうが。で、余計なこと考えた途端にイスラにやられちまった、と。
間違いがどこだったのか部外者の俺にも分かることが、何で分からねェんだか」
落ち着きのなかった目が、内の思考に沈むようにして静まる。
ビジュはといえば、普段なら絶対言わないであろうことをほざいたむず痒さに今頃襲われていた。
「―――我侭でも良いのかな」
少々居心地の悪い沈黙の末にアティは顔を上げ、
「それで良いんでしょうね、きっと。
はは……まさか貴方に諭される日が来るとは思いませんでした」
全くだ。言った当人でさえ予測していなかった。
苦い顔して手を追い払う形に振る。
「用が済んだならとっとと行っちまえ」
「あの」
「まだ何かあるのか」
「……ありがとう」
本日二度目の不意打ち。
「じゃあメイメイさんの店にアリーゼ待たせてるのでもう行きますねではまたっ」
不自然な早口でまくしたてきびすを返すのを呆然と見送った。
「勘弁してくれ……」
これ以上は不本意だ。ほったらかしにして、居ないもののように扱ってくれた方がまだましに思える。
他人との関わりは苦痛を伴うのだから。
苛立たしげに引いた爪先が石らしきものを蹴転がす。視線を落とし、
「あった」
呟きには少しばかりの安堵と、ごく微かな―――本人すら気づかない感情が含まれている。
仄暗い部屋の中、鉦音に合わせ炎が踊る。
「見つけたようだな」
「はい。それで、どうすればいいんですか」
ウィゼルは金床をはさんでの正面を指さす。アティがそこに立つと、
「剣に呼びかけろ。お前の想いが強ければ、その分だけ剣は強くなる」
「……弱かったら?」
「形を創る前に崩れるだけだ」
単純で分かり易いことこの上ない。
アティはひどく生真面目な表情で目を閉じる。
(私はとても―――自分すら思い通りにならないくらい弱いけれど、それでもみんなを守りたい)
昏い感情を持つ自分がそう願うのは、間違っているかもしれない。
それでも、これが自分の嘘偽りない想い。
だから、
「もう一度、力を借ります」
剣を打つ音が、ひときわ高く響いた。
ビジュは土で汚れた手を、正確には手の中に収まるものをポケットへと突っ込み、仕上げに裾で土を払い落とす。
「とりあえずこれで借りは返せるか」
どこか気の抜けた独白に応える者はいない。
怪我が治った今、ビジュとアティを繋ぐのは助けた側と助けられた側という、
一種の負い目にも似た感情だけだ。おそらくは。
だからそれさえ解消してしまえば、金輪際アティと少なくとも精神的には関わらずに済む。
ビジュにとって正に望むところ、のはず。そのはずだ。
「うわああああっ!」
涙混じりの悲鳴にばらけていた意識が集束する。
木々の間を縫うようにして、追いつ追われつする影がふたつ。
必死で逃げているのは、アティの生徒の一人で確かパナシェという名の亜人の少年。
追いかけるのはここいらでよく見かけるはぐれ召喚獣だった。
あのはぐれ自体は弱く群れで襲ってこない限り素手でもどうということのない相手だが、
弱さ故に己れより大きな獲物を襲うことは稀だし、あんな風に一匹で行動するのは珍しい。
おそらく無色の影響なのだろう。
「あっち行けよ! ボク食べたっておいしくないのにー!」
はぐれが耳障りな鳴き声を上げる。
とりあえずパナシェはうるさ過ぎるし、第一こっちに走ってくる。無視しようにもできない。
タイミングを見計らいはぐれの進行方向に立ちふさがる。
驚き動きを止めた腹に蹴りを叩き込む。はぐれの丸っこい体が明後日の方にかっとび大慌てで逃げ去っていった。
「今日は何だってこんなに会うんだ」
視線を向けると、パナシェは怯えてあとずさる。人質にとられた事もある身としては仕方ないだろう。
立ち去ろうとして―――出来なかった。
見ると袖を震える手がぎゅっと掴んでいた。
「せ…先生、先生とお姉ちゃんがどこにいるか知らない?!」
「……何があった」
見上げる目がうろうろと迷い、やがて、
「みんなが、無色のヒトと決着をつける、って……先生には内緒にしろって……でも」
大きな瞳からぼろぼろと涙が零れる。
「聞いちゃったんだ……『勝てないかもしれない』って……『でもやらなきゃいけない』って……!」
思わず聞き返す。
信じられなかった。シャルトスの力を以ってしてもやっと互角だったのに、勝てないと分かって戦いに赴く、だと?
「馬鹿の集まりか連中は!」
「ねえ先生は?! 早くしないとみんなが……!」
ここでぐだぐだ考えていても始まらない。
「行くぞ」
「え、知ってるの……わわちょっと待って!」
子どもと大人の足では違いすぎる。ビジュは舌打ちしてパナシェの所まで一旦戻り、
「うひゃあっ」
パナシェを小脇に抱え走り出す。見た目の割に重いが、一度抱えた手前放り出すわけにもいかない。
「ちっ……なんで俺がこんなこと……!」
遠慮会釈なく揺さぶられながら、それはこっちが聞きたいよ、とパナシェはこっそり心の中で呟いた。
メイメイの店でアリーゼはお茶を御馳走になっていた。
行儀のいい彼女にしては珍しく、手にしたカップを落ち着きなくいじくっている。
その視線は閉じたままのドアへ、その向こうのアティとウィゼルへと向けられたままだ。
と。がたんっと音を立てて立ち上がった。
ドアが開く。
「先生っ」
「お待たせ、アリーゼ」
アティはそっと笑みを浮かべ、手にした剣を見せる。
水晶のごとく透きとおる刀身は優美な曲線を描き、一見とても脆い、武器というより美術品のよう。
「抜いて見せろ」
「はい」
かざした剣に光が満ちる。
シャルトスの全てを圧倒するような強い光とは異なる、もっと穏やかで包み込むような、青い輝き。
「……きれい」
それは、アティの新しい力。
「やーめでたいっ。めでたいついでに、このメイメイさんが名付け親になってあげよう」
「名前って、この剣のですか?」
「そう。うん、『ウィスタリアス』ってのはどうかな。古い言葉で『果てしなき蒼』って意味なんだけど」
「果てしなき蒼……ウィスタリアス」
アティの呟きに応え剣が淡く強く光を放つ。
「うわあ格好良いです。先生の新しい剣にぴったりの名前だと思いますよ」
「ちょっと照れるけどね」
はにかむアティを囲んでほのぼのした空気が形成されたところで。
物凄い音がして店の戸が蹴り開けられた。
肩で息しつつ転がり込んできたのは、
「お前は、イスラと共に居た……」
「ウィゼル?! なな何でここに」
半ば固まりかけるビジュだが、パナシェがじたばたしだしたのに我に返った。
つい腕を離すとべたんっと床に落っこちる。
「パナシェくん大丈夫?!」
「う、うん。それより大変だよ! みんなが無色のヒトと決着つけるって遺跡に行っちゃったんだ!」
「なっ…そんな無茶な?!」
「心配かけないようにって内緒にしてたのが裏目に出たわね」
眉をしかめたメイメイの呟きにアティが目に見えて焦りだす。
様子を見ていたビジュは何事か言いかけ、結局口をつぐんでしまう。
そこに、
「ちょっとちょっと、お兄さん」
メイメイが手招きし、投具を一揃い差し出した。
「要るでしょ、ああ代金は後払いでいいから〜。後、これはオマケ」
「……これってサモナイト石? メイメイさんがなんで持ってるんですか?」
後ろから覗き込むアリーゼの疑問に得意げに笑って、
「こう見えてもメイメイさん、凄腕の占い師だから、お客さんの必要なものが分かるのよ」
いまひとつ納得がいかないが、今はそれどころではない。
黙って受け取るビジュに、アティがおずおずと尋ねる。
「ついて来てくれるんですか」
「こんなモン渡されちまった手前、無視するわけにもいかねェだろ。ついでに」
投具を腰へとたばさんだ。確かな重さと冷たい金属の感触が為すべきことを教える。即ち、
「借りを返すぜ、先生」
「―――はい、お願いします!」
いまいち状況の変化についていけてないアリーゼを急かし、アティ達は仲間の元へと駆け出した。
しばらくして、ウィゼルが店の戸を押し開ける。
「ありゃ、もう行くんだ」
「今からなら丁度良い時分だろう―――彼女らは間に合うかな」
「もちろん」
不信などカケラも見当たらない口調で答えるのを、ウィゼルは一瞥しただけで立ち去る。
その背があっという間に木々の中へ溶け込むのを見送り、
「頑張りなさいよ、若人」
普段からは想像もつかないひそやかな威厳を湛えて、メイメイはそっと呟いた。
次いで満面の笑みを浮かべパナシェへと向き直る。
「心配しなくても大丈夫だ〜って。さ、お茶淹れるから、座って休みなさい」
「……うん。先生もお姉ちゃんもいるし、大丈夫だよね」
言い聞かせるような言葉にうんうんと相槌を打つ。
そう。きっと大丈夫。
何故なら彼女が帰ってきたのだから。